第四十五話
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【六月二十四日・月曜日・放課後】
【生徒会室】
先週の誕生日会のことは、まだ鮮やかに記憶に残っていた。
「真汐ちゃんのあの棒読みの『誕生日おめでとう』、あれ絶対名場面だったよね!」
「お兄ちゃんの反応も、ほんとバカみたいだったし!」
杏と立花は、目を細めて笑い、声まで楽しげに弾んでいた。
そこへ春野が入ってきた。手には書類の束を抱えている
彼は指の関節で机を軽く叩くと、いつもの気楽そうな笑みを引っ込め、話し合いのときみたいな真面目な顔つきになった。
「はい、あったかい振り返りはそこまで。じゃあ、そろそろ本題に入るぞ」
いつもより少し、部屋の空気が引き締まった。
春野はホワイトボードを部屋の中央へ引き寄せ、花野は手元のノートを開く。立花まで、いつもより背筋を伸ばして座っていた。
「みんないることだし、最近のことを一回整理しよう」
春野は机の端にもたれかかった。
「立花の能力は消えた。石原は新しい異常を見つけた。そろそろ、今わかってることも推測も、全部出し合っていい頃だと思う」
花野はノートを開き、万年筆を手に取った。
「同意」
「じゃあ、私から話します」
立花が手を挙げた。その声はいつになく真剣だった。
「能力が消えてから、やっと先輩の言ってた“代償”の意味がわかったの」
彼女は自分の手を見下ろした。
「前は、制服を着てるのにみんなに無視されるたびに、もう全部終わりみたいな気がしてた。でも今になって思えば、あの“消えかけてる”感じ……あれが、代償が少しずつ深くなっていってたってことなんだと思う」
そう言って顔を上げ、石原を見た。
「だから聞きたいんです。先輩の代償って? “ノイズ汚染”って言ってましたよね。それも……だんだんひどくなっていくんですか? 前の私みたいに」
生徒会室が、ふっと静まり返る。
いくつもの視線がいっぺんに自分に集まったのを、石原は感じた。
二秒ほど黙ってから、口を開いた。
「……たぶん、そうなると思う」
それは石原自身も、ここ最近になってようやく確信したことだった。
声そのものは落ち着いている。けれど、立花はもう眉を寄せていた。
「もし本当に、私のときみたいに悪化していくなら……今のままじゃ、私たち、同じ間違いを繰り返してることになりませんか?」
「今のところは、まだ安定してる。人の多い場所にいる時間をきちんと抑えれば、問題ない」
立花は何か言いかけた。だが、その前に別の声が割って入る。
「お兄ちゃん」
隣から聞こえた杏の声には、いつもみたいな軽さが少し欠けていた。
立花の隣に座ったまま、両手を膝の上に置き、ずっと石原から目を逸らさなかった。
「ひどくなるかもしれないなんて、今まで一回も言ってくれなかったよね」
石原はわずかに目を見開いた。
杏は追及しなかった。ただ、すっと視線を落としただけだった。
「……もういい。どうせ、お兄ちゃんは杏の言うことなんて聞かないし」
そう言って花野のほうへ向き直ると、その声にはいつもの軽さが戻っていた。
「真汐ちゃん、続けて」
「では、法則性はひとまずこう整理できる」
その声に抑揚はなかった。
「代償は、使用頻度と強度に応じて深くなる。立花は能力の消失後、代償も消えた。――この認識でいい?」
「少なくとも、立花と石原のケースには当てはまっている」
花野はノートに数行書きつけた。
「よし。代償の話はいったんここまでだ」
春野が軽く手を叩き、石原のほうを見た。
「次は、数日前に見た男子の話だ。聞かせてくれ」
石原は、夕暮れの廊下で見たことを順に話した。すれ違いざまに見えた欠けたラベルのことも、振り返ったときには、もうその姿が曲がり角の向こうへ消えていたことも話した。
「調べた」
花野が別のページを開いた。
「二年D組、朝日守。異常記録はなし。ただし一点――家庭の問題には注意が必要だ」
「家庭の問題、か……」
春野は目を伏せ、少し考え込んだ。
「それと、これ」
花野はファイルから一枚のメモ用紙を抜き取り、机の上に置いた。
「三日前の投稿」
そこには、ボールペンでやや雑に書かれた文字が並んでいた。
「投稿:ここ一週間、放課後の夕暮れどきになると、旧校舎三階のいちばん東にある使われていない音楽室の窓辺で、変な色の光のにじみが見える。すごく小さい、揺らぐオーロラみたいな光。これ、見えてるの自分だけ?」
花野が緒山を見た。緒山がそのまま話を引き取った。
「旧校舎三階の東側。D組の子に聞いてみたんだけど、朝日くんが放課後によく行ってる場所と同じなんだよね」
春野は腕を組み、しばらく唸った。
「つまり……その現象、朝日守と関係あるかもしれないってことか。でも問題は――今のままだと確かめようがない」
「私のときみたいに、直接聞きに行くのは……?」
