78 航海革命
ズ、ズーが、よりよって、数学の発明を……⁉
だ、だってこいつ、ちょっと前まで足し算もできないって言って……
「ほら、このカンペを使って計算すんだよ。そうすりゃあ、馬鹿みたいになげーアニマでも五、六時間かかる計算も、多少の精度を犠牲にすりゃほんの一時間程度で出来ちまうんだな。しかも簡単だから、ミスもほとんど起きねぇ」
「ど、どういうことですか……⁉ なんでズーが……⁉」
思わず俺の方がのめり込んで訊いてしまう。
信じられない、あのバカのズーが。
馬鹿といえばズー、ズーといえば馬鹿だったのに……
「オレ、最近はアニマに算数を教えてもらってんだけどよ、どうも掛け算が苦手でなあ。あまりにおっせーから、全部の答えを先にまとめて書いちまおうって思ったんだ。でもアニマにそんなことしたら、船の大きさよりも大きな紙が必要になりますって言われてな」
「その、諦めて計算に慣れてくださいって、何度も言ったんですけど……」
「そこで諦めねーのが俺のすごいとこなんだよな!」
自慢げにズーは言うが、発想はちゃんとアホで安心する。
「指数って知ってっか? こーやって、数字の右上に小さな数字を書いて、小さな数字の回数だけ同じ数字をかけるってやつ」
言いながらズーは、ちゃいろけた紙に小さく文字を書く。
リヴィゼも頷いているが、彼らと数学記法は一緒なのだろうか。
でもよく考えれば、元々は同じ世界に居たものだから当たり前か。
と、ズーはゆっくりと筆を動かす。
慣れていないのが一目でわかるが、それも当然だろうな。
文字を習い始めて数か月も経っていないはずだし。
と、ズーは10^2×10^3と紙の上に書き終える。
「王女様は分かるか? この問題」
「なめんじゃないわよ、数学なんて幼少から教わってる。答えは十万ね」
「まぁ、そうだな。これは百×千だから十万。あと……こうも計算できる」
言いながらズーはまた筆を動かす。
10^(2+3)=10^5と。
「指数同士の掛け算で、底の数が一緒の場合は、指数を足し算すれば良いらしい。これを教わった時によお、経度計算のなげー掛け算も、同じように足し算になればなーって思ったんだよな」
「……何言ってんのよ。そもそも掛け算すんのは指数の形じゃないし、底の数を合わせる事も……………………」
言いながらリヴィゼは黙り込む。
次にズーは紙に適当な数字を、748×491×239×572と書きだす。
「このそれぞれの数字がよ、大まかでも良いから、10^a×10^b×10^c×10^dって表せたら、あとはaからdの足し算で答えが分かんだろ?」
そう言ってズーは、=10^(a+b+c+d)と書き足す。
「最初は何を言ってるか分からなかったんですが……言われてみれば、と。問題は、それが10の何乗なのかをあらかじめ計算しておかなくてはいけないのですが……」
「……その表、見せなさいよ」
リヴィゼが先ほどの紙をひったくると、そこには1.00から9.99までの数字が書いており……それに対応した値がびっしりと書き込まれていた。
……対数表だ。間違いない。
これら三桁のlog10の値が全て分かっていれば、三桁の掛け算は全て足し算で解決する……
知識としては知っているけど、実際に活用している所は始めてみた。
……てかアニマくん、この九百個の計算を全部一人でやったのか。
バケモンにもほどがある。
「……やけに正直に手の内を明かしてくれると思ったのよね。この現物が無きゃできない方法ってわけ?」
やれやれと言った風にリヴィゼはオニキスに目を向ける。
「その通りです。これが欲しければ、交渉をしていただかなくてはいけません」
リヴィゼは腕を組んで考えこむ。
交渉という話なら、やはりオニキスを連れてきて正解だったな。
「んー……。ここには三桁しか乗ってないけど、経度の計算はもっと桁数が大きいはずよね? それはどうしてるわけ?」
「えっと……三桁の精度では五十キロ前後の誤差が出来てしまうので……陸地から遠い海洋で使っています。なので今は、四桁の表を作ろうとしてるのですが……」
「それって、九千個の値を求めなきゃいけないってこと?」
「そ、そういうことです。九百個を計算するのには半月ほどかかったので……その十倍ですから、単純計算でも半年ほど……。桁精度が上がっているので、更に倍はかかるかと……」
