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見える感情、見えないまま  作者: 颍川
第十章 星を繋ぐ者——彼女の願いと、彼の光へ
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第四十九話

---


【六月二十七日・木曜日・昼休み】


【生徒会室】


立花はスマホを手にしたまま、どこか微妙に浮き立ったような顔で口を開いた。


「えっと……佐藤からちょっと聞いた話があるんだけど、たぶん今わたしたちが調べてることと関係あるかもしれないんです」


その言葉に、みんなの注意がそちらへ向いた。


「佐藤が言ってたんだけどね、中等部三年に“朝日葵”っていう女の子がいて、体の事情で長期欠席が続いてるんだって。ほとんど学校には来てないみたい」


「その子を知ってる子たちの話だと、すごく静かな子で……でも、夜になると、みんなを誘って星を見るのが好きだったらしいの」


立花はトーク履歴を見ながら続けた。


「それで、二、三週間くらい前かな。佐藤が病院の近くのコンビニでバイトしてたとき、たまたまその子を見かけたんだって。車椅子に乗ってて……背が高くて細い、うちの高等部の制服を着た男の子が付き添ってたって」


春野はすぐに反応した。


「苗字、合うな」


花野はあらためて学生の基礎情報を確認した。


「朝日守。登録情報にあった『家庭面で要注意』は、この妹を指していると見ていい」


「面倒を見る必要のある妹がいるってわかったのは大きいね。こっちとしても、接点の作り方が一つ増える」


緒山は両手を組んで机の上に置き、考え込むように言った。


「でも、生徒会って名目でいきなり、長期で休んでる子の家族まで気にかけるのって、理由として十分かな。

逆に踏み込みすぎだって思われたり、調べられてるって警戒されたりしませんか?」


「そこはちゃんと考えないとな」

春野は頷き、少し考えてから口を開いた。


「こういうのはどうだ。生徒会の“長期欠席生徒とその家庭への支援”っていう通常のフォローの名目で、先生を通して正式に連絡を入れる。

制度の中での定期的な気遣いって形なら、理由としても通るし、向こうの抵抗感も少しは下げられるはずだ」


「それなら可」

花野が短く賛同した。


「そのあと、どうするの?」

立花が手を挙げた。


「接触したあとも、まだ確かめたいことはある。特に、あの“光のにじみ”が本当に彼に関係してるのかどうか。もし関係してるなら……それが何なのか、どうしてそんなことをしているのか」


春野は石原と緒山を見る。


石原は黙って話を聞いていた。

頭に浮かんでいたのは、あのとき見た朝日守の欠けた感情ラベルだった。


それほど心を注がざるを得ない妹がいるのなら、あの重い【不安】にも、少しは輪郭が与えられる気がした。

けれど、ラベルの中に混じっていたあの異常な乱れ――あいつの中にある執念は、いったい何に向いているのか。


「プライバシーを侵さない範囲で、もう一度だけ近くから様子を見る必要がある」

春野の声が、石原の思考を引き戻した。


「目標は、旧校舎の現象が本当に彼に由来するのかを確かめること。それと、今の彼の状態をできるだけ正確に把握することだ。

こっちが介入したほうがいい状況なのかどうか、その判断材料が必要になる」


石原と緒山は一度だけ視線を交わし、小さく頷いた。


「気をつけるよ」


---


【六月二十八日・木曜日】


さらに観察を進めると決めた翌日、もっと直接的なきっかけが訪れた。


昼休み、春野が報せを持ってきた。


「朝日守の担任に連絡を取って、朝日葵さんのお見舞いに行きたいって伝えてみた。

向こうの保護者……たぶん、電話に出たのは朝日本人だな。最初はかなり迷ってたけど、担任の先生に説得されて、なんとか了承はもらえた」


そこで一度言葉を切ってから、続けた。


「ただし、“短時間だけ”だ。それと、できるだけ葵さんの休養を妨げないように、って条件つきだった」


その日の放課後、石原と緒山は生徒会の代表として、励ましの気持ちを込めた白い雛菊の小さな花束と、十代向けの読みやすい本を何冊か持って、朝日葵のいる市立総合病院へ向かった。


