63 ゼタ様とゼヘタ様
リヴィゼとの交渉が終わり、教皇室にはグラシア様と俺だけが残った。
石炭の格安での提供を条件として、火薬兵器をゲティア湾に設置することを約束して。
グラシア様は教皇室の扉を閉じると、小さくため息を吐く。
「……全部イザヤのお陰ね。あの子、完全に自分の役割を理解してたわ」
「役割、ですか?」
「わたしが石炭を割安で提供するって言ったとき、リヴィゼはちょっと不満そうだったでしょ? 本来なら無償で全部渡せって言うつもりだったのよ、あの子」
確かに。
あのときリヴィゼは文句を言いかけていたような。
「その状況で、これ以上の条件は望めない、交渉を長引かせれば取引がチャラになるかもしれないという空気を作り出したのが、イザヤなのよ」
そういう事か。
常にグラシアの要求を否定するような意見を同じ陣営から発することで……一方的な交渉を防いでいた、と。
「考えてみればリヴィゼは初めから、何が何でも代替燃料を手に入れなきゃいけない状況だったのよね。魔族軍は他国との通商ができない以上、攻め入って土地を手に入れる以外に資源を手にする方法は無いわけだから」
「なるほど、そこまで読んで……。いっつも考えなしに教皇の言うことに反対しているイメージしかなかったんですが……実はイザヤって優秀なんですか?」
「当たり前でしょ。じゃなきゃ、この厳しい世界で教皇にたてつくような勢力を作れるわけないじゃない」
そう言われればそうだけどさ。
やってる事がいつもと同じなだけに、本当にイザヤが考えてやった事なのかどうかの見極めが難しいんだけど。
「で――。ディアロがこの件に関わってる、みたいなこと言ってイザヤを説得してたけど。アレはホントなの?」
あ。
えーと。
あれは……
「あ、あんた、何の考えもなしにやったんじゃないでしょうね⁉ このことが世間にばれでもしたら、一巻の終わりなんだからね――⁉」
―――――――――――――
イザヤはもう部屋を出ていってる。
今から走ってディアロの元へ向かっても、説得できるだけの時間はない……となると。
仕方ない、奇跡を使うか。信仰は多少残ってるんだし。
焦るグラシア様に背を向けて、一度御所の扉を開け。
教皇の目線が切れたところで、奇跡を念じようと……
「……⁉ に、ニーアさ――」
「…………死ねえッ!」
「て、『瞬間移動……!』」
危なッ……!
突然飛び出してきたニーアさんの突き出すナイフから、身をよじらせるように回避し、瞬間移動を念じる。
ニーアさんの残像が消えると同時に、暗い路地裏に……
「わ、わあああああ! え⁉ え⁉ お、おにーちゃん⁉ 今どこから――⁉」
「……こっちがびっくりしましたよ。そんなに驚かないでください。ただの瞬間移動ですから」
腰を抜かしてしまったアビスに手を伸ばしながら、俺は自分の体を見下ろす。
良かった、どこにも傷跡は無い。
……危ねーな。油断も隙もあったもんじゃない。
しかし良かった、テレポート先は逸れていない。
俺はアビスとゼタ様の居た西区の裏路地に飛んできている。
これからの交渉に、二人の力が必要なのだ。
「な、なんなの……? どういうこと……⁉」
……にしても驚きすぎだろ。
大悪魔なんだから奇跡なんて見慣れたモノだろうに。
「今からちょっと時間ありますか? ゼタ様をお借りしたいんですけど」
「な、なに? ゼタになんの用があるの? これから一緒に、貴族の家の残飯あさりに行こうとしてたんだけど。ほら、ゼタもこんなにうきうきで……」
「ゼ、ゼタ様にそんなもの食わせてんですか⁉ なんてことをして……まぁ、今はそんな事より、行きますよ。これから行くのも貴族の家、みたいなものなんで」
ゼタ様のことが心配になるが、しかし今はそんなことよりもだ。
「い、行くってどこに……」
「良いから、手を握ってください。ゼタ様も手、繋ぎましたね?」
「な、なんなの? 手を握ってるから何……」
「じゃあ、『瞬間移動』!」
もう一度念じると、薄暗い路地裏に光が満ちた。
――――――――――――――――
「え? ええええええ……⁉ ここどこ⁉ なんで、さっきまでうちにいたのに……!」
何やら騒いでいるアビスを、ゼタ様は不思議そうに見上げている。
……良かった、ギリギリ信仰が足りた。
感覚的にもうほとんど残ってないし、確実に帰りは歩きになるだろうけど。
足元にはふかふかのカーペット。
天井からは柔らかな光――シャンデリアだ。
視線を巡らせると、本棚と絵画が壁一面に並び、正面には重厚な木製デスク。 そして、その先に座るのは。
「……驚いた。客人が三人も」
落ち着いた低い声。
流線形の黒い角に、浅黒い肌の――悪魔だ。
こちらを眺めているうちに何かに気づいたのか、突如目を見開くと。
「…………ッ⁉ ゼ、ゼヘタ様……⁉」
アビスと手を繋ぐ少女に、ディアロは驚愕する。