立花が小さな声で言った。
「だめ。今の時点じゃ、朝日守について何もわかってない。下手に接触すると、逆効果になる可能性がある」
花野はその案をきっぱり退けた。
沈黙が、生徒会室の中にじわりと広がった。
その静けさを破るように、春野が少し身を乗り出し、話題を切り替えた。
「次。石原、この前俺に話してくれた“発見”も、今ここでみんなに共有しよう」
石原は一瞬だけ間を置き、すぐに何のことかわかる。
「……俺の能力の話だ」
そう言うと、自然と全員の意識が石原に集まった。
「最近わかったことがある。ほとんどの人のラベルは、ちゃんとした形で流れてる。でも、そうじゃないやつもいる。欠けてたり、文字化けしてたりする。たとえば……」
石原は慎重に言葉を切った。
緒山を連想させかねない比較は避けた。
「立花さんは前、そうだった。能力が消えたあと、ラベルも普通に戻った」
「石原の仮説は、“感情ラベルの異常”が、ほかの潜在的な異能者を見つける手がかりになるんじゃないか、ってことだ」
春野が補足し、石原は頷いた。
生徒会室はまた静かになった。
誰もが、その情報をそれぞれの形で飲み込もうとしていた。
「要するに、特徴はかなりわかりやすい。だから石原は、これを手がかりにすれば、もっとこっちから探しにいけるんじゃないかって考えてる。――自分の能力を使って」
「反対」
花野が口を開いた。いつもより、わずかに早口だった。
「サンプル数が足りない。結論を出すにはまだ早い。しかも――能力を頻繁に使えば、石原の代償はさらに重くなる。そのリスクを負うつもり?」
その言葉に、立花の体がわずかに前のめりになる。思わず、といったふうに石原を見た。
「わかってる」
石原は花野の視線をまっすぐ受け止めた。
「それでも、やる価値はあると思ってる。もし校内にまだ他にもいるなら……誰かが見つけなきゃいけない」
「今ならわかる。俺の能力は、誰かを見抜くためのものじゃない。ただ――本人ですら見えてないものを、見えるようにするだけだ」
花野は目を伏せ、数秒黙り込んだ。
「……ちょっと待った」
春野が机を軽く叩く。
全員の視線がそちらへ向いた。
「俺の結論は――継続。ただし条件つきだ」
そう言って、石原を見た。
「使用頻度は抑える。異常が出たら即中止。議論の余地なし。優先するのは“見つけること”じゃない。“お前が無事でいること”だ」
石原は頷く。
誰もその言葉に反対しなかった。それが、この場での了承だった。
「で、朝日守の件に戻るけど――まずは石原の能力で確認するか?」
「俺は構わない」
春野は頷き、椅子の背にもたれると、少しだけ力を抜いたようだった。
天井を見上げたまま、独り言みたいにぽつりとこぼした。
「異能力、ね……ほんと、便利でもあるけど厄介だよな。こんなもの、いったいどうやって生まれるんだか」
誰も答えなかった。
石原は目を伏せ、自分の手を見つめていた。
立花は静かに座ったままだった。緒山もまた、誰を見るでもなく視線を落としていた。
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春野は頷き、椅子の背にもたれた。
「具体的な進め方は、花野がまとめてグループに共有しといてくれ」
「了解」
沈黙は数秒しか続かなかった。
花野はノートを閉じ、鞄を手にした。
「図書館、予約の時間」
そう言って、彼女はドアのほうへ向かった。
石原のそばを通り過ぎるとき、ふと足を止めた。
「方向性は合ってる。体には気をつけて」
それだけ言い残して、ドアを開けて出ていった。
「じゃあ、今日はここまでだな」
そのあと、春野と立花、それに杏も順に部屋を出ていった。
生徒会室は静かになり、残ったのは、石原と緒山だけだった。
夕陽が部屋をやわらかな橙色に染めていた。
緒山は窓辺に立ち、手元のスマホ画面に目を落としていた。
「先輩」
不意に、彼女が口を開いた。
顔は上げないままだった。
「……ん?」
「先輩の能力……誰かを“見抜く”ための道具じゃない、って」
彼がさっき口にした言葉を、そっとなぞるように繰り返した。
「その受け止め方、すごくいいと思います」
そう言って振り向き、彼女は小さく笑った。
「じゃあ、また明日」
「……緒山さん?」
彼女は鞄を手に、そのまま石原のそばを通り過ぎていった。
ドアが静かに閉まる。
石原は一人、生徒会室に立っていた。
最後の光が少しずつ引いていき、部屋もまた、ゆっくりと暗くなっていく。
さっき春野が口にした、あの問いを思い出した。
「こんなもの、いったいどうやって生まれるんだか」
石原には、その答えはわからなかった。
けれど、あの数秒の沈黙のあいだ、あの場にいた誰もが、それぞれ自分なりの答えを胸にしていたのだと、石原はわかっていた。
ただ、誰ひとり、それを口にはしなかった。




