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第74話 晩餐会(終) -overture-

 舞踏の間は、晩餐会の会場と同じディティールでありながらも、より煌びやかな印象を与えていた。

 シャンデリアに煌々と灯った蝋燭の灯りが床の大理石を照らし出し、舞踏会前の前奏として宮廷の楽団が控えめなワルツを奏でている。

 私は固い表情のまま、人の波から逸れるように壁際へと寄った。


 四大公爵家、中堅貴族に下級貴族。誰もがグラスを片手に、期待に満ちた目を玉座の方へと向けている。

 噂は既に会場中を巡っていた。

 「陛下の重大発表」が「婚礼の宣言」であると、誰もが疑っていなかった。先の晩餐会で小耳に挟んだ貴族たちの囁きの通りに。


 視界の隅にブラックウォール家の面々が見えた。

 公爵エルウィン。その隣に長男レオフリック。少し離れて次男アルフレッド。――そしてエセルフリーダ。

 エセルは煌びやかな薄青のドレスに身を包み、凛とした表情で父と並んで立つその姿は、既に王妃の気配をまとっているようにさえ見えた。

 彼女自身もまた、今宵の発表を婚礼の宣言と信じて疑っていないのだろう。表情こそ穏やかだったが、その静けさの奥には密やかな覚悟のようなものが滲んでいた。


 リュシアの姿も見えた。

 枢機卿代理として正装をまとった彼女は、相変わらずの営業スマイルで貴族たちと挨拶を交わしている。

 一瞬だけリュシアと目が合った。彼女は小さく目を瞬かせると「早く帰りてえ~」と言いたげに肩をすくめていた。


 ゼーヴェルト公爵がいた。

 彼は会場の中央付近でグラスを傾けていた。私と話していた時は胡散臭い――もとい気の良い紳士然としていたが、今はどこか近寄りがたい空気を醸し出している。それを受けてか他の貴族もあまり近寄ろうとはしていなかった。