通された病室は、明るい個室だ。

想像していたよりも整っていて広かった。けれど、消毒液特有の淡い匂いが、そこにはたしかに漂っていた。


窓は半分だけ開いていて、薄い青のカーテンが風に揺れていた。


朝日葵は、上体を起こした病床にもたれていた。


想像以上に小さく、痩せている。

白い肌は透けるようで、亜麻色の長い髪が肩にやわらかく流れていた。


けれど、その目だけはひどく明るかった。

琥珀色の瞳は二人を見た瞬間、すぐに三日月みたいに細められた。


「お兄ちゃんの学校の生徒会の先輩たちですか? 来てくれてありがとうございます!」


明るく澄んだ声だった。

楽しそうに手まで振っていて、病人にありがちな陰りは少しも感じられなかった。


【朝日葵の感情:喜び85、好奇15】


その感情は純粋で、どこにも欠けたところのない、澄んだ泉みたいだった。


「こんにちは、葵ちゃん。私は緒山朋奈、こっちは石原久希」


緒山は花と本をベッド脇の棚に置いた。


「急に来ちゃって、休む邪魔になってなかった?」


「全然平気! 私、普段ほんとに退屈してるから」


葵は好奇心いっぱいの目で二人を見ていた。

とくに石原のほうに、その視線がほんの一瞬だけ長く留まる。


「お兄ちゃん、あんまり友達連れてこないんだよね……あ、もう、そんなところに立ってないで」


朝日守はドア枠の脇の陰に立っていた。

学校で見たときより、明らかに張り詰めている。両手は不自然に身体の横へ垂れたまま、視線も伏せられていた。

けれど、葵が声を出すと、すぐに顔を上げて妹を見た。


【朝日守の感情:緊張24#$%&】


「……生徒会の人たちだ」


朝日守は妹に向かって小さくそう言い、それから二人をちらりと見た。


「……あの日の、あのカップルか」


「あはは、ほんとに縁があるね」


緒山はその流れのまま、石原の腕にそっと手を回した。石原も合わせるように、少しだけ距離を詰めた。


見舞いの時間は短く、そして穏やかに流れていった。


会話を主に回していたのは緒山だ。

病状そのものには触れず、学校であったちょっとした出来事や、もうすぐ来る夏祭り、それから気楽に話せる話題を選んでいた。


葵は夢中になって聞き、ときどき鈴のような笑い声を立てた。

壁に貼られた星空のポスターや惑星の写真を指さしながら、楽しそうにあれこれ語っていた。


「私、こういうの見るの大好きなんです! あんまり外には行けないけど、見てると、すごく遠いところまで行けたみたいな気持ちになれるんです」


そのあいだ、朝日守はほとんど何も話さず、そばに立っていた。

ただ、葵が二度ほど咳をしたり、少しでも疲れた顔を見せたりすると、すぐに半歩ぶん前へ出て様子を見る。


緒山が白湯を差し出した。


「気をつけて、ちょっと熱いかも……」


朝日守は考える間もなくそのコップを受け取り、葵に飲ませた。

葵は「ちょっと熱いよ」と眉を寄せたものの、すぐにまた緒山のほうへくっつくように身を寄せた。


十五分ほどして、緒山はちょうどいい頃合いで席を立った。


「今日は来てくれてありがとう、緒山お姉さん、石原お兄さん!」


葵は目をきらきらさせたまま、朝日守のほうを見た。


「お兄ちゃん、先輩たち送ってきてよ。看護師さんたち、私が勝手にベッドから下りると怒るんだもん」


朝日守は黙って頷いた。

病院の静かな廊下を、三人はゆっくり歩いていく。


「葵ちゃん、ほんとに明るい子だね」


緒山が最初に沈黙を破った。どこか、まだ話し足りないみたいな口調だった。


「部屋の星空のポスターも、すごくきれいだった」


朝日守の足がわずかに止まった。

それでも返ってきたのは、短い「……ああ」だけだ。


「星空、すごく好きなんだね」


緒山は、ただ雑談を続けるみたいにそう言った。


今度は、さっきよりも長い沈黙が落ちる。

薄暗い病院の照明が、俯いた彼の顔に落ちていたが、表情まではよく見えなかった。


しばらくしてから、やっと口を開く。


「……うん。好きなんだ」


そこまで言って、彼はほんの少しだけ笑ったように見えた。

そんな顔を見たのは、初めてだった。


石原は彼の斜め後ろを歩きながら、その変化をはっきり見ていた。

緒山が“星空”の話をした瞬間、朝日守の、ただでさえ欠けた感情ラベルが激しく揺れたのだ。


それ以上、二人は何も聞かなかった。

病院の入口で礼儀正しく別れを告げると、朝日守はすぐに中へ戻っていく。


帰りの電車では、石原と緒山はほとんど言葉を交わさなかった。


窓の外では、街の明かりが流れていた。

緒山は車窓に映る自分の顔を見つめ、それからガラスに映り込んだ星の光にふと目を留めた。


指先でそれに触れようとしてみた。

けれど、返ってきたのは冷たいガラスの感触だけ。

