第六十一話
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【八月八日・木曜日・午前】
目を覚ますと、窓の外はすでに明るかった。
すぐに思い出した。
昨夜、自分の中で決めたことを。
それから、あの短い「おやすみ」のメッセージも。
胸の奥には、まだ重さが残っている。
けれど、昨日みたいに散らばってはいなかった。
向かう先だけは、はっきりしている。
スマホを手に取った。
トーク画面を開いた。
入力欄。
カーソルが点滅していた。
……どう送ればいい。
「今日、少し話せるか?」
それでいいのか。
急すぎるかもしれない。
向こうに、余計な負担をかけるだけかもしれない。
指が止まった。
そのとき。
スマホが震えた。
通知だった。
――緒山。
開いた。
『先輩、おはようございます!』
『あの……昨日は本当にすみませんでした!』
『その、お詫びも兼ねて……今日の午後、時間ありますか? 改めて、ちゃんとお家に来てほしくて!』
『あと、先輩に見せたいものがあって……その、夏休みのちょっとした計画、みたいな?』
そんなメッセージが続けて届いた。
いつもの調子。
軽いテンポ。
昨夜、あんなふうに泣いていたのが、まるで幻だったみたいに。
――考える間もなかった。
『分かった。午後の何時?』
すぐに返した。
『二時くらいでも大丈夫ですか? ちょうどパパとママ出かけるので! ゆっくり話せますし~(もちろん泣くほうじゃないやつです!)』
『了解』
それで決まった。
スマホを置く。
胸の重さは、消えていなかった。
むしろ、少し形を変えていた。
期待。
それから、緊張。
……“夏休みの計画”。
何を見せるつもりなんだろうか。
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午後一時五十分。
緒山の家の前。
インターホンを押す。
すぐに、ドアが開いた。
「先輩、時間ぴったりですね! どうぞどうぞ!」
緒山が顔を出す。
明るい声だった。
体を横にずらして、石原を招き入れる。
「今日は“秘密作戦会議”ですからね!」
その軽さが、夏の風鈴みたいに耳に残った。
リビングには、やはり誰もいなかった。
「パパとママ、久しぶりに二人でお出かけなんです」
緒山はウインクして、石原を自分の部屋へと案内した。
ドアは開いていた。
午後の光が、そのまま差し込んでいた。
部屋の奥。
あの壁が、目に入った。
写真。付箋。カード。
光の中で、ひとつひとつがやけに鮮明に、やけににぎやかに見えた。
「好きなとこ座ってください!」
彼女は机の椅子を示しすと自分はベッドの端に腰を下ろす。
枕元からノートを一冊取り上げた。
星空の表紙だった。
それを、壊れやすい宝物を抱くみたいに胸に抱えた。
「先輩、昨日言ってましたよね……私のために何かできることがあれば、って」
顔を上げた。
笑っている。
けれど、目の奥に少しだけ慎重さが混じっていた。
「……ああ」
石原はうなずきながら椅子に腰を下ろした。
「実は……ちょうど、頼れる“共犯者”が必要だったんです!」
ぱっと声の調子を上げた。
ノートを膝の上で開いた。
カラフルな付箋の挟まったページだ。
「見てください! 『夏休み特別体験プラン』! 超――挑戦的だと思いません?」
ノートをこちらに向けた。
指でページを押さえていたから、上下のほうは見えな。
目に入ったのは、いくつかの項目だけ。
・信頼できる相棒と商店街の“夏スイーツ十選”制覇!
・海に行って、暗闇の向こうから生まれる朝日を見る!
・誰もいない舞台で、大声で叫ぶ
カラーペンの文字。
小さな落書き。
弾んだ字だ。
生活を楽しもうとしている誰かの願いみたいに見えた。
「一人だとちょっとつまらないこともあるし……その、少しだけ勇気がいることもあるから」
ぱたん、とノートを閉じた。
手を合わせた。
少しだけ照れたような仕草だった。
でも、目は期待で光っていた。
「だから……先輩。よかったら、一緒にやりませんか? もちろん、先輩が空いてるときだけでいいので」
一息置いた。
「夏休みに、ちょっとだけ特別な味つけをする感じで。……それに」
少し声を落とした。
「これ、二人だけの“秘密行動”なんです。会長たちには内緒で。知られたら絶対笑われますし」
冗談みたいな言い方だった。
少し子どもっぽいくらいの、軽い誘い方だ。
光が差していた。
そのまま、彼女の輪郭を縁取っている。
石原はノートから視線を外した。
彼女の顔を見る。
明るい笑顔だった。
(……こんなことで、あいつの力になれるのか)
胸の中に、小さな引っかかりが残った。
それでも。
「……分かった」
短く答えた。
「緒山さんの都合がいいときに、呼んでくれ」
――ぱっと。
緒山の表情が変わった。
目が、明るくなる。
「ほんとですか!」
勢いよくうなずくと、ノートを開き直した。
少し前のページへ。
指で示す。
「じゃあ最初の“秘密行動”はここです! 明日の夜、商店街でちょっとした夏祭りのプレイベントがあるんです。老舗のお店も限定スイーツ出すみたいで!」
指がすっと動いてページが一瞬めくれた。
……別の文字が見える。
少し幼い字だった。
「観覧車」と「雪」。
すぐに隠れた。
「さっと回って、さっと帰る感じで!」
「……ああ」
短く返した。
――ずいぶん手早い。
それも、何か理由があるように思えた。
「じゃあ決まりです!」
ぱたん、とノートを閉じると丁寧に枕元へ戻した。
「そうだ、先輩」
ふと思い出したように振り向いた。
少しだけ言いにくそうな顔だ。
「その……もし、ですよ? ほんとにもしですけど」
視線が泳いだ。
指が髪をいじった。
「秘密行動の途中で、春野会長とか美里ちゃんに見つかったら……一緒にごまかしてくださいね?」
頬が少し赤かった。
「……分かった」
石原は答えた。
――どうせすぐバレる。
そう思いながらも。
緒山はほっとしたように笑った。
「じゃあ、明日六時! 商店街の東口で!」
「ああ」
「絶対ですよ! あ、私もママに言い訳考えないと……」
ぶつぶつ言いながら、考え始める。
表情は、明るく、楽しそうだった。
石原はそれを見る。
その横顔を。
まつげに光がかかっていた。
昨夜の涙も、不安も、今は見えなかった。
……それでも。
消えたわけじゃない。
ただ、今は触れない。
その笑顔を、崩したくなかった。
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【八月九日・金曜日・朝】
石原はスマホを開いた。
通知が一件あった。
昨夜遅くに届いていたものだった。
『本日午後二時、夏祭り準備会議。「フォレストテラス」二階個室。全員参加。』
眉が寄った。
送信時刻は二時三十五分。
少し遅い。
だが、特に深くは考えず、そのまま画面を閉じた。




