88 オニキスの経済工作
南区、港近くの川のほとりに立つ大きな建物。
見上げるばかりの大きな煙突からは、黒煙がもうもうと空へ広がっている。
「なーロナ、最近爺さんとシャノンの姿がねーけどどうしたんだ?」
「イグナート先生は……どうやら行方不明になってしまったそうです。シャノンさんの方も、そのショックでまいってしまったみたいで……」
「……あー、そうか。そりゃわりぃ事聞いたな」
頭を掻いて視線を逸らすズーに、俺は目の前の建物に話題を逸らす。
「それで……これは?」
「これは紡績工場だな。こないだの不況のときに、安く売りに出された工場でよお。それを見つけてを安く買いたたいたんだ。な、オニキス?」
「ええ。今は撤去していますが、川に水車を取り付けて、その動力で紡績を行っていたそうです。現在は動力を蒸気機関に変えて、新たな事業にならないかと試運転をしている所です」
いつの間にか蒸気機関って名前が定着してるじゃん。
これで大量生産ができるようになれば、いよいよ産業革命がはじまりそうだなこれは。
「あのでっけぇ釜、間近で見たらスゲーんだぞ! 休まないで動き続けるしよお、あれが実用化されたら凄い事になるぞマジで!」
「水車による動力は立地の制約と数に限りがありましたが……蒸気機関はその限りではない、というのも大きいですね。職人のような技術を教育する手間もいりませんし……これは、世界を変えますよ。投資をするなら今です……!」
「す、すぐ金の話に……」
この金の亡者が……
すり寄って来るオニキスに、うさん臭さを感じて後ずさる。
「だってよお、この機械って初期投資がデカければデカいほど儲かんだぜ? ちょちょっと国の金庫から金抜いてきちまえよ。そうすりゃ何倍にもして返すぜ」
「バカなんじゃないですか。しかもそれ、リスクを度外視した時の話ですよね」
「リスクなんて大げさな。そんなものにいちいち怯えていては、商機をつかむことは――」
ドオオオオオォン! と、物凄い轟音が響く。
「どォなってやがるズー! 釜の蓋が吹っ飛んだぞ! 温度管理はてめェが当番だっただろうがァ!」
「ヤベ……っ!」
爆発に負けず劣らずのヴィストの怒号に、ズーは顔を青ざめて建物の中へと戻って行った。
あいつ仕事ほっぽって喋ってたのかよ、危ねぇな。
「そ、そんなわけで、教会の方で投資の検討をして欲しく……」
「……今のを見て、考えると思ったんですか?」
「や、やっぱりそうですよね……ううぅ……」
ズーが居なくなった途端、オニキスはしゅんとしおらしくなる。
工場の中をあわただしく海賊たちが駆け回っている。
蒸気機関がいかに画期的な技術かは理解できているつもりだが……これをうまく運用できるかどうかは別だ。
「それに、俺の判断だけで金は動きませんよ。国益に繋がるような事でないと、どうしても議会は通りませんから」
「な、なら……これが、エンデ王国に打撃を与えることが出来るとしたら……どうですか」
「……詳しく」
それなら話は別だ。
ずずいと迫ると、オニキスはひぃっと小さな声を上げて一歩後ずさる。
「そ、その……ですね。ここの紡績機の原型は、王国に産業スパイをやって輸入してきたものなんです……。じ、実は王国って、歳入の大部分がこの水力紡績業によるものなんですよね……」
「……今、さらっとヤバいこと言いませんでした? 産業スパイがどうのとか」
「こ、ここでですね、紡績事業に大きく投資をして、安い布製品を世に流通させれば……時代遅れの水力紡績を圧倒できる、じゃないですかぁ……」
……なるほど。
王国の収入にダメージを与えるために、産業ごと潰す……か。
オニキスはいつも、俺の目的と願望を的確についてくる。
「ど、どうですかぁ……? 安い布製品が普及すれば、ゲティアもまた潤うと思うんですけどぉ……」
ゲティアには衣類を一着しか持っていない農民が多く、そのせいで病気にかかるリスクが上がっているという話を、イグナート先生から聞いた事もある。
下着でさえ数週間洗濯しないのは当たり前で、上着に至っては年に一度洗えば良い方だとか。
そう考えると、安い布製品は人々の健康にもかかわって来る問題になる。
国益の事を考えると、やっぱり……
「……この件は、持ち帰らせていただきます」
「……! や、やった……!」
小さく拳を握るオニキス。
素直にうれしそうなのは良いけど、どうも手のひらの上で転がされている気もするな。
「ところで……この間の株式の件はどうなったんですか? 情報を渡したと思ったら、偽証の件で凄い大不況が来ましたけど」
「あ、あれは流石に怖かったです……。今でも、ううぅ……思い出すと胸がぁ……」
苦しそうにあえぐオニキス。
この人ならまた数手先を読んで商売のチャンスに変えてそうだったけど、流石にアレはヤバかったか。
「一応、最悪なことにはならなかったんですね。手を出し始めたところで助かった、的な感じですか」
「い、いえ……株には資金の大部分を突っ込んだので……あのままでは今頃クビを吊ることになってたでしょうね……」
「はい……⁉ そ、それ、大丈夫だったんですか……⁉」
「ま、まぁ、大丈夫……でした。大暴落後、株を持ち続ける判断をしたのが功を奏したみたいで……。そこからみるみるうちに大暴騰したので、損を被ることは有りませんでした……よ」
「……大暴騰? 元に戻っただけじゃなくてですか?」
経済の混乱が収まったのは知ってるけど、そんなに上がってたのか?
