109 大賢者エレミア様
「王都に攻め入る……? 本当に、魔族軍はそう命令したのか?」
怪訝な表情をする少女に、獣人は頷く。
「そのようです。三大国の協力を妨害した今が好機だと、そう判断されたのかと」
「しかし……魔族はそれ以上に戦力を削られているはずだ。ウルグガルグ軍による挟撃で一度致命的な被害を受けている。弾道計算の技術を盗ませたのは、魔族軍も察しているはずだが……」
「はい……暗号解読の技術も盗ませため、双方に技術的な差は存在しません」
少女はしばらく考え込む。
経済が低迷しているとはいえ、純粋な戦力は明らかに王国に軍配が上がる。
魔族軍が今まで勝てていた理由は全て除いた。
「ならば敗北はあり得ない。攻城戦は、圧倒的な力の差がない限りは実行不可能だ。なんとしてでも王都を死守し、立て直せ」
―――――――――――――――
王国軍の大砲の射程が急激に伸びた……か。
リヴィゼが言うには、向こうも対数表を手に入れてるに違いないという。
これによって弾道計算によるアドバンテージは消えた。
それに、こちらの行動を先んじて潰す行動が増えてきているらしい。
暗号解読技術も、ついにバレたみたいだ。
独自技術によるアドバンテージが、どんどん崩されていっている。
暦のタイムリミットまでは、あと五日。
ここまでに戦争を収めないと、暦を変えたところで天界からの干渉は受けられない。
確かにヘロシュ、ユゴルア、ウルグガルグの問題は全て解決した。
けれど最後にあと一押し、何かが必要だという事だろう。
それはやっぱり……
「……あぁ⁉ ま、魔導書! ボクの魔導書! よ、ようやく返してくれる気になったの⁉」
「まぁ……そうですね。その代わりに、力を貸して欲しいというわけで」
「……ま、また? この間も力を貸したのに、結局うやむやにされて……」
「い、いやぁ、なかなか会う機会がなかったもので。今度こそ、本当に返させていただきますよ」
言葉を交わしながら、俺はエレミアの表情を伺う。
うーん。演技しているようには……見えないんだけどな。
この人があの、黒幕と同一人物だとはとても……
「それで、ボクに何をしろっていうんですか」
「えっと……今、エンデ王都では、魔族軍による攻城戦が仕掛けられてるんです。そこで……王都の城壁内の光景を、写していただきたいんです」
「写す? 念写か何かで? なんでそんなこと?」
「その情報を、魔族軍に流すんですよ。ユニットの位置や、配置などを逐一報告するんです。そうすれば……」
俺の提案に、エレミアの表情が曇る。
マズいか、これは。
「ボクは賢者なの、分かってる? 人々のために色々なことをしてきたけど、特定の国のために、他の国の人を殺す手伝いをするようなことはしないよ!」
やっぱり断って来るか。これは……
「そうしなければ、魔導書を返さないとしたら?」
「そんな脅しには乗らない! ボクは賢者なの、私利のために戦争に加担するなんて論外!」
と、エレミアが憤然と否定していると、手元に握っていたオーブが光を放った。
ニーアさんからの通信、これは――――
『イマ ホウコクヲ オエタ』
……なるほど。やはり、確かめておいて良かった。
「な、なーんて、冗談です。魔導書は、お返ししますよ」
「……はい?」
「お返ししますと言ったんです。ほらこれ、どうぞ持って帰ってください」
エレミアは何が起きたのかを理解できていないらしい。
つまり……俺が未来で殺されそうだったエレミアと、目の前に居るエレミアは別人なのだ。
ヨクトは、単にエレミアの姿を借りて俺の前に現れただけ。
というか今考えれば、あの時のエレミアは口調も一人称も、何もかも違っていた。
「か、返してもらっていいの? ボク、何にもしてないんだけど……」
「……要らないならこちらで処分しときますが」
「い、いや! 要ります、持って帰らせてもらいます!」
いそいそと本の方へ駆け寄ると、背表紙に通された紐を肩に通しながらエレミアはこちらを見上げ。
「ただ……そのまま人の善意に付け込むってのもいやだな」
「……というと?」
「だから、ちょっとだけなら手を貸すよ。直接戦争に利用しないって誓うなら、だけど」
「本当ですか! なら……これ」
言いながら俺は、傍に置いていた小さな箱を差し出す。
開けて見せると、その中には……砂粒のような小さなオーブがびっしりと詰まっている。
「これをですね、エンデ王国の中で奴隷として虐げられている小鬼たちに配って欲しいんです」
「……今、随分スムーズにその箱を出さなかった?」
「な、何がですか」
「準備してたよね⁉ ボクの善意まで先読みしてたの⁉ 凄い心外なんだけど!」
きいきいと叫ぶエレミア。
まぁ、それは否定できないんだけど。
「お、落ち着いてください。これはですね、虐げられて不当な扱いを受けている小鬼たちを救うことが目的なんです。ほら、賢者様として、人々が虐げられてるのは見逃せないですよね?」
「まあ、それはそうだけどさ……」
「ですよね! ならほら、これが場所のリストです。そこに一斉にこのオーブを配って、通信手段を……」
「り、リストまで作ってるじゃん! やっぱりコレ、最初からボクにやらせるつもりで準備を……!」
不都合な真実に気づき始めたエレミア。
面倒なので、俺は力技を使って丸め込むことにする。
「はいはい。なら手伝っていただけるというのは嘘だったんですね。期待させておいて、ひどいですよ」
「へ? い、いや、違……っ!」
「今も小鬼たちは虐げられているんですよ。ひどい扱いを受けて、命を弄ばれて。彼らは救世主を待ちわびているんです、かわいそうに」
「う……。そ、それは、分かってるけど……で、でも……」
あえて責め立ててみると、明らかに賢者様は葛藤し始めた。
あと一押し。
「賢者様は、彼らを助ける手立てがあるんです。なのに何かと言い訳して、助けようともせず……そうやっている間にも、沢山の命が……」
「ああもう! 分かったよ、やらせていただきます!」
よし。論点のすり替え成功。
やけくそになって叫ぶエレミアに、俺はしれっと追加で条件を出す。
「本当ですね? ならもう一つ、いや……三人を同じ場所に送って欲しくてですね」
「え? な、なんで……?」
「一度会ってるはずです。ウルグガルグへの使節に紛れ込ませたアビスって子と、その妹さん……みたいな子」
「うん、覚えてるけど……もう一人の方は、ボクには見えなかった子だよね? それで、三人目は?」
「それがその……イザヤという、これまた小鬼族の方で」




