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見える感情、見えないまま  作者: 颍川
第二十七章 雪解けの音――ああ、これが心臓の音か
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第一百四十一話

久しぶりに前書きを書きますが、本編もいよいよ最終章です。個人的に一番好きな章で、しかも意味も大きいので、少しだけ書いておこうと思います。


前に序文で、フォーマット調整を少しずつ進めていると書きました。その後、まだ公開していない章を優先して直すべきだと思い、途中を飛ばしてこの章以降を先に直すことにしました。この章から先は、すべて直したバージョンで公開されます。前みたいに適当で雑な感じはありません一その点で、今まで読みにくかったりしてご迷惑をかけたことを、本当に申し訳なく思っています。


とにかく、ここまで一緒に読んでくださって、本当にありがとうございます。話はこれくらいにして、これからもどうぞご自分のペースで本編をお楽しみください。

---


【十二月二十五日・金曜日・午後】


放課後の泉方新高の生徒会室では、暖房がかすかにしゅうしゅうと音を立てていた。


窓の外では、今年最初の雪が音もなく降っている。

校内は、うっすらと白く染まり始めていた。


石原は窓際のいつもの席に座り、整理したばかりの『超常現象投稿まとめ』を手元に広げていた。

彼の視線は時おり窓の外へ流れ、ガラスに張りついた雪がすぐに溶けて水の跡へ変わっていくのを眺めている。


「つまり、結論としては――来学期からは、完全に自分たちだけでやっていくしかないってことだな」


春野の声が、石原の意識を会議へと引き戻した。

生徒会長である春野は、万年筆で印刷されたデータ分析レポートを軽く叩いている。

それは、花野が先週提出した『異能力者識別方式の転換に関する初期案』だった。


「石原の能力は、すでに消失したと確認されている」


春野が石原を見る。


「執念は解けた。そう見ていいんだよな?」


石原は小さくうなずいた。視線を上げ、春野の頭上へ目をやる。

かつてそこには、無数の感情タグが、色とりどりの泡みたいに浮かんでいた。


今はもう、何もない。


石原は静かにため息をついた。

――肩の荷が下りたような感覚だった。


「最後に確認したのは昨日だ。林のベンチに三十分くらい座ってみたけど、何も見えなかった」


立花はテーブルの向こうで突っ伏し、手の甲に顎を乗せている。

その言葉に、ぱちりと瞬きをした。


「じゃあ先輩、もう普通の人ってことですか? 私たちと同じ?」


「立花さんは元から普通だろ」


「どこがですか!?」


立花は勢いよく身を起こした。


「私は『変装魔法』が使える伝説の存在なんですよ!?」


「それ、石原頼みの伝説だけどな」


春野が容赦なく追い打ちをかける。

立花は頬を膨らませたが、言い返しはしなかった。

生徒会室に、小さな笑いが広がった。


今日は杏も来ていて、立花の隣に座り、スマホで窓の外の雪景色を撮っている。

笑い声につられるように顔を上げ、兄の方をちらりと見た。

けれどすぐに、またスマホへ視線を戻した。


「――で、真面目な話に戻るぞ」


春野が話を引き戻す。


「花野の案だと、今後は主に二つのやり方で動くことになる」


そう言って、資料を軽く持ち上げた。


「一つはデータ分析。投稿内容から頻出ワードや異常パターンを洗い出す。もう一つは――」


そこで言葉を切り、春野は緒山を見る。

緒山は石原の向かい側に座り、両手で湯気の立つお茶を包んでいた。

視線を向けられると、緒山はにこっと笑った。


「もう一つは、人間関係のネットワークですね」


柔らかな声で、そう続けた。


「私と会長は、引き続き生徒会で動きます。美里ちゃんと杏ちゃんには、いろんなグループと関わってもらって、『なんか変だな』って話を集めてもらう予定です」


「石原は能力を失ったが、経験は残っている」


花野がようやく顔を上げた。


「判断材料としては有用。顧問役として使える」


石原は眉を上げる。


「顧問?」


「実権なし。報酬なし。完全な無償労働」


花野は無表情のまま言った。


「うわ、ひどい」


窓の外を見たまま、杏がくすっと笑って口を挟んだ。


会議の空気は、ずいぶん軽かった。まるで週末の予定でも話しているみたいな気軽さだった。


窓の外では、雪がますます強くなっていく。けれど室内は、ぽかぽかと暖かかった。


「そうだ」


春野がふと思い出したように緒山を見る。


「最近、体調はどうなんだ?前にけっこう休んでただろ。俺たち、ちゃんと聞けてなかったからさ」


少し唐突な話題だった。けれど、その場のみんなが自然と緒山を見る。

石原も顔を上げ、彼女と視線がぶつかった。


緒山は一瞬だけ、きょとんとした。だがすぐに、いつもの明るい笑顔を浮かべる。


「大丈夫ですよ〜。会長、心配してくれてありがとうございます」


その声は、いつも通り軽やかだった。


「ならよかった」


春野はうなずき、それ以上は聞かなかった。

立花が大きく伸びをする。


「よかったー! これで安心して年越しできますね!」


「年越しかぁ……」


杏が小さくつぶやき、それからぱっと緒山を見た。


