第13話・残業散歌
「では、そろそろ向かいましょうか。白羽さん、と……」
蘭は歩きながら声を掛けると、何かを思い出したように口を開けた。
「あぁ……すみません、お名前を聞いてませんでしたね」
「乙女です。千桜 乙女っていいます。蘭さん……で大丈夫ですよね?」
乙女の問いかけに蘭がうなずく。
そのままラヴの方に視線を向けると、彼女は言葉を続けた。
「では、そろそろ行きましょうか。課長が待っていますので」
蘭のその言葉を聞くと、ラヴは「げっ」と嫌そうな声を漏らした。
苦いものでも食べたかのような表情を、乙女は怪訝な顔で見つめる。
(この、白羽さん? ですら嫌がるって……)
乙女の目に映るラヴは、まさしくフレンドリーの権化。
そんな彼女が嫌悪感を示す人物に、わずかな拒否感を覚えていた。
(話がちゃんと出来れば良いけど……)
しかし次の一言を聞き、拍子抜けして肩を落とした。
「あの人……堅すぎて合わないんだよねぇ」
口の先を尖らせながら、ラヴが口をこぼす。
(なんだ、仕事人間が嫌なだけか)
ラヴの様子に、乙女がそう察する。
すぐ先の心配ごとが無くなり、安堵のため息をそっと吐いた。
「まあ、白羽さんの言いたいことは分かりますよ」
「えっ! そうなの蘭っち」
「あの人はとにかく冷静……いえ、冷酷ですからね」
伏し目がちに話す蘭に、乙女は首筋に手をやる。
少しばかり視線を逸らしてから、小さく口を開いた。
「……もう、行きましょうか」
乙女の声掛けに、2人はゆっくりと頷いた。
「おー、久々にこのエレベーター乗ったかもぉ」
エレベーターの中で、ラヴが独り言を呟く。
「白羽さんは最近、あまり本部に呼ばれていませんでしたね」
「たぶん……2、3ヶ月ぶりかも?」
数秒ほど顎に手を当てて、蘭の言葉に返事をする。
乙女は2人の雑談を気にすることなく、横にある鏡を眺めていた。
無表情な自分を見つめながら、浮遊感を全身で味わう。
その時、ふと疑問が頭に浮かんで、乙女は蘭に声を掛けた。
「そういえば蘭さん」
「はい? どうかされましたか?」
蘭は振り返って乙女の方を見ると、こてんと首を傾げる。
「いや、課長って言ってましたけど……蘭さんが所属しているのは何課なんですか?」
「私の所属は、人事部の魔法少女管理課ですよ。まあ、言ってしまえばマネージャーですね」
「うちのことも担当してるんだよ、蘭っち!」
蘭が丁寧に返事をすると、彼女の横から顔を出してラヴが口を開く。
直後、ポーンと気の抜けた音が辺りに響いた。
それに続いて、『12階です』と機械音声がエレベーター内に流れる。
「おっ、着いたね着いたね!」
ドアが開かれた瞬間、ラヴが勢いよく飛び出した。
乙女は壁際に寄り、目の前のボタンに手を伸ばす。
しかし、指先の向こうにはすでに蘭の姿があった。
「お先にどうぞ、千桜さん」
「あ。ありがとうございます」
小さく会釈をしてエレベーターから降りる。
そして乙女の視界に、広々としたオフィスが広がった。
ただ、パソコンの電源は全て消えており、人のいる気配は一切感じ取れない。
(誰もいない……?)
想像と違う光景に、乙女はスッと目を細める。
直後、目の前にいたラヴが声を漏らした。
「えぇ、もうそんな時間だったのぉ……どーりでどーりで。なんかロビーに人少ないなーっ、て思ってたんだよね」
「もう6時過ぎですからね。定時で皆さん上がってますよ」
ラヴの言葉に補足した後、「私は残業ですけどね……」と小さく口をこぼす。
そのまま前に出ると、蘭が先導して歩き出した。
通路の端で静かに佇む観葉植物の脇を抜ける。
ふと目を横に逸らすと、電源の付いたパソコンが1台だけ残っていた。
「あれ、このパソコンは――」
「そこは私のデスクですね。まだ資料が途中だったので、そのままにしてます」
足を止めない蘭を追って、乙女もすぐに動き出す。
横目でデスクの上を見れば、開いた缶コーヒーと書類の束がいくつも置かれていた。
(なんというか、夢が無いな……)
別に、魔法少女やその関係者に憧れていた訳でも無いけれど。
小さくため息を吐いて、薄く苦笑いを浮かべる。
すると、後ろを歩いていたラヴが口を開いた。
「あれっ! 蘭っち、ついにエナドリ止めたの!?」
耳元で声が響き、乙女は反射的に手で覆う。
「はい、流石に飲み過ぎだったので。健康面に心配が……」
心臓の辺りを押さえながら、蘭が返答する。
話を聞いて、コンビニに並ぶエナジードリンクを思い出した。
「まあ、今はどうでも良い話ですね。早く行きましょうか」
そう言って蘭が再び歩き出すと、「今日は飲まないと厳しいかも」とぶつぶつ呟くのが聞こえた。
(そういえば飲んだこと無いな……どんな味なんだろ)
今度買ってみてもいいな、と考えながら蘭の背中を追っていく。
カーペットの上を黙々と進んでいくと、オフィスから離れて廊下に出た。




