99 愛する妻と娘
「のうシャノン、覚えておるか? ゲティアに来る前のことを」
「……なんで」
ゲティア西区にある小さな薬屋の二階、ほのかなろうそくの明かりに照らされた寝室。
テーブルに座り、小さな灯の元で小さなオーブを並ばせるシャノンに、ベッドに横になった老人が話しかける。
「なんというかな、少し思い出してしまってな。もう……十年ほど前か?」
「……うん」
「シャノンは、今ここにいる事に後悔はないのか?」
老人の質問に、シャノンは首をかしげるも答えない。
「分からんか。それもそうだ、十年も前では……」
言いながら老人は口を噤む。
そうしてゆっくりと体を起こすと。
「……誰じゃ!」
階段の方へと目を凝らして叫ぶ老人。
その声に驚いてシャノンも身構えるも。
「お、俺です……ロナです。泥棒じゃないですよ、そのよくわからないビーカーは下ろしてください……?」
俺は両手を上げて、二人に体を見せる。
……いつかも同じようなことがあったな。
「……ニーアも? なんでいる?」
俺の後ろにつくニーアさんに、シャノンさんが首をかしげた。
理由があって連れてきたんだけど……まぁすぐに分かる。
「なんだ小僧、こんな夜分に女を連れ込んで。そもそも表の鍵はどうした? まさか勝手に開けたのか?」
「ま、まあそれは良いじゃないですか。とにかくその……例の手紙の話をしたくて」
「なに、それ」
シャノンさんは手紙と聞いてもピンと来ていないようだが……
予想通りイグナートの方は目を見開いている。
俺は懐から手紙を取り出し。
「例の手紙は読ませてもらいました。これについて、お聞きしたいことが」
「こ、小僧貴様、いつ間に手紙を……⁉ しかしあれは……」
とイグナート翁の視線が泳ぐ。
その視線の先の戸棚に、ニーアがすぐに手を伸ばした。
……割と古典的な方法に引っかかったな。
俺は何も書かれていない手紙を懐にしまい、ニーアさんから本物のほうを受け取る。
「なるほど、これが……。差出人の名前……これはどなたなのですか」
手紙を突き出すと、老人は観念したようにため息を吐き。
「……妻と娘だ」
「妻と娘……? しかしお二人は十年前に……」
「そうだ、二人は死んでいなかったのだ! 十年ぶりに、愛する二人から手紙が来たのだ……!」
……死んでない?
老人の言葉に、シャノンさんは眉を寄せている。
「……どういうことですか。どうして今さらお二人から……?」
「裁判の話は聞いたか? わしが王立大学で医学の研究をしていたころ……医者共の気に入らない発見をたくさんしてしまってな。水銀を飲ませるのは毒になるだの、瀉血は悪影響となるだの……まぁ、色々あって裁判にかけられることになったのだ」
「ええ、シャノンさんから聞いています。教会を巻き込んで、異端審問を受けて発言を撤回させようとしたとか。そこでひどい拷問を受け……そこで、妻と娘が出てきたと思うのですが」
シャノンさんは不安げにイグナート翁を見つめている。
聞いた話では、二人はこのあと……
「目の前で二人の拷問が始まったとき、わしは真実なぞよりも大事なことがあると思い知らされた。なんでも認めるから、それを辞めろと叫んだ。しかし奴らは、わしが全ての条項を認めるまで、拷問を続けた。最後の条項を言い切ったとき、二人は既に動かなくなっていた。わしもそうして気を失ったのだ」
「それって……死んでたって事じゃ無いんですか」
「医師の端くれとして、脈を取っていない以上、死んだとは言い切れん。そしてわしが意識を取り戻したとき、そこは海の上だったのだ。それ以降、エンデの地を踏んだことは無い」
海の上? なんで急に……
疑問に思ったのを察したのか、今度はシャノンさんが口を開いた。
「ひとを傷つけるためにちからを使ったのは、あれが最初でさいご」
「き、傷つけるって……?」
「後で聴いた話では、その審問所を大量の虫の波が襲ったらしい。ずっとその力を隠して生きていたのに……わしのせいで、シャノンまで国を出ることになってしまったのだ」
テイムで爺さんを助けた……ってことか。
シャノンさんはぷいとそっぽを向いて、口元を隠しながらつぶやく。
「先生はいのちの恩人。先生が救ってくれたいのちだから、わたしが先生をたすけるのは当然」
「命の恩人、ですか……」
「シャノンは両親を亡くしておる。その力を持っていることがバレて、処刑されてしまったのだ。それまで近所で娘とよく遊んでいたのもあってな、妻もわしも、放っておくことができなかったのだ」
血縁関係じゃないのは見れば分かるが……そういう事だったのか。
つまりシャノンさんは、能力がバレたら処刑されるって知ってて、それでも力を使って爺さんを助けた……ってことになる。
