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第68話 その微笑みは善意か野心か

 私の問いにリュシアの翠眼がほんの一瞬だけ細められた。

 それからカップを静かにソーサーに戻す。


「リリアーネはどこまで知っているのかしら?」


「先日、ローゼンシルト邸のサロンに出席したわ。直接お話しもしたけど――底が見えない人だった。教会との深い繋がりがあることは確かで、私の領地の情報まで把握していた。麦の穂のことも、アストリッドの福音劇のことも、あなたのことも」


 リュシアは腕を組んで椅子の背にもたれる。天井を見上げるような目つきで彼女は呟いた。


信仰の守護者(パトローナ・フィディ)の称号は知ってる?」


「ええ。エセルからも聞いたわ。教皇庁が信仰に篤い世俗の貴族に与える名誉称号だと」


「名誉称号――まあ、確かにそうなんだけどね。それは名前以上に貴族にとっては利権よ。まず教皇庁が後ろ盾に付いたと周囲に示すことができる。――実際に後ろ盾に付いたと教会は明言しないけど、周囲の貴族はそう思うし、そう思わせている。彼女はそれを巧みに利用している――ところかしら」


 なるほど。あくまで暗黙の了解か。

 教会は世俗の権威と距離を置いているという建前があるため、特定の貴族を支援したと明言することはない。

 だが称号を与えることで、あえて周囲に「あの貴族は教会と近い」と思わせる。

 特に王権と教会は表立って対立こそしないものの、縄張り争いめいた力学が働いている。

 教会は称号を与えた貴族を使って、王権への働きかけを図り、王権もまたその貴族を使って教会への影響を及ぼそうとする。

 その間を上手く立ち回れば、爵位以上の力が手に入る――ということなのだろう。


「彼女はよくやっていると思うわ。だからこそ教皇庁の一部には彼女を快く思わない声もあるのだけど、彼女が多額の寄進をしていることもあって表立って非難はできない」


「リュシア様……あまりそのようなご発言は……」


 明らかにセレスティーヌをディスっている発言に、エセルは顔をしかめてリュシアを諌める。


「エセル、リュシアはこういうやつなの。私以上に世の中斜めに構えて見る冷笑屋だから気を揉むだけ無駄よ」


「は、はぁ……」


「冷笑屋とは失礼な。私は冷静に分析しているだけよ」


 うーん、やはり良いところのお嬢様にリュシアの毒は強いか。

 穏やかな笑みの下で遠回しにディスりあう貴族の社交界とは違ってリュシアは火の球ストレートだもの。


「例えば……リュシアの直属の上司の方――そのサルヴァトーリ枢機卿は、ローゼンシルト公爵をどう思っているのかしら」


「直接伺ったことはないけれど……猊下は慎重な方よ。教皇庁と世俗の貴族の距離は適切に保たれるべきだとお考えのはず。セレスティーヌの影響力の拡大を快くは思っていないでしょうね。でも、正面から事を構えるような方でもない」


 口ぶり的にリュシアの上司は穏健保守と言ったところだろうか。

 あくまで世俗の権力と距離を取り、お互いに干渉は最小限に留めるべきと考えている人なのだろう。

 そういえばリュシアはこの枢機卿について語っている時は心なしか口調が柔らかい。彼女なりに敬意を払っているようだった。


「ふうん……ところで、リュシアのわりにはその枢機卿のことあんまり悪く言わないわね」


「はあっ? ……突っ込むのそこ? ま、猊下にはいろいろと良くしてもらったのよ。アッシュフィールド領行きを命じたのは猊下だし」


「あれ? うち行きは左遷じゃなかった?」


「名目は左遷よ。猊下は()()()()()()()()()()()()()()があったのでしょうね――って私のことはどうでもいいのよ。この話はローゼンシルト公爵の話でしょ」


 言外にリュシアは自分の話題に触れるなと言いたげだった。

 リュシアはあんな人間だけど、内面がわりと複雑な人間なのはこれまでの付き合いで知っている。

 彼女が聖職者として何に苦しみ、何に救いを求めているかを私がどうこうできる問題でもないので、あまり深入りはしないでおこう。


「そうね……人には聞かれたくないこと、一つや二つあるもの。ね、ステラ?」


「……なんで私に振るの」


 突然私に呼ばれたステラは一瞬きょとんとした表情をするも、すぐにさっきまで通り無表情に戻った。

 でも尻尾が腰に巻き付いてぴくぴく揺れている。お、ちょっと不機嫌だなこいつ。


「あの……セレスティーヌ様のことは以前から存じ上げておりますが……サロンではとても慈悲深い方として振る舞っていらっしゃいます。貴族の若い子女たちの交流の場を設け、困っている人がいれば手を差し伸べる。少なくとも表に出ている顔は善意そのものですわ」


