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見える感情、見えないまま  作者: 颍川
第二十章 破れたページ――いつまでも、ここにいる
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第一百零四話

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それから先、何度繰り返されたかも分からない再起動の中で――同じような光景が、幾度となく積み重なっていった。


石原は、“忙しくなっていく兄”を演じた。


父の存在は受け入れる。

だが、決定的な場面では、必ず自然な理由をつけて“筋書き”から外れる。


杏に真実を急いで伝えることはしない。


その代わり、“今”から生まれる、小さな現実の積み重ねで、彼女の生活を満たしていく。


日常の些細な出来事。

確かなぬくもり。


それらで、作られた物語が入り込む余地を、少しずつ削っていく。


生徒会の面々も、根気強く支え続けた。


再起動のたびに、石原の助けで記憶を取り戻し、言葉を交わさずとも連携した。


だが、執着は、深く根を張っていた。


杏の再起動は、むしろ増えていった。


大きな“逸脱”が起きたとき。

あるいは、彼女の感情が強く揺れたとき。


そのたびに、すべてがまた巻き戻された。


彼女はまるで、終わりの見えないゲームに閉じ込められたプレイヤーのようだった。


クリアできない。

だが、やめることもできない。


何度もやり直し、完璧な結末を求めて。その結果、彼女自身も、周囲のすべてをも消耗させていった。


この循環が終わることはないのではないか。


そう疑いかけた、そのとき。


――変化が、現れ始めた。


度重なる再起動と対抗が、彼女の精神を削っていたのか。


“脚本”を支配する力に、わずかな綻びが生まれた。


深夜。

一人でノートに向かう杏。


落胆と疲労と孤独に沈む中で、彼女の本心が、抑えきれずに漏れ出すことがあった。


それは、意図せず“現実の誰か”へと投影されていった。


たとえば、緒山が石原と次の手を相談している最中、ふいに言葉を切ることがあった。

そして、いつもの明るさとはまるで違う、ひどく疲れた息まじりの声で呟いた。


「……早く、終わって……」


言い終えた本人が、はっとして固まった。

自分でも分からない、といった様子で戸惑っていた。


またあるとき。


花野がいつも通り、冷静で客観的な分析を提出したあと、続けて、明らかに彼女らしくない一文を送ってくることがあった。


「お兄ちゃん、なんで……」


立花が戸惑いながら問い返し、場に短い沈黙が落ちた。


当の本人は、珍しく困惑した表情を見せたあと、すぐにそのメッセージを取り消し、何事もなかったかのように冷静さを取り戻した。


そうした“ノイズ”は、固く閉ざされた執着にひびが入り始めた証のようだった。


石原たちはそこに希望を見出す一方で、胸の奥を締めつけられるような痛みも覚えていた。


――これは、杏が無意識に発している“助けて”のサインだ。


転機は、ある一見なんでもない再起動のあとに訪れた。


石原は落ち着いた声で、スマホに向かって言った。


「父さん、気遣ってくれてありがとう。

でも来週は、前から決まってる勉強会で隣の市に行く予定なんだ。

今回は会えなさそうだ。体に気をつけて」


――だが、スマホは開かれていない。

ただの“演技”だった。


数日前に、また父との連絡は途切れていたからだ。


杏は、そんな兄の横顔を見つめた。


そして、また沈黙が落ちる。


「お兄ちゃん……本当に送ってるの?」


その一言を言った瞬間――記憶が、また戻った。


――ゴトッ。


杏の手からコップが落ち、水が床に広がる。


彼女はそれを見ようともしなかった。


ゆっくりとその場にしゃがみ込み、膝を抱え、顔を深く埋める。


肩が激しく震えていた。

それでも、声は出なかった。


石原は妹のそばへ歩み寄る。

だが、すぐには何も言わず、ただ静かに寄り添った。


どれほど時間が過ぎたのか分からない。


やがて、かすれた、ほとんど潰れたような声が、腕の中から漏れ出した。


「お兄ちゃん……ずっと……知ってたの……?」


そこにあったのは、恐怖でも拒絶でもなかった。


ただ、果てのない疲労と――もう自分を騙し続けられないという、静かな諦め。


石原は杏を支え、リビングのソファへと座らせた。

白湯を一杯、手に握らせる。


そのまま立ち上がり、少し距離を置こうとした。

考える時間を与えようとしたのだ。


――だが。


杏が袖を掴んだ。

冷たい手だった。


杏はカップを抱えたまま、虚ろな視線で前を見つめていた。

体はまだ微かに震え、記憶の濁流が、崩れかけた自分の世界を洗い流している。


「……全部、思い出したのか?」


石原は隣に腰を下ろし、低く問いかけた。


ここ数日、皆で杏の反応を見てきたことで、彼女が背負っている“代償”の正体も、徐々に見えてきていた。


杏はぎこちなく頷いた。

涙が静かに頬を伝う。


「ノート……再起動……パパも……私が書いたの……」


一つ一つの言葉が、喉を切り裂くように重かった。


「全部……嘘だった……パパは、戻ってきてない」


そのまま勢いよく石原のほうを振り向いた。


目には、怒りと混乱が入り混じる。


「お兄ちゃん! なんで教えてくれなかったの!?

