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第84話 虎のおっさんはなぜか後方腕組み父親面

 六の月下旬、すっかり元の領主生活の勘も戻ってきた頃、私はふと思い立ったように灰狼の訓練場に足を運んだ。

 灰狼(アッシュウルブズ)――有事の際には徴兵された領兵だけでは不足する分を補うべく、即応部隊として動くことができる私の私兵部隊だ。


 以前ヴァリャーグの工作拠点となっていたノースウッド商会に対して、私は彼らと共に摘発を行った。

 エルベ谷防衛戦でも彼らの働きには助けられたし、即応性という点では私兵部隊というのはやはり有用だと思う。

 まあ規模が大きくなりすぎると私兵部隊というものは独立性を強めてしまうから扱いが難しくなるのだが、そもそも維持に多額の費用がかかるのでそこまで規模を拡大できるものではないけどね。


 訓練場に着くと、すでに何人かの灰狼の兵士たちが朝の鍛錬をしていた。

 その隅で木剣を素振りしているアルフレッドの姿が目に入る。


 私がここを訪れた目的――アルフレッドの鍛錬を見ておきたかったからだ。

 エルベ修道院でハーラルが「領都に着いたら太刀筋を見てやる」と言っていた約束。

 あれからアルフレッドは私の執務の補佐をする一方で、こうして時間を見つけては灰狼の訓練場を使った鍛錬をしていた。

 