「そうだ、朋奈さん。朋奈さんのお家って、大晦日の夕飯、どうするんですか?」


緒山はぱちぱちと瞬きをした。何かを思い出したみたいに、「あっ」と声を漏らした。


「ちょうどその話をしようと思ってたんですけど――うちの両親から、先輩と杏ちゃんも大晦日の夕飯にどうですか、って誘っておいてって言われてるんです」


杏の目が一瞬で輝いた。


「ほんとに!?」


緒山は笑顔でうなずいた。

花野が顔を上げた。珍しく、自分から会話に入った。


「お母さんの料理が上手いとは、聞いたことがある」


「えっ、真汐ちゃん、なんで知ってるの?」


立花が興味津々で身を乗り出した。


「前の文化祭で、手作りのクッキーを食べた」


その横で、杏はもう緒山の腕をぶんぶん揺らしている。


「朋奈さん! 何を食べるんですか!?」


「ふふっ、杏ちゃんは来てからのお楽しみです」


揺さぶられながら、緒山が楽しそうに笑った。

立花は頬杖をついたまま、にやにやと石原を見る。


「いや〜、先輩、ついに『お家デビュー』ですねぇ」


春野も面白そうに眉を上げた。


「親御さんに挨拶ってやつか?……いや、石原はもう何回も会ってるんだったか」


石原は耳のあたりがじわっと熱くなるのを感じた。

そこへ花野が追撃する。


「大晦日に恋人の家へ行く。意味は重い」


石原は反射的に口を開いた。何か言い返そうとしたが――

よく考えると、否定材料が見当たらなかった。


緒山は隣で、くすくす笑いながら石原を見ていた。

助け舟を出す気は、まったくなさそうだった。


「……お前ら、いい加減にしろよ」


ようやく、それだけ絞り出す。

杏は兄の顔と、緒山の笑顔を見比べたあと、真面目な顔でうなずいた。


「お兄ちゃん、また赤くなってる」


「なってない」


「なってますって〜」


立花が机越しにぐっと身を乗り出す。


「こんなに離れてても分かりますもん」


生徒会室に笑い声が広がった。


会議は、そのまま雑談の中で自然に終わった。

春野が解散を告げるころには、窓の外の雪はもう厚く積もっていた。


---


みんな帰り支度を始めた。


立花はコートを羽織りながら、新作のいちご大福を絶対に買うのだ、とコンビニの話をしている。

花野は報告書を鞄へしまっていた。動きはいつも通り、一つひとつ無駄がない。

春野は窓際に立ち、雪景色を眺めている。何を考えているのかは分からなかった。


石原が投稿まとめをファイル棚へ戻したところで、背後から杏の声が飛んできた。


「お兄ちゃん、私と美里ちゃん、先に帰るね〜。ちょっと買い物してくる!」


「そんなに急ぐのか?」


「女の子には、女の子の事情があるの。お兄ちゃんは詮索しないで」


杏が真面目な顔で言う。

その隣で、立花がこっそり笑っていた。


石原は呆れたように手を振った。


「気をつけて帰れよ」


「はーい!朋奈さんばいばーい、会長ばいばーい、真汐ちゃんばいばーい!」


杏は立花の腕を引っ張り、そのまま勢いよく生徒会室を飛び出していった。


扉が閉まると、室内がふっと静かになる。

残ったのは、石原、緒山、春野、花野の四人だった。


花野も帰る準備を終え、扉の前で一度振り返った。石原と緒山を見て、淡々と言う。


「私は邪魔しない」


「……何の邪魔だよ」


石原が言い終わる前に、花野はそのままドアを閉めた。

春野が窓際から振り返った。どこか面白がるような顔で、二人を見ている。


「じゃ、俺も帰るわ。お前らもゆっくりでいいけど、雪の日は滑るからな」


そう言い残し、春野も出ていった。

生徒会室には、二人だけが残った。


緒山は湯呑みを机に置き、立ち上がる。それから、にこっと笑って石原を見た。


「私たちも帰りましょうか?」


石原は小さくうなずいた。コートを羽織り、緒山の隣に並んだ。

電気を消し、扉に鍵をかけた。二人で生徒会室を出る。


廊下は静かだった。窓の外の雪明かりだけが、薄く差し込んでいた。

足音だけが、静かな校舎に小さく響く。


階段の前まで来たところで、緒山がふいに立ち止まった。


「どうした?」


「ううん、なんでもない」


彼女は振り返り、柔らかく笑った。


「ただ……こうして一緒に帰れるの、いいなって思って」


石原は彼女を見る。雪明かりに照らされた横顔は、少し眩しいくらい柔らかかった。


「……ああ、行くぞ」


二人は並んで階段を下りた。校舎の扉を開けると、冷たい空気が一気に流れ込んでくる。


雪が肩へ静かに落ちてきた。


石原は傘を開き、自然に緒山の頭上へ傾ける。

緒山が首を傾げた。


「先輩、なんだか優しくなりましたね」


「元から優しいだろ」


「そうですか〜?」


緒山はくすっと笑った。


「橋で初めて会ったときなんて、今にも距離を取りたそうな顔してたのに。……まあ、そのあと助けようとしてくれましたけど」


石原は、五月のあの朝を思い出した。

泉方橋。彼女が突然現れて、消えた日。

あの頃の自分は、本気で誰とも関わりたくなかった。


「……人は変わるもんだろ」


緒山は何も答えなかった。

ただ、少しだけ石原の方へ寄った。


雪は静かに降り続けている。


二人の足跡が、後ろへ伸びていく。

けれどそれも、すぐに新しい雪に覆われていった。

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