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見える感情、見えないまま  作者: 颍川
第二十五话 我を貫く君――もう
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第一百三十六話

---


病室は再び静かになった。

杏は袖に顔を押しつけるようにして涙を拭いた。目はまだ赤い。

少し横へずれて、春野たちに場所を空けた。


春野はベッド脇の椅子へ腰を下ろした。立花はその後ろに立った。花野は窓際にもたれかかっていた。


「じゃあ、最初から話してくれ」


春野は石原を見た。表情はほとんど動いていなかった。

石原はベッドへ身体を預け、ノートを開いた。


願い事で埋め尽くされたページ。この二日で起きたこと。

石原は一つずつ説明した。


立花は服の裾を握りしめていた。春野は黙ったまま聞いていた。花野は窓の外を見ていた。何かを考えているようだった。

石原が話し終えると、病室にはしばらく沈黙が流れた。


やがて花野が口を開いた。


「確認したい」


声は静かだった。


「石原は前に、自分の異能力は消えたと言っていた」


「そうだよね」


「うん」


石原はうなずいた。花野は続けた。


「なら、その夢は、新しい異能力かもしれない」


「新しい異能力!?」


思わず全員が声を上げた。病室が一瞬だけ静まった。

花野は窓際から身体を離し、石原へ視線を向けた。


「夢で見た光景と同じ。もしかすると、石原は『彼女』とやり取りできるのかもしれない」


「やり取り?」


立花が目を丸くした。


「真汐ちゃん、それって――」


「ただの仮説」


花野は即座に答えた。口調はいつも通りだった。

だが内心は違った。


(立花や朝日の例を見る限り、異能力は執着に近い感情と結びついて発現している)

(石原の執着が何なのかは明白)

(問題は代償……)


春野は石原を見た。それから花野を見た。


「……試してみるか?」


石原は少し迷った。それでもうなずいた。

目を閉じた。あの光景に意識を集中させる。


暗闇の中で身体を縮めていた少女。震える肩。

意識をそこへ向ける。すぐに、あの感覚がやってきた。


強い眩暈。何かに引っ張られるように意識が沈んでいく。

そして、石原は同じ部屋を見た。


カーテンは閉じられている。薄暗い部屋だった。

少女はベッドの上にいた。あの日と同じ姿勢だった。


だが、今度は違った。

少女が顔を上げる。まっすぐ石原の方を見た。目は赤かった。頬には涙の跡も残っている。

唇が動いた。何かを呼んでいるようだった。


石原の喉が詰まる。手を伸ばした。けれど届かない。

二人の間には、あまりにも遠い距離があった。


「俺は……ここに――」


そこまで言った瞬間だった。

心臓が激しく縮む。まるで、誰かに強く握り潰されたみたいに。


「石原!」


春野の声が聞こえた。遠かった。


意識が急速に薄れていく。

少女の姿も遠ざかっていく。


次の瞬間。石原は現実に引き戻されるなり、激しく咳き込んだ。

肺の奥から何かを吐き出そうとするみたいに。


春野が肩を支えていた。その手は少し震えていた。

倒れかけた石原を、とっさに支えたのだ。


立花はベッドのそばに立っていた。大事に至っていないと分かってから、ようやく腰を下ろした。


杏は石原の腕を掴んでいた。

花野は一番離れた場所に立っていた。


「……代償も、だいたい見えた」


花野は小さく呟いた。独り言みたいな声だった。

春野は深く息を吸った。それから石原を見た。


「もうその能力は使うな」


相談ではなかった。


「でも――」


「だめだ」


春野の声が低くなった。

石原は口を開いた。だが何も言えなかった。


立花も強くうなずいた。


「先輩、もう試しちゃだめですよ」


杏は何も言わなかった。

ただ石原の腕を握ったまま、顔を背けた。


石原は花野を見た。

花野は俯いていた。こちらを見ない。


しばらくして、石原は小さく息を吐いた。


「……分かった」


声は少し掠れていた。

その言葉を聞いて、ようやく春野の肩から力が抜けた。


---


病室はしばらく静かだった。


窓の外は、すっかり夜になっていた。

街灯の光がカーテンの隙間から差し込み、床の上に細い線を描いていた。


花野は立ち上がり、自分の鞄を手に取った。


「今日はここまで」


そう言って、杏を見た。


「ちょうど私の当番。杏ちゃんは今夜、家に帰って休んで。ここは私がいるから」


杏は顔を上げる。何か言いかけた。だが花野はすでにベッドのそばまで歩いていた。

椅子に掛けてあったコートを手に取り、杏へ渡す。


「明日も来るんでしょ。ちゃんと寝た方がいい。その方が動ける」


杏は唇を噛んだ。石原を見る。石原は小さくうなずいた。


「……分かった。じゃあ、明日の朝また来る」


「お兄ちゃん、ちゃんと休んでね」


杏は立ち上がった。みんなと一緒に扉へ向かった。

そして最後に、もう一度だけ振り返る。それから病室を出ていった。


廊下の足音は、少しずつ遠ざかっていく。

病室には、石原と花野だけが残った。


花野は椅子をベッドのそばまで引き、腰を下ろす。

何も言わない。ただ、ベッド脇の台に置かれた紺色のノートを見ていた。


石原は横目で花野を見た。

照明の光が顔に落ちていた。レンズが光を反射していて、表情はよく見えなかった。


「……花野さん」


「ん」


「何か……言いたいことがある?」


花野の指先が、膝の上を軽く叩いた。一度だけ。

そして顔を上げ、石原を見た。


「石原は、やめるつもり、ないよね」


石原は答えなかった。

それが答えだった。


花野も、それ以上は追及しない。

鞄からスマホを取り出し、指で画面をゆっくりなぞった。


(そうじゃなければ――)

(異能を引き起こす「執念」ってわけでもない。)


窓の外では、街灯の光が静かに床へ落ちていた。

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