72 足りない火薬
ベイルの言葉は社交辞令でもなんでもなく。
ウルグガルグを介した火薬の輸入は正式に行われることになった。
これにより魔族軍は十分な火薬を手に入れ、最初の海上衝突で王国軍に圧勝――
するはず、だったのだが。
「敵船は二十四隻を沈没させ……他十数隻にはダメージを与えているものの、致命打には至っていないようです。急襲は事前に察知されていたようで、被害を抑えられてしまいました」
港に仮設された作戦本部。
一度見た光景のはずが、少しだけ状況が変わっている。
でも、『少しだけ』だ。
確かに戦果は挙げられた。
けど、火薬と砲弾で圧倒する計画は、成功したとは言い難い。
「クソっ! やっぱりあんなんじゃ打ち合いをするには足りないのよ! こうなったらさっさと守りを固めないと、このままじゃ上陸されるわ……!」
いまだ火薬が、足りていないのだ。
その理由は、火薬の輸送段階にある。
軍による火薬の輸送は極秘のはずが、途中で何者かに襲撃を受け、船は爆発してしまった。
その結果、予定の半量ほどしかゲティアには届いていない状態にある。
最初の衝突で決着をつけるべく、全量を魔族軍に渡した結果、戦果は確かに改善したが……
これが突破されてしまった以上、残された選択肢は防衛しかない。
そこで前も行った、西翼にダミーを置き、東翼に少ない火薬を集める作戦を――
「お、王国軍が……す、全て西翼へ……!」
「完全に裏目ってんじゃない! なんてことして――ッ⁉⁉⁉」
轟音が鼓膜を揺るがす。
目をかっ開き、息を飲むリヴィゼ。
西翼に並べられた、空のはずの砲が、一斉に煙を吹いていた。
内部に侵入してきていた船の数々が大きく揺れ、次々と沈んでいく。
「ど、どうなって――ッ⁉」
リヴィゼは困惑しているが、過去にもどれる以上、裏をかくのはそう難しいことじゃない。
一度内通者の存在を確認しているなら、更に人員を絞ればいいだけだ。
「船から落ちた兵が泳いできます! 上陸するところを、全て捕らえなさい!」
グラシアの声に呼応するように、兵士たちが港部に駆けていく。
未だに呆然としているリヴィゼは、幽霊でも見ているかのようにグラシアを見上げる。
「お、おまえ、ここまで読んで……西翼に火薬を……⁉」
「……はい。ですが……想定よりはるかに敵の戦力が削れていません。火薬の残数を考えると、このまま打ち合いになれば敗北は必至です。どうにかしなくては……」
「ど、どうにかするって、これ以上どーしろってのよ!」
リヴィゼに詰め寄られるグラシア様は、一つため息を吐く。
「祈るしかないでしょう。主の奇跡が、火薬をもたらしてくれることを」
「は、はぁ……? お、おまえ、頭湧いてるんじゃないの……?」
―――――――――――――
――時は遡り、三週間前の南区のはずれの農場の前。
シャノンさんが持って来た、牛舎の壁についていたという汚物を俺は覗き込む。
「イグナート先生がワクチンの研究をなさってるってのは分かったんですが……。シャノンさんはどうしてこんな牛のおぶつなんかを?」
鼻をつまみながら俺が尋ねるとシャノンさんはむっとしたように眉を上げる。
「おぶつ、じゃない。おぶつからできた、しろい結晶を調べている」
……白い結晶?
