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見える感情、見えないまま  作者: 颍川
第四章 告白——僕が見た、彼女の本当の気持ち
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第二十一話

---


生徒会室に戻ると、春野がホワイトボードの前で体育祭の準備について説明していた。


「――だから、この辺りは配置を見直した方がいい。去年の案は安全面に問題があった」


横で、立花が勢いよく手を挙げた。


「会長! 会長! 装飾、私が担当してもいいですか?」


「いいけど、お前の“着替え能力”でチアをファッションショーにするのはやめろよ」


「しません!」


笑い声や話し合う声、資料をめくる音があちこちで重なっていた。

いつも通りの、生徒会室だった。


石原は部屋の隅に座ったまま、視線はどこにも定まっていなかった。

声は聞こえてくるのに、どこか遠かった。


頭の中では、さっきの言葉がまだぐるぐる回っていた。


――「石原先輩、思っていたよりずっと穏やかな人なんですね」


それから、朝に杏が目を赤くして叫んだあの言葉も。


――「お兄ちゃんに、そんなふうに心が痛くなること言われるのが怖かったんだよ」


いくつもの声が頭の中で重なり合って、どんどん大きく、どんどんうるさくなっていった。


その瞬間、石原は勢いよく立ち上がった。


「春野」


口をついて出たその声は、自分でも驚くほど乾いていた。

春野が振り向き、手にしたチョークが宙で止まった。


「俺、今日は……先に帰ります」


「おい、石原――」


石原は振り返らないままドアを開け、生徒会室を出て廊下へ出た。


---


背後から足音が聞こえ、それはどんどん近づいてきた。

肩に手が置かれる。押さえる力は少し強い。


「石原!」


石原は足を止めたが、振り返らなかった。


春野は息を切らしていた。走って追いかけてきたのだ。


「どうした? 仕事がうまくいかないのか? それとも誰かに何か言われたのか?」


その声には、珍しく焦りが滲んでいた。


「言ってくれ。俺が何とかする!」


石原はうつむいたまま、何も言わない。


なのに胸の内側では、もう何もかもが津波みたいに荒れ狂っていた。


生徒会のみんなの顔が、次々と脳裏をよぎる――

緒山の温かい笑顔。

立花のふくれた頬。

春野の大げさで騒がしい調子。

花野の静かな死んだ魚みたいな目。


感情タグのざわつく気配が耳の奥でまとわりつき、さらに妹の声が頭の中に響いた。


どんな敵意よりも石原を怯えさせたのは、灰色だった自分の世界に突然差し込んできた光まで、いつか父親みたいに何の前触れもなく消えてしまうかもしれない、ということだった。


