110 反逆の工作
「何故だ何故だ何故だ! なぜここまで押されている!」
エンデ北西部の草原に仮設された作戦本部。
次々と入って来る退避報告に王国参謀長が声を荒げる。
用いる大砲も、計算方式も同じ。
暗号技術は手に入れ、解読前提で双方が命令を出し合っている。
まともにやり合えば、資源と数、そして最強の城壁を持つ王国軍と魔族軍では、完全に勝負はついている。
はず、なのに……!
「北東部、戦線は城壁まで撤退!」
「西部戦線、固定砲台に甚大な被害が……!」
「み、港からも敵影があります! こちらに人員を……!」
こちらの大砲はいくら打っても当たらず、敵は同じ射程圏から正確に打ち込んでくる。
重要情報は傍受できないよう、オーブ通信を避けて行っている。
なのに、なぜか行動が先読みされているような……!
「あぁクソッ……!」
参謀長はテーブルを蹴飛ばすと、そのまま司令部の仮設テントを出ていく。
ばらばらと落ちた資料を、傍に控えている小鬼奴隷が、慌てて拾い直す。
参謀長が出ていくと、司令部は議論を再開する。
報告が響くたびに素早く地図上の駒が動かされ、参謀たちによる使兵の議論が進んでいく……
その、誰もが戦線に夢中になっている指令室の中で。
一人の小鬼奴隷が、落ちた資料の一部を懐に入れた事には誰も気づかない。
小鬼は滑らせるようにテントの外に紙を出すと、外で屈んでいた別の小鬼がそれを手にする。
すぐにそれは、重たい食料を運ばされていた小鬼の荷台に忍び込まされ。
次々と奴隷たちの手を渡って……最後には、とある二人の小鬼の元へと渡った。
「これは……傷病者数の報告書ですか」
「なにそれ。何に使うの?」
イザヤの見つめる報告書を、アビスがひょこりとのぞきこむ。
「傷病者はつまり、現状の戦力からどれだけ兵力を削れたかを示します。これは戦力の残量の推定に直結する、重要な情報なんですよっ」
ほえーっと感心したような顔をするアビスに、イザヤは野営地の影に屈みこんだ。
地面を手で探ると、土を被せられた小さなオーブが出て来る。
「ねぇ、なんでこの国の小鬼族たちは、こんなに協力的なの?」
「ふふん。これはですね、ディアロ様の事前工作のお陰なんですよっ」
イザヤの言葉にアビスが首をかしげると、隣に座り込むゼタも一緒にマネして首を傾げた。
イザヤは痒そうに首元を掻く。
ここ数日、まるで風呂に入れていない。
「ディアロ様はスパイ網から、王国が『魔族軍が小鬼族を奴隷身分から解放することを求めている』という情報を、意図して国内に明かしていないことを知ったんです」
「……なんで?」
「小鬼族の気持ちに立てば分かるはずですっ。彼らは奴隷として王国のために働かされてはいますよね。本来はそれ以外のことは考えませんが……王国が負ければ自由になれるかもしれないと分かれば……」
「そっか。みんな、王国のために働きたくなくなりそう」
言いながらアビスは辺りを見渡し、裸足で荷物を運ばされている奴隷たちを見やる。
イザヤは喋りながらも、同時にオーブを一定のパターンで光らせている。
「そこで、ディアロ様がスパイ網を通して噂をお流しになったんですっ! そうしたら作戦通り、小鬼族の中で徐々に魔族軍に勝ってほしいという考えを持つ者が増えていったんですね!」
「ふーん。でも、おっきい反乱みたいにはならなかったんだ」
「奴隷ですから、何か少しでも反抗の兆しを見せれば彼らは躊躇なく殺されますっ。噂程度のことを信じて、命を投げだす人は流石にあまり多くありませ――」
「おいそこ、何サボってんだぁ!」
背中越しに蹴飛ばされ、イザヤは体ごと吹っ飛んだ。
軍服に身を包んだ男が、汚らしいものを見るようにこちらを見下していた。
「…………!」
声を出さずにぺこぺこと頭を下げ、アビスと一緒に地面に頭をつける。
奴隷の身分で、人間相手に声を上げることは不敬だからだ。
「ケッ! クソが、この忙しいのに休んでんじゃねえよ! さっさと仕事にもどれ!」
