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第82話 そして懐かしの我が家へ

「……少し、外の空気を吸ってくる」


 そう言い残して、ハーラルは食堂を出ていった。

 おそらくはアストリッドの顔を見るために。


「ちゃんと名乗れると思う?」


「まだ無理だろ。だが少なくとも向き合うつもりにはなったさ」


「まどろっこしいわねえ……さっと名乗り出て、あとは親子水入らずで楽しく語り合えばいいじゃない」


「それができりゃあ苦労しねえよ。向き合おうとすればするほど、踏み出すまで勇気がいるもんだ。十数年分の一歩の勇気がな。まあステラの嬢ちゃんがガツンといったのはいいきっかけになったと思うぜ」


 イリヤが煙草に火を点けて紫煙を燻らせる。

 食堂で何本も吸わないで欲しいんだけど。


「でもまあ、イリヤが付き合ってあげてるとは意外ね。あなた案外世話好きなの?」


「おいおい、人を冷たい人間みたいな言い方はよしてくれ。大の男が真剣に悩んでるのを見りゃ手助けしたくなんだろ?」


「……手助けするなら私みたいにちゃんとはっきり言ってやればいいのに。男ってそういうとき『時間が解決してくれる』なんて曖昧な助言で済ませたがるの変」


 と、ステラが口を挟む。

 私と二人きり以外ではあまり会話に混ざらない彼女ではあるが、ハーラルに関しては何か思うところがあるのか口を出してくる。

 まあ確かに私もさっさと名乗ればいいのに、という気持ちはあるけどね。

 

「そういうのが男心ってやつさ」


「……面倒くさ」


 イリヤは肩をすくめて次の煙草に火を点けた。


 ※


 しばらくすると、食堂に別の人物が入ってくる。

 アルフレッドだった。

 額に薄く汗をかいて袖を捲り上げた姿で現れた彼は、私たちの姿を見て軽く頭を下げた。


「リリアーネ、ここにいたのか。朝から姿が見えなかったから気になってた」


「ごめんね。ちょっとお客さんが来てて」


「お客さん?」


 アルフレッドの視線がイリヤに向く。

 厳つい狼頭のおっさんというどう見ても修道院に似つかわしくない風貌の男を前に、アルフレッドは少し身構えた。


「紹介するわ。グレイハウンド商会の代表、イリヤ・ヴォルージン。アッシュフィールド領の港湾を仕切ってくれている大事な商人よ」


「イリヤだ。よろしくな坊主」


「……アルフレッド・テルス・ブラックウォールです」


 アルフレッドが名乗ると、イリヤの灰色の耳がぴくりと動いた。


「ブラックウォール? あの公爵家の?」


「はい。次男です。今回は姉上の護衛として一緒に同行しました」


「向こうでは色々と大変なことになってるみたいだな。公爵家もとんだ災難だ」


「ええ、まあ……」


 アルフレッドもどう反応してかわからず曖昧に返事を濁す。


「――イリヤ、アルフレッドはこの後グレイヴィルにしばらく滞在するわ。場合によってはあなたの商会にも出入りするかもしれないから、色々と面倒見てやってちょうだい」


「ああ、構わねえ。しかし……お嬢が男を連れ込むたあ。随分成長したもんだぜ。お前さんにはそういう浮いた話の一つぐらいは必要だろ」


 イリヤはニヤニヤと笑い、おかしそうに肩を揺らす。

 いや別にそういう意味じゃねえっつの。


「いや……俺とリリアーネはまだそこまでの関係じゃなくて……」


「カカカ、坊主より格上の伯爵様が呼び捨てを許してる時点でかなりだろ」


「ちーがーうー! “様”付けだなんて他人行儀で呼ばれたくないからって理由よ! ねっアルフレッド!」


「まあ、それは……そうだけど」


 アルフレッドも困ったように笑う。

 あんたもそこはちゃんと否定してよね。そうじゃなきゃ誤解されちゃうじゃない。


「で、ステラの嬢ちゃん、実際のところはどうなんだい?」


「ん、ブラックウォール公爵はリリアーネのことがお気に入りみたい。本格的な“お付き合い”になるかはわからないけど」


「ちょっ! ステラ!」


「ハッ、公爵閣下公認なら喜ばしいことじゃねえか。頑張れよ坊主。うちの商会が応援してやるぜ」


 ステラの裏切者めぇぇぇえ!!!

