第81話 ケモおじコンビ、再び
翌朝。
修道院の朝は早い。日の出と共に礼拝の鐘が鳴り、修道女たちが祈りの声を上げる。
私は客室の硬いベッドの上で目を覚まし、久しぶりに聞く修道院の鐘の音に耳を澄ませた。
隣の寝台のステラはもう身支度を済ませている。こちらの様子に気づくと「おはよう」と短く声をかけてきた。
「今日はどうする? もうグレイヴィルに戻る?」
「んー……そうね。せっかく領地に帰ってきたんだし、もう一日くらい羽根を伸ばしてもいいかしら」
二ヶ月にも及ぶ王都生活から解放され、思う存分くつろぎたいという気持ちはある。
領都の屋敷に帰ったら、溜め込んだ書類や報告書に追われるのだからね。
――という理由もあるが、本音はエセルと別れるのが名残惜しいという気持ちだった。
アッシュフィールド領のエルベ修道院でこれから暮らすのだから、会おうと思えばいつでも会える。
ただエセルにはエセルの、修道女としての務めがある。
私には私の、領主としての務めがある。
互いの道はたまには交差しても、いつまでも重なったままではいられないのだから。
だから、もう一日ぐらいは共に過ごしたい。
ステラも私のその気持ちを察してくれたようだった。
朝食を修道院の食堂でいただいた後、私は中庭に出て朝の空気を吸った。
エルベ修道院の中庭は、以前訪れた時よりも手入れが行き届いている。
福音劇の収益で修道院の財政が改善したおかげだろう、さりげないところでの生活水準が上がっているようだ。
アストリッドが何かの歌を口ずさみながら洗濯物を干しているのが見えた。
その隣にはエセルがいて、彼女もまたシーツの端を持って手伝っている。
昨日修道女になったばかりだというのに、公爵令嬢時代では経験したこともない雑務をものともしない。
「エセルさん、こっちですこっち! こうやってぱーんって広げるんです!」
「こう、ですか?」
「もっと思いっきり! ぱーんって!」
エセルがおっかなびっくりシーツを広げる。
アストリッドがその隣で「ほら、もっとぱーんって!」と一緒になってシーツを広げている。
うん、エセルなら大丈夫。
きっとすぐにこの修道院の一員として馴染んでいくだろう。
※
昼前のことだった。
修道院の門の外から、馬車の車輪の音と蹄の音が聞こえてきた。
なんとなく興味があって様子を見に行くと、門の前に一台の荷馬車が止まっている。
御者台には見覚えのある、そしてしばらくぶりの狼頭の男。
仕立ての良いスーツを着た筋肉質の体躯。灰色の狼頭。
――イリヤだ。
そしてその隣の騎馬には、白い虎の頭部を持つ偉丈夫が大剣を背負って跨がっている。
ハーラルだった。
「お嬢じゃねえか、王都から出られないとか手紙が来ててヴェルナーの爺さんが心配してたぜ?」
イリヤの灰色の獣顔が、明らかに面食らった表情を浮かべている。
まあ、そうだろう。領主が何の前触れもなくエルベ修道院にいたら誰だって驚く。
「いろいろ、あったのよ。ほんと。話せば長くなるんだけど……」
「ふむ……」
イリヤは御者台から降りるとポケットの中から煙草を取り出して火を付けた。
彼の隣でハーラルが騎馬から降り、こちらを見下ろす。
「こっちも商売人だ。王都で何があったか大体の情報は掴んでる。ただ――当事者の証言はきちんと聞いときたい」
「じゃあ立ち話もなんだし、修道院の食堂で話しましょ」
私たちは食堂に場所を移し、私はイリヤに王都での一連の出来事を説明した。
叙爵式、瘴柱事件、晩餐会、婚約破棄、半軟禁、そして侍女に身をやつしての脱出劇。
こうして言葉で一連の出来事を並べると、王都での暮らしがいかに濃密なものだったか思い知らされる。
イリヤは煙草を燻らせながら黙って聞いていた。