男は苛立ち紛れに地面を蹴り、二人の頭に土砂がかかる。
アビスは心配そうにこちらを横目で見て来るが、男がその場を離れていくまでイザヤは頭を地面にこすりつけていた。
「お、おねーちゃん、アイツ行ったよ、大丈夫だった……?」
「大丈夫ですっ。アビスこそ、まだ髪に土が……」
奴隷というのはこうなのだ。
意味もなく虐げられ、どれだけ頑張ってもゴミとして扱われ続ける。
だからこそ、この戦争には勝たなくちゃいけない。
「毎日こんな扱いを受けていたら、彼ら奴隷は反抗する気を失います。ですから、彼らにもできる事をお願いしたのです。昨日はイザヤとゼタに、鍛冶場の方へメッセージを届けさせましたよね?」
「あー、うん。でもなんて……?」
「あそこには、鋳造する鉄の純度から、鉄の弾の大きさや重さ、精製する火薬の質な量を、バレない程度にばらけさせるよう指示が書いてあるんです」
したり顔で言うイザヤに、アビスは驚く。
「あぁ! そういえばさっき、砲兵部隊がすっごく怒られてた!」
「その通り、あれは砲兵部隊が下手だから大砲が当たらないのではなく……」
「工作のおかげ、だったんだね! 火薬とか砲弾の重さがばらばらだったら、計算もおかしくなるんだ!」
目を輝かせるアビスに、イザヤは声を低めるよう口元に指を立てながら。
「他にも、食糧庫の小鬼族に既定の量より少なく配給するよう頼んだり……バレないように、この軍の地盤を揺らがせる工作を行っているのです」
アビスは納得したように頷く。
一人一人の食料がほんの少し少なくなるだけでも、これが積み重なれば、どこかで不具合が生じる。
集団の不和というのは、そういう小さな積み重ねなのだ。
「肉体同労の分野の殆どには、奴隷の小鬼が多くいます。本来なら敵国に裏切れなんて言っても、処罰を恐れて誰も耳を傾けてくれません。ですが噂によって、魔族軍に協力するメリットを植え付けて……発覚しづらい、ローリスクな反抗を提示する。これを至る所で行わせれば……一国を揺るがすことだって出来るんです」
「……スゴすぎる! お姉ちゃん、やっぱ天才だよ!」
「いえいえ、これはディアロ様の発案ですから」
「これもあのひとが? こわい顔して、けっこうやるんだなー」
感心しているアビスに、イザヤは嬉しそうにふふんと鼻を鳴らす。
「じゃあさ、このオーブも作戦のうちなの? これで情報を魔族軍に流してるんだよね? これずっと気になってたんだけどさ、周りにバレないの?」
「良い質問ですねっ!」
ニヤリとイザヤが言うと、地面に埋められた小さなオーブを、ひょいっと持ち上げる。
その下には、もう一つの小さなオーブが。
「オーブはその大きさと形で、信号の届く距離と方向を変えることが出来るんです。ですから、殆ど遠くに届かないような小さなオーブを地中に埋めていって、線のようにすれば……」
「そっか、それを伝っていくから、途中で他のオーブに受信されることは無いんだ」
言いながらイザヤは、ん? と首をひねる。
「でも、それってすごく長い線を埋め込んだってこと……?」
「大変でしたよ、本当に……。沢山の人に作業を割り振って、少しずつ行うことでようやく……」
と、肩に荷物を担いだ奴隷が傍を通り、二人の顔を見ずに紙をすっと落としてくる。
アビスがすぐにそれを拾い上げ、見つめてみる。
「……これなに? すごい沢山数字が書いてあるけど」
「あぁ、ようやく来ましたか。これは……偽の対数表ですね。下一桁だけを変えているので、軌道計算が少しずれるようになってるんですが……。分らないですよね」
「うん。数字はよく分かんないや」
えへへと笑うアビスは紙を渡そうとするも、イザヤは手を引いて。
「今から仕事ですよ。これを、本物とすり替えて来て貰います」
「あそっか、すり替え任務ね? ほらゼタ、仕事……。……寝てる?」
「す、凄い神経をしてますね、これだけ砲音が飛び交う戦場で……」