私、ずっとあそこで……馬鹿みたいに一人で全部やってたのに……!」


声が震えた。


「見てて、楽しかったの……?」


「違う、杏」


石原はすぐに否定した。

まっすぐに、逃げずに。


「最初は疑いだった。ほとんど確信に変わったのは、お前が最初に綻んだときだ。

あのとき、話してたら――どうなってたと思う?」


一拍置いた。


「信じられたか?

それとも、もっと強く修正しようとして……自分を傷つけてたんじゃないか」


杏は言葉を失った。


「じゃあ……あのハガキは……?」


最初、石原は何のことか分からなかった。


(……ハガキ?)


杏は俯いたまま、震える声で続けた。

まるで、最後の答えを聞くのが怖いかのように。


「パパから届いたハガキ……お兄ちゃんのベッドの下にあったやつ……どうして教えてくれなかったの……」


そこでようやく、石原は理解した。


(……そうか。あれのことか)

(……俺のせいだったのか)


数秒、沈黙が落ちた。

その沈黙が、杏の心をさらに沈めていった。


やがて石原は、深く息を吸った。


「杏、ごめん。あのハガキ……俺が書いた」


杏の目が、大きく見開かれた。


石原は視線を落としたまま、言葉を続ける。


「父さんの字を真似して、去年の夏休み、他市の活動に行ったときに……向こうから送ったんだ」


その目を、まともに見られなかった。


「……耐えられなかったんだ。

お前が、他のやつの“父親”の話を聞くたびに見せる顔が」


苦く笑った。


「でも、すぐ後悔した。これはただの嘘だって思って……だから隠した。渡さなかった」


言い終えて、苛立つように自分の頭を軽く叩いた。


「なんで捨てなかったのか、自分でも分からない……」


「ごめん。俺が馬鹿なことをした」


杏は呆然とした。


彼女の“物語”の始まりは――兄の、不器用で痛々しい気づかいだったのだ。


これまで積み重ねてきたすべて。

その執着も、努力も。


こんなにも脆い思い違いの上に、成り立っていた。


「どうして……」


その声は、もはや責めるものではなかった。


「どうして……止めるの……?

お兄ちゃんは……パパに戻ってきてほしくないの?

家族でいたくないの……?」


「杏、聞いてくれ」


石原は彼女の手を逃げさせないように握った。


「止めたのは、父さんを拒んでるからじゃない」


「お前が、夜中に一人でノートに向かって、崩れて、全部自分のせいにしてるのを――もう見たくなかったんだ」


一拍置いた。


「“家族がそろう”って、何だと思う?」


視線を一度外に向け、すぐに戻した。


「そばにいることだ。

完璧じゃなくても、見捨てられないってことだ。

泣いてもいいし、疲れてもいい。止まってもいい」


「そういうのは……もう、ある」


静かに続けた。


「生徒会のみんなも、朋奈も、春野も、花野も、立花も……

あいつらは本物だ。自分の意思で、俺たちを選んでここにいる」


「父さんのことは、父さんに任せればいい。

もう、お前が書く必要はない」


石原の言葉は、ゆっくりと、しかし確かに、杏の中に溜まっていた硬いものを溶かしていった。


“完璧な家族”への執着は、彼が語った、現実のささやかな積み重ねの前では――あまりにも空虚だった。


「最初から……ずっと、お前のこと疑ってた。

途中からは、みんなも知ってた」


「俺たち……ずっとやってきてたんだ。お前をそこから引き戻そうとして」


杏は、ぼんやりと兄を見つめた。


涙がまた溢れ出す。


だが今度は、怒りでも、悔しさでもなかった。


――そのときだった。


石原は、はっきりと見た。


妹の頭上にあった、あの固定されたタグがぱらぱらと剥がれ落ちていくのを。


その下から現れたのは、激しく渦巻く、判別のつかない文字の乱れ。

それこそが、ようやく揺らぎ始めた、彼女の本当の内側だった。


杏は涙に濡れた顔で、辺りを見回した。


この見慣れたリビングを。

兄の姿を。


まるで初めて見るように。


「……ごめん」


声が震えた。


「みんなに……ずっと付き合わせて……こんな……くだらないこと……」


もう自分を支えていられなかった。


石原の胸に飛び込み、声をあげて泣く。


「お兄ちゃん……っ……」


石原はしっかりと抱きしめ、背中をゆっくり叩いた。

涙が服を濡らしていくのを、そのまま受け止める。


自分の目にも、熱いものがにじんでいた。


どれくらい時間が過ぎたのか分からない。


やがて泣き声は小さくなり、断続的な嗚咽へと変わった。


石原がもう一度、妹の“感情”を見たとき。


あの乱れていた文字列は、ゆっくりと形を取り戻しつつあった。


まだ【疲労】と【悲しみ】が縁に残ってはいるが、もはや解読不能なものではない。


今回は――再起動は起きなかった。


執着の檻は、幾度もの無駄な繰り返しの果てに、ついに、内側から崩れ始めていた。

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