表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
見える感情、見えないまま  作者: 颍川
第九章 観察——妹の恋物語?
PR
44/105

第四十一話

---


校門をくぐると、朝のざわめきが一気に押し寄せてきた。


石原は、反射的に呼吸を整えた。

人の多さが生む“ノイズ”に備えるためだ。


だが今日は、予想していたあの鬱陶しさはすぐには襲ってこない。

心境の違いかもしれなかった。

意識の大半が内側の疑問に引き寄せられていて、周囲の騒がしさがどこか遠く感じられた。


彼はそのまま校舎へ向かって歩く。


午前の授業は、どこか上の空のまま過ぎていった。

どうにも集中が続かない。


教師の説明も、黒板の内容も、頭の中で何度も再生される映像にかき消されていた。

鏡の前で真剣な表情をしていた杏。あの妙な紙切れのことが、何度も脳裏をよぎった。


休み時間、すれ違った上級生らしき男子を何人か“感情視覚”で見てみた。

だが、表示されたのはどれも平凡なものばかりだ。


【雑談の気楽さ】、【課題に追われる苛立ち】、【女子へのひそかな関心】……。

特に引っかかるものはなかった。


少しだけ肩の力は抜けた。だが疑念は消えなかった。


杏に本当に気になる相手がいるなら、その相手は感情を隠すのが上手いのかもしれない。

あるいは、そもそも今見た連中の中にはいない可能性もあった。


(……考えすぎか)


自分でも、少し神経質になりすぎているとは思った。


やがて昼休みのチャイムが鳴った。

石原は教科書をまとめ、生徒会室へ向かう。


あそこなら、いつもの空気の中で、少しは思考も落ち着くはずだった。


---


生徒会室のドアは半開きになっていて、中から、聞き慣れた声と小さな物音が漏れていた。


石原はドアを押し開ける。


午後の日差しが、部屋の半分をやわらかく照らしていた。

光の中に、細かな埃がふわりと漂っていた。


春野は会長席に座っていたが、見ていた画面はいつもの書類ではなかった。

色とりどりの画像が並ぶページが開かれていた。

文字を入れた木製品や、カスタムアクセサリーのようなものが表示されていた。


ドアの音に、春野はびくりと肩を揺らした。

すぐにタッチパッドを滑らせ、画面を最小化し、無機質な校務連絡のウィンドウへと切り替えた。


顔を上げ、やや大げさな笑顔を作った。


「お、石原! 来たな。昼だぞ昼!」


「……どうも」


石原は軽くうなずき、さりげなく視線を画面に向けた。


「忙しいんですか?」


「そりゃもう! めちゃくちゃ忙しい!」


春野は頭をかきながら、どこか不自然に明るい声で続けた。


「ほら、あの……地域合同の清掃活動あるだろ?

あれの段取り確認しててさ。細かいとこ多くてな!」


清掃活動。

確か学期末の行事だったはずだ。まだ六月だというのに。


それに、段取り確認であのサイトを見る理由もない。


だが石原は何も言わず、「そうですか」とだけ返して窓際の席へ向かい、部屋を見渡した。


花野はいつもの場所に座っていた。

だが目の前にあったのは帳簿ではなく、開かれたノートだ。


何かを書き込み、時折手を止めては顎に指を当てて考えていた。

紙面には簡単な図と、「時間軸」や「物品リスト」といった文字が見えた。


視線に気づいたのか、花野が顔を上げた。

あの感情の薄い目が石原を捉える。


次の瞬間、ノートは「パタン」と音を立てて閉じられた。


「空間利用の最適化案」


淡々とした声だった。


「現状の配置には非効率な死角がある。改善案は?」


「……特にないです」


石原は視線を逸らした。


さらに視線を巡らせる。

部屋の中央、ローテーブルのそばに目を向けると――緒山と立花が、並んでスマホを覗き込んでいた。


立花が画面を指さし、小声で何かを言った。

緒山は何度かうなずき、時折やわらかく意見を添えていた。


「この色、ちょっと濃すぎない? 先輩……あ、えっと、その人には、もう少し爽やかな感じのほうが合う気がする……」


途中で言葉が詰まり、頬を赤くして言い直した。


「うん、わかるよ。でも、場面とか全体のバランスもあるからね~。少し落ち着いた色のほうが、逆に引き立つこともあるし」


緒山がやさしく笑いながら言った。


その途中で、石原の視線に気づいたのか、彼女は顔を上げた。


「先輩、こんにちは~」


「……どうも」


石原は短く返し、二人の手元のスマホに一瞬だけ視線を落とした。


「何見てるんだ?」


「えっ!? な、なんでもないです!」


立花は慌ててスマホを胸元に隠し、顔をさらに赤くした。


「ただの文房具の通販サイトです! 先輩、女子のスマホを覗いちゃダメですよ!」


疑いはむしろ強まる。

だが石原はそれ以上は追及せず、気まずげにうなずいた。


室内の空気は、どこか妙だった。


全員が普段通りに見えた。

だが、その裏で何かを共有しているような気配がある。


わずかな緊張。

それと、かすかな期待。


石原はコップを手に取り、水を一口飲んだ。

冷たい水が喉を通る。


だが、胸の奥で形を取り始めた違和感は、消えなかった。


(……おかしい。何かが妙だ)


春野。花野。緒山。立花。杏。


全員、どこかいつもと違っている。

そしてその違いは、同じ方向を向いている気がした。


何かを隠している。

何かを準備している。


それは、今朝見つけた杏の“秘密”と、どこかで繋がっているように思えた。


(まさか……)


さらに嫌な想像が浮かんだ。


杏の件は、彼女一人の問題ではないのかもしれない。

生徒会の面々も、それを知っている?

あるいは関わっている可能性すらあった。


胸の奥が重く沈んだ。


もし、緒山や春野まで含めて自分に隠しているのだとしたら――

それは思っている以上に大掛かりで、もっと正式なことなのではないか。


石原はコップを置き、窓の外に目を向けた。


青々とした木々。

穏やかな昼の光。

何も変わらないはずの日常。


だがその下で、確かに何かが動いていた。


見えない流れが、ゆっくりと、しかし確実に――

自分と、大切な人たちを、同じ場所へと引き寄せていた。


来週の水曜日。


――確かめる必要がある。


少なくとも、杏が何を考えているのか。

そして生徒会の面々が、どんな立ち位置にいるのか。


(……機会があれば、緒山さんに聞くか)


彼女なら、気づいているかもしれない。

ここ数日の自分の様子にも。

そして、何かヒントをくれるかもしれない。女子の視点から。


そう考えると、少しだけ気が楽になった。


あの穏やかな笑顔。

不安をやわらげてくれる、あの空気。


今の自分にとって、一番話しやすい相手かもしれなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