「ともかくそれ以降、わしは二人が死んでしまったとばかり思いこんでいた。しかし二人は生きていた! 罪人のわしに接触するにはリスクがあるからと、今日の深夜に、人目のつかない所で会おうと……」
「この手紙は、偽物でございます」
熱弁するイグナート翁に、先ほどからずっと手紙を読みこんでいたニーアがばっさりと切り捨てる。
「な、なな……何を根拠にそのようなことを! わ、わしのかわいい娘が心を込めて書いてくれた手紙に対して……!」
「この手紙はヘロシュ語で書かれておりますが……そのお二人はこの言語を日常的に使えたのですよね?」
「そうだが。家ではいつもヘロシュ語で話していたからな」
「……はあ。ならばこれを読んでも、違和感を覚えられなかったのですか?」
思わず興奮して立ち上がるイグナート翁に、ニーアさんは手紙を突き付ける。
「……何がだ」
「この文章はよく書けておりますが、数か所に文法のミスがございます。それも、古臭い文法規則を暗記しなければ間違うようなものではありません。日常的にヘロシュ語を話す方ならあまりしないような間違いに見えます」
「………………」
「冠詞のミスや、女性名詞、男性名詞の取り違え、語末の変化。どれも、他国の人が勉強して書いたとしたら仕方のない間違いですが……日常的に使うような方ならば、あまりしないような間違いばかりです」
「そ、それは……確かに、読んだ時に少しもやっとはしたが」
やはり老人も、違和感を覚えていたらしい。
その内容を信じたいがあまり、違和感を飲み込んで……?
「なら、これはどういうことなのだ」
「単数複数の選択と冠詞のつけ忘れがない点から、そこの区別のないウルグガルグ語、つまり獣人である可能性は低そうです。また語順も極めて正確なことから、大きくヘロシュ語と語順の異なるユゴルア語、岩晶族である可能性も低いでしょう」
耳をぴんとたて、ニーアさんはわなわなと震えるイグナートを見つめる。
「最後に時制と語彙の選択傾向を見るに……十中八九、この手紙を書いたのはエンデ語話者。つまりこの手紙は、王国の政治工作による可能性が極めて高いと言えます。この手紙の通りに約束の場所へ行っても、イグナートさんの大切な人はいらっしゃらないでしょう」
そう言い切ってから、ため息とともにニーアさんは耳をへたらせる。
イグナートは震える手で手紙を読みなおし。
「……そうか。そうだな」
力が抜けたように、老人はベッドに座り込んでしまった。
「薄々分かっていたのだ。文章を読んだ時に直感したのだ、これは愛する者達の書いたものではないと。……文章から、にじみ出てこないのだ。あの二人の愛が」
頭を抱え、俯く老人は続ける。
「それでも……縋りたくなってしまう。万に一つでも、その可能性に縋りたくなってしまうのだ」
いつの間にかシャノンさんが傍に寄り、その手をぎゅっと握っていた。
不安そうに見上げるシャノンさんに、老人は頷いて手を握り返す。
「わしは……。わしは、許せない。どうすればいい、わしの愛する妻子の墓を踏みにじるような真似をした、そ奴らを懲らしめてやるには」
「……もちろん、あなたにしかできないことがあります。俺は、そのためにここに来たんですから」
俺はイグナート先生の目を見つめる。
誘拐計画を事前に防ぎ、同時にワクチンとオーブ計算機を避難させる。
そうすればまずは、第一段階突破だ。
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エンデ王城、作戦指令室。
赤を基調としたその部屋で、司令官と参謀が喧々諤々の議論を交わす、その中に。
「ほ、報告いたします! 王都南西部、ハギア砦が陥落いたしました!」
その伝令に、部屋は静まり返る。
誰もが一度手を止め、部屋の奥に座る元帥の方を向いた。
軍服に身を包んだスキンヘッドの男は、報告を受けるや否や舌打ちをする。
「クソっ、王都の目の前まで……。おい、ウルグガルグからの援軍はまだか」
「げ、現在、交渉を続けていますが……しかし、もう少し王位継承には時間がかかるかと……」
「ならヘロシュからの融資の件はどうなった。作戦行動は上手くいったのだろうな?」
声を荒げる元帥に、一同は顔を見合わせ……そして一人がおずおずと立ち上がる。
「例の薬の奪取には成功したのですが……医者の方を取り逃がしまして……」
「なんだと……?」
「け、警戒を強めてしまったため、医者の誘拐は諦め……現在は薬の培養を試みております」
チッと舌打ちをして、元帥は眉間を抑える。
「まあ良い。すぐに切り替え、他に人員を回せ。ユゴルアとの兵器取引に関しては順調だ。今はまだ厳しいが、これがあれば必ず戦況を返せる。魔族どもを、この神聖な地から、一匹残らず排除しろ!」




