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見える感情、見えないまま  作者: 颍川
第四章 告白——僕が見た、彼女の本当の気持ち
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第二十二話

---


緒山両手で顎を支えながら石原を見ていた。その瞳だけが、妙に明るく見える。


「先輩、当ててみてください。どうやってここ見つけたと思います?」


いたずらっぽく、ぱちりとウインクしてみせる。


石原は窓の外へ目をやった。空中で止まったままの鳥を見て、すべてを察した。


さっきの体調不良は、この世界に“停止”がかかっていた証拠だったのだ。


【緒山朋奈の感情:#$%¥?】


「……また、迷惑かけたな」


低く、疲れきった声だった。


「迷惑?」


緒山は首をかしげた。その笑顔は、ひどくまっすぐだった。


「私はただ……先輩に会いたかっただけですよ?」


その一言は、とあ湖に落ちた小石みたいに胸の奥へ沈み、波紋みたいに静かに広がっていった。だからこそ、余計にいたたまれなかった。


「緒山さん……」


石原は歯を食いしばるようにして、ずっと胸の奥に引っかかっていた問いを絞り出した。


「俺ってさ……もしかして、心ない人間なのかな」

「杏に、あんなひどいこと言って。学校でも……何もかも、台無しにしてばっかりだ」

「……俺、いつも一番ひどいやり方で、そばにいる人たちを傷つけてる気がする」


「ぷっ――」


緒山は何の前触れもなく吹き出した。嘲るような笑いじゃない。まるで、呆れるくらいおかしくて、でもどこか可愛い冗談でも聞いたみたいな笑い方だった。


石原が呆気に取られていると――


緒山はふいに立ち上がり、そのまま身を乗り出して、そっと耳を彼の左胸に当てた。


時間が、本当に止まったみたいだ。


石原は全身を強張らせ、頭の中が真っ白になる。ただ感じられるのは、頬に触れる柔らかな髪の感触と、胸の奥でやけに大きく響く自分の鼓動だけだった。


数秒後、緒山は顔を上げた。その表情には、どこかしてやったりみたいな笑みが浮かんでいた。


「先輩、うそつきですね~」


指先で彼の胸を軽くつつくと、びくりと石原の体が揺れた。


「ちゃんとここにあるじゃないですか。こんなに一生懸命ドキドキしてて、こんなにあったかいのに……どうして、ないなんて言うんですか?」


緒山はくすくす笑いながら、もう二、三度いたずらっぽくつついた。


「ふふ~、いいなぁ。ちょっと羨ましいです」


その瞬間、石原の顔は一気に赤くなった。思わず椅子ごと後ろへ引き、

「な、な……っ! なに羨ましがってんだよ!」

と、完全にパニックになりながら言い返した。


一方の緒山も、少し遅れて自分のしたことに気づいたらしい。耳の先まで赤くして、慌てて俯いた。


「だ、だって……先輩があんなこと言うから……つい、勢いで……」

さっきまでよりずっと細く、頼りない声だった。


そのまま二人の間に、短くて、妙に気まずくて、それでいてどこか柔らかい沈黙が落ちた。


石原の鼓動はまだ落ち着かず、鼻先には彼女の髪のほのかな香りが残っている気がする。


その静けさの中で、石原の脳裏には抑えようもなく、いくつもの光景がよぎっていった。


林の中で、閉ざしていた彼の世界に太陽みたいな笑顔で踏み込んできた彼女。

校舎で、彼女がごく自然に自分の腕を取ってきたときの、あの緊張をほどいていくようなぬくもり。

コンビニ前で悪意の視線を真正面から受け止めて、「私は先輩の彼女です!」とコンビニ前で言い切ったときの、あのまっすぐな瞳。


どの記憶も、やけに鮮やかで、やけにあたたかかった。だからこそ、今の自分の情けなさとひどく対照的だった。


感謝と戸惑いと、それから説明のつかない鼓動みたいなものが胸の中で混ざり合い、発酵するみたいに膨らんで、ついには心の壁を押し破った。


石原は顔を上げた。もう視線は逃げなかった。声は小さかったが、驚くほど真剣だった。


「緒山さん……」


少し言葉を探してから、石原は続けた。


「この数日、俺のためにいろいろしてくれたよな。そばにいてくれて、助けてくれて……こんなくだらない愚痴まで聞いてくれて。……でも、なんで?」


口にしたあとで、自分でも少し唐突すぎたかもしれないと思った。


「俺たち、まだ知り合って数日だろ。……なんで、俺にそこまで優しくしてくれるんだ」


緒山はすぐには答えなかった。

ただ、静かに彼を見つめていた。


やがて彼女は視線を落とし、ふっと小さく笑う。


それはいつもの明るい笑顔とは違っていた。もっと軽やかでもっと静かで、どこか遠い記憶を思い出しているような笑みだった。


「先輩……本当に、“数日”だと思います?」


石原は言葉を失った。


「違いますよ」


緒山は顔を上げ、まっすぐ彼の目を見た。


「私たち……もう会ってるんです。学校の林の中で」


石原の呼吸が、ふっと止まった。


「その日、ひとりの女の子が、そこで泣いてました」


「そこへ、同じくらいひどく孤独そうな男の子が歩いてきたんです」


「その子はそこでしばらく困ったみたいに立ってて……それから、すごく不器用に言ったんです」


緒山はわざとぎこちない口調を真似した。


「『……ここ、あんまり人来ないから』」


