第四話 クロットゥ
苛立ちが収まらない。
ムカムカと消化できない感情が腹の中で蟠って気持ち悪い。
気分も上がらない残り滓みたいな枯れ葉に大枚叩いて。夢も見られないならあんなもの買わなければよかった。こんなところに来なければよかった。あんな言い方しなければよかった。
早く眠ってしまいたい。眠って、すべて忘れてしまえばいい。
壁を蹴り上げたい気持ちは、傷一つない一面の白に邪魔される。今日からの帰る場所は随分と治安が悪いくせして、綺麗な顔で汚いオレを迎え入れた。
今までと違って生ごみが熱を持ったような嫌な臭いも、罵声もないそこは逆に居心地が悪く、さっさと部屋に戻ってしまおうと扉を開く。
共有スペースも自室の目の前、エルの字に折れるソファでくつろぐ男と目が合った。
こちらを見て、あからさまに「げ」と顔を歪める金髪の男に舌打ちを飛ばす。
「ウワ。……アー、制服で外出は禁止だぞお?」
「うるっせぇな。放っとけや」
話しかけるのも嫌そうに、わざわざ校則を指摘してくるあたりが鬱陶しい。
肩をすくめた金髪の馬鹿にしたように怖がる声が聞こえる。
全部が煩わしい。早くすべて終わってしまえ。
泥だらけの足で絨毯を汚しながら奥の自室へと進む。
強く引いた扉の風圧が、隣の部屋のルームプレートを揺らした。
安っぽく鳴る、白い花で覆われた四文字の名前はどうにも、男が使うには繊細過ぎる。
「は」
一瞬、瞳孔が広がったような錯覚に陥った。枯れ葉が効いてくるには遅すぎる。
世界にそれしかないみたいに、ルームプレートだけが視界を埋め尽くす。
そういえば。教室でさっきの金髪に隠されていた女が丁度、そんな音を発していたような、気が、して。
嫌な予感に体が軋む。
「お、おい、ちょっと待て。お前、部屋は」
目が離せないまま、見つめる扉がゆっくりと口を開く。
タイミングばっちりに、見計らったかのように出てきたのは想像通りの人間。
薄い生地でできた長そでの体操服を見下ろしながら、女は言った。
「ねぇ、ルイ。上着持ってない? ちょっと寒くて」
「持ってなーい。今度一緒に買いに行こうか」
「んー、それならいいや」
「な、んで」
信じられない、というよりも信じたくない気持ちが強くて体が震える。
オレよりも少しだけ目線の高い女はオレを認識すると、細い目を糸みたいにして胡散臭く笑った。
「あ、クロード。おかえりー、上着持ってない?」
「なんっっっっで女と部屋一緒なんだよ!」
「わぁお、意外とおっきい声でるんだね」
わなわなと拳を握り叫んだ。背後で何かが倒れる音がした。
「何っ? ど、ぅわっ。っ、ど、どうしたの?」
オレの大声に驚いたデカい男が、後ろの部屋から飛び出した勢いで足を滑らせる。
どっかのお坊ちゃんみたいに襟のあるシャツの、ボタンを上まできっちり留めた大男は尻餅をついたまま目を白黒させる。
金髪の男は起き上がると、オレの話なんかまったく聞いてない女にソファに引っ掛かっていたブランケットを投げた。
「いやあ、うーん。これに関しては俺もクロードに賛成」
「え、ぇと。何が、?」
瞬きを繰り返し、助けを求めるパシダームにうん、と頷いて、金髪は人数に全く足りていないカップにコーヒーを注いだ。
「とりあえず、座って話そ」
よくあるルームシェアと一緒で、リビング、キッチン、バストイレが共用、あ、あとは個室が四つだな。
部屋入ってすぐ右の扉、あそこ開けたら風呂とトイレがあって、部屋のど真ん中がリビング、あとあっちの壁に沿ってキッチンと、今使ってるテーブルとイス。
でえ、キッチンと反対の壁、そこ、のうっすいテレビ見ようと思ったら、あのソファ。多分、これがもともと部屋にあるやつかな? あ、あと部屋出て階段と反対、窓のほうの突き当りに洗濯機あるから自分でな。
四人で広めの丸い机に向かって、金髪男の指をさしながらの説明に舌打ちで返す。
「で、最後部屋割り。入って一番手前がユズの部屋。で、テレビがくっついてるとこがクロードの部屋で、反対側のキッチンに近いのが俺。で、ユズの向かい側のお風呂が近いのがリュドヴィックの部屋」
こんなもんかあ? と湯気の立たなくなったコーヒーを啜り、不愉快にも付け加えた。
「まあ、プリントに書かれてた通りだけどお」
「ハッ、当てつけかよ」
「ッスーーーー、俺、こいつと会話できないかもお」
「オレだってテメエみてえな恵まれたやつと会話できる気しねえわ」
