第72話 晩餐会(2) -王家を値踏みする北方公爵-
「……リリアーネ・アッシュフィールドと申します。閣下にお目にかかれて光栄に存じます」
私は慌てて型通りの礼を返した。ゼーヴェルトは朗らかな笑みを浮かべたまま、私の視線が向いていた先――初代王の肖像画のほうへと、ゆったりと目を向ける。
「いやいや、立派な観察眼でいらっしゃる。ほとんどの諸侯はあの壁の肖像画など通り過ぎるだけでございますのに、じっとご覧になる方はお珍しい」
朗らかな声。でも目元は笑っていない。海色の瞳が静かに私を観察している。
私が肖像画の何に注視していたかを察したうえで、その答えを探っている。
「恐れ入ります。王国の偉大なる高祖の御姿を拝見して、つい見とれてしまいました。恥ずかしながら辺境の領地ではこのような立派な絵をお目にかかれる機会もありませんでしたもので」
当たり障りのない返事をする。
ゼーヴェルトは「ほう」と小さく頷くと、肖像画のほうへ一歩近づいて自らも絵を見上げた。
「高祖たちの御姿、なかなかに興味深いものでございましょう。絵の具のむらなど、よく見ると色々と発見がございます」
――やはり私が何を注視したのか分かっていたのか。
ゼーヴェルトは私の視線を追って、その上でわざとらしく「色々と発見がある」と言っている。
――ここは乗ってみるか。
「……ご存知でしたの?」
「歴史にいささか詳しい者であれば、まあ誰でも気づく類の話でございますよ」
ゼーヴェルトは朗らかに答えた。
相変わらず目元だけは笑わない。
「初代より数代の王の御姿は、独立後の数百年をかけてゆっくりと『手を入れられて』きたものでございますからな。肖像画だけの話ではございません。当時の王の容姿を記した記録も同様に」
朗らかな口調のまま、彼はとんでもないことを平然と口にしていた。
こいつ……堂々と「王家は獣の特徴を削り取ってきた」と言っている。
(……この人、本気で王家に忠誠を誓うつもりはないのね)
王家主催の晩餐会の会場で、初対面の伯爵に向かってここまで踏み込んだ話をする神経。
その意味するところは一つしかない。彼にとって王家は“長年取引している顧客”の一つに過ぎず、儀礼的な敬意を払う程度の対象でしかないのだ。
「しかしながら、本当に興味深いのは――絵の具で塗り直された部分よりも、塗り直されていない部分でございますよ」
ゼーヴェルトは肖像画の列を眺めながら、特に表情を動かさずに続ける。
「お気づきになりませんか? 初代のお姿から順に、時代を下るにつれて――髪の色が変わっていくのを」
私はもう一度、壁の肖像画に視線を戻した。
言われてみれば、初代王から数代は髪は銀に近い淡い色だった。
さらに次代、さらに次代と目を移していくと、ゆっくりと色味が暖かくなっていく。
そして現代に近づくにつれ、完全な金色の髪。瞳も金から青へと変わっていく。
「独立後、王家は積極的にグランファーレンの名門貴族との婚姻を重ねてこられました。金の髪と青の瞳の血を、代を追うごとにしっかりと取り込んでこられたのです。絵の具で塗り直せるのは肖像画だけでございますが、婚姻の積み重ねは血そのものを塗り直すことができる。数百年もあれば十分すぎるほどに」
私は息を呑んだ。
肖像画の初代王――銀の髪、削られた頭頂部。
時代を下るごとに金髪碧眼に近づいていく歴代王。
そして現王ジークハイトは、誰が見ても“完璧な金髪碧眼の美男子”だった。
なんという執念。なんという時間をかけた洗練。
数百年かけて血統を改造し、獣の特徴を削り取った。
それほどまでに、エーデルガルド王家は帝国の名残を消し去りたかったのか。
「陛下のあの見事な御髪こそ、まさに先祖代々の努力の結晶でございますな」
ゼーヴェルトは穏やかに微笑みながら言った。表向きは最大級の賛辞。