 うぐぐ……完全に勘違いされてる。

 いやいいんだけどさ。アルフレッドのこと嫌なわけじゃないけど……ああ、もう!!


「そんなことより! アルフレッドは朝から何をしてたの」


 イリヤが露骨に「話題を変えやがった」とニヤニヤする中、私は強引に話題を変えた。

 アルフレッドは戸惑いながらも微笑んで話を切り出してくれる。


「朝一で兵士たちを見送った後、フランツ司祭に何か手伝えることはないかと聞いて、とりあえず薪割りと水汲みと、あと礼拝堂の椅子の修繕も」


「あらまあ、働き者ね」


「修道院で剣の素振りをするわけにもいかないし、身体を動かさないと落ち着かなくて」


 うーん、公爵家の令息を働かせてしまったことでフランツ司祭がまた胃を痛めてなければいいが。


 その後他愛のない雑談をしていると、やがてハーラルが戻ってきた。

 大柄な白虎の偉丈夫が食堂の入り口に現れた瞬間、アルフレッドの表情が緊張を帯びたものになる。

 驚き、というよりは武芸を嗜む者として、強者に対して本能的に身構えたのだろう。


 まあ無理もないか。虎頭の巨漢が大剣を背負って入ってくるのだ。

 アルフレッドは反射的に腰を浮かせ、椅子から立ち上がった。

 その立ち上がり方を、ハーラルの獣の瞳が捉えた。


「……ほう」


 低い声で、ハーラルが呟いた。


「伯爵殿、こいつは?」


「アルフレッド・テルス・ブラックウォールよ。しばらくうちで預かる客人よ」


「ブラックウォールの……ああ、公爵家の」


 ハーラルはアルフレッドの前に歩み寄った。

 大剣を背負った偉丈夫と線の細い十五歳の少年。体格差は歴然だった。

 アルフレッドは一瞬たじろいだが、臆することなくすぐに背筋を伸ばして正面からハーラルを見上げた。


「……リリアーネの紹介に預かりまして、アルフレッドと申します」


「ハーラル・ラグナルソン。鉄の牙の団長だ」


「鉄の牙――」


 アルフレッドの目が少し広がった。

 鉄の牙。エルベ谷を巡る紛争で私とは敵対したが、今は私に雇われている傭兵団。

 アルフレッドがその経緯をどこまで知っているかは分からないが、傭兵団の団長という肩書きだけで、この男がただ者ではないことは伝わっただろう。


「手を見せてみろ」


「えっ――?」


「手だ。掌を上に向けて出せ」


 アルフレッドは戸惑いながらも、両手を差し出した。

 ハーラルはその掌を取って、じっと見つめた。指の付け根、掌の中央、親指と人差し指の間。

 たこの位置と厚みを、一つ一つ確認するように。


「利き手は右。長く鍛錬を重ねているが、変な癖はついていない。一通りの型は修めているようだな」


 すごい……掌を見ただけでそこまで分かるのか。

 アルフレッドは驚いた顔で彼を見上げ、ステラもハーラルの目利きを興味深そうに注視している。


「師に恵まれたな、坊主。ただ――」


 ハーラルはアルフレッドの手を離した。


「まだ実戦を知らない手だ」


「……その通りです。俺は実戦を知りません」


「だが型を知るということは、どのような戦場でもそれを生かせるように体に叩きこんだ証だ。お前はすでにそれが備わっている。これは一朝一夕で身につくものではない」


 ハーラルの声には軽蔑はなかった。

 実戦経験のない貴族のボンボンだからと見下すのではなく、むしろ鍛錬の賜物を素直に評価しているようだった。


「領都に着いたら太刀筋を見てやる。稽古の剣と実戦の剣は違う。その差を教えてやれるのは戦場を知っている人間だけだ」


「……いいんですか」


「嫌なら断れ。伯爵殿の客人相手に無理強いするつもりはない」


「いえ――お願いします!」


 アルフレッドが勢いよく頭を下げハーラルは軽く頷く。

 その様子を見ていたイリヤが煙を燻らせながら笑みを浮かべて言った。


「おいおい、ハーラル。将来有望な若者の面倒を見る前に、まずは自分の娘の面倒を見るべきなんじゃあないか?」


「……うるせえ黙ってろ」


 ハーラルの虎耳がぺたりと伏せられる。