その中でもいちばん眩しかった光を思えば、どうしても生徒会室のあの空席が浮かんだ。彼女は、今日は来ていない。


メッセージを送っても緒山から返事はない。春野ですら、彼女が休んだ理由をちゃんとは知らなかった。


石原は思い出した。彼女の顔が、ときどきふっと青白くなることを。そして、そんな時のいつも必要以上に明るい笑顔を。


そんな些細な違和感が、今この瞬間に限って、やけに大きく感じられた。


まだはっきり形にもしたくない思いが、水底の影みたいに心の奥をかすめた。


「もし……」


石原はその考えを、無理やり断ち切った。もう、それ以上考えることができなかった。


それでもその思いは、垂れ込める暗雲のように、胸の奥へ重く居座ったままだ。


胸が重い。かつて手に入れたわずかな温もりが、今ではすべて棘となって胸に刺さっていた。


「俺は、ここにいてはいけない……」


「どうせ、また全部台無しにする……」


「妹すら……」


「こんな自分……何を――」


最後の思いが形になる前に、それは石原を完全に押し潰した。


石原は顔を上げ、小さく息を吐いた。


「ごめん……少し、一人になりたいです」


春野が返事をする前に、石原はそのまま背を向け、足元の定まらないまま放課後の人波の中へ紛れ込んでいった。


春野はもう追ってこなかった。


---


石原は、自分がどうやってこのカフェまで来たのか覚えていなかった。


気がついたときには、すでにその店の前に立っていた。

「泉方情」と書かれた木の看板が、夕暮れの中でやわらかな光を灯している。


はっきりした目的地なんてなかった。


頭の中がぐちゃぐちゃのまま歩いていたら、足だけが勝手にここまで運んできていたのだ。


まるで、何かに引き寄せられるみたいに。


ドアを押して店に入ると、店員が近づいてきた。


「お客様、何名様でしょうか?」


一瞬、誰に話しかけられているのかわからなかった。それが自分だと気づいて、ようやく口を開く。


「……一人です」


店のいちばん奥のボックス席に体を沈めた。

メニューを渡されたが、しばらく眺めていても文字が頭に入ってこない。


「……カフェラテで」


それだけ言って、やがて運ばれてきたカップを見たとき、石原はわずかに目を瞬かせた。表面には、ハート型のラテアートが描かれている。


石原は、そのハートを数秒じっと見つめた。


……ハートのラテアート。


ふいに、ひどく曖昧で、今にもこぼれ落ちそうな光景が脳裏をよぎった。


陽の光の中、鼻をすすりながら泣いている黒く長い髪の少女の横顔。


そして、少し鼻にかかった声で、無理に明るく振る舞うような冗談めいた言葉。


……何て言っていた? そこだけが、どうしても聞き取れない。


思い出そうとしても輪郭はすぐに崩れてしまい、残ったのは、空っぽに反響するみたいなぼんやりした感覚だけだった。


どうして、よりにもよってここなんだ。どうして、この店とこのコーヒーだけが、こんな妙な感覚を呼び起こすんだ?


考えを巡らせる間もなく、前触れなく激しい眩暈が襲ってきた。世界がぐらりと揺れ、心臓の鼓動が乱れ、口の中にはすっかり馴染んでしまった鉄の味が広がった。


「……うっ」


低く呻き、冷たいテーブルに額を押しつけた。


この痛みのせいで、またあの不在の気配と結びついてしまう。

散らかった考えが、波みたいに押し寄せてくる。


今日は来ていなかった。

――体調でも崩したのか。

胸の奥には、体の痛みとは別の、説明のつかない重さがもう一つ沈んだ。


しばらくして症状が引くと、石原はラテのカップを見つめた。胸の内側に、ひどく苦くて渋いものが残っていた。


「……俺、何やってんだろ」


胸の奥から、ある思いが浮かび上がる。

――会いたい。


理由なんてわからない。

ただ、彼女の笑顔が見たい。

元気なのか、それだけでも知りたい。


だが、その直後。もっと重たい無力感と自嘲が押し寄せてきた。


……会って、どうする。

こんな姿を見せるのか?


自嘲がこみ上げてきて、石原はただ目を閉じるしかなかった。


考えを断ち切るように、カップを持ち上げた。

冷めかけたコーヒーを、一気に流し込む。


その瞬間――


「げほっ……!」


喉に引っかかり、激しく咳き込んだ。


「ははっ、そんなに急いで飲むからですよ」


聞き慣れた、楽しそうな笑いを含んだ声。石原の心を散々かき乱してきたのに、なぜか無性に聞きたかった声だった。


石原は、はっと顔を上げる。


咳き込みすぎて涙で滲んだ視界の向こう。

そこにいたのは――


緒山朋奈だった。

向かいの席に座り、いつもの笑顔を浮かべていた。

まるで曇り空を一瞬で晴らしてしまうような、あの笑顔。


ただ――


その奥に、ほんのわずかな疲れが滲んでいる気がした。


「緒山……さん!?」


咳で掠れた自分の声には、信じられないという色がありありと滲んでいた。


そして、巨大な安堵が一気に押し寄せた。ずっと宙づりだった心が、ようやく落ち着く場所を見つけたみたいだった。

けれど同時に、その安堵が余計に自分を情けなく思わせた。


石原はほとんど反射的に顔を背け、彼女の視線を避ける。今のこのみっともない顔を、見られたくなかった。


「そんなに会いたくなかったんですか、先輩〜?」


わざとらしくしょんぼりした顔をしてみせた緒山は立ち上がると、そのまま石原の隣に腰を下ろした。


石原は少しだけ体を横へずらし、無意識に距離を取る。


「……違う」


ほとんど聞こえないくらいの小さな声で、石原はそう否定した。


違う。会いたくなかったんじゃない。ただ――体調を崩して学校にも来られない相手に、こんな感情のゴミをこれ以上ぶつけたくなかっただけだ。

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