第七十話
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【同日・昼休み・スイーツ店『蜜糖星球』】
風鈴の吊るされた店のドアを押し開けると、ちりん、と澄んだ音が鳴った。
甘いクリームとフルーツの香りが、ふわりと鼻先をくすぐる。
立花は、すでに窓際の席に座っていた。
目の前には、ほとんど手のつけられていないイチゴパフェ。
スプーンが、無意識にクリームの表面を行ったり来たりしている。
「美里ちゃん、待たせちゃった?」
緒山は笑いながら向かいに腰を下ろし、アイスレモンティーを注文した。
「い、いえ……!」
立花は慌てて背筋を伸ばし、両手を膝の上にきちんとそろえる。
その仕草のひとつひとつが、どこか落ち着かなかった。
今日は淡いイエローのワンピースを着ていて、相変わらず身なりはきれいに整っている。
けれど、眉間の曇りだけはどうしても取れていなかった。
「朋奈さん……」
立花は深く息を吸い、指先をぎゅっと絡めた。
「わ、私……すごく変な夢を見たんです。その……朋奈さんと先輩が出てくる夢で……」
声は細いのに、不思議なくらいはっきりしていた。
緒山は表情を崩さないまま、やわらかくうなずく。
「うん、聞いてるよ。ゆっくりでいいから」
立花は途切れ途切れに、その夢の内容を話し始めた。
――緒山が家庭の事情で突然転校してしまうこと。
みんなが名残惜しそうに緒山を見送ること。
そして時が流れて、生徒会に残った自分と石原が、仕事を通して支え合いながら少しずつ距離を縮めていって……やがて。
「でも……夢の中で」
立花の声が震え始めた。
顔が、どんどんうつむいていった。
「朋奈さんがいなくなるとき、私……みんなと同じように悲しかったはずなのに……それだけじゃなくて……」
言葉が詰まった。
「ほんの少しだけ……“チャンスかも”って思ってしまった自分がいて……」
ぽろり、と涙が落ちた。
「起きてから、すごく嫌で……そんな夢を見るなんてって……
私、朋奈さんのこと本当に大好きで尊敬してるし、先輩とも幸せになってほしいって思ってるのに……」
テーブルクロスの上に、涙が小さな染みをひとつ広げる。
緒山は最後まで口を挟まず、静かに聞いていた。
立花の言葉が乱れ、嗚咽に変わって、自分を責める声まで途切れ途切れになったところで、
緒山はそっと手を伸ばし、ぎゅっと握られていた立花の手に自分の手を重ねる。
「美里ちゃん。ただの夢だよ」
緒山はやさしく言った。
「夢の中の気持ちって、自分でもどうにもできないことがあるし……それがそのまま本当の気持ちってわけでもないよ」
立花は涙で濡れた顔を上げた。
「そんなことで、そこまで自分を責めなくていい」
緒山は少しだけ微笑んだ。
「それにね。もし本当に私がいなくなることがあったとしても――まあ、そんなの絶対イヤだけど」
冗談めかして肩をすくめ、それから続けた。
「残る人たちには、ちゃんと楽しく過ごしててほしいって思うよ。
美里ちゃんも、先輩も……みんな、私にとってすごく大事な人だから」
「……ほんとに、怒ってないんですか?」
立花が小さな声で尋ねた。まだ目は赤いままだった。
「夢の中で……私、ちょっと先輩のこと気にしすぎてたみたいで……」
そこまで言って、言葉を濁す。
曖昧な気持ちだけが、半端な形のままテーブルの上に置かれたみたいだった。
緒山は一度ぱちりと瞬きをして、少しも気にした様子もなく首をかしげる。
「先輩のこと気になるのって、別に普通じゃない?いっぱい助けてもらってるし、優しくて頼れる先輩だもん」
そのまま、ふっと目を細めた。
「それとも美里ちゃん、“私も先輩のこと気にしてるの?”って聞きたいの?」
少しだけ間を置く。
その言葉に、立花の肩がぴくっと強張った。
緒山は澄んだ目で、まっすぐ立花を見つめる。