 セレスティーヌ――ローゼンシルト公爵は数人の貴族と談笑していた。

 私と一瞬目が合うと、穏やかに微笑んだ。

 その振舞いには私と話していた時にわずかに見せた翳りのようなものは欠片もなかった。


 バルモア公爵。叙爵式の時にひと言ふた言挨拶を交わしただけの四大公爵筆頭。

 人の良さそうなふくよかな体型の老公爵は、今も気のいい笑みを浮かべて貴族たちと談笑している。


 みな、それぞれの位置でそれぞれの思惑を胸に、王の口から告げられる言葉を今か今かと待ちわびていた。

 やがて楽団の奏でる曲が止み、静寂が場を支配する。

 そして――侍従長の朗々たる声が、広間に響いた。


「国王陛下、御入来――!!」


 重厚な扉が両開きに開かれ、ざあ、と潮が引くように人々が道を開ける。

 黄金の飾緒と深紅のマントを纏ったジークハイト四世が、玉座へと進んでいく。

 私も含め諸侯たちが一斉に頭を下げる。王は満足げに頷きながら、玉座の前へと至り、ゆっくりと腰を下ろした。


 静寂。

 息遣いすらも聞こえないような重たい沈黙が、一瞬会場を覆う。

 ジークハイトはゆっくりと顔を上げ、静かに口を開いた。


「諸卿、余が王位に就いてより約半年、先王の喪が明けこの度初めての夜会を催すに至った。このような晴れの席に臨み得たことを、女神に感謝する所存である」


 王は玉座に腰かけたまま、ゆったりと頭を下げた。

 諸侯たちも静かに礼を取る。

 ジークハイトの声色は、今まで聞いたどの言葉よりも落ち着いていた。


 なんだかんだでこの王は王という役割をきちんと演じられる、ということは改めて認識させられた。

 凡庸ながらも国のトップとしての役割を演じられるというのはそれも立派な才能だとは思うのだが、彼のプライドがそれで終わることを許さないのが問題なわけで。


「さて。ここで改めて諸卿に一つ、重大なる決定を告げねばならぬ」


 ジークハイトは一度、ゆっくりと目を閉じた。

 ついに 「婚礼の宣言」がされる。全員の神経が、王の一言に集中する。


「先日、王都近郊において瘴柱の出現が確認され、甚大なる被害が発生する寸前で未然に食い止められたことは、諸卿もご存知のことと思う」


 会場の視線が、一瞬だけブラックウォール公爵に向いた。

 当のエルウィンは微動だにしない。ただ、じっと玉座を見据えている。


 ――は? こいつ何言ってるの?

 瘴柱? その話をなぜ今ここで?


「この案件は本来、王家が主導して対処すべきものであった。しかるに――ブラックウォール公爵家は、王家に相談することなく、独自の判断で冒険者ギルドを動かし事態の処理を進めた」


 おいおいおいおい、意味がわからない。

 この場でそんな話をするのもありえないが、そもそもの問題としてホルン村での瘴気被害は届け出がされていたにもかかわらず、役人たちは取り合わず放置してきたのだろう。

 それをエルウィンが密かに冒険者ギルドに働きかけ自ら冒険者に扮して解決したのは、王家からしたら不満はあるかもしれないが、今それをこの場で追及するような話ではない。

 

 だからこそ困惑した。ジークハイトは何を考えてこの話を今ここで持ち出しているのか。

 婚礼の宣言の前振りとして、瘴柱事件を持ち出す意味が分からない。


「王家を介さずに王都近郊の危機が処理されたという事実は――王国の秩序と、王家の威信に、看過しがたき傷を残した、と見做されても仕方なきこと」


 一段声を重くして、言葉を選ぶように。

 そして私は、ようやく気づき始めていた。

 これは婚礼の前振りなんかじゃない。


 ――まさか。

 心臓が、嫌な鼓動を打ち始めた。


「余は、長く考えた。公爵の忠誠を疑うつもりはない。ブラックウォール家が王国のために尽くしてきた歴史も、余は深く敬しておる。ゆえにこの裁定を下すにあたって――余もまた、心を痛めずにはおれなんだ」


 違う、違う、この流れはおかしい。

 瘴柱事件を理由に、何かを宣言しようとしている。

 けれど、今夜の発表は婚礼の宣言のはずで――まさか、この話を“理由”として、この後に続くのは。


「諸卿――」


 ジークハイトが、ゆっくりと、意識的にゆっくりと玉座から立ち上がった。

 舞踏の間の天井の高みから下がるシャンデリアの光が、王の姿を不吉なほど鮮明に照らし出す。




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 その瞬間、場の空気が凍りついた。

 私を含め多くの貴族たちが息を呑んだ。

 誰も声を上げなかった。

 誰も動かなかった。

 息を呑む音さえ、はばかられるような静寂。

 大勢の人間がいるのに、呼吸の音すら聞こえない。

 そんな静寂が、数秒、続いた。


「余とて、望んだ結果ではない。しかれども、王家の威信を守るは余の責務。私情を超えて余は決せねばならなんだ。エセルフリーダには――済まぬことをした」


 済まぬことをした、と玉座の王が独り言のように呟いて着座した。

 それで宣言は終わった。

 エセルとの婚約破棄――まさか、自分が外野としてこの場に立ち会うことになろうとは夢にも思っていなかった。

 しかも、その相手が私の友人で、親しい相手であるということも。


 衆目の視線を一斉に浴びたエルウィンは、ただ静かに拳を握りしめるだけだった。

 その拳が小刻みに震えていた。顔には表情らしい表情はない。ただ、唇の端だけが、信じられないほど強く引き結ばれていた。


 レオフリックは青ざめていた。血の気が完全に失せた顔で父の横顔を見つめ、王妃となるはずだった姉を見つめていた。


 アルフレッドは兄の隣で、きょとんとした顔で玉座を見ていた。婚約破棄、という言葉の意味を知識としては理解していても、目の前で起きていることと結びつけるのに数拍を要していた。