時折灰色の耳がぴくりと動くだけで、口は挟まなかった。
「――で、エセルフリーダ嬢がこの修道院に入って、俺たちの伯爵様は侍女の格好で関所を抜けてきた、と」
「そういうこと」
「はーーー……」
イリヤは長い溜息をついて、煙草の灰を落とした。
ハーラルは腕を組んだまま、目を閉じて私の話を反芻していたようだ。
ステラはいつもの澄ました表情で、空になったカップに紅茶を注いでいる。
「しかし……婚約破棄か。ブラックウォール家のメンツは丸潰れだな。公爵家への宣戦布告と受け取ってもおかしくねえ」
「そうよね。でも、公爵は――エルウィンは耐えている。あんな仕打ちを受けてもなお、王家の忠義を貫くつもりらしいわ」
「家と男の意地だな」
イリヤは顎の辺りをかいて言った。
「まあ東の公爵閣下が忠義を守り通そうとしても、他の貴族どうだか。残る三大公爵が王都を引き払ったって話は、こっちの商人筋にも噂が流れてきてる」
「やっぱりそこまで届いてるのね」
「ああ、正直いうとかなりキナ臭い。現状どこかの貴族がすぐにコトを起こすとは思わねえが、何かきっかけがあればあっという間に火がつくだろうな」
「……きっかけって?」
「そこまではわからんよ。その時になれば何かが爆発するってだけだ」
イリヤは煙草を灰皿に押し付け、火を消した。
「その時に私が出来ること――アッシュフィールドに出来ることって、何だと思う?」
「何も出来ねえよ。火の粉が飛んでこないように祈るしかねえ」
「軍備を増強するとかは?」
「やめとけ、何も起きてないのに目立つ軍備増強なんてしたら、アッシュフィールド伯が何か企んでるって疑われるぞ。それこそそれをきっかけにこの国の燻ぶりが爆発するかもしれねえ。現状は何もしない、情報収集に専念するぐらいだ」
ヤクザの親分がここまで慎重になる辺り、さすがのイリヤもこの国に燻ぶり始めた厄介事の大きさを理解しているようだ。
私の知っている原作の内乱とは違う形で暗雲が立ち込めている。
ただ爆発するかしないかの瀬戸際で均衡を保っているだけ。
それが歯がゆくて仕方ない。何とかしたいのに、まだ何も出来ない。
「ところで――前から気になっていたんだけど」
王国の今後の動向をあーだこーだと考えていても仕方がない。私は話題を変えてイリヤに問いかけた。
「前に――私が王都に向かう時もここでイリヤとハーラルさんに会ったわよね。あの時から疑問だったんだけど、どうしてイリヤがここに来てたの? ビールとチーズが要り用ならわざわざイリヤが出張ることないでしょ?」
「――ああ、そりゃまあな。それだけなら若い衆に任せてもいい」
「じゃあ何の用事が?」
「んー……」
イリヤはチラチラとハーラルの方を見て、何か言い淀んでいるようだった。
ハーラルも私から視線を外し、少し気まずそうな空気が出てくる。
んんん? 何この気まずい空気。
「イリヤ、お前が説明しろ。俺は口下手だ」
ハーラルがイリヤに言い放った。
狼男はおいおいと肩をすくめて、それから口を開いた。
「こっちの虎野郎のな、娘がいるんだよ」
「は? どこに」
「このエルベ修道院に。名前はアストリッド」
「は?」
思わず二度瞬いた。
アストリッド。あの天真爛漫な猫耳の修道女。歌って踊るアイドルシスター。
あの子がハーラルの娘? ウッソでしょ。
隣のステラも驚いたように瞳を丸くしていた。
「まあ生き別れになったというか、向こうは父親の顔なんぞ知らねえだろうけどな」
「それで……名乗ったの?」
私はハーラルに視線を移す。虎頭の偉丈夫は気恥ずかしそうに視線を逸らした。
「……まだだ。十数年も放置した娘に今さら父親面して何になる」
「そういうこった。百戦錬磨の傭兵団の団長様がたった一人の娘にビビッて腰が引けてんだよ、ははっ!」
