第69話 偶然の出会いはコーヒーの香りと共に
時は流れるのは早いもので、私が王都に滞在するようになって一ヶ月近くが経っていた。
叙爵式を終えればすぐにでも領地に戻るはずが、宮廷晩餐会の開催決定のせいで王都滞在が大幅に延びることになってしまうとはね。
幸い領地のほうはヴェルナーとの手紙のやりとりだけでなく、王都に滞在中のリュシアに頼んでこっそり聖声盤を使わせてもらったりして連絡を取っていたので、これといった問題は起きていないようだけど。
そんなでこんなで晩餐会まで残り一週間を切ったある日の午後、私はステラを連れて王都の繁華街を歩いていた。
特にこれといった目的があるわけではない。屋敷に篭りきりというのも気分が滅入るし、だからといって毎日リュシアやエセルのところに顔を出すのも気が引ける。
特にエセルの場合は私的な繋がりであっても向こうは公爵令嬢。
そんな彼女の元に新参の田舎伯爵が頻繁に出入りするとなると、貴族社会でよからぬ噂を立てられてしまうかもしれない。
私が言われる分には構わないけど、エセルや公爵家が迷惑を被るのは本意ではない。
「珍しいね、リリアーネが王都をぶらぶらしようなんて言うなんて」
「そうかしら? 屋敷に閉じこもってばかりじゃいられないし、友達の家に毎日押しかけるのもね」
「……ジークハイトに言われたこと気にしてる?」
「うっ……」
――『アッシュフィールド卿も王都での尻尾の振り方をようやく学んだか?』
エセルとのお茶会に押しかけてきたジークハイトの言葉が脳裏に反芻される。
あの日の出来事は大体のことをステラに伝えているが……やはり彼女は鋭い。
エセルを避けているわけじゃないけど頻繁に会うのを躊躇ってしまったのは事実。その裏にジークハイトの言葉があったのも、否定できない。
「貴族は人目を気にするのが仕事だから大変だね」
「まあ、ね……」
「それを思えば――私が今の境遇で一番よかったと思えるのは、そういうしがらみから解放されたことかな。革命が起きていなかったら、今のリリアーネの何倍も面倒なことばっかりだったはず」
ステラは、あの悲劇の後でもこうして前を向いて歩いている。
本当に強い女性だ。
……ふと思ったけど私の知り合いってみんな色々と覚悟キマった女ばかりじゃないか。
私は――この世界で生き延びる以外に、何かしらの決意を胸に抱いたことはあっただろうか。
確かに伯爵として領地と領民を守る、という使命は持っている。でもそれはまだあくまで私が生き残るための手段の延長でしかない。それよりももっと個人的な、私自身のための願いを――
「リリアーネ、また難しいこと考えてる顔してる」
「うう……そう見えるかしら」
「見える。街を見て回ろうと言い出したのはリリアーネだし、楽しむならもっと心から楽しんだ方がいいと思うけど」
「うん。そうね、その通りだわ」
ステラの言葉に気を取り直す。そうね、今日くらいは適当にぶらぶらするべきよね。
私は彼女の脇に並んで、改めて街の風景に目を向けた。
王都の繁華街は領都グレイヴィルとは桁違いの賑わいがあった。
石畳の大通りに面した商店が軒を連ね、大小さまざまな看板が通行人の目を引いている。
衣料品店、宝飾店、武具店。そして大通りから脇道に入ると飲食店が並んでいた。
その中の一軒に、見慣れない看板が目についた。
看板にはコーヒーカップの絵とグランファーレン語の文字が記されている。
「あら、コーヒーを出すお店だわ」
思わず足を止めた。
エーデルガルド王国の飲料文化は紅茶が主流で、コーヒーはあまり流通していない。
だが西の隣国グランファーレン帝国では紅茶と同じくらいコーヒーを嗜む文化があるのだ。
さすが王都、人・物・金が集まるところには珍しいものも集まってくるものね。
「ステラ、コーヒーって飲んだことある?」
「ヴァリャーグでは飲む習慣は無かったけど、小さなころにお父様が『珍しいものだ』と取り寄せたことがあるよ。苦くて飲めなかった」
「まあ、そうよね」
「家族みんな微妙な顔をしていたのを覚えてる」
「あはは……」
飲みなれていないとコーヒーの苦味はきついし、個人的にあの独特の酸味も敬遠の理由になるよね。
「ステラ、せっかくだしコーヒーを飲んでいかない?」
「……別にいいけど」
あまり乗り気ではないのかステラの狼耳が少し折れている。
まあ、飲んだことがあるから味が想像できるもんね。でも嗜好品というものは大人になってから味わうと変わってくるものだから、今度飲んでみたら意外と好きになるかも。
私はステラを促してコーヒー店に足を踏み入れた。
小さな店だったが、店内はグランファーレン風の内装で統一されて本格的だ。
王国は基本グランファーレンから多くの文化を取り入れているが、やはり本場は王国と少し様式が違うようだった。
店は通りにテラス席も用意されているので、注文した後は暖かい陽気を楽しめるそちらに腰を下ろすことにした。
注文したコーヒーが届く。
白い陶器のカップに注がれた漆黒の液体。立ち昇る湯気から豊かで力強い香りが鼻腔を刺激する。
前世では毎朝飲んでいたこの香り。
缶コーヒーやコンビニのドリップではない、ちゃんとした豆から淹れたコーヒーの匂い。
匂いは記憶と深く紐付けられていると、かつて何かの本かネットの記事で読んだことがある。
ああ、懐かしい。この香り嗅いだら鼻の奥がツーンとしてきた。
私が感慨に浸っている横で、ステラがカップを両手で持ち上げ、恐る恐る鼻を近づけた。
くんくんと匂いを嗅ぎ――白い狼耳がぺたりと伏せた。
「……苦そう」
「まあ飲んでみなさいって」
ステラは意を決したようにカップに口をつけた。
一口含んで――ぎゅっと眉間に皺を寄せた。
「にが……」
「ふふっ、砂糖とミルクを入れなさいよ」
「リリアーネはそのまま飲んでるのに」
「私はそのままが好きなの」
ステラは不満げに砂糖を二杯分とミルクを入れてかき混ぜるともう一口。
今度は「……まあ、飲めなくはない」という評価だった。耳はまだ伏せたままだったが。
私はコーヒーの香りと苦みを楽しみながら、通りを行き交う人々を眺めていた。
こういう何でもない時間が、王都では一番の贅沢かもしれない。
晩餐会まであと一週間。それまでの束の間の平穏――
「あの……失礼いたします」
背後から声をかけられた。
若い男の声。丁寧だがわずかに緊張を含んだ声色。
振り返ると、黒髪の青年が二人立っていた。
一人はがっしりとした体格の青年で、整った顔立ちに真面目そうな目元。
はて、どこかで見たような面影だが……
もう一人は最初の青年と比べると線が細く、顔立ちは柔らかく中性的な印象の青年。
どちらも身なりがよく、どこかの貴族の子弟という感じだ。
「もしかして、アッシュフィールド伯爵とその従者の方でいらっしゃいますか? 白狼の容姿を持つ女性の伯爵がいらっしゃると父から聞いておりましたもので」
「ええ、確かに私はリリアーネ・アッシュフィールドだけど……」
体格の良い方の青年が、かしこまった口調で尋ねてきた。
私たちの容姿。父から聞いた――もしかするとこの二人は――
「――申し遅れました。私はレオフリック・マルス・ブラックウォールと申します。父と姉がお世話になっております」
青年は背筋を伸ばして一礼する。
それを見た線の細い青年が慌てたように頭を下げた。