その指先がわずかに止まってから、彼女は小さな声で言った。


「先輩。朝日くんの中にある“執念”って……やっぱり、妹さんと関係してるのかな」


石原は小さく頷いたが、それ以上は何も言わなかった。


---


【六月十九日・金曜日】


放課後のチャイムが鳴り終わったばかりの廊下で、石原は約束どおり緒山と合流した。


言葉は交わさなかった。

視線だけ合わせて、そのまま自然に歩き出す。前後に距離を取りながら、旧校舎のほうへ向かった。


校内にはまだ昼の名残のざわめきが残っていたが、旧校舎に近づくにつれて、音は次第に薄れていった。


二人が選んだのは、三階東側の突き当たり。

壊れた机や椅子が積まれたくぼみの陰で、ちょうど目的の物置を斜めから見下ろせる位置だった。

扉の上にある小さな窓から、わずかに中の様子がうかがえた。


静けさの中で、時間だけがゆっくりと流れていく。


石原は呼吸を整えながら半ば目を閉じた。

隣では緒山がわずかに身を乗り出し、息遣いまで抑えて扉の一点をじっと見つめていた。


――来た。


廊下の奥に、あの細い影が現れた。


朝日守は顔を伏せたまま、音を立てずに歩いてくる。

扉の前で一瞬も迷わず、鍵を開け、滑り込むように中へ入り、すぐに閉めた。


【朝日守の感情:不安37*#$%^】


前に見たときよりも、ラベルの乱れはひどくなっていた。


数分の沈黙のあと、二人は窓越しに中をのぞいた。


物置の中央、わずかに空いたスペースに、朝日守が立っていた。

高い窓から差し込む夕日の残光が、横顔をかすめる。まつげの影が落ちるほどに、うつむいていた。


表情はなく、

何もないような、空白に近い静けさだけがそこにあった。


やがて、両手がゆっくりと持ち上がる。

掌を向かい合わせにして、目を閉じた。


深く息を吸い込んだ瞬間、空気が変わる。

張り詰めるような集中が、一気に高まった。


石原の視界で、あの感情ラベルが激しく揺れた。


次の瞬間――


わずか二、三秒のうちに、直径およそ三十センチの小宇宙の天の川が、彼の両手の間に燦然と広がった!


星々は点滅し、星の塵が流れ、時折流星のような軌跡が駆け抜ける。

幻影は精巧で、夢のような柔らかく純粋な光を放ち、俯いた朝日守の顔を照らしていた。


その光が広がった瞬間――


彼の表情から、あの重たい陰りが消えた。


目を閉じたまま、抑えきれないように口元が緩む。

その笑顔は、顔全体を一瞬で変えてしまうほど明るく、まるで別人のようだった。


【朝日守の感情:#*$@%-?】


石原は息を止めた。


あまりにも強い感情の噴出。

同時に、冷たい直感が胸に落ちた。


この光の代償は、目の前にはっきり出ていた。

幻が続くほどに、朝日守の顔色はみるみる白くなり、力を失っていった。


視線を横へ流す。


緒山も、完全に動きを止めていた。

口元に手を当てたまま、目を大きく見開いていた。

その瞳に、星と、星に照らされたあの笑顔が映っている。


声はなかった。

ただ、指先だけがかすかに震えていた。


幻は一分も続かなかった。

風に散るように、光は急速に薄れ、消えていく。


同時に、朝日守の笑みも消えた。


彼は一歩よろめき、近くの古いイーゼルに手をつき、肩で息をしながら、顔を伏せた。


頬を軽く叩き、どうにか体勢を立て直すと、そのまま部屋を出ていく。


石原はそっと緒山の袖を引き、二人は音を立てないようにその場を離れ、旧校舎を抜けた。


主校舎の裏手、小さな通路に出てから、ようやく足を止める。


夕方の風が吹き抜けた。

少しだけ冷たかった。


言葉のない時間が続く。


緒山はゆっくりと振り返り、暮れかけた空の中に沈む旧校舎を見つめた。

その表情は、さっきとは違っていた。


「……あそこに、あんなふうに通ってるのって」


ぽつりと、独り言のようにこぼした。


「人を避けたいだけでもないし……ああいう力を、ただ試してるって感じでもないですよね」


風が髪を揺らし、目元を隠した。


「たぶん、あそこが一番静かで、誰にも邪魔されない場所で……あの“光”を作ってるんだと思うんです。じゃあ、それを見せたい相手って……」


言葉が、さらに小さくなった。


「学校にほとんど来られない……葵ちゃんのため、なのかな」


石原は隣に立ったまま、すぐには答えなかった。


頭の中では、さっきの光景が何度も繰り返されていた。

あの輝きと、あの笑顔と、そのあとに残った色のない顔。


「……ああ」


短く、それだけ返した。


胸の奥が、重く沈んでいく。


夕闇がゆっくりと広がり、二人の姿を飲み込んでいった。

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