よく見ると……確かに茶色の中に所々白いぽつぽつが見えるけど。
「それが……何か?」
「これを調べるに至るには少し経緯があってな。ついこの間の話だが……北区の方で火事があったのだ。近くの住民で井戸水を運び、なんとか収まったが……その中で一つの家畜小屋だけが、異様な燃え方をしてな」
「たくさんみずをかけても、砂をかけても、白い煙を上げてもえ続けた。ちょっと近所に嫌われてるひとだったから、これは天罰だ、とかそういう噂がたって」
なるほど、それは不思議だ。
そんで……そういう迷信があれば、この二人は正体が気になってしまうのだろう。
井戸水の件もしかり、ワクチンの件もしかり。
「天罰なら、家畜小屋だけを燃やす意味は無いだろう? そ奴の住む家も燃えはしたが、水をかけて無事鎮火された。となれば、家畜小屋の方に原因があるのではないか? と思ってな」
「きろくを調べると、『かちく小屋が白い煙を上げて、全然火が消えない』ってじれいはたびたび観測されてた。だから気になって……色々調べたけっか、これにいきついた」
「それが、水にぬれても燃えていた原因……ですか。凄い発見じゃないですか、その原理が分かれば、色々と応用できそうですけど」
俺が言うと、シャノンさんはふるふると首を横に振り。
「すでに発見されてたぶっしつだった。小鬼族の住む洞窟によくくっついてて、大事な衣服をあらう時の洗剤として使ってるんだって」
「そうだったんですか、それは残念」
「小鬼族の宗教で雨の中儀式を執り行わなければいけないとき、これを薪に混ぜて焚き木をするそうな。まぁ、発見した事実に先駆者が居るというのはそう珍しいことではない。シャノンもそう気にしてはおらんし……そんなことよりもだな!」
イグナート翁は唐突に声を荒げる。
なんだよ急に、うるさいな。
「困ったことに、これで満足せんのがシャノンなのだ! ただ調べるだけなら儂も文句は言わん。しかし、この間など家を燃やしかけおって……」
「い、家を燃やす……ですか?」
「あれは、けんきゅうがうまくいった証拠。最初このおぶつを燃やした時とは、比にならない火力がでたから」
「シャノンも汚物と認めてるではないか! 儂はこの安住の地を、牛のうんこなどに燃やされとうない!」
うんこだのおしっこだの。
この二人は排泄物にとことん縁があるらしい。
「それで……研究で火力がでるようになった、ってのはどういう……?」
「最初はこの白い結晶を取り出したくて……色々やってみた。そしたら水に溶けるみたいだから、まずは溶かしてろ過して抽出をした」
「あれは最悪だったぞ。どうしてあの悪臭のする物体を水に溶かそうとするのか理解に苦しむ。来る客来る客がみな文句を言っていたではないか」
「そうなんですか、シャノンさん」
「……おぼえてない」
そっぽを向くシャノンさんに、イグナート翁はため息を吐く。
「あの結晶を抽出する位なら、全く文句は言わんのだ。臭いのに目を瞑ればな」
「……というと」
「抽出しただけでは満足せず、シャノンはその後もずっとあれをいじくりまわしていてな。それで灰を……錬金術の常套手段だな、それを混ぜるようになってから、あれはおもちゃの域を出てしまった」
呆れた様子のイグナート翁に対して、シャノンさんは抗議するように。
「この結晶はべつに危険……の反対だから。最初に燃やした時、たまたま暖炉に炭があったから――その、ちょっと凄い炎がでちゃったけど……」
「思えば前も同じことをしてたではないか! エタノールだかなんだか知らんが、蓋を開けっ放しにしていたら揮発して、危うく火事になりかけて……」
「……エタノールはただのおさけ。こないだのはメタノール。常温でもすぐに揮発して引火するから、安全……の反対」
「どっちでもいいわい! とにかく、暇さえあれば家を燃やそうとするのは勘弁してくれと――――」
――――と、こういう事があったから、シャノンさんは『小鬼族の使っていた洗剤』という言葉に反応したらしい。
つまりシャノンさんは……無自覚に、火薬の原材料である硝石を作り出していたのだ。
本当に、とんでもない。
牛舎の壁についている汚物は、牛の尿や糞に含まれるアンモニアなどの窒素化合物が土中の細菌によって硝酸カルシウムに変化したもの。
これに灰、つまり炭酸カリウムを反応させると、火薬として安定した硝酸カリウムが出来る。
これを炭と一緒に燃やしてやると……量次第では一軒家くらいは簡単に吹っ飛ばせる。
……そう。
たったこれだけで、魔族軍が喉から手が出るほど欲しがっていた、硝石の完成。
本来は硝石の鉱山が無ければ作れないはずの火薬が、この手順を踏むことで化学的に作れてしまった。
この二人は何度俺の命を救えば気がすむのか。
シャノンさんは特に自覚は無いんだろうが、あまりに化け物過ぎる。
――それからとりあえず伝染病の対策と銘打って、ゲティア全土の牛舎の清掃を命じ。
その壁からこそぎ取ったものを港近くの倉庫に集めさせて、秘密裏に火薬の製造を進めていた。
だから俺は、ウルグガルグからの火薬密輸が失敗しても、すぐに立ち直れた。
俺達には、切り札がある。
弱小国ゲティアが大陸最強のエンデに勝つための、最後の望み。それが――
「きょ、教皇様……! 港近くの倉庫が突如、謎の爆発を……!」
爆発四散、してしまった。