 何の話かわからないアルフレッドはきょとんと首を傾げていた。


 ※


 翌朝、出発の支度を整えた。

 イリヤの荷馬車にはエルベ修道院のビールの樽とチーズの車輪が積み込まれている。

 私とステラ、アルフレッドはイリヤたちと合流して領都グレイヴィルへ向かう。


 出立の前に、エセルに挨拶をしに行った。

 扉をノックすると「どうぞ」と穏やかな声が返ってきた。

 部屋の中は公爵邸のものとは比べ物にならない質素な佇まいだった。

 小さな窓、木製の寝台、小机、燭台。

 エセルは清潔感のある黒の修道服を身に纏って静かに微笑んでいた。


「もう発つの?」


「ええ。イリヤたちと一緒にグレイヴィルまで」


 エセルは歩み寄り私の前に立つ。

 短くなった黒髪が肩口でふわりと揺れた。


「アルフレッドから聞きました。弟をよろしくお願いします」


「ええ、任せて」


 エセルはくすりと微笑む。

 そこに、傷付いた公爵令嬢の面影はない。穏やかに微笑み、修道女として生きていくと決めた彼女の気持ちがしっかりと形になったような笑みだった。


「あわよくばアルフレッドとリリアーネが結ばれて、わたくし――いえ、“わたし”はあなたは義姉になれたらいいと願っているのだけど――」


「もうっ、エセルまでそれ! まだそういう話になってないから!」


「ふふっ、気長に待ってますわ」


 そういえばエセルの口調が少し柔らかくなったような気がする。

 以前は少々お固く、公爵家の娘としての義務と責任を重んじていた彼女が、少し肩の力を抜いたような――


「エセルのおかげで私はこうして無事に領地に帰ってこられたわ。本当にありがとう――」


「いいのよ。わたしはあの時できることをしただけだから」


「無理はしないでね、エセル」


「ええ。あなたもね、リリアーネ」


 お互い様ね、と二人で笑った。


「さようなら、エセル」


「いいえ、さようならではないわ。同じ空の下ですもの」


「……そうね。同じアッシュフィールドの空の下、だもの」


 私はエセルの手をぎゅっと握って、それから離した。


 ※


 エルベ修道院の門の前。

 ハーラルの騎馬を先頭にイリヤの荷馬車、そして私とステラの馬車。最後尾にアルフレッドの騎馬が揃う。

 門の前にはアストリッドとフランツとエセル、そして書類仕事の片付けのため残るリュシアがいた。


「リリアーネ様ー! また来てくださいねー!」


「ええ、また来るわ。アストリッド、エセルのこと頼んだわよ」


「はいっ! 任せてくださいっ!」


 アストリッドが大きく手を振る。

 フランツは相変わらず胃を押さえながらも丁寧に一礼していた。


「仕事を片付けたら私もグレイヴィルに帰るわ」


「リュシア、帰る時一人で大丈夫なの?」


「私を誰だと思ってるのよ。魔物だろうが山賊だろうが聖銃で撃ち抜いてやるわよ」


 普段政治的なあれこれで滅多なことで聖銃を撃てないリュシアだけど、魔物や山賊相手なら容赦ないだろうなあ……

 運悪くリュシアに遭遇する山賊がいないことを祈るしかない。


「姉上……行ってきます」


「ええ、あなたの無事を祈っています。そして――わたしをいつ伯母にしてくれるか楽しみに待ってるわ」


「もうっ、姉上まで!」


 エセルのやつ虎視眈々と外堀を埋めにかかってやがる。アルフレッドまで困ったように顔を赤らめている。

 でもまあ、エセルがアルフレッドの幸せを願ってくれているのは嬉しいことだ。


「行くか、お嬢」


 イリヤが御者台から声をかけた。


「ええ。帰りましょう、グレイヴィルへ」


 馬が歩き出す。

 丘を下り、エルベ谷を抜けて、領都グレイヴィルへ。

 帰ったら溜まりに溜まった仕事が私を待っている。


 でも、不思議と億劫ではなかった。

 むしろ早く戻りたかった。自分の仕事場に。自分の場所に。

 初夏の風が、谷を吹き抜けていった。

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