「うん。気にしてるよ」
あっさりと、けれどごまかしもなく言った。
「たぶん、“みんなと同じ”っていうのよりは……ちょっとだけ、多いかな」
「――っ!」
立花の顔が一瞬で真っ赤になった。
「と、朋奈さん!? そ、そういうの……普通に言うんですか!?」
「なんでダメなの?」
緒山は頬杖をつき、足をぶらぶらさせた。
「じゃあ、美里ちゃんは? 今、先輩のことどう思ってるの?」
「わ、私は……!」
立花は慌ててスプーンを握りしめ、溶けかけたクリームをつんつんと突いた。
「そ、それは……尊敬です! あと感謝です! 先輩にはすごく助けてもらってて……だから、その……それだけです!」
言うほどに声が小さくなっていった。
「……どうせ、朋奈さんの“ちょっとだけ”には勝てないし……」
今にもテーブルの下に潜り込みそうな勢いでうつむく立花を見て、緒山はとうとう吹き出した。
澄んでいて、やわらかい笑い声だ。
「はいはい、もうからかわないよ。どんな“気になる”だって、大事な気持ちだよ。
だから、恥ずかしいとか変だとか、そんなふうに思わなくていい」
一度、言葉を区切った。
「大事なのは、今こうして一緒にいること。
私たちが、お互いにとって大事な友達だってこと。夢は夢だよ。そんなもので私たちが決まるわけじゃないし、引き離されたりもしない。……でしょ?」
立花はゆっくり顔を上げた。
まだ頬は赤かったが、目の奥には光が戻っている。
小さくうなずいた。
「……うん」
その様子を確認してから、緒山は少しだけ表情を引き締めた。
「そういえば、美里ちゃん。夢を見始めたのって、先週末くらいからじゃない?
しかも、だんだんはっきりしてきてる」
立花は驚いて目を見開いた。
「はい……そうです。どうして分かったんですか?」
「それはね――」
緒山は、ここ数日の出来事と、自分たちが考えていることを手短に話した。
立花は口元を押さえ、息を呑んだ。
「私たち、会長を助けないといけないし、そのためには、みんなの力も必要なの」
緒山はまっすぐ立花を見た。
「美里ちゃん。一緒にやってくれる?」
迷いはなかった。
「もちろんです! 私、何でもやります!」
緒山はスマホに目を落とした。
ちょうど石原からメッセージが届いていて、もう花野の家に着いたらしい。
「ちょうどいいね。先輩と杏ちゃん、真汐ちゃんのところにいるって。
私たちも合流しよう」
「はい!」
緒山はすぐに返信を打った。
「先輩、美里ちゃんとは話せました。状況も一致してます。
今からそっちに向かって、合流しても大丈夫ですか?」
ほとんど間を置かず、返事が来た。
「大丈夫だ。住所送る。気をつけて来てくれ」
二人は残っていたスイーツを急いで片づけると、そのまま席を立った。
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【同日・午後・花野真汐の自宅】
メールに書かれていた住所を頼りに、石原と杏は静かな高級住宅街へたどり着いた。
並ぶ一戸建てはどれも現代的な造りで、庭もきれいに整えられている。
けれど、どこか生活の気配が薄くて、妙に無機質に見えた。
インターホンに応じた花野は、シンプルな部屋着姿のまま、いつも通りほとんど表情を動かさなかった。
「どうぞ」
室内はミニマルな内装だった。
広くて明るく、隅々まで整えられているのに――人の気配だけが驚くほど薄い。
「真汐ちゃん、こんな広いところに住んでるの?」
杏が小声でつぶやいた。
「うん。一人で住んでる」
花野は短く答え、そのまま二人を書斎兼作業部屋へ案内した。
複数のモニターに、整然と並んだ本棚と書類棚。
この部屋では、人よりもそちらのほうが主役に見えた。
挨拶らしい挨拶はなかった。
花野はそのまま本題に入る。声は平坦で、揺らぎがなかった。
「会長の現状について。