 額に汗を浮かべ、一振り一振りを丁寧に、しかし力強く。

 素人の私が見ても、その動きには無駄がない。


「やあ、お嬢様じゃないですか。珍しいな、訓練場に顔を出すなんて」


 声をかけてきたのは灰狼隊長のレオニス・バイアーだった。

 金髪のイケメンではあるが、騎士服を着崩したチャラい遊び人という印象であるが、その実力は折り紙付きだ。


 彼の傍らには人の身長ほどもある特大の長弓が立てかけてある。

 この特大弓こそが、彼の武器であり持ち得る技量の象徴だ。

 到底普通の人間では引くことのできないこの弓を、レオニスは身体強化魔法で容易く引き、正確に標的を射抜く。


 このバカでかい弓から放たれる杭のような矢は、敵を貫くなんてものじゃない。

 さながら対物ライフルのように胴体に当たった瞬間、胴体ごと真っ二つに吹き飛ばす。

 先のエルベ谷での戦いは彼の狙撃が敵の進軍を大きく遅らせたのだ。


「たまには部下の様子を見に来るのも領主の務めでしょ」


「殊勝なこってございますねえ。で、本音は?」


「アルフレッドの稽古が気になっただけよ」


「いやあ、彼は熱心だ。毎朝一番乗りで来て、うちの連中が来る頃にはもう汗だくだ」


 レオニスは感心したように肩をすくめた。


「弓兵のあなたが彼の稽古を見てるの?」


「まさか、俺の本職は弓ですぜ。そりゃあ最低限の剣術は心得てますけど、教えられるほどじゃあない。というか剣ならアルフレッドの坊ちゃんのほうが俺より上でしょう」


「へえ……あなたがそういうなら、相当ね」


「今日はハーラルのおっさんが来るそうなんで、気合い入ってるみたいですよ」


 ハーラルは鉄の牙の団長やっている以上、自分の任務があるから常に訓練場に顔を出せるとは限らない。

 数日ぶりのハーラルによる指導、ということなのだろう。


 そうこうしているうちに、訓練場の入り口に大きな影が現れた。

 白い虎頭の偉丈夫。背中の大剣が朝日を受けて鈍い光を放っている。

 ハーラルだった。


 アルフレッドが素振りの手を止めて姿勢を正す。

 ハーラルは無言で歩み寄ると、背中の大剣を壁に立てかけ、脇に置かれた一本の木剣を取り上げた。


「――来い」


 一言だった。

 アルフレッドは木剣を構えた。

 最初の打ち合いは、ほんの数合。鋭い踏み込みと流れるような剣戟。

 だがハーラルはそれに動じることなく、アルフレッドの太刀筋をいなしていく。

 ただ、それだけでアルフレッドの体勢がよろめく。

 純粋な膂力の差。アルフレッドの頭二つ分以上背の高い巨漢が片手で押し返しただけで、彼の構えが崩れる。


「もう一度」


 ハーラルが言い、アルフレッドが再び構える。

 二度目も、三度目も結果は同じだった。

 剣戟の技術では引けを取っていない。むしろアルフレッドの足捌きはハーラルでさえ一瞬目を見張るほど軽やかだった。

 だが剣と剣が打ち合った瞬間、体格差という物理法則が全てを押し潰す。

 何度やっても、力負けする。

 十合ほど繰り返した後、ハーラルが木剣を下ろした。


「――悪くない」


 息を切らすアルフレッドに、ハーラルは腕を組んで言った。


「型は申し分ない。基礎を叩き込んだ師は相当な使い手だろう。足捌きや踏み込みの角度、間合いの取り方。これは教えて身につくものじゃない。生まれ持った勘だ」


 アルフレッドの目が少し明るくなった。

 だがハーラルの次の言葉が、その光を曇らせた。


「だが――お前には致命的な弱点がある」


「身体の大きさ……ですね」


 その言葉にハーラルは僅かに頷いた。


「ああ。線が細い。骨格そのものが華奢だ。これは鍛錬でどうにかなるものじゃない。正面から打ち合えば、お前はいずれ力負けする。どんなに技が冴えていてもな。筋肉そのものはいくらでも鍛えられるが、骨格の限界はどうにもならん。そして、骨格に見合った筋肉量でなければ動きが鈍くなる」


 骨格に見合った筋肉か。

 そういえばスポーツ選手もただウエイトトレーニングをひたすらやればいいというものではない。

 昔野球選手で、ゴリマッチョの体格になってしまったせいで動きが鈍くなって怪我をしやすい体になってしまった選手がいたっけ。

 それを鑑みると、アルフレッドがつけられる筋肉量の限界はハーラルに比べるとかなり低いのだろう。


 アルフレッドは黙って唇を噛んだ。

 分かっていたのだろう。自分自身の体のことだ。誰よりも本人が理解しているはずだった。


「……俺にも兄貴のような体格があればな」


 ぼそりと、アルフレッドが呟いた。

 ブラックウォール公爵家の嫡男レオフリック。父エルウィンに似た大柄でがっしりした体躯の兄。

 あの体格があれば、自分の剣才はもっと生きるのに――そんな悔しさが滲んでいた。


「兄か。確かにブラックウォールの公爵は大柄だったな。嫡男もそうなのか?」


 ハーラルが興味を示した。

 体格に恵まれた兄が、弟と同じ剣才を持っていたなら――それは確かに脅威だろう。


「いや……」


 アルフレッドは苦笑した。


「兄貴の剣はさっぱりだ。体は親父譲りなのに、剣の才はまるでない。下手したら姉上にも負ける。だから――勉学を励み文官の道を目指している」


「ほう。それは意外だな」


「姉上はなんでもそつなくこなせるんだ。得意なのは魔法だけど、嗜みととして剣も馬もそこそこできる。正直――次期当主の資質としては姉上が一番向いていると思うよ」


 ハーラルはふむ、と顎に手を当てた。


「才は残酷だな。体格に恵まれた兄には剣才がなく、剣才に恵まれた弟には体格がない。そして姉弟で最も当主の資質に近い娘は女ゆえに当主の道よりも王妃として――」


 ハーラルは途中で言葉を止めた。

 彼とてエセルがどうなったことはすでに知っているのだろう。

 当事者の一人であるアルフレッドの前で話題にするのは憚られた。


「……ええ、まあ。女神様ってのは意地が悪い」


 アルフレッドは自嘲気味に笑ったが、その目には諦めの色はなかった。


「なら正面から打ち合うな。お前の足捌きなら、回り込んで側面や背後を取る戦い方ができる。力で劣るなら速さと角度で補え。それを掴め」

 

 ハーラルの言葉に、アルフレッドの顔がぱっと明るくなった。


「はい――よろしくお願いします!」


 レオニスが私の隣で小さく口笛を吹いた。


「あの虎のおっさん、存外面倒見がいいな」


「意外?」


「傭兵ってものは技を教えるのを嫌がるもんですぜ。自分の飯の種だからな。それをあっさり教えようってんだから、よっぽど気に入ったか――それとも」


「それとも?」


「イリヤのおっさんから聞いたぜ、虎のおっさんには娘がいるんだって? 娘に向き合う勇気がなくてウジウジしてるとか」


「なんだレオニスも知ってるのね」


「イリヤとはちょくちょく飲みにいく仲だしな。娘にできない父親面を、アルフレッドの坊ちゃん相手にしてるんじゃないですかね?」


 あ~なるほど。そういうことね。

 ハーラルがアルフレッドに熱心に教え込む理由は、もしかして彼自身に無意識のうちに父親としての代償行為をしているのかもしれないわけか。

 ……早くアストリッドに父親であること明かせよ。

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