52 聖典の研究
「……ニーア? どうしたの、かくれんぼでもしてた?」
クローゼットの中に潜んでいたニーアさんが耳をへたらせ、バツの悪そうな顔をしていた。
ニーアさんから弁明の言葉が無く、グラシア様は首をかしげる。
「私、結構前からここに居たはずだけど……ずっとそんな所に隠れてたの? もしかして寝込みを襲おうと……?」
「ち、ちがいま……!」
ニーアさんは必死に否定しているけど、恐らくそれが正解だろうな。
俺が戻って来るタイミングに合わせて暗殺を企てていたのだろう。
グラシア様の前では流石におとなしくしているようだが。
「ちょっと前まで暇さえあれば研究しかしてなかったのに……人って変わるものなのね。聖書の文字も全部数え終わっちゃったんでしょ? だからやることが無くなって男漁りの方に……」
「で、ですから、違います……!」
獣のような耳をぱたぱたとさせて反論するニーアさん。
焦っているニーアさんを眺めるのもおもしろいが、一つ気になってたことを思い出す。
「ニーアさんの研究って本当に文字を数えてるんですか。神様が適当言ってるのかと思ってましたけど、本当だったんですね?」
「そりゃそうよ。偽典を見分けるための大事な研究なんだから。ね、ニーア」
俺が尋ねると、グラシア様はニーアさんに話を促す。
対してニーアさんは目をぱちぱちとさせている。
この状況への追及が急に止んで、逆に驚いているらしい。
それなら好都合と、ニーアは話題を逸らすように説明をし始めた。
「その……通りでございます。聖典には複数の書物があり、その中には預言者を騙る者が後世に書いた、いわゆる偽典が紛れていることがあるのです。研究はそれを見分けるために行っているのですが……」
「簡単に言えば、その文章の癖を見分けるのよね。ただそれも、何となくこの人が書いたっぽい、とかそういうのじゃなくて統計的に」
「はい。正当性を高めるには主観を排除する必要がありますゆえ……その文章に使われた単語を、一つ一つ数え上げ、その出現頻度で分析をしております。実際、本物とされる二つの同じ筆者の文を比べると、出現頻度は似通っているのです」
「反対に、後世の人間が預言者を騙った文章は、どんなに似せようとしても偏りがある。だから見分けられるわけね」
なーるほど。そういう事だったのか。
やっぱりよく考えるな、下界の人たちは。
文章を見分けるのに、単語の頻度に着目するとは。
「……あれ。でも、数えるのは『単語』なんですね。さっきグラシア様は『文字』を数えるとか言ってませんでした?」
「えぇ、そうでございます。文字単位で数えたり、文の長さを調べたり……他にも思いつく限りの統計を取り、分析の精度を上げようとしているのです。ただ、文字の頻度計測は徒労に終わりましたが」
「……それはなんで?」
「偽典であろうが聖典であろうが、その出現頻度にはあまり違いが見られなかったのでございます。これは、いくら筆者が特殊な語彙を使おうが、基本的な文の要素に含まれる多数の文字の中に埋もれてしまう、というのが主な要因のようです。調査を進めると、この傾向は聖書に限らず普遍的にみられる、よう……で…………」
と、ニーアさんは長々とした説明の途中で口を噤む。
何かを思いついたのか、口元を小さく動かしながら固まってしまった。
耳と尻尾がピンと立っている。何かを考えこんでいるようだが。
「……どうしたのよ」
「ええ……。もし、この普遍の傾向が、暗号化された文に対しても適用されるのだとしたら……と、考えてみたのですが……」
暗号化された文……文字の頻度……?
再び黙り込んでしまったニーアさんは、しびれを切らしたグラシア様に肘でつつかれる。
「……どういうことよ。なんで急に暗号が?」
「この統計を、暗号解読に活かすことが出来るかもしれません。今はただのアイデアですが、もしかしたら……」
「ちょっと待ちなさいよ。暗号の……解読って? なんでそれが急に……?」
怪訝な様子のグラシア様に、ニーアさんは頭を動かしながらゆっくりと答える。
「現在主流の暗号は……文字の対応にスクランブルをかけるものです。この組み合わせは文字の種類の階乗通り……26種類で構成されたエンデ語では四京三百兆通り以上あり、これが解読を困難にしております」
「それは分かってるわ。総当たりは事実上不可能だから、最強の暗号って言われてるわけで……対応表を盗みだすより他に方法がないのよね」
単一換字式暗号、というやつだ。
AがTで、BがRで、CがPで……という風に対応させる暗号。
「しかし、この方法では文字の種類数は変化しておりません。つまり……暗号化された文字を数えれば、その出現頻度は普遍的なものに近づくはずです。となれば最も頻出する文字を調べれば、それが統計上最も頻出する文字に対応している確率が高い……かも、しれません」
ここに来て、ようやくグラシア様の眼が見開かれる。
……頻度分析がこの世界で初めて発明された瞬間を、俺は今目にしているらしい。
なんならそこの二人よりも、内心ではびっくりしている。
たとえば普通の文章でもっともeという文字の頻度が多い場合。
ぐちゃぐちゃの暗号文を一文字ずつ数え上げ、kという文字が明らかに頻度が多いなら、それがeに対応している可能性が高いと言えるだろう。
「出現頻度の多いの文字と、極端に少ない文字。また、冠詞や語尾の形など、頻出するパターンも全て研究によって体系化されています。これを用いれば……どの文字がどれに対応しているかを割り出すことは不可能ではないかと愚考します」
「そ、それってつまり……鍵がなくても、暗号が読めちゃうって事……⁉」
「……はい。この仮説が正しければ、ですが」
「い、今すぐ初めて! ほら、こんなことで時間を無駄にしてる場合じゃない! 作戦室に行くわよ……!」
グラシア様はニーアの手を引いて、飛ぶように部屋を出ていってしまった。
これは……ヤバいな。
暗殺未遂の件がうやむやになっちゃったけど、それどころじゃない。
俺は知識として、この『頻度解析』という手法が暗号を破れる事を知っている。
これで暗号が読めるようになったら、王国内部の情報は筒抜けになったも同然だ。
そうなれば、王国相手にめちゃめちゃ優位に立ち回れるだろう。
もしかすれば、今の貧弱なゲティアで王国との戦争に勝つことだって――――