俺が尋ねると、オニキスは指元をいじいじとしながら答える。
「お、王国に偽紙幣を流通させるって話だったじゃないですか……。そのインフレで、王国諸侯たちがこぞって持ってる紙幣を、他の資産に移しかえようとする需要が出来たんですぅ……。最初は金品や王国内の株式に資金が流入したのですが……」
「王国内の株って……インフレで経済がボロボロになるのは目に見えてるんですよね? 現金よりはましかもしれないですけど、結構危ないような気もするんですが」
「で、ですから、他国の資産を買い入れた方が安全だ、という事に、彼らも徐々に気付き始めたんですぅ……。むしろインフレが大きければ、買い戻した時に儲かることすらある……とも……」
……そうか。
インフレが起きるという事は、相対的にその紙幣とは関係のない資産を持っておけば数字上のお金は増えるわけで。
「こ、これによって、世界一の巨大な資金源が、我先にと王国外の市場へ動いたわけ、なんですぅ……」
「その余波が、ゲティアの株式にも来た、という事ですか」
「は、はいぃ……。今も王国は王都を攻め落とされそうになっているので……信用回復はまだまだ遠い、です。だからどんどんと資金流出が続いているんです……」
なるほどな。
インフレを起こすと、こういう副次効果もあるわけか。
「王国紙幣は未だに紙屑にはなってないんですか? 偽札事件があっても、まだ一応使われてはいると?」
「は、はいぃ……。そもそもの流通量が多すぎますから……多少の偽札が出ても直ぐには信用が落ち切らなくて……」
「そうなんですね。でも価格の不安定なものを貨幣として使うのって、結構怖いと思うんですけど」
「そ、そうですね……。最近は日に日に価値が変わっていて……ウルグガルグとヘロシュでも二倍近くの差がついてる事も……」
よくそんな貨幣を使い続けてられるな。
まぁ、王国に住む大半の人々は、外の貨幣との価値の相対差なんてあまり感じないんだろうが……
「……というかそれって、儲けられるんじゃないですか? 二倍も差があったら、その差額が儲けられるんですよね?」
「それも考えはしたんですけど……情報を仕入れる手間を考えると、荷物を運ぶのと大差ないコストがかかるので……」
「……確かにそうですね。それなら荷物を運んだ方が儲かりますか」
「い、いつも相場に差があるわけではありませんし、相場に大きく差が開いたタイミングだけ取引をするというのは現実的には難し………………」
……オニキス?
言いながら、何かを思いついたように固まる。
そして、ゆっくりと煙突から出る黒煙を見上げて。
「そ、そうです! オーブ通信で、相場の情報を通信すれば良いんです……!」
……何か変なのを思いつかせてしまった。
目をキラキラとさせるオニキスに、俺は冷静に制す。
「ゲティアの法律で、国の管理下に無いオーブ通信は禁止されてますよ。アレは混線の管理が面倒なので……」
「そこは、ロナさんの腕の見せどころじゃないですか」
「……はい?」
「いくらでもやれるはずですよ、これを国家事業に絡める事なんて。世界各地で有利なトレードを計り、そこから資金を吸って……さらに王国貨幣の価値を下げて弱体化工作をする事だって……」
それに繋げられると弱い。けど……
口調が急に生き生きとしだしたオニキスが、商談モードで迫って来る。
「我々は世界各地に巨大な資金源を持っています。特別な許可を頂ければ、王国貨幣の価値低下に尽力します! この作戦に、我々以外に適任はいませんよ! そして代わりに、ほんの少しの手数料だけ頂ければ……!」
コイツは本当に……金儲けの事となると頭の回転を速めやがって……