……この驚きよう、やはり。
「噂は本当だったみたいですね。あなたが白い髪で青い目をした少女を探させているという……」
「ゼヘタ様……! 分かりますか⁉ ディアロです、あなたのしもべの……!」
俺の台詞を待たずにディアロは駆け寄ってくると、ゼタ様の傍に跪き、その手を取って見上げた。
びっくりした様子のゼタ様はアビスの背中に隠れてしまう。
あっけにとられた様子のアビスは、駆け寄ってきたディアロを手で制すと。
「ちょ、ちょっと、何いきなり! おじさんだれなの? あんまゼタを怖がらせないで!」
ぐっとアビスが手を引くと、怯えるようにゼタ様は背中の方に潜り込む。
逃げられてしまってぽかんとするディアロは、気を取り直したように立ち上がり。
「……どういうつもりだ、なぜ貴様が、ゼヘタ様を連れている? 主を人質に取ったつもりか?」
「人聞きの悪い言い方をしないでください。少しイザヤさんとのことで交渉をしたいのは確かですが、野蛮な手段に訴えるようなことはしません。……あなた方と違って」
こちらを睨みつけてくるディアロに、俺は言外に暗殺者の事を含ませる。
「なるほど、わざわざ『瞬間移動』の奇跡を目の前で見せつけて登場したということは……私の正体も、そのお方が、我が主ゼヘタだということも知っているようだ。その上で、話をしようと?」
「やはり、奇跡の事も知っているんですね。それなら話は早い。なぜあなたがゼタ様を探していたのかは知りませんが――」
……あれ?
今こいつ……ゼタ様のこと、ゼヘタ様って言ったか?
「ゼヘタ様……って言いました? 違いますよ? この子はゼタ様であって、この世界で信じられているゼヘタ神とは違う存在なわけで……」
「何を言っている。そのゼタというのはなんだ」
「そ、そっちこそ何を言ってるんですか! ほらアビス、その方の名前は!」
急に振られてびっくりした様子のアビスは目をしばたたかせると。
「なにを言い争ってんのか知んないけど……名前はゼタだよ。最初聞いたとき、ゼヘタ神に似てる名前だなーって思ってたけど」
「ほら。本人がそう言ってるじゃないですか」
俺が勝ち誇るように言うと、ディアロは食い下がる。
「い、いや……違う! 主はまだ幼いゆえ、自分の名前がはっきりと発音できないだけだ。断じてゼタなどと言う名前では……」
「ね、さっきからなんでそんな名前にこだわってんの? どっちでもいいでしょそんなコト」
どっちでも良い訳ないだろ!
ゼタ様とゼヘタ神は全くの別人なんだから!
……てか、この子がゼヘタ神なわけがない。
「だってゼヘタ神なら、うちの御所に既にいるんですよ。この子がゼヘタ神なら、のじゃのじゃ言ってるあの子は何なんですか」
「それは……いやまて、その話本当か? ゼヘタを名乗る少女が、御所に?」
ディアロはずいっとこちらに歩み、顔を近づけて来る。
「……食いつきますね。本当ですよ、何なら会わせる事も可能です。もし見えれば、ですけど」
なんか話が良く分からなくなってきた。
この悪魔は、そっちのゼヘタ様にも興味があるのか?
「……あなたの目的が知りたい。ゼタ様を探して、何をするつもりだったんですか?」
「目的だと? 白々しい……。全ては貴様のせいだ。ゼヘタ様は貴様の降臨により、信仰を失ってしまったのだ」
「俺のせいで……この子が?」
「そうだ。神がその力を失うとき、仮の肉体と共に下界に放り出され……同時に人格と記憶を失う。だからこそこうして私はゼヘタ様を探していたのだ。下界の生物として死を迎えてしまうの防ぐために」
なる……ほど?
ディアロの(少なくとも表向きの)目的は、ゼタ様の保護だったのか。
でもこれは、御所にいる神様の話とは明らかに食い違う。
俺が信仰を奪ったのは、のじゃのじゃ言ってるあの神様じゃないのか?
それにあの神様曰く、ディアロは悪魔であって、ゼヘタ神を憎んでるらしいけど……。
……と。
ディアロと俺の会話を聞いていた、アビスはなぜか目を輝かせ。
「神……力……仮の肉体……⁉ なになに⁉ 怖い顔したおじさんのくせに、意外と……⁉」
「ディアロだ」
「ディアロ! かっこいい名前! そしたら特別にアビスの名前も教えてあげる! 我が名はアビス、大悪魔アビス様と呼ぶがいい!」
自信満々に名前を叫ぶアビスだが、ディアロは眉を潜める。
「大悪魔というのはなんだ。悪魔に大も小も存在しない」
「……だーかーら! おにーちゃんもそうだけど、設定はちゃんとすり合わせようよ! そっちの中ではそうかもしんないけどさあ!」
「……何を言っている?」
叫ぶアビスに首をかしげるディアロ。
と、そこで部屋にノックの音が響く。
扉の方を慌てて振り向くと、扉の向こうから声が聞こえてきた。
「イザヤでございますっ! ただいま協議会より戻りました!」




