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第71話 晩餐会(1) -始まる王都最後の社交戦-

 聖暦1090年五の月十七日。ついに晩餐会当日がやってきた。

 アッシュフィールド領を発ってからおおよそ一ヶ月半。ようやく、ついにこの日を迎えたのだ。


 私は別邸の古びた姿見の前で最後の身なりを確認していた。

 叙爵の儀で袖を通した黒の礼装を再び身にまとった姿。

 豪奢な装飾こそないが生地は最高級品で、鮮やかな刺繍が施された帯が装いを引き立てている。

 

「……うん。大丈夫」


 ステラにヘアメイクを手伝ってもらって、最後までしっかりと準備を終えた。

 姿見に移る私の姿は、我ながら一ヶ月前よりいくらか貴族らしい顔つきになったように見える。

 貴族らしいというか、王都という魔窟で揉まれたせいというか。


「リリアーネ。支度はできた?」


 扉の向こうからステラの声がする。

 心なしか彼女の声も硬い、王都の社交の総仕上げというべき晩餐会という戦場に主が挑むのを見守る者の声だった。


「ええ。行きましょう」


 私は深呼吸をして、部屋を出ると廊下にステラが立っていた。

 いつものメイド服に黒い外套を羽織った外出用の装い。

 その金眼がじっと私を見つめていた。


「……何か顔についてるかしら?」


「ううん、伯爵らしい気品のある姿をしてたから、ちょっと感心してた」


「ぷっ……何よそれ。じゃあ普段の私はどうなのよ」


「自称貴族の熊? とか」


「あんたねえ」


 ステラの言葉に笑いが込み上げる。

 まったく、熊とは酷い。

 でも緊張がほぐれる気がして、感謝した。


 ステラに先導されて屋敷の正門へ向かうと、そこには見慣れた馬車が停まっている。

 アッシュフィールド家の紋章を小さく刻んだだけの地味な馬車。派手な装飾はなく、王宮に集った諸侯の馬車に混ざれば間違いなく末席の佇まいだろう。

 だがそれでいい。身の丈に合わない飾り立てはアッシュフィールドのガラじゃないからね。


 私は馬車の座席に、ステラは御者台に乗り込んだ。

 ステラは会場には入れないけど控えの間までは一緒。そう、叙爵式の日と同じ。

 馬車はゆっくりと発進し、王都の黄昏の街路を進む。


 貴族街の石畳を規則正しい蹄の音が刻んでいく。

 窓の外に流れる街並みを眺めながら、私は胸の底に沈んでいた不安を少しだけ吐き出すべく御者台のステラに声をかけた。


「……やっぱり、緊張するものね」


「そう?」


「そうよ。叙爵の儀はね、私ひとりが主役だったから逆に覚悟が決まってたのよ。今夜は違うでしょう? ローゼンシルト邸でのサロンを何倍にもしたような大舞台なのよ。社交戦の総仕上げとも言えるからこそ、これまでと違う緊張感があるわ」


「私も何度か参加したことあるけど……その時はまだ小さかったからよく覚えてない。お母様の手に引かれて、知らない貴族がたくさんいるなーって。大変そうだなーって眺めてただけだから」


 そうか、確かに革命が起こるまでは皇女として父が主催する晩餐会に参加していたはずだ。

 その時はまだ幼くて、社交の戦いとは何たるかはまでは理解していなかったのだろう。


「ちなみにその場に参加していた貴族で生き残ったのはほんの一握り」


 ステラ……そういう笑えないブラックジョークはしないでほしい。

 反応に困るんだけど。


「はーい、ステラ先生今夜は何に気を付ければいい?」


「……先生って呼ぶのやめて」


 ステラは耳をぺたりと寝かせながら、それでもぽつぽつと話し始めた。


「前菜が運ばれてくる前の歓談の時間。ここが一番情報が集まる。耳を澄ませておくこと」


「ええ」


「席に着いたら、向かいと左右の人をまず確認する。その配置が主催がリリアーネをどう扱いたいのかの判断材料になる」


 なるほど。今日の晩餐会で私の周りに誰が座ることになるのかは会場に入ってみないと分からない。

 だがそれを確認することで、王家側の意図の一端が読めるということか。


「他には?」


「食事は二の次でいい。とにかく周囲の話に集中すること。誰が誰と話しているのか。どういう会話がなされているか。話している人間の上下関係も含めて観察すること」


 それは皇女としての経験というよりも工作員としての情報収集のやり方だった。


「あとは……もしかすると参加者や使用人の中に他国の密偵が紛れ込んでるかもしれない」


「それってヴァリャーグの?」


「それもあるけどグランファーレンの密偵も。戦争をする気がない友好国でもこういう場に密偵を送り込むのは普通だから」


「あー……そういうのだったんだ」


 言われみれば一国の要人のほとんどが集まる晩餐会は情報収集に最適の場所だ。

 戦争中でなくても、他国の動向を探るために密偵を送り込むのは常套手段なのだろう。


「じゃあ……もしかして私も情報収集の対象なの?」


「それはわからない。ただ以前の一件でヴァリャーグの観察対象になっているかもしれないけど、それ以上のことはないと思う。あの時の工作失敗はヴァリャーグにとっても痛手のはずだから」


