第76話 友の決意、そして大胆な計画
突然のリュシアとアルフレッドの訪問。
私の中では結びつかない二人の組み合わせに困惑しつつも、二人を屋敷の応接間に案内した。
ステラが紅茶を用意してくれ、私たちはテーブルを挟んで向かい合った。
リュシアはくつろいだ様子で、アルフレッドは少し緊張した表情でソファに腰掛けている。
「えっと……何がなんだか、よく分からないんだけど……」
突然現れて、私とステラを王都から連れ出せる、と。
それは、いったいどういうことだろう。
リュシアの説明を待つ。彼女は紅茶を一口含んだ後、手近にあったクッキーに手を伸ばした。
「そうね……まずは事の次第を簡単に話すわ。アルフレッド、お願い」
「――分かりました」
アルフレッドは頷くと、私の方に向き直る。彼の顔は真剣だった。
「まず単刀直入に言います。姉上は修道院に入ることになりました」
「なっ――!?」
予感はあった。けれど言葉として聞かされると、胸が痛む。
「……エセルが自分で決めたの?」
「はい。父上も兄上も、最初は止めようとしました。でも姉上の気持ちは固くて――最後は父上も認めるしかありませんでした」
アルフレッドの声がほんの少し震えていた。
彼自身も姉の決断を受け入れるのに葛藤した。そんな気配が伝わってくる声だった。
それでも今、彼は使者としてここに来ている。動揺を抑えながら言葉を紡ぐ姿が以前よりも幾分大人びて見える。
「あんなことがあった後、エセルさんが貴族社会に戻れる場所はもうないわ。あらゆる場所であの晩餐会の話が必ずついて回る。同情の対象として、あるいは嘲笑の対象として。社交界に居続ける限り、彼女はずっと“あの夜の公爵令嬢”として消費される。それが社交界というもの」
「そんな――」
「貴族の娘として生まれた女が、貴族社会に居場所を失った。そういう女に残された道は修道院しかない。自らの意志で修道女となり、女神に人生を捧げる。名誉な退場だわ」
リュシアの言い方は淡々としていた。
けれどその淡々さの下に、彼女自身が経験した何かの実感が透けて見えた気がした。
私は何も言えずに、ただ頷くしかなかった。
「でも、それだけじゃないんです」
アルフレッドが語る。
声に、わずかに違う緊張が混ざっていた。
「あの婚約破棄があってから、ブラックウォール家に、いろんな貴族が訪ねて来るようになりました」
「……お見舞い、ということ?」
「最初はそうでした。父上の苦労を察して、姉上の心を慰めて。皆さんそういう言い方で来られます。でも、話してるうちに、だんだん別の話になっていくんです」
アルフレッドが言い澱む。
それを察したリュシアが、代わりに言葉を継いだ。
「王家への愚痴と、ブラックウォール家の今後についての“ご助言”。要するに、王家への反感を持っている諸侯が、ブラックウォール家を旗印にしたがってる」
「旗印、なんて――」
その意味を理解するのに数秒かかった。けれど理解すると、ぞっとした。
いくら王家への反発があったとしても、今まではおくびにも出さなかったはずだ。
ところが今、彼らはエセルの婚約破棄を機に、王家への反感を隠そうとしなくなった。あるいは隠す必要がないと判断した。
あの夜の出来事は、王の権威に疑念を持たせるには十分な出来事だったのだ。
「同情を装って訪ねてはくる。けれど話の本筋は王家への不満をブラックウォール公爵がどう受け止めるか、その反応の探り。一人や二人じゃない。ここ数日でその手の訪問がじわじわ増えてきているわ」
「エルウィンさんは――ブラックウォール公爵はそれをどうお考えなの?」
「もちろん、それに乗る気はない。父上も兄上も、王家への忠義に揺らぎはありません」
きっぱりとアルフレッドが言った。
私はほっとした。エルウィンがそのような申し出に乗るなど考えにくいことだ。
しかしその直後に、リュシアが違う意味の言葉を続けた。
「ブラックウォール公爵にその気はなくても外から“ブラックウォール公の旗の下に集まる者たち”という形に持っていかれれば、中心の人物の意志に関係なく、政治の流れがそういう構図を組み立てていくわ」
私はしばらく言葉を発せられなかった。
頭の中で、男爵の呑気な声が遠く響く。「忠義のご一家にございますなあ」。
あの呑気な讃美が、王都の一部の貴族たちの間ではすでに別の意味を帯び始めているということだった。同情を装った讃美の下で、ブラックウォール家を反王家の象徴にしようとする動きが、静かに始まっている。
そしてその構図の中で、最も象徴的な駒として利用されかねないのが――エセルだ。
「姉上は――自分が王都に居続けたら、いつか政治の駒にされるって。悲劇の令嬢だとか、反王家の旗だとか、そういう誰かの都合のいい口実に。だから、そうなる前に身を引くことにしたんです」
「……エセルらしいわ」
ぽつりと、それだけ口にした。
本当にエセルらしい。貴族としての矜持の高さを彼女自身の身をもって示したのだ。
王に裏切られたとしても、反王家の象徴にはならない。その身をひっそりと隠して、他者のために利用されることを拒否する。
その決断の毅然とした姿勢に、私は胸を打たれた。
「――ここまでが、姉上が修道院に入る理由です」
アルフレッドが顔を上げた。
