87 遡行回数
「おや、起きたか! 久しいのう!」
「……ゼヘタ様ですか。おはようございま……うげっ! 急に飛び乗ってこないでください、何でそんなテンション高いんですか」
こ、この……寝起きに吐かせる気かコイツ……
俺は腹を抑えながら、ぼんぼんと跳ねて来るゼヘタ様を見上げる。
「さいきんは体の調子が良くてのう! それが嬉しくてたまらぬ! この間など一人で礼拝堂まで行けるようになったのじゃぞ!」
「は、はぁ……そうですか、良かったですね。夜の礼拝を譲ったおかげ……とか?」
「いやあ? 恐らくゲティアの情勢が上向きだからじゃろう。奇跡としか言いようがないことの連続で……あれだけ大変だった内情がここまで持ち直したんじゃ。世の中ではゼヘタ様の奇跡のお陰だともっぱら評判でのう!」
ゼヘタ様はばたばたと伸ばした手で胸元を叩いて来る。
面倒くさいテンションの上がり方だな。
「この調子であれば、百年ぶりに外の世界に顕現できるやもしれぬ! 本当にうれしいことじゃ、褒めて遣わすぞ!」
「……そうですか、百年ぶりに。なんというか、皆の頑張りが神の奇跡ってなることにあんまり納得いってないんですが……」
「そこはいいじゃろう、持ちつ持たれつじゃ。それにしても先週のは冷や冷やしたわ。本当に良かったのう、間に合って!」
……間に合って?
「いやぁしかし、わらわの手柄ではないにせよ、ディアロは歯ぎしりしておるじゃろうな。この調子では教皇の座は狙えぬじゃろうて! ざまあ無いわ! わらわの力が戻ればあんな奴は……」
「その、どいてくれませんかね。嬉しくて仕方ないのは分かったので……」
しがみついて来る神様を引きはがすのに苦労しながら、御所を出る。
と、教皇室のソファーには、シャノンさんの姿があった。
その隣でグラシア様が、シャノンさんを慰めるように頭をなでている。
「……どうなさったんですか」
俺が尋ねても、ソファーの上で膝を抱えているシャノンは顔を上げない。
「……仕方ないわね。私が言うわ」
グラシア様はシャノンさんの肩を優しくたたいて、俺の方を見上げる。
……あまり良い話題じゃなさそうだ。
「イグナート先生って方、シャノンさんの薬屋さんにいるお爺様が、居なくなっちゃったんだって」
「い、居なくなった……? どういうことですか……?」
「昨日、薬屋に放火があったらしいの。お爺さんはそれ以降行方不明みたいで」
薬屋に放火? イグナート先生が行方不明……?
「放火ってのは確定なんですか? するとして誰がそんなこと……」
「薬屋に残ってたオーブ計算機がぐちゃぐちゃになってた上に……種痘っていう、天然痘に利く薬が盗まれてた。だから、明らかに政治的な意図を持った放火だって言われてる」
種痘……天然痘のワクチンが盗まれてた……?
ヘロシュからの融資は、このワクチンありきの取引だったはず。
そうなると、融資は大丈夫のなのか……?
とは思うものの、シャノンさんの前でそんな実利の話をするわけにもいかず。
「何か……犯人の痕跡とかは無かったんですか?」
「えっと、確か……」
「おとといから、ちょっと変だった。何か手紙を見て、それをずっと隠して」
シャノンさんがぽつりとつぶやく。
手紙……か。
シャノンさんの直観では、そこに関係があるって事なんだろうけど。
「それと……おとといの晩、昔の話を急にしだした。最近はずっと話題にも出さなかったのに」
「昔の話? それっていつの事……?」
グラシア様の質問にシャノンさんは俯いていた顔を少し上げ、まっすぐ窓の方を見つめる。
「せんせいがゲティアに来る前のこと。エンデのアカデミーにいた時の話」
「エンデ王国の……大学ってことですか」
「あの人、そんな立派なとこにいたの? それがなんでこんな所に……」
シャノンさんも、その話をするつもりだったらしい。
グラシア様の疑問に、シャノンさんはとつとつと語り出す。
「せんせいはエンデで、医療の研究をしてた。じゅうらいの方法のほとんどに意味が無くて、しかも害になるものもおおい、って発表をした。それで……医師会から猛反発を食らった」
「そうだったんですか。それこそこの間の『白衣の死』事件みたいな……」
「というより、過去にこれを経験していたから白衣の死の欺瞞を暴けたんじゃないの?」
グラシア様の言葉に、シャノンさんはこくりと頷く。
衝撃的な研究結果にイグナート先生は世間の注目を集めるも、医師会はこれを虚言として受け付けず……これ以上の研究を辞めるよう迫って来たらしい。
「でも、せんせいは辞めなかった。それにおこった医師会は、教会を味方につけることにした。肋骨の数で」