 エセルが話題を変えるように自身のセレスティーヌ評を語る。

 その語り口はリュシアの言うことをやんわりを否定するようなものだった。


「善意と影響力は別物よ。善意があることと、その善意を武器にしていることは矛盾しない。彼女の振舞いに全く善意が宿っていないとまでは言わないわ。でもそれが同時に国や教会への影響力増大に繋がっていることは事実。それを……意図してやっているのか、天性のものなのかは知らないけれど」


 私はリュシアの言葉を咀嚼しながら、あの日のサロンでの邂逅を思い返していた。

 麦の穂のこと、アストリッドのこと、リュシアのこと。そしてエルベ谷での紛争のことすべてを知った上で穏やかに微笑んでいた女。

 あの笑顔の奥にあるものが善意なのか野心なのか、あるいはその両方なのか。

 まだ答えは出ない。

 でも、少なくとも軽視していい相手ではないということだけは、改めて確認できた。


「ありがとうリュシア。参考になったわ」


「別に? あなたが王都で変なのに絡まれて失脚されると困るのよ。その……アッシュフィールド領での生活は私も結構気に入ってるし」


 リュシアの耳が少し赤くなっていた。ちょっと照れているのだろう。

 素直じゃないリュシアらしい物言いに、エセルがくすりと笑った。


「お二人がたの歯に衣着せぬ物言い……最初は少し驚きましたが、そういう関係少し羨ましいですわ。バルディーニ司教――いえ、リュシア様は本当にリリアーネのことを大切に思っていらっしゃるのですね」


「は? どこをどう聞いたらそうなるのよ」


「今自分で仰ったじゃありませんか。『アッシュフィールド領での生活は私も結構気に入ってる』と」


 リュシアの白い頬にうっすらと朱が差した。

 彼女がぷいっと顔を背けるのを見て、私とエセルは目を合わせて静かに笑った。


「そういやリリアーネ。あなた宮廷晩餐会に出席するんでしょう?」


「ええ、そうだけど」


「私も出席よ。サルヴァトーリ猊下の代理として王都の教会代表で招待されたわ」


 へえ、リュシアも出席か。

 王家の宮中行事に教会関係者が参加するなんて珍しい。

 まああの王様のことだ、教会にも自分の権威を示したかったのかもしれない。


「事情聴取が済んだらすぐに帰れると思ったのに……王都の滞在延長よ」


「私もそうよ。早く領地に帰りたいのになあ」


「あら、リリアーネはわたくしと早く別れたいと仰るのですか?」


「そ、そういう意味じゃないわよ……」


 大聖堂の窓から差し込む光が、橙色に染まっていた。

 楽しいお茶会がジークハイトに冷えっ冷えにされたと思ったけど、こうやってリュシアと思わぬところで再会できて良かった。

 これで晩餐会も「私のバックには聖銃騎士が付いてるぞイェーイ!」と他の貴族にマウント取れそうだ。

 女神の導きなんて信じる柄ではないけれど――今日は感謝よね。


「さて、そろそろ帰る時間かしら」


「ではリリアーネ、わたくしの馬車で送りますわ」


「私は基本大聖堂に滞在してるから。尋ねるならあまり人のいない時間を選びなさい。リリアーネの前で猫被って信徒の対応なんてしたくないから」


「はいはい。それじゃあ――また今度ねリュシア」

 

 リュシアが軽く手を振る。

 大聖堂を出ると、夕暮れの王都の街並みが広がっている。

 私たちはふうっと深呼吸して迎えの馬車に乗り込んだ。

 

「……素敵な方ですね、リュシア様」


「そう? 口が悪い皮肉屋だし、初対面で聖銃突きつけてくるような女よ?」


「ふふっ、それはまた随分な紹介ですわね。確かにわたくしも、その……言葉の毒の強さに少し戸惑いましたが……仮面を脱いだ後の方がずっと魅力的な方だと思いましたわ」


 エセルの声には茶会での張り詰めた緊張はもうない。

 大聖堂での神聖な空気が――いや、リュシアとの交流が効いたのだろう。


「エセル。また会いましょう」


「そうですわね。今度はリュシア様もお誘いしましょう」


「めんどくさがりのあいつが来るかしら?」


「リリアーネがお誘いならあの方は来ると思いますわ」


 そんな雑談をしながら、馬車はやがてアッシュフィールド別邸に到着した。

 私とステラは馬車から降りる。エセルの馬車がゆっくりと遠ざかるのを私たちは見送ると、屋敷の門をくぐる。


「リリアーネ、リュシアと会えて嬉しそうな顔してる」


「まあ一ヶ月近く会ってないんだもの。私も少しくらい寂しいって思うわよ」


「……それだけ?」


「それだけ」


 私はステラの耳先を軽くつついた。

 ステラはくすぐったそうに耳をぴこぴこと動かし小さく口元を緩めた。

 晩餐会のせいでまだ帰れそうにないけど、王都で巡り合えた縁には感謝しなくちゃね。

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