その瞬間、記憶の欠片が一気に胸の奥から浮かび上がった。林の中、黒く長い髪を揺らし、背中を震わせて泣いていた少女――


「『泣いても問題は解決しない。

 でも……一回泣いたくらいで、

 空が本当に落ちてくるわけじゃない』」


その言葉と同時に、ぼやけていた景色が一気に輪郭を取り戻す。


石原の瞳が、わずかに見開かれた。


「……それだけ言って、その人は振り返りもせず帰っちゃいました」


緒山は石原の表情を見つめていた。その目にはうっすら涙が浮かんでいたのに、笑顔は驚くほど明るかった。


「すごく不器用でしたよね。

 全然やさしくない言い方で」


緒山は小さく笑って言った。


「でもね、先輩」


その声は静かでやわらかいのに、まっすぐ石原の胸に届いた。


その記憶は石原の中を温かく流れていき、長い時間をかけて胸の奥を満たしていった。石原の口元にも、ようやくほどけたような笑みが浮かんだ。


「ああ……思い出した。そのあと、その子が追いかけてきてさ。『泉方情』っていうカフェでラテを奢るって言って、しかも“ハートのラテアートがいい”って……子供みたいな注文までして」


「そうそう! そしたらその先輩、顔真っ赤にして全力で逃げたんですよ! ほんと、あのときから全然変わってないですよね」


二人の間に笑い声が広がった。さっきまで胸を締めつけていた重さは、いつの間にか薄れていた。


少しして、緒山はふっと静かになった。


「でも……先輩。そのときの女の子にとっては、空が本当に落ちてきそうなくらいつらかったんです。だから――あの言葉は、本当に光みたいでした」


顔を上げた緒山は、まっすぐ石原を見つめた。


「私が今してることって、ただ一つだけなんです。昔のあの、不器用な先輩に伝えたいんです」


微笑んで、緒山は言った。


「ほら、見てください。空、ちゃんと落ちてきてないでしょう? それどころか――こんなにきれいな、青い空になりました。先輩のおかげで」


石原はただ、彼女を見つめていた。自分がとっくに忘れていた記憶を、彼女はずっと胸の中で大事に抱えていて、今こうして光に変えて返してくれている。


胸の奥が激しく揺れた。自分は、人の好意を疑ってばかりで、杏を怒らせてしまったことも、父を探すのを諦めかけたことも――全部、ここへつながっていた気がした。


その瞬間、石原の胸の内側ではもう何もかもがひっくり返るみたいに揺れ、ずっと自分で積み上げてきた壁が一気に崩れ落ちる。


知らないうちに放った言葉が、

誰かの光になっていた。


そしてその光が、今度は彼女の手の中で大事に守られたまま戻ってきて、消えかけていた自分をもう一度あたためている。


驚きと羞恥と、それから言葉にできない高鳴りみたいなものが、胸の奥で一気に爆ぜた。


ずっと疑っていた自分が、急にひどく恥ずかしくなった。……でも違った。この好意は偶然なんかじゃない。ずっと前から、静かに続いていたものだった。


石原はしばらく黙っていた。


言いたいことは山ほどあった。謝りたかったし、礼も言いたかったし、どうしてそこまで覚えているのかも聞きたかった。


けれど、どの言葉も喉の奥で止まってしまって、一つも形にならなかった。


結局、石原は少し俯いて、ほとんど聞こえない声で言う。


「……また会えて……よかった」


緒山は一瞬きょとんとした。それから――ふっと笑った。


「先輩……そういうこと言うの、ずるいですよ」


その笑顔を見て、石原はようやく気づいた。さっきの言い方は、思っていた以上に親しげだったのかもしれない。そう気づいた瞬間、耳の奥まで一気に熱くなった。


「い、いや、その……違くて……!」

慌てて両手を振り、しどろもどろに弁解を始める。


緒山はくすくす笑いながらその様子を見ていた。石原の不器用な説明を聞き終えると、もうそれ以上からかうことはせず、ふっと静かになって窓の外へ視線を向けた。


止まったままの光の中で、その横顔はどこか見慣れないものみたいに見えた。


数秒後、彼女はもう一度こちらを向いた。笑みは少しだけ薄れていたけれど、


「先輩、私……そろそろ帰らないと」


声は明るかった。けれど、ほんの少しだけ急いでいるようにも聞こえる。


「これ以上遅いと、家族が心配しますから」


【緒山朋奈の感情:落胆24#$%@】


「……お、おう」


石原はうなずいた。だがその直後、胸の奥に小さな疑問が浮かんだ。……帰るって、どこへだ。家族が心配する? 時間、止まってるんじゃなかったか?


「じゃあ、また明日。学校で!」


緒山はすっと立ち上がり、肩にバッグを掛けた。


「……送るよ。入口まで」


「だ、大丈夫です!」


緒山はほとんど反射みたいに断ると、手をひらひら振りながら、軽い足取りで入口のほうへ下がっていった。


「家に着いたら、ちゃんと能力も解除しますから!

 先輩は……そのコーヒー、ちゃんと飲み切ってくださいね!」


言い終わるころには、もう背を向けている。そのまま扉を抜けて――彼女の姿は、止まった街の中へ溶けていった。


石原はしばらくその方向を見つめていた。それから、ゆっくり席に座り直した。


目の前のカップを見ると、もう空だった。石原は思わず苦笑する。


「もう飲み終わってるって……」


さっきの出来事を思い返すと、胸の奥がじんわりと温かくなった。


「……またな、緒山さん」


小さく呟いた。

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