第一話
あれ?
あそこで立って居るのは、
「父様」
早朝。
体を鍛えることを己のライフワークにしているゼン様に付き合って、まだ薄暗い廊下を歩いていたら、既にきっちりと執事の制服に身を包んだ父のトラントに会った。
「おはようございますゼン様」
「おはようトラント」
「おはようございます父様」
「おはようマリア。眠そうだな」
「す、すいません」
さすが父親。
密かにかみ殺した欠伸を見咎められて、私は縮こまった。
そうなんです。
ものすごく眠いんです。
実は昨日メイド仲間から貸してもらった、ミステリー小説『秘密探偵と始末屋』を読んでいて一睡もしていない。
あと少しだけ、もう少しだけと読んでいるうちに、気がつけば夜明けを迎えてしまっていた。
とりあえず始めのさわりだけだからと、ベットに持ち込んだのが敗因に。
くっ。
自らの体調管理も出来ないなんて、一流のメイドとして不覚でした。
「トラントは今日も渋くて男前だな」
「ありがとうございます。ゼン様もとても魅力的でございます」
目の下に隈を拵えた私とは逆に、今日も絶好調なゼン様。
そんな主の賛辞を、さらりと涼しい顔をして受け流す父も、数少ないゼン様の秘密を知る一人。
もっと詳しく言えば、私をゼン様付きの専属メイドにした当事者の一人なのである。
◇◆◇◆◇◆◇◆
時は遡ること20年前。
後に『白薔薇事件』と名づけられる、ゼンとマリアを結びつける切欠となった騒動がユーリウス邸で起きていた。
「大きくなったらお父様と結婚する」
午後の暖かな日差しに包まれた屋敷の庭。春摘みのハーブティーを楽しんでいたユーリウス夫妻は笑顔で駆けて来た息子の一言に固まった。
『 大きくなったらお父様と結婚する 』
『 父様と結婚する 』
『 父様と 』
リフレインする息子ゼンの台詞。
―――おい、お父様って誰だ?
・・・わたしだ。
―――結婚したいだって?一体誰と?
・・・お父様とだ。
―――まて、お父様って誰だ??
・・・わたしだ。
―――それで、結婚したいだって??一体誰と??
・・・お父様とだ。
たっぷり数十秒かけて思考の海に沈んだ後、ティグレ・ユーリウス伯爵は激しく頭を振った。
―――否!
否。否。否。否。否。否。否。否。否。否。否。否。否。否。
断じて否。
『お父様と結婚する』なんて絶対にわたしの聞き間違いだ!
これは・・・これは、幼い息子から・・母親へのプロポーズに違いない!!
「・・・」
「・・・」
いやいや、まて自分よ。現実を受け入れるんだ。
最近4歳になった息子のゼンは確かに流暢に喋るようになったが、まだまだ幼い。
『お父様』と『お母様』とを言い間違う事ぐらいあるだろう。
よし。これに決定だ。
今のは言い間違え。他意はない!
ティグレの中で息子の台詞はいい間違えに決定した。
これは愛息子の無知故の純粋なプロポーズ。
そう考えれば何もそんなに驚く程の事じゃない。
男の初恋はほとんどが母親で、
わたしだって幼い頃、庭で摘んだ両手一杯の花を手に母親へ愛の告白をした覚えがあるじゃないか。
優しく母の肩を抱く父に向かって対抗心を燃やした頃を思い出し、感慨にふける。
自分が過去に経験した事に当て嵌めてみればなんて事はない。
ようやく気持ちに余裕が生まれたティグレは席を立ち、屈んでゼンと視線を合わせた。
「ゼン、よく聞きなさい――お母様とは結婚出来ないんだよ」
「お母様じゃありません。僕が結婚したいのはお父様です」
きっぱりと、そう言って目の前に一本の白い薔薇を差し出すゼン。
「!?」
白い薔薇はわたしが一番好きな花だった。
「でも、お父様とお母様が結婚して夫婦なのは知っています。だから妻に成るのは諦めるので、愛妾にして下さい」
「あ、あ、あ、あ、愛妾!?」
「はい。第二婦人でもいいです」
無邪気な声でとんでもない事を言ってくるゼン。
息子の本気を知った父は今度こそ氷ついた。
あ、愛妾なんて言葉、一体何処で覚えてきたんだ!?
親が決めた政略結婚ではあったが、わたしは妻のマリアンヌを愛している。
神に誓って婚約が決まってからはマリアンヌ以外に目をやった覚えはない。
信じてくれマリアンヌ!
――て、違うだろう!
親子は結婚出来ないと教える方が先のはずだ。
――――て、それも違う!冷静に成れわたし!!
もっと根本的な部分で、そもそも男同士は結婚出来ないんだと言うべきだろう!?
いや、しかしこれは改めて教えるべき事なのか?
くそ!一体誰だ息子におかしな事を吹き込んだのは!?
「お父様?」
ひっ!?
た、助けてくれマリアンヌ!
援軍を求め、先程からずっと黙ったままの妻に目を向ければ、既に気絶していた。
マリィー!!!?
「あの・・・お父様?」
「っ!?」
ティグレ・ユーリウス26歳。
17歳の頃から近衛兵として王の傍に仕え、何度も命を危険にさらしてきた。
腹を刺され、本気で死に掛けたことだってある。
だが、かつてこんなに得体の知れない恐怖を感じたことがあっただろうか。
「お、お父様のストライクゾーンは年齢差10歳までだ!!」
曇りの無い瞳で見上げてくるゼンに、混乱してティグレが叫んだこの台詞は、今日の事件と一緒に厳重に封印された。
◇◆◇◆◇◆◇◆
白薔薇事件によって発覚したゼン様の性癖。
外聞を重んじる傾向が強い貴族社会で、古い歴史があるだけに、外にこの秘密が漏れる様な事があれば爵位剥奪上お家取り潰しの危機。
進退窮まったお館様が相談した相手が、子供の頃からの親友であり代々ユーリウス家に仕えてきた父のトラントだった。
―――分かりました。ユーリウス家の秘密は我々親子が必ずお守りします。
熟考の末、父が秘密を守るために打った手。
それが当時0歳だった娘の私を、将来ゼン様付きの専属メイドにすることだった。
信頼のおける者をゼン様の傍に配置し、全面的にサポートする。
本来なら異性ではなく、学友も兼ねた同姓を宛がうべきなのだけれども、事情が事情。
万が一道徳教育が失敗に終わったとしても、女の私ならゼン様に喰われる心配はない。
そんな地味に女の尊厳を傷つける理由もあって、私はゼン様付きになった。
―――『マリア、これからゼン様を頼んだぞ』
―――『はい。マリアにお任せ下さい』
6歳になった私が、10歳のゼン様に仕えるようになって14年経つ。
「マリア、今日もゼン様を頼んだぞ」
「もちろん、お任せください」
年頃の女の子が変態のサポートをするのに不満が無かったわけじゃない。
今だってど突き倒してしまいたくなる事は沢山ある。
だけど、何だかんだいいながらも12年間もメイドを続けていられるのは、それが私の天職だからだろう。




