第二十五話
---
【泉方橋・橋のたもと】
石原は、約束より十分早く、橋のたもとに着いた。
――だが。
立花は、すでにそこにいた。
ツインテール。
赤と黒のチェック柄のスカート。
肩掛けのふわふわのウサギ型バッグ。
……今日も、抜かりない“可愛いフル装備”だ。
「せ、先輩……けっこう時間ぴったりなんですね」
ちらり、と石原の服装に視線を向ける。
その目がほんの少しだけ明るくなる――
が、口調は相変わらず容赦がない。
「服のセンス、ちょっとは良くなりましたね……
でもそれ、絶対杏ちゃんに選んでもらったでしょ?」
「余計なお世話だ……
っていうか、立花さんこそ。
中学生に紛れるつもりでその格好か?」
「はぁ?!」
ぴたり、と空気が止まる。
次の瞬間――立花の反撃が飛んできた。
立花に一方的にまくし立てられ、石原は思わず言葉に詰まり、わずかに視線を逸らす。
……少し、言い過ぎたか。
「体育祭までは、まだ時間あるな……」
一拍おいて。
「……時間まで、どこ行く?」
短く、切り替える。
立花はスマホで時間を確認し――にやり、と口元を歪めた。
「先輩。まだ早いし――ちょっと付き合ってほしいです。」
指差した先。
「ほら、あそこのセレクトショップ。すっごく可愛いんですよ。ちょうど通り道だし」
石原は一瞬だけ考え、
「ああ、いいぞ」
とだけ答えた。
――こうして二人は歩き出す。
他愛もない会話を交わしながら、二人は自然と笑い合い、そのまま歩き出した。
その少し離れた場所。
春野陽明は、双眼鏡越しにその様子をしっかりと覗いていた。
---
店に入った瞬間、立花はまるで自分のホームに戻ったかのように生き生きとし始めた。
きらきらと目を輝かせながら、ラックの間を軽やかに行き来する。
気になった服を次々に手に取っては、自分の体に当てて確かめている。
「この生地ね、軽くて動きやすいんですよ。あとこのカット、ウエストが細く見えるんですよ〜」
くるりと振り返り、石原に見せてくる。
最初は適当に相槌を打っていた石原だが、次第にその熱に引き込まれていった。
彼女の視線が外れ、ふと店の奥へ向く。
窓際に掛けられた、一着のワンピース。
淡いブルー。シンプルで、落ち着いたデザイン。
……立花が普段選ぶ“可愛い系”とは、明らかに違う。
だが。
(……三回目だ)
そのたびに、ほんの少し長く見つめて――
指先でハンガーをなぞり、けれど最後には視線を逸らす。
「……あれ、気になるのか?」
気づけば、口に出していた。
「えっ?」
立花がびくっと肩を揺らす。
「な、なに言ってるんですか!ああいうの、全然似合わないし!」
早口でまくし立てる。
【立花美里の感情:緊張24#¥%*(】
……やっぱりな。
石原は彼女の“感情表示”を見て、それ以上は追及しなかった。
「試せば分かるだろ」
短く言う。
妹の言葉を思い出す。
――彼女の意見もちゃんと聞いてあげて。
少しは、背中を押すべきかもしれない。
「たまには、違うのもいいと思う」
立花は言葉を詰まらせた。
「……っ」
ちらり、ともう一度ワンピースを見る。
少し迷ってから――
「……わ、分かりました。ちょっとだけですからね?」
顔を赤くしながらそれを手に取り、そのまま試着室へと入っていった。
数分後。
カーテンが開く。
出てきた立花に、石原は一瞬だけ目を見張った。
淡いブルーが、よく似合っている。
柔らかな色合いが肌を引き立て、どこか落ち着いた雰囲気を纏わせていた。
いつもの幼さが、ほんの少しだけ薄れて――
静かで、大人びた別の表情。
立花は裾をぎゅっとつまみ、視線を泳がせる。
「へ、変じゃない……? やっぱり私、こういうの似合わない気がする……」
「いや」
即答だった。
「似合ってる」
間を置かず、続ける。
「いつもと違うな。……もっと大人しいし、それに……なんだろう、少し“素”に見える」
立花の表情が、ぱっと明るくなった。
「……ほんと?」
くるりと振り返り、鏡を見る。
そのとき――
通りかかった店員が、何気なく石原に声をかけた。
「彼女さん、いかがでしたか?