 以前アッシュフィールド領に行われたヴァリャーグの工作は、複数の勢力がお互いの工作を知らずにぶつかった結果、失敗に終わったとステラは分析している。確かにそれ以降ヴァリャーグの影は見えなくなった。

 工作失敗がヴァリャーグ本国の意思決定にどれだけの影響を及ぼしたのかはわからないが、一応は私に深く関わるリスクを回避したのだろう。


「忘れてた。あとは重要な話題が出る時は、必ず前触れがある。誰かが妙に楽しそうにしていたり、誰かが妙に緊張していたり。宮廷晩餐会の主役は料理じゃなくて、その場の空気の変化だから。リリアーネは勘がいいからそれとなく感じると思うけど」


「……えー、難しい」


「まあ、一介の伯爵が晩餐会の流れをどうこうできるものじゃないから。自分が気になること、聞きたいことを優先すればいい」


「わかった。意識を傾けることが大事なのね」


「うん」


 そう言ってステラは馬車の操縦に集中した。

 もう十分話した、という雰囲気だった。

 でも尻尾がぎゅっと腰に巻きついていた。


 ※


 王宮の東門に到着したのは、夕刻の鐘が鳴って少ししてからだった。

 東門には馬車が列をなし、門番に名を告げて次々と中へ入っていく。

 列に加わり、順番が回ってくると馬車を降りる。

 見回すと既にいくつもの馬車が停車していて、着飾った貴族たちが次々と降りてくる。

 立派な装飾の馬車が多い。我が家の馬車はやはり地味だった。


「行ってくるわ」


「ん。控えの間で待ってる」


「……行ってくるわ」


 もう一度同じ言葉を繰り返してしまった。自分でもちょっと笑えた。

 ステラは小さく首を傾げると私の手を取る。

 触れた指は温かかった。


「大丈夫。――リリアーネなら大丈夫よ」


 ふっと、ステラに穏やかな笑みが浮かぶ。

 私は静かに頷くと案内の侍従に伴われ、王宮内へと足を踏み入れた。

 背後でステラの気配が遠ざかっていく。私は背筋を伸ばして夜の王宮の回廊を歩く。


 ※


 晩餐会の会場は、王宮内の広い大広間だった。

 王宮の主にふさわしく床は磨き上げられた大理石に豪華なシャンデリアが輝き、壁には歴代国王の肖像画がいくつも立ち並んでいた。

 私は何となく歴代国王の肖像画が目に留まった。最新のジークハイトのものから歴史を遡り、ついに初代国王にたどり着く。

 ――ふと、その肖像画に違和感があった。


 それは初代国王とそれに連なる数代の王の肖像画。

 数百年前に描かれたものらしく色彩がくすんでいたが、一部に比較的鮮やかな箇所があった。

 それは王の額の上――頭頂部部分の絵の具にかすかなむらがあった。

 周囲の背景とわずかに色味が違う。一見すると経年による剥落を後世の画工が修復しただけ、と言われれば納得してしまうような微妙な差異。


 でも――私の目にはそれは違うものに見えた。

 後から何かを削り取り、その痕跡を平坦な頭部として塗り直した痕。

 塗り直された絵の具もやがて剥がれ、下地の色がうっすらと透けてくる。結果としてよほど注視しないと気付かない微妙な色の差が生まれているのだ。

 その違和感に私の頭頂部の狼耳がぴくりと動いた。


(――まさか)


 初代から数代の王たちの頭にあったはずの、そして誰かが静かに無かったものにしたかったもの。

 この国がかつて帝国の傍系であった時代に、当たり前のように頭の上に生えていたかもしれない、それ。

 ――()()()()()()()()()()()


 エーデルガルド王国は旧ヴァリャーグ帝国のエーデルガルド公爵領として出発した国。

 その初代の王が旧帝国の傍系たる公爵家に由来しているのであれば、獣の特徴を備えていたとしても何ら不思議ではない。

 白狼の耳を持つ初代王。そしていつの日か、誰かがその耳を――おそらくは“西方の国家”としての体裁を整えるために、あるいは“帝国の残滓”から距離を取るために――静かに消したのだろう。


「おや――白狼の伯爵殿は王家の歴史に興味がおありですかな?」


 不意に背後に声をかけられて、我に返った。

 振り向くとそこには煌びやかな礼装を纏う貴族の男が立っていた。

 歳のころは四十ぐらいだろうか、まず目を惹いたのは貴族にしては日に焼けた肌だった。

 綺麗に整えられた髭。体格はがっしりとして、年齢の割に肩幅が広い。礼装の上着には銀細工のコンパスを模したブローチを控えめに差している。


「おっと自己紹介がまだでしたな。私はカスパー・エーレンブルグ・ゼーヴェルト。少々北海にて海運を営んでいるしがない貴族です。以後お見知りおきを」


 貴族の男は優雅に一礼する。

 ゼーヴェルト家――それはバルモア・ブラックウォール・ローゼンシルトに並ぶ四大公爵家の一つ。

 王国の北方を治め、北東のノルドヘイムや西のグランファーレンとの海運を牛耳り莫大な富を誇る名門。


 うぉっ……いきなり超大物に遭遇してしまったぞ――!

 しがない貴族、とは口が裂けても言えない大物が、こんなにも気さくに新参の伯爵に声をかけてくるとは……!

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