第五話
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【五月七日・火曜日・朝】
石原は、あまりよく眠れなかった。
昨日からずっと頭に残っていたのは、緒山のあの言葉だ。
『明日も来ますから!』
何度も考えた末、結局「社交辞令だろ」と自分に言い聞かせた。
アパートの玄関を出て、階段を降りた。
一階に着き、角を曲がったところで足が止まった。
103号室。
ドア横の表札には、はっきりとこう書かれていた。
――緒山。
石原はその場で固まった。
あの女子が、自分の家の真下に住んでいる?
そのときだった。103号室のドアが開く。
緒山がリュックを背負って出てきた。
「いってきまーす」
部屋の中にそう声をかけてから、振り向いた。
――石原と目が合う。
【緒山朋奈の感情:困惑21#@?$】
二人とも固まった。
「こ、怖がらないでください。俺、ストーカーじゃないですから……絶対」
「わ、私もストーカーに狙われるタイプじゃないと思います……たぶん」
微妙な沈黙。
そして、二人同時に吹き出した。
「はははっ、こんな偶然あるんですね!?」
緒山は口元を押さえながら笑った。
「先輩、何階なんですか?」
「203号室」
「えっ、真上じゃないですか!じゃあこれから一緒に登校できますね!」
石原は口を開く。
本当は「一人の方が楽なんだけど」と言うつもりだった。
けれど、結局飲み込んで、こう言った。
「……好きにしろ」
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二人は並んで駅へ向かった。
朝の光はやわらかく、風も心地いい。
石原はうつむいたまま早足で歩いた。
緒山は小走りで追いつき、前に回った。両手を後ろに組み、今度は後ろ向きのまま歩き始めた。
「『これで、登校までずっと落ち着かなくなっちゃったな?』って感じですか、先輩?」
石原の足がぴたりと止まる。
(この子……読心術でもあるのか?)
「『この子、読心術でもあるのか?』って思いましたよね?」
「……その能力、ほんとに読心術なんじゃないかって疑うぞ」
「だって先輩、分かりやすいんですもん!」
緒山はけらけら笑った。
朝日が彼女の顔に差し込む。
石原はふと気づいた。
彼女と並んで歩いていても、思ったほど疲れないことに。
――口には出さなかったが。
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駅前に着くと、見覚えのある姿が目に入った。
杏だ。
壁にもたれながら、退屈そうに立っていた杏は、兄の姿を見た瞬間、ぱっと顔を明るくした。
そして、その隣にいる人物に気づいた途端、さらに目を輝かせた。
「お兄ちゃん! 緒山先輩!」
石原の胸が嫌な予感でざわついた。
「わー! お兄ちゃんが言ってた『偶然会った子』って、朋奈先輩だったんだ!」
杏は駆け寄ると、いきなり緒山の腕にぎゅっとしがみついた。
「先輩先輩! 私、石原杏です! 一年A組! 先輩のこと知ってます!」
「えっ、杏ちゃん?」
緒山の顔がぱっと明るくなった。
「私も聞いたことある! お兄ちゃん、かなりのシスコンなんでしょ?」
「そうそう! 昨日も家でずーっとぼーっとしてて! 絶対先輩のこと考えてたんですよ!」
「おい――」
けれど、二人はもうすっかり意気投合して話し始めていて、石原が口を挟む隙はなかった。
「先輩、これ見てください! 最近いちばんハマってる漫画なんです!」
「わっ、この絵めっちゃ可愛い! ちょっと見せて!」
「いいですよ! カバンにまだ何冊か入ってます!」
石原はいつの間にか端へ追いやられていた。
さっき会ったばかりのはずなのに、二人はまるでずっと前から仲のいい姉妹みたいに盛り上がっている。
(まあ……あの二人の気が合うなら、それでいいか)
石原は少し後ろを歩きながら、ぼんやりと緒山の姿を目で追った。
やがて電車がホームに滑り込んできた。
三人で乗り込むと、杏は当然のように緒山の隣へ座った。そしてまた漫画の話で盛り上がる。
石原は向かいの席に座り、時おりちらりと緒山を見るだけだった。
やがて駅に着くと、杏は手を振ってそのまま一年の校舎のほうへ駆けていった。
石原と緒山は並んで二年の校舎へ向かった。
「杏ちゃん、ほんと可愛いですね」
緒山が話しだす。
「それに、これからは『朋奈さん』って呼ぶって言ってくれて。兄妹って、すごく仲いいんですね」
「……まあ」
「いいなぁ」
ぽつりと、緒山がつぶやいた。
石原は横目で彼女を見る。
朝の光が差し込んで、その表情はよく見えなかった。
「じゃあ私、先に教室行きますね! 先輩、またお昼に!」
緒山は手をひらひら振って、B組の教室へ入っていった。
石原はその場に立ったまま、閉まったばかりのドアを見つめていた。
(あいつ……いや、緒山は……)
石原は小さく首を振った。それ以上は考えなかった。