けれどその内側に込められている意味は、ほとんど悪意に近い揶揄。
「しかしながら――ここまで綺麗に血を入れ替えるというのは、実のところ大抵のことではございません。人の血筋というものは頑固なものでございまして、数代に一度はどうしても先祖返りが現れるもの。数百年もの間、肖像画の上ではただの一度も、というのは、ある意味で出来すぎた話でございます」
肖像画の上では。
さりげなく挟まれたその一言が、私の背筋を冷たく撫でた。
「生まれてきた子のすべてを肖像画に残すわけではございません。公に世に出る前に静かに消えてしまった赤子、あるいは幼くして『病で亡くなった』ことにされた王子王女――そうした方々が一人もいなかったと、誰に言い切れましょうか。血統というものは、残すのと同じくらい、消すことにも労力のかかるものでございますからな」
それは揶揄どころか、王家に対する挑戦ですらある。
王家が自らの血を隠蔽してきた事実を、思わせぶりに暴露しているのだ。
血統の改造の裏で何が行われていたかを――
「閣下――それ以上は不敬に当たるかと存じますが」
私は最小限の言葉で注意した。
これ以上は聞いてるだけの私も問責される。
ゼーヴェルトはにやりと口角を上げた。
「はははっ、いやはや恐れ入りました。つい仕事の癖で商品はどこまでも調べてしまうもので。それでもまあ――ふと、失われたはずの色や形が、思わぬところでひょっこり顔を出すものでございますな」
その海色の瞳が私の灰銀の髪を一瞬だけ見た。
初代王に近い銀の髪。そして私の頭にある狼の耳。
「あら、閣下ともあろうお方が、アッシュフィールドのあの根も葉もない昔話をお信じでいらっしゃるの?」
昔からある我が家に伝わる噂。
アッシュフィールド家には皇統の傍系が連なっているという噂。
真偽は不明。ただ時折私のような白狼の容姿を持つものが生まれることから、囁かれるだけの噂。
もちろんアッシュフィールド家としては公式には「根も葉もない与太話」という立場を取っている。
皇統の傍系なんて無用な火種にしかならないのだから。
「うちのご先祖様は狼耳が出やすい家系、というだけでございますのよ。ヴァリャーグに地理的に近い土地柄ですから、当然その血に狼が混じっていらしても不思議はございません。皇統とやらに連なるほど大層な血筋ではございませんよ」
獣の特徴を持つものなど珍しくもない。
うちに出入りするヤクザだって狼耳どころか狼顔だ。
アイドルやってるシスターだって猫耳だし、雇った傭兵の団長は虎顔だ。
市井には獣の特徴を持つものはたくさんいる。
そもそもうちのメイドが正真正銘の皇族なわけで――
「ははは、これは失礼。こんな与太話にお若い伯爵殿の貴重な時間を頂戴してしまいましたな。古い絵を眺めていると、どうにも余計な想像ばかりが膨らんでいけません。お気を悪くされたのであればどうぞお許しを」
「とんでもないことでございますわ。閣下のお話のおかげで、わたくしも歴代の王様方のお姿をじっくり拝見する機会を頂きました。これも晩餐会ならではの楽しみでございますもの」
お互いに、意味のない社交辞令で会話を綺麗にまとめる。
ゼーヴェルトはもう一度だけ優雅に一礼すると、「では、またお話しいたしましょう」と言い残して、広間の中央――晩餐会の主役たちの集まる場所へと歩いていった。
私はその広い背中を見送りながら、扇の陰で小さく息を吐く。
入場早々、四大公爵家の一角と肖像画の前で腹の探り合いをさせられるとは思わなかった。
しかもあの男、社交辞令の体裁で王家の血統の話まで平然と持ち出してきた。
王家主催の晩餐会の会場で、初対面の新参伯爵を相手に不敬と取られても仕方のない話を。
マイ脳内要注意人物リストに追加決定。
しかも一番太い字で。メモメモっと。