「……うるせえ」
「で、こうやってビールとチーズの買い付けという名目で顔を見にきてたわけだ。笑えるぜ、図体デカいおっさんがビールの仕込みやってる娘をコソコソ覗き見してんだよ」
「……殴るぞ」
やけにテンションの高いイリヤとムスッとしたハーラルのやり取りを私はおかしくて仕方なかった。
なるほど、合点がいった。以前アストリッドの福音劇を離れた場所で見ていた虎男は、実は娘の成長をこっそり見守っていたというわけだ。
「……ハーラル。ちょっといい?」
意外にも言葉を発したのはステラだった。
そういえばあの時福音劇に囚われて心あらずなハーラルにステラはいきなりナイフを投げつけたんだっけ。
「別に私は関係ないし、あなたとアストリッドの関係がどうなったところで興味はないけど」
「……」
「――それで“戦える”の?」
ピキッと空気が張り詰める。
ハーラルはステラを射殺すような形相になった。しかしステラは冷ややかな視線を返すだけだ。
「……何が言いたい」
「言葉通りよ。娘にうつつを抜かして、あなたは戦えるの? リリアーネに雇われた傭兵としての責務を果たせる?」
い、言い方~!
そりゃ正論だけどさぁ、そういう言い方は止めてよ。
うわー、もうイリヤが固まってる。ハーラルの肩が震えているけど図星だから怒りを押し殺してるねこれ。
「いつ死ぬかわからない傭兵の身で、うじうじと娘の顔だけを見たいと考えるのがそもそも間違ってる。戦士なら、いつ死んでもいいように覚悟を決めろ」
ステラは一息で言い切った。
ハーラルもその言葉の意味を理解して苦虫を噛み潰したような顔になった。
怒りと自嘲が入り交じった顔。
確かにステラの言う通りだ。
傭兵というのはいつ死んでもおかしくない。それゆえにハーラルはアストリッドとの関わりを避けてきたのだろう。
だからこそ、娘の未練が剣を鈍らせる。判断を鈍らせる。
娘の未練を残して死ぬぐらいなら、さっさと父親として名乗り出て、未練を断ち切った方がいい――ステラはそう言っているのだ。
「……わかってる。言われなくても、よくわかってる」
「そう、手遅れになる前にはっきりさせることね。死ぬときに後悔しても遅いから」
言葉は厳しいがステラなりの気遣いだ。
いつまでも曖昧な関係を続けるより、さっぱりと名乗り出て、その上でどうするかを決めろ、と。
「ステラ――と言ったな。そんなに俺は腑抜けているか?」
「ん。隙だらけ。今のあなたなら隙を突いて簡単に殺せる」
ステラは殺気を一切感じさせずに言った。
彼女がそういうのなら、本当なのだろう。
歴戦の傭兵をやっていたハーラルもそれを察して認めるしかなかった。
「だったら――少し手合わせ願おうか」
「やだ。体格差考えてよ。なんで真正面から馬鹿正直に打ち合いなんてしなきゃいけないの。私はそういう戦い方を学んでないもの」
「ったく……何者なんだお前は」
「リリアーネのメイドよ」
「嘘吐け、メイドがあんなナイフを投げるものか――ああ、そうだこの前返しそびれたやつだ」
そう言うなりハーラルは懐に手を伸ばした刹那、ステラに銀色に光るナイフを投げつける。
ステラは表情を変えることなくナイフの腹を二本の指で受け止める。
「ん、ありがと。それお気に入りだったから」
「ただのメイドが顔色一つ変えずナイフを受け止められるものかよ」
ハーラルは苦笑する。
だけどその瞳には迷いの色がいくらか薄まっていた。
とりあえず……ハーラルは前向きにアストリッドと向き合うことを考えてくれたようだ。
次話の投稿は5/28を予定しております。
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