あなたたちから聞いた“夢の異常”と、私の観測結果を合わせると、見えてくることがいくつかある」
花野は一枚の棒グラフを取り出した。
二人は思わず身を乗り出して、それを覗き込んだ。
タイトルには大きく――「会長ストレス指標の定量化」と記されていた。
「ストレス指標の上昇は七月末から顕著になっている。最初の異常な夢の報告時期とも重なる」
杏がグラフの先週の土曜にあたる箇所を指差し、目を見開いた。
「先週の土曜……私が初めて夢を見た日だ」
「ピークはそのあたり。つまり、異能力がその時点で一気に本格化した可能性が高い」
花野はそう補足して、ふと石原へ視線を向けた。
「……どうしました?」
石原が首をかしげた。
「別に。ただ、まだ生きていて安心しただけ」
「どういうことですか!?」
花野は視線を逸らし、グラフを整え直した。
「私の夢では、あなたは交通事故に遭って、重傷を負ってそのまま死んでいた」
「……それはまた、ずいぶんだな」
石原は苦笑しながら頭をかいた。
「ってことは、みんな似たような悪夢を見てるってことか?」
「その通り」
花野は即答した。
「夢の内容はどれも“不幸な未来”に繋がっている。異能力者が原因の現象と考えるのが自然」
そのとき、玄関のほうから電子錠の解錠音がかすかに響いた。
続いて、明るい声が聞こえてくる。
「お邪魔しまーす! 来ました!」
そのあとに、少し控えめな声が続いた。
「真汐ちゃん、お邪魔します」
緒山と立花が靴を脱いで上がってきた。
花野は二人を部屋へ案内した。
立花の目元には、泣いたあとの名残がわずかに残っていたが、表情そのものはかなり落ち着いている。
石原と杏に視線を向け、小さくうなずいた。
「ちょうどいいタイミング」
花野は空いている席を示す。
「今、会長の現状にどう対処するかを検討している」
緒山はうなずき、表情を引き締めた。
「これまでのことを考えると、やっぱり会長のストレスが原因の可能性は高いと思います」
「じゃあ、私たちで分担して、少しでも負担を減らすのはどうでしょうか?」
立花が手を挙げて提案した。
花野はうなずいた。
「会長は仕事量が多すぎる。それなのに、一人で抱え込んで処理しようとする傾向がある」
一拍置いて、全員を見渡す。
最後に、その視線が石原のところで止まった。
「あなたは“タグの文字化け”を確認した、と言っていた」
「ええ、ほんの一瞬ですけど」
花野はしばらく考え込んだ。
「もし“文字化け”が異能力者を見分けるための情報に近いものなら、別の見方もできる」
「……もしかして、春野の能力……まだ完全じゃない?」
石原は慎重に言葉を選んだ。
部屋の空気が静まる。
花野は画面に表示された資料を操作しながら、淡々と続けた。
「現時点では情報が足りない。だから、優先すべきは“負担軽減”」
杏がモニターを見つめながらつぶやいた。
「ストレスが減れば、能力も消えるかも……」
「その可能性はある」
花野は肯定した。
「次の業務会議が好機になる。
夏祭の準備業務は会長に集中している。緒山、もしくは石原が自然な形で協力を申し出ること。重要なのは、こちらから主体的に動く姿勢」
「分かった」
石原はうなずいた。
「具体的な役割分担は?」
緒山が尋ねる。
「細かい作業の切り分けと、どう声をかけるかは、本日中に共有グループへ送る」
花野の返答は即座だった。
書斎に、短い沈黙が流れる。
「私は大丈夫です」
最初に口を開いたのは緒山だった。
「会長は大切な仲間です。このままにはできません」
立花もすぐに続いた。
「事前の想定と現場での対応なら、私が多めに準備しておきます!」
杏が拳を握る。
「情報収集は任せて!」
花野は全員を一瞥し、小さくうなずいた。
「以上、解散」
夕陽はすでに沈み、庭は夜の色に包まれている。
最初の行動は、次の業務会議で始まることになった。