サイズなどお手伝いしましょうか?」
「いや、俺じゃなくて――」
石原は、鏡の前を指す。
「そっちに」
店員の視線が、立花の方へ向く。
――だが。
店員の焦点が、合わない。
そのまま、何もない場所を見るように流れていく。
「……?」
店員は首をかしげた。
「すみません、お連れ様は外に出られましたか?」
「は?」
石原の思考が止まる。
思わず立花を見た。
立花の笑顔が、固まっていた。
みるみるうちに、顔から血の気が引いていく。
――今、何かがおかしい。
その瞬間、照明の下で彼女の輪郭がわずかに揺らいだように見えた。
「立花?」
「っ、あ……大丈夫です!」
不自然なほど明るい声。
その瞬間、店員の視線がぴたりと合った。
「あ、失礼しました。気づきませんでした」
立花は、無理やりいつもの笑顔を作る。
「なんですかそれ〜。そこまで小さくないですよ?」
軽く笑ってみせる。
そして、自分の服を見下ろし――小さく息を吐いた。
「やっぱりダメです。ちょっと大人すぎるし、似合わないし!」
くるりと背を向ける。
「着替えてくる!」
ほとんど逃げるように、試着室へ戻っていった。
――しばらくして。
戻ってきた立花は、いつもの格好に戻っていた。
「どうです? やっぱりこっちの方がいいでしょ?」
くるっとその場で回る。
何事もなかったみたいに、笑う。
完璧な、いつもの笑顔。
石原はしばらくその顔を見ていた。
……引っかかる。
だが――
「……ああ」
それだけ答えた。
「そろそろ行くぞ。時間だ」
「はい!」
立花は元気よく頷き、そのまま店の外へ。
足取りは軽い。
――まるで、早く離れたいみたいに。
石原は少し遅れて後を追う。
視線の先。
その小さな背中は、再び“可愛い”で丁寧に包み直されていた。
---
【服屋の向かい・コンビニのガラス越し】
「ターゲット、服屋に入った!」
杏はコンビニのガラスにぴたりと張りつき、小声で報告する。
春野はポテチをかじりながら双眼鏡を構え、面白そうに向こうを覗き込む。
「展開早いな、石原。いきなり服屋に連れてくとかよ」
緒山は少し後ろに立ち、両手を軽く重ねて、向かいのショーウィンドウを見つめていた。
店内では、二人の姿がラックの間を行き来している。
立花が服を手に取り、石原に見せる。石原はそれに頷いた。
やがて、立花はあの淡いブルーのワンピースを手に取り、そのまま試着室へと入っていった。
緒山のまつげが、わずかに揺れた。
「わっ、美里ちゃん、あんな大人っぽいの選ぶんだ」
杏は小声で驚き、顎に手を当てて、まるで探偵のような表情を浮かべる。
「いつもの“可愛い路線”と全然違うじゃん……」
春野は興味津々といった様子で覗き込みながら、軽く肩をすくめた。
「まあ、たまにはああいうのもいいんじゃねえか」
そして双眼鏡を少し動かし、
「それにしても石原のやつ、ほんと木みてえに突っ立ってんな」
「でしょ〜」
杏はくすっと笑う。
「絶対あれ、“似合ってるよ”とか直球で言ってるよ。ほんと、工夫ないんだから」
しばらくして、試着室のカーテンが開いた。
「おっ」
春野が軽く口笛を吹く。
「いいじゃん、似合ってるな」
杏も身を乗り出し、思わず声を漏らす。
「うわ……意外と大人っぽい……」
店内では二人が何か言葉を交わし、石原の一言に、立花の表情がぱっと明るくなった。
だが次の瞬間、彼女はすぐに鏡の方へ向き直った。
そのとき、店員が二人に近づき、石原に声をかける。
――直後。
立花の動きが、ぴたりと止まった。
次の瞬間、彼女はくるりと背を向け、そのまま試着室へ駆け戻っていった。
カーテンが揺れた。
「……ん?」
杏が首をかしげる。
「今の、なんか変じゃなかった?」
「よく見えなかったな」
春野はポテチの袋を脇に置きながら言う。
「でも……戻ってきたとき、妙に笑ってたな。ちょっと明るすぎるっていうかさ」
「……」
緒山は何も言わず、店内を見つめたままだった。
視線は、先ほどの試着室のあたりに留まっている。
やがて二人が店を出る。
立花が先に出て、軽やかな足取りでさっさと歩いていく。
石原は少し遅れてその後ろを歩き、どこか考え込むように視線を落としていた。
「よし、追うよ!」
杏が手を振る。
「次いこ次!」
「待って」
緒山が呼び止める。
視線はまだ店の入口に残っていた。
「……さっきの、少し変じゃなかった?」
「どこが?」
春野は気にした様子もなく肩をすくめ、手についたポテチの塩を払う。
「順調そのものだろ。むしろここからが本番だ,ほら行くぞ」
杏も歩き出す。
緒山は一度だけセレクトショップの中へと視線を向けた。
先ほどの場所――試着室のカーテン。
……もう揺れてはいない。
「……うん」
小さく頷き、二人の後を追う。
胸の奥に、小さな引っかかりだけが、いつまでも消えずに残っていた。