 しかし――彼の視線が、姉エセルフリーダに向いた瞬間。その表情は色彩を失った。


 エセルフリーダは。

 一歩、前に進み出た。

 ドレスの裾を、両手で優雅に持ち上げ、玉座に向かって静かに――深く一礼した。

 頭を下げ、そして、ゆっくりと上げた。

 頬からは血の気が引いていた。けれどその目は、揺らがなかった。

 毅然と、まっすぐに、玉座を見据えた。


「我が家の不徳にかようなご聖断を陛下に仰せられてしまったことに心よりお詫び申し上げます。そしてわたくしへの婚約解消を賜ることで我が家を御慈悲あるご沙汰としていただきましたこと、心より感謝申し上げます」


 どうして……どうして、エセルはそこまで言わなければならない。

 どうしてエセルが、謝らなければならないのか。

 結婚相手に捨てられて、どうして感謝しなければならないのか。


 公然の場で辱められたエセルは堂々と王に礼をとる。

 その姿にはジークハイトすら玉座の上で一瞬、口元を強張らせた。


「それでは陛下、わたくしはこれにて失礼いたします。その御身に女神の祝福あらんことをお祈り申し上げます」


 エセルは淑女の礼を取ると、反転してその場を退いた。

 誰も言えないまま誰も動けないまま、彼女の去っていく背中をただ見送る。

 エセルは誰の方も見なかった。父も、弟も、私も。

 ただ前だけを見て、一度も振り返ることもなく。

 舞踏の間の扉が開き、そして閉じられる。


 閉じた扉を会場の全員が見つめていた。

 何かを言おうとして、誰もが何も言えなかった。

 ――そのとき。



「――どうしてだよ」



 震える声が、舞踏の間に響いた。

 アルフレッドだった。

 目に涙を浮かべ、わなわなと拳を握り、顔を真っ赤にして、玉座を睨みつけていた。


「どうしてこんな……姉上が、何をしたって……!」


「アルフレッド、控えよ」


 エルウィンが、低く鋭い声で息子を制した。

 しかしアルフレッドは止まらなかった。彼の足が一歩、玉座に向かって踏み出されていた。


「こんなの、あんまりじゃないか――! 姉上はずっと、ずっとあなたのために……!」


「アルフレッド!」


 レオフリックが素早く動いた。弟の腕を掴み引き戻そうとする。


「陛下の御前だ、控えろ……!」


「離せよ兄貴!」


 アルフレッドは兄の手を振り払おうとした。

 もう一歩、玉座に向かって進みかけた彼の反対側の腕を、今度はエルウィンが掴んだ。

 公爵の太い手が、末の息子の肩を押さえ込む。


「なんで親父も兄貴も、ここまでの仕打ちをされて黙っていられるんだよ!!」


 舞踏の間の空気が、再び凍りついた。

 誰もが、息を止めた。

 アルフレッドは涙を流しながら、父と兄に両腕を掴まれて、なおも玉座の方へ身を乗り出そうとしていた。


「姉上はなんにも悪くないだろ!? ずっと、ずっとあなたの婚約者として、あなたを支えようとしてきたんだ、それなのに……! それなのにうちの独断の責任だって? そんなこと姉上には何の関係も――」


