第四十一話
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校門をくぐると、朝のざわめきが一気に押し寄せてきた。
石原は、反射的に呼吸を整えた。
人の多さが生む“ノイズ”に備えるためだ。
だが今日は、予想していたあの鬱陶しさはすぐには襲ってこない。
心境の違いかもしれなかった。
意識の大半が内側の疑問に引き寄せられていて、周囲の騒がしさがどこか遠く感じられた。
彼はそのまま校舎へ向かって歩く。
午前の授業は、どこか上の空のまま過ぎていった。
どうにも集中が続かない。
教師の説明も、黒板の内容も、頭の中で何度も再生される映像にかき消されていた。
鏡の前で真剣な表情をしていた杏。あの妙な紙切れのことが、何度も脳裏をよぎった。
休み時間、すれ違った上級生らしき男子を何人か“感情視覚”で見てみた。
だが、表示されたのはどれも平凡なものばかりだ。
【雑談の気楽さ】、【課題に追われる苛立ち】、【女子へのひそかな関心】……。
特に引っかかるものはなかった。
少しだけ肩の力は抜けた。だが疑念は消えなかった。
杏に本当に気になる相手がいるなら、その相手は感情を隠すのが上手いのかもしれない。
あるいは、そもそも今見た連中の中にはいない可能性もあった。
(……考えすぎか)
自分でも、少し神経質になりすぎているとは思った。
やがて昼休みのチャイムが鳴った。
石原は教科書をまとめ、生徒会室へ向かう。
あそこなら、いつもの空気の中で、少しは思考も落ち着くはずだった。
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生徒会室のドアは半開きになっていて、中から、聞き慣れた声と小さな物音が漏れていた。
石原はドアを押し開ける。
午後の日差しが、部屋の半分をやわらかく照らしていた。
光の中に、細かな埃がふわりと漂っていた。
春野は会長席に座っていたが、見ていた画面はいつもの書類ではなかった。
色とりどりの画像が並ぶページが開かれていた。
文字を入れた木製品や、カスタムアクセサリーのようなものが表示されていた。
ドアの音に、春野はびくりと肩を揺らした。
すぐにタッチパッドを滑らせ、画面を最小化し、無機質な校務連絡のウィンドウへと切り替えた。
顔を上げ、やや大げさな笑顔を作った。
「お、石原! 来たな。昼だぞ昼!」
「……どうも」
石原は軽くうなずき、さりげなく視線を画面に向けた。
「忙しいんですか?」
「そりゃもう! めちゃくちゃ忙しい!」
春野は頭をかきながら、どこか不自然に明るい声で続けた。
「ほら、あの……地域合同の清掃活動あるだろ?
あれの段取り確認しててさ。細かいとこ多くてな!」
清掃活動。
確か学期末の行事だったはずだ。まだ六月だというのに。
それに、段取り確認であのサイトを見る理由もない。
だが石原は何も言わず、「そうですか」とだけ返して窓際の席へ向かい、部屋を見渡した。
花野はいつもの場所に座っていた。
だが目の前にあったのは帳簿ではなく、開かれたノートだ。
何かを書き込み、時折手を止めては顎に指を当てて考えていた。
紙面には簡単な図と、「時間軸」や「物品リスト」といった文字が見えた。
視線に気づいたのか、花野が顔を上げた。
あの感情の薄い目が石原を捉える。
次の瞬間、ノートは「パタン」と音を立てて閉じられた。
「空間利用の最適化案」
淡々とした声だった。
「現状の配置には非効率な死角がある。改善案は?」
「……特にないです」
石原は視線を逸らした。
さらに視線を巡らせる。
部屋の中央、ローテーブルのそばに目を向けると――緒山と立花が、並んでスマホを覗き込んでいた。
立花が画面を指さし、小声で何かを言った。
緒山は何度かうなずき、時折やわらかく意見を添えていた。
「この色、ちょっと濃すぎない? 先輩……あ、えっと、その人には、もう少し爽やかな感じのほうが合う気がする……」
途中で言葉が詰まり、頬を赤くして言い直した。
「うん、わかるよ。でも、場面とか全体のバランスもあるからね~。少し落ち着いた色のほうが、逆に引き立つこともあるし」
緒山がやさしく笑いながら言った。
その途中で、石原の視線に気づいたのか、彼女は顔を上げた。
「先輩、こんにちは~」
「……どうも」
石原は短く返し、二人の手元のスマホに一瞬だけ視線を落とした。
「何見てるんだ?」
「えっ!? な、なんでもないです!」
立花は慌ててスマホを胸元に隠し、顔をさらに赤くした。
「ただの文房具の通販サイトです! 先輩、女子のスマホを覗いちゃダメですよ!」
疑いはむしろ強まる。
だが石原はそれ以上は追及せず、気まずげにうなずいた。
室内の空気は、どこか妙だった。
全員が普段通りに見えた。
だが、その裏で何かを共有しているような気配がある。
わずかな緊張。
それと、かすかな期待。
石原はコップを手に取り、水を一口飲んだ。
冷たい水が喉を通る。
だが、胸の奥で形を取り始めた違和感は、消えなかった。
(……おかしい。何かが妙だ)
春野。花野。緒山。立花。杏。
全員、どこかいつもと違っている。
そしてその違いは、同じ方向を向いている気がした。
何かを隠している。
何かを準備している。
それは、今朝見つけた杏の“秘密”と、どこかで繋がっているように思えた。
(まさか……)
さらに嫌な想像が浮かんだ。
杏の件は、彼女一人の問題ではないのかもしれない。
生徒会の面々も、それを知っている?
あるいは関わっている可能性すらあった。
胸の奥が重く沈んだ。
もし、緒山や春野まで含めて自分に隠しているのだとしたら――
それは思っている以上に大掛かりで、もっと正式なことなのではないか。
石原はコップを置き、窓の外に目を向けた。
青々とした木々。
穏やかな昼の光。
何も変わらないはずの日常。
だがその下で、確かに何かが動いていた。
見えない流れが、ゆっくりと、しかし確実に――
自分と、大切な人たちを、同じ場所へと引き寄せていた。
来週の水曜日。
――確かめる必要がある。
少なくとも、杏が何を考えているのか。
そして生徒会の面々が、どんな立ち位置にいるのか。
(……機会があれば、緒山さんに聞くか)
彼女なら、気づいているかもしれない。
ここ数日の自分の様子にも。
そして、何かヒントをくれるかもしれない。女子の視点から。
そう考えると、少しだけ気が楽になった。
あの穏やかな笑顔。
不安をやわらげてくれる、あの空気。
今の自分にとって、一番話しやすい相手かもしれなかった。