「肋骨の、数?」
俺が聞き返すと、グラシア様に思い当たる節があったのか、小さくため息を吐いた。
「あれでしょ、創世記の記述。原初のヒトは一人の男であり、その一人の男の肋骨からもう一人の女性が生まれた。そう言われてるから、長らく男性は女性より肋骨が一本少ないって信じられてきたのよ」
「なるほど、アダムとイブ的な話ですか」
「……なにそれ」
二人に怪訝な顔をされてしまった。
伝わるはずないか。
「先生の人体解剖図は、男も女もろっこつはおなじく描かれてた。医師会はこれを聖教会に持ち込んで、あれは異端だって密告をした」
「……なるほど。より強い権威に代わりに裁いてもらおうと……」
なんかきな臭くなってきたな。
創世記を否定することはつまり、教会の権威を揺るがすものだ。
その状態で異端審問にかけられて、無事でいられるわけがない。
イグナート先生は異端審問に掛けられ、研究どころではなくなった。
これまでの研究は全て、民を惑わそうとした虚言である、という事を宣言させようとする教会と医師会の拷問に、先生は長い間抗い続けたという。
「それである日、先生のおくさんとこどもの二人が呼び出された。目の前でひどい拷問を見せられて……それで先生は認めた。だけど、全部を自分の口で認めるまで、拷問は終わらなかった」
暗い目をしたシャノンさんは目を落とし、カーペットの染みを見つめる。
「最後の条項を認めたとき、先生のおくさんとこどもはとっくに動かなくなってた。それ以降、その話をすることは無かった。なのに……」
「おとといの夜、急にその話をしだした……と。ならその手紙は、イグナート先生の妻子に関係があるんでしょうか……」
しばらく黙り込んだ末に、シャノンさんはぎゅっと膝を抱え込み、そこに顔を埋める。
……見てられないな。
俺は、自らの手のひらを見つめる。
これが、最後の一回か……
これを放っておいたとしても、この国の存亡には直結しない。
イグナートさんは死んだわけじゃない。
最終的な目標にも、まるで関係ない。
でも……
「せんせい…………」
うずくまるシャノンさんの背中を、グラシア様がゆっくりと撫でる。
……あんな変態爺さんひとりのために使うほど、この力は安くない。
この力を残しておかなかったせいで、沢山の命が失われる可能性だってある。
だけど……そうだ。
このままワクチンが無くなれば、天然痘で苦しむ人が増えるだけじゃなく、ヘロシュとの融資取引もパーになるかもしれないだろい。
俺は利害を計算したうえで、この決断をするんだ。
決して、下界の取るに足らない生物の涙なんかに騙されたわけじゃない。
俺は、世界の未来のために動くだけだ。
そう心の中で強く思いながら、遡行を――――
「…………? …………あ、あれ?」
遡行、遡行……⁉
は、発動……しない?
ど、どうなってるんだ?
遡行はまだ、一回のこってるはず……
もしかして、数え間違えたのか?
お、おい、どうなって……
焦りながら何度も遡行を念じてみるも、一向に能力が発動しない。
このままじゃ、先生は永遠に……
「……? どうしたのよ、急に。御所に何か忘れ物……?」
二人を残して立ち上がり、御所の扉を開けると。
「おや、おはやい戻りじゃったな」
ベッドの上で横になったゼヘタ様が、こちらに目を上げる。
「……ちょっと、聞きたいことが。さっき仰ってた、『間に合って良かったな』という言葉……あれって?」
「おや、今更気づきおったか。遡行の残り回数じゃ。童の眼にははっきりと残りがゼロだとはっきり見えるのじゃがな」
……マジかよ。じゃあ本当に……
絶望する俺を見て、ゼヘタ様は首をかしげると。
「じゃが、これは一年に一度回数が増える能力なのじゃろう? それほど悲観する者でもあるまい」
「それは……そうですけど、でも一年待って、たった一回増えるだけですよ? こんな事になるならもっと制限を緩くしとけば……」
「自分の首を絞めた、という訳か。間抜けな話じゃが……つまり、一年後にこの日に戻ってくればそれで良いのではないか?」
それも……確かに、選択肢の一つだけど。
「でもそれって……その日まで、俺が生き残ってればの話じゃないですか」
「ここまでゲティアが安泰になってるんじゃ、一年くらいどうということは無かろう」
……だと良いんだけどな。
確かに、今のところは順調だ。
けど、一年先なんてどう考えても長すぎる。
ここまでの問題は、遡行ありきで解決して来たものばかり。
それがなくなった今、どうなってしまうのか……