「控えろアルフレッドォッ!!!!!!」


 レオフリックの叫びが震えていた。

 弟を押さえ込むその腕も震えていた。彼もまた、同じことを叫びたかったのだ。

 ただ、叫べないのだ。兄として、跡取りとして。


 玉座のジークハイトは、しばらく無言でその光景を見ていた。

 その目の奥には――驚きでも、怒りでもない、何か別の感情が揺らいでいた。

 咎められることへの一瞬の怯え。そしてその怯えを押し殺すように、彼は口を開いた。


「……よい」


 ジークハイトは、ゆっくりと首を振った。


「姉を想う弟の嘆きは、余にも理解できよう。ゆえに――余へのその不敬は、不問とする」


「――ありがたき、幸せに、ございます」


 エルウィンの声が、絞り出された。

 歯を食いしばりながら、握り締めた拳を震わせながら、深く、深く頭を下げた。

 武門の公爵が、玉座の若き王の前で、頭を下げて感謝の言葉を絞り出していた。

 それは、彼の生涯で最も屈辱的な瞬間だっただろう。


「父上……!」


 アルフレッドが、何か言おうとした。

 しかしエルウィンとレオフリックは、もはや弟に言葉を返すこともせず、二人がかりで彼を引きずり始めた。

 アルフレッドは泣きながら、抵抗しながら、それでも二人の力には勝てず玉座から離れていった。


「姉上ッ――!」


 最後に一度だけ、アルフレッドが声を張り上げた。

 もうこの場にいない姉を、彼は呼んだ。

 それは、誰にも届かなかった。

 扉が開き、三人は退場していき――再び扉が閉じた。


 舞踏の間に、再び静寂が舞い戻る

 ジークハイトは玉座に深く座り直すと、ふう、と小さく息を吐いた。

 そして――何事もなかったかのように、顔を上げ、会場を見渡した。


「さて、諸卿。余の話はこれにて終わりである。宴は夜半まで続く。存分に楽しまれよ」


 手を軽く上げた。

 それを合図に壁際に控えていた楽団の指揮者が、一拍遅れて腕を振り上げた。

 弦楽器が、ゆっくりと音を紡ぎ始める。

 穏やかなワルツの旋律が舞踏の間を少しずつ、少しずつ、満たしていった。


 諸侯たちは、最初は戸惑っていた。

 けれど誰かが歓談を再開するとそれに釣られるように、また一人、また一人と、会話を再開し始めた。

 まるで、つい今しがた目の前で起きたことを、自分たちの会話の中から洗い流そうとするかのように。

 グラスが傾けられ、淑女たちが扇を広げ、紳士たちが何事かを囁き合う。


 数人が、既に踊り始めていた。

 何事もなかったかのように。

 本当に、何事もなかったかのように。


 私は、壁際に立っていた。

 呆然と、茫然と、ただただ立ち尽くしていた。

 頭の中で、エセルの後ろ姿が去っていったあの瞬間を繰り返し、繰り返し見せられていた。

 何もできなかった。何も言えなかった。

 ただ、見ていることしかできなかった。

 伯爵という立場に縛られて何も言えない私を、アルフレッドの慟哭が痛く打った。


「いやあ、驚きましたなあ、アッシュフィールド卿」


 隣から、誰かの声がした。

 晩餐会で同じ一角に座っていた、あの初老の子爵だった。

 彼はグラス片手に、ほんの少しだけ酒の回った頬で暢気に私に話しかけてきた。


「まさか婚礼の宣言ではなく、破棄の宣言でありましょうとは。いやはや、宮廷というものはどうにも、分からぬものでございますな」


「……ええ」


「しかしまあ、陛下のご決断にはご決断のご理由がおありなのでしょう。我ら下々の者には、推し量れぬ深いお考えが」


「……ええ」


 私は、微笑んで応えた。

 微笑めていたと思う。たぶん、微笑めていた。

 子爵は満足そうに頷くと、何か続けて喋っていた。何を喋っていたかは、耳に入らなかった。

 ワルツが少しずつ音量を増していく。

 楽団は何事もなかったように美しいワルツを奏でていた。


 シャンデリアの光が、踊り始めた貴族たちの華やかなドレスと上着に反射して輝いていた。

 光の粒が、きらきらと散っていた。

 それを、私は、ただ、見ているだけだった――

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