売られたけんかを買っただけだ。それなのに、まるでこちらが悪いかのように顔を伏せる金髪の態度に怒りが増す。
「あー、無理。解散。勝手に連想ゲーム始める人間大ッ嫌いなんだよ、俺え」
目を閉じ、深い呼吸を繰り返す相手に何て言い返してやるかと考えていたせいで、女に隙を与えてしまった。
ずい、とこちらに顔を近づける女から身を捩る。
「クロードはもしかして字、読めないの?」
煽る女の言葉に舌打ちを返して机を蹴った。
「ったらなんだよ」
「わたしも読み書き苦手なんだ。妹に教えてもらってたんだけど、難しいよね。ね、良かったら一緒に勉強しようよ」
「うるっせぇな。良い子ちゃんアピールならオレのいねぇとこでやれや」
「なんで? わたし、クロードにも良い子だって思われたいよ」
「気ッ色悪ィ」
「えー、クロードひどぉい」
「待てや」
人を馬鹿にして笑う女の、最初から引っ掛かっていた違和感にようやっと意識が向いた。
鳥肌の立った腕をさすり、体を捻って睨みつける。
「ぁんで名前知ってんだ。プライバシーはどうしたよ」
オレの言葉にあぁ、と嬉しそうに声を上げた女が椅子の背に凭れた。
「マーシャさんから荷物受け取ってた~んだぁ。クロード帰ってくるの遅いから。ね、ルイ」
「は?」
「あー? ……あー、そうそう。お前、荷物たくさん持ってんだな。あそこの箱、全部お前のだってさあ? 着替えてる時に来て、ユズが全裸で出ようとして焦ったんだからなあ」
「サロップがよ」
他人の感情なんて気にならないのか、女はわざわざ空気の悪くなった相手に話を振った。
思い出して、少し機嫌の良くなった金髪が指さしたのは入り口のすぐ横。気が付かなかったのが不思議なくらい、形の歪んだ段ボール箱がこれでもかと重ねられている。
出所不明の荷物に気味の悪さを抱いて近づく。
そもそもオレは、箱に入れるだけの荷物を持っていない。着ていた服と、この体で全てだ。
一番上に乗せられていた小さなものを持ち上げた。側面には確かに、自分の名前がでかでかと書かれており、中には空気しか入っていないように重さがない。
ガムテープをはがすと、覚えのある空気がふわりと溢れた。
入っていたのはたばこの吸い殻。クソみたいな父親のやりそうなことだと、大きく舌打ちをして投げ捨てた。
「クロットゥ!」
ご丁寧に、地面に捨てたものまで拾い集めたのか、ざらざらと砂がこぼれる。
興味津々とこちらを覗いていた女は、一言も発さないパシダームから口にハンカチを押し付けられ、金髪は箱からひらひらと舞った紙を拾った。
内容を確認して、突き返す金髪は眉を寄せる。
「随分変わった趣味してるんだなあ?」
汚い紙には潰れた字。見慣れたミミズの這うようなそれは父からのもの。
「……ゴミなんて集めねぇよ」
そうだ、初めから、早く眠ってしまいたくてここまで帰ってきたのに。
どうしてこんなに気分の悪い思いをしなければいけないのか。
力の抜けていく体を引きずってもう一度、クロットゥと吐き捨て部屋に入った。
◀ ▽ ▶
元気に舌打ちをしていたクロードが、どこか力なく部屋へと戻っていく。
その小さな後ろ姿を眺めながら、リュドヴィックから渡されたハンカチを強く口元に押し当てるユズが、肩を上げていた。
「……クロットゥ?」
静かになった室内で、おずおずとリュドヴィックの尋ねるような声。
ソファまでリュドヴィック航空便で運ばれたユズが「わたし知ってる!」と元気に手を上げた。
「仲良くしたくないって意味だって!」
「そうなんだ、詳しいんだね。それにしても、どうして今、その発言を?」
「確かに。なんで?」
二人は不思議そうに顔を見合わせ、同時にこちらへと視線を投げかけた。
なんとなくこうなることを予想していたのでふい、と視線をそらしたものの、好奇心に輝くよっつの瞳が後頭部を焼く。
「あーーー、くそー、とかあ。そういう意味もある、かなあ?」
言葉を濁して、ニュアンスだけは柔らかく言った。
あまり綺麗な言葉ではない。ので、できれば知らないままでいてほしい。そんな気持ちで答えた俺の気持ちをよそに、話題は続く。
「彼のお部屋にはお手洗いがあるの?」
「あっ、ちがうちがう! このクソってあれだよ、トイレ行きたいとかじゃなくて、ほら、あれ。あの、バトウ。……バトウってこっちで何て言うの?」
「船?」
「船じゃない。ぅーー、あーーー出てこない、もやもやするーーーー!」
恐らく、意味を正しく理解したユズがもだもだとおでこを揉む姿を、生暖かい目で見つめた。