それはきついな。
ただ外洋を移動するとなると、大半の時間は陸地から遠い場所で過ごすことになる。
つまり五十キロの誤差を許容できる時間が大半を占めるのだが……それじゃあ満足できないんだろう。
「しかもよぉ、四桁の精度でやったとしても、五キロくらいの誤差は出んだよな。だから本当は五桁が欲しいのよ、そうすりゃあ誤差も数百メートルまで縮まる。そうなりゃ今後、船は一生遭難と座礁とは無縁になんだろ?」
「五桁って言ったら、それこそ何年単位の仕事になんじゃない……。というかこれって、経度計算以外にも使えんのよね?」
「そうだけどよ、結局誤差をある程度許容しなきゃなんねーからな。あんまり応用できるもんじゃねーと思うが」
「いや……どうかしら」
リヴィゼは口に手を当てて考え込んでしまった。
対数があれば、複雑な計算が圧倒的に簡略化される。
確かに、いろんな分野で革命が起きそうな気もする。
と、議論をずっと傍観していたシャノンさんが、リヴィゼの顔を覗き込むと。
「ふるい方法。さっき、そう言ってなかった?」
「……なに? 何の話?」
「あ、えっと……この月と恒星から割り出す方法を伝えたとき、こんな古い方法誰も使ってない、って言ってましたよね。だからそれの事じゃ……」
「うん。だから、まだ方法はあるんじゃないの?」
シャノンさんの疑問に、リヴィゼは答えるか迷ったようだったが。
その前にアニマが口を挟む。
「じ、時差を使う方法、ですよね? 経度が変わると時差がその分だけ生じるので……逆に、時間さえ分かれば、経度が割り出せると……」
「そう。一日は24時間で、この星の角度は360°……つまり、出発地点から一時間の時差があれば、これは15°動いたって事になるでしょ」
「へー! そんなのがあんのかよ! おいアニマ、そっちのが簡単そうじゃねーか! なんでわざわざこんな面倒な計算してたんだ?」
「バカね。その『時間さえ分かれば』が難しいのよ」
呆れたように言うリヴィゼに、ズーは意外にも思い当たったようすで口を噤む。
流石に船乗りは分かるか。
ただ、船に馴染みのないシャノンさんにはピンと来ていないようだ。
「ふねに時計をつめばいい……じゃないの?」
「それがよぉ……船の上は揺れがあるし、湿気とかで部品が膨張したり錆びたりで、正確に時間を保つのが難しいんだよな。多分だけど、一分でも狂うと経度もめちゃめちゃズレるんだろ?」
「そ、その通りです。また航海は長いですから……本当にとんでもなく正確な時計を作って、一日三分しかズレないと仮定したとしても、一週間で二十一分、距離にして四百キロほどずれることに……」
完全に使い物にならないな、そりゃ。
しかも技術的に船の上で一日三分以内の誤差なんて、相当優しい仮定だろう。
それで数百キロの誤差が出来るとなれば……
「じゃあ、陸から船に時間をつたえる方法があれば……解決する?」
と、シャノンさんがそんなことを……
「い、いやいや、そんなことが出来れば、航海革命どころの騒ぎじゃないですよ」
俺のツッコみをよそにシャノンさんは手のひらを開き。
中からはおなじみの透明なオーブが出て来る。
「このオーブ。握りこむと、一定距離にちかづいた対象のオーブが光る魔道具なんだけど……その割れ方によって、距離が変わるみたいで」
前にも聞いた説明だが、距離を変える方法まで判明してたのか。
「それって……割れ方次第では、遠くのオーブを光らせることが出来るってこと?」
「うん。だから例えば、一時間に一回光らせる約束をしたら」
「か、完全に誤差のない時間を知ることが……!」
はぁ……⁉ そ、それって……⁉
アニマは興奮したように、震える手で頭を抑える。
「か、革命です……! そんなことが出来れば、計算次第で船の位置を数メートル単位で特定できるってことに……!」
「それどころじゃないでしょ⁉ 戦争の開戦合図とか、作戦伝達なんかに使えば、かつてないレベルでの統率が取れるようになんじゃない! さ、さっさと教えなさい! それはどうやったら手に入るわけ⁉」
アニマとリヴィゼに詰め寄られ、シャノンさんは面倒くさそうに眉を寄せる。
その横でズーが、主役の座を奪われたのを面白くなさそうに眺めていた。




