98 二週間前のその日
第十一章
月の光が港の水面を照らす。
そこから、少し入ったところにある路地裏。
鼠がゴミを漁り、生臭い匂いの漂うその場所に、佇む人影があった。
「……お前がイグナートか?」
「……? そ、そうだが、なんだお前は」
警戒するようにそう言う樹命族の老人。
話しかけた人間族の男は、ゆっくりと頭を掻いて。
「あー、気にするな。お前には関係ないことだ。――おいお前ら、シゴトだ」
「お、おい、何を……!」
男が片手を上げると、どこからともなく屈強な男たちが現れ、一斉に老人に掴みかかる。
「な、何をする! 人違いだ、わしはここで人を待っているだけなのに……うぐっ!」
老人は抵抗むなしく、猿轡を嚙まされて縛り上げられる。
足元に転がされた老人を見て、男は唾を吐いた。
「……っ! …………っ!」
「あんま抵抗すんな爺さん。その待ち人も来ねぇから、安心して大人しくしてな。お前を待ってる奴なんかどこにも居ねぇよ」
うーうー唸る老人を、手下は乱暴に袋に詰め始める。
それに眉を寄せる男は手下を蹴りつけると。
「おい、殺すなよ? 生きたまま捕えるってんが仕事だ。殺しちゃあ仕事にケチがつく」
「で、でもコイツ、暴れるっすよ? どうやったってこんなん……」
「おとなしくさせるくらいなら良いが、ぽっくりいかれても困んだ。責任取れねぇんだからしっかりやれ」
「う、うす……。そんで、こっからはどうすんすか?」
そのうちの一人が目を上げると、男は路地の向こうを見つめる。
「話じゃあ十一時ちょうどに、ここの船着き場に来る船に袋ごと渡せばいいらしい。あとは薬屋の方に行った別班がそろそろ薬を……お、来たか」
男の視線の先から、黒い影がこちらへ歩いて来る。
手を上げて男が声を上げながら、暗闇に目を凝らし。
「おーう、こっちだ! 薬屋の方は上手く……。あぁ……? てめぇら誰だ……? なんで獣人なんかが……うぐっ!」
男の腹に拳が打ち込まれたのを合図に、夜の路地裏で戦闘が始まった。
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「ててて……。まったく、これは体に響くわ。遅いぞ、一体何をしていたのだ」
……何とか間に合った。
猿轡を解かれたイグナートは恨めし気に獣人たちを見上げる。
「てんめージジイ! 助けてもらって何だその態度はよ!」
「やめろズー、ご老体には優しくしてやれ、先は長くねェんだからよ」
「……その言い方はどうなんですか」
イグナート、ズー、ヴィスト。
全員、生きてる。なんだかそれだけでうれしい。
老人に唾を吐こうとするズーを殴りつけるヴィストに、俺は老人の腕の拘束を解きながら。
「すみません、敵の手際が思ったより悪くて。それで時間がかかってしまいました」
「そーだぜ、遅くなったのは俺らのせいじゃねぇんだよ。薬を盗ませて取り逃がすふりをしないといけねーんだからよ、手際の悪ぃ鍵開けをじっと待つのもだるかったんだぞ?」
王国ももっとマシな手先を送り込んでくれよ。
獣人二人がイライラしすぎて、カチコミにいくのを何とか制止するのに苦労したんだから。
「そうか、なら奴らは今ごろ……わしの小便の培養液を大事に運んでいる所なのか?」
「そうですね、それに気づくのはちゃんと精査してからでしょう。半分は目的を達成させたことになりますから……これでもうしばらくは手を出してこないはずです」
全部計画通りに上手くいった。
やっぱりイグナート先生の誘拐は、事前に何が起きるかさえ分かってれば簡単に防げる。
しかもたったこれだけで、ヘロシュ公国との関係は崩されずに済むのだ。
なんて楽でコスパの良い過去改変。
ただ、向こうの計画を防ぐには、事前に何が起きるか知っておく必要があったわけだが……