今度は声に少し違う緊張が滲んでいた。
「ここからが――本当に、リリアーネ様にお話ししたいことです」
アルフレッドの言葉に私は背筋を正す。
彼は私の顔を見つめ、言葉を続けた。
「姉上の修道院入りは、教会の正式な案件として動きます。バルディーニ司教を身元引受人として、エルベ修道院にて身柄を預かるという」
「うちの領地でエセルを――?」
「そうよ。王に捨てられた公爵令嬢を預かるなんて教会としても政治的に面倒な案件。教皇庁の事なかれ主義でご立派な枢機卿の方々はみんな自分の手元で抱えたくないのよ。だから王国辺境のアッシュフィールドの教区ならと。ちょうど左遷された聖銃騎士も一人いる――ということで私に丸投げされたってわけ」
リュシアは皮肉の笑みを浮かべて肩を竦めてみせた。
「エルベ修道院への送致に赴く人員は、身元引受人として私。護衛としてアルフレッドと兵士数名。そしてエセルさんの身の回りの世話をする侍女が二名――その侍女の枠にあなたたち二人を捻じ込んだ。書類としてはすでに教会と宮内府で通っているから、そうそう覆らないわ」
「移送隊が王都の関所を抜ける時、書類は教会公印で通ります。一行を停めるためには王家としても相応の理由がいる」
私の王都への足止めは宮内府の独断で動いている可能性が高い。
私が王都からの脱出に成功した場合、宮内府は追手を差し向けることをできないわけではない。ただ、その時はジークハイトに事の次第を報告しなければならないだろう。
しかし、これまでの宮内府の動きを考えると、ここでジークハイトに判断を仰ぐような事態を役人たちは避けたいはずだ。
「そうだ、言い忘れてたわ。出発は三日後よ」
「三日後!? そんなに早く……!」
「そうかしら? 伯爵様がずっと引きこもっていた間に私たちはきちんと準備を整えていただけよ」
リュシアのチクチク言葉。まあこの十日間まごまごしてた私が悪いのは確かだけど。
しかしこの計画を誰が――?
リュシアがわざわざ自分から発案するほどお節介なわけないし、となると――
「アルフレッド」
「はい」
「……これは、エセルが?」
アルフレッドが、まっすぐに私を見た。
「はい――リリアーネ様が王都に足止めされていることを知った姉上が、バルディーニ司教に話を持ちかけました。自分の出立に乗じて、リリアーネ様も一緒に王都から脱出できる手立てを、と」
私は息を飲んで両手で顔を覆った。
私がエセルに何と声をかけて会えばいいかうだうだ悩んでる間、彼女はこうして私のために道を用意してくれていた。
婚約を白紙にされて、貴族の身分まで捨てる身になってもなお――
覆った手の中で、こみ上げるものがあった。
ありがとう。ありがとう。
私の言葉にならない思いが、その一言だけを何度も心の中で繰り返す。
私にできることはエセルの想いをしっかりと受け止めること。そしてこの手立てを無駄にしないことだけだ。
私は息を整えて顔を上げた。
「……アルフレッド、リュシア」
「はい」
「エセルの旅路に、私たちをどうかよろしくお願いします」
アルフレッドが小さく頷いた。
しばらく沈黙があった。
ステラが空いたカップに新しい紅茶を注ぎ足す間に、私は頭を切り替える。
エセルに同行する前に、アッシュフィールド家の当主としてやらねばならないことがある。
私は一呼吸おいて口を開いた。
「アルフレッド。一つ、お願いしてもいいかしら」
「はい、なんでも」
アルフレッドが居住まいを正した。
「この別邸には私がいない間ずっと留守を預かってもらっていたクルトという守衛がいるの。ホルン村の出身で、瘴柱事件の時に最初に異変を私に知らせてくれた者なの。私たちが発ったあと、屋敷には彼一人が残ることになる。私が王都から消えたと知った宮内府が、どう動くかは分からない。最悪、彼を人質に取って、私を呼び戻す材料にする可能性もある」
「陛下が、そこまでを――?」
「王がそのつもりはなくても、王の不興を買いたくない役人が勝手に動かないとも限らない。仮に動いた場合、クルトを守れる者が屋敷にはいないの。彼の身柄を、ほとぼりが冷めるまでの間、ブラックウォール家で保護してほしい」
私は、頭を下げた。
伯爵が公爵家の次男に頭を下げるのは、作法的に大袈裟すぎる。
けれど私はそれを承知でやった。これは身分の作法ではなく、人としての礼儀だった。
「リリアーネ様、頭を上げください」
アルフレッドが慌てたように手を伸ばす。私は顔を上げ、彼の真摯な瞳と再び目を合わせた。
「分かりました。ブラックウォールの名にかけて、その方を保護します」
揺るぎのない断言。
彼の口から家名を引き合いに出されたということ自体が、その誓約の堅さの証明だった。
少し前まではまだ公爵家の次男坊でしかなかった彼が、今ははっきりとブラックウォール家の家名を背負う者として立ち始めている。それが嬉しくもあると同時に、彼が変わらざるを得なくなっている現実に少しばかり胸の痛む想いがあった。
「ありがとう、アルフレッド」
「いえ。俺にできるのはこれくらいしかありませんから」
口元を緩めたアルフレッドが人懐こい笑みを浮かべる。
変わらずにいられない現実の理不尽さの中でも、十代半ばの少年らしいあどけなさの残ったその笑みに、私はそっと微笑みで応じた。




