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第67話 完璧な令嬢と、完璧じゃない聖女

 アッシュフィールド領にいるはずのリュシアがなぜかここにいる。

 彼女は私の姿を認めると「まあ――」と鈴を転がすような声でたおやかな微笑みを浮かべた。


「リリアーネ様。こんなところでお目にかかれるとは、女神のお導きでしょうか」


 うわっ、久々の聖女モードだ。初対面以来だわ。

 リュシアは胸の前で手を組み、優雅に会釈した。

 所作の一つ一つに慈愛が滲むその姿はとにかく「聖女」の完成形。誰が見ても女神に選ばれし女性に見えるだろう。


 だが、私にはわかる。

 公の場ゆえにリュシアは猫を被っているのだと。

 ここにいるのなが礼拝に訪れた一般人や、もしくはエセルだけならこの営業スマイルで通せただろうけど、ここには彼女の素を知る私がいる。現にほん少しだけ慈愛の笑みの口元が引きつっているように見えた。

 とりあえずこの様子を生温かく見守ってみよう。


「こちらは……ブラックウォール家のご令嬢でいらっしゃいますか?」


 リュシアの視線がエセルに向けられた。


「お初にお目にかかります。アッシュフィールド教区の担当司教を務めております、リュシア・バルディーニと申します」


「エセルフリーダ・ルナス・ブラックウォールです。バルディーニ司教のお噂はかねがね耳にしておりますわ。若くして聖銃騎士十三位を拝命され、司教位にまで上り詰めた大変に優れた女性だと。そのような叡智と信仰を兼ね備えた方がアッシュフィールド伯を導いてくださっているとは、心強いことですわ」


 すげえー、さすが公爵令嬢。完璧な社交辞令トーク。

 例えお世辞だとわかっていても、ここまでヨイショされたら気分が悪くならない。それくらい美しい仕草で言うんだから。

 そんな完璧な受け答えに対し、リュシアはごく自然に優雅に微笑み返した。


「まあ、ありがたきお言葉。信仰の道は険しゅうございますが、女神のお導きを信じて日々精進しております」


 往復する完璧な社交辞令ラリー。

 二人ともお互いに名前と立場を知っていて、それでいて初対面の挨拶を行儀よく交わしている。

 私も貴族の女としてそれなりにこういうトークはできるつもりだったけど、目の前の二人のレベルに比べればお粗末なものだ。


「――リリアーネ様がこの地にお見えとは存じ上げませんでした。叙爵の儀のご上洛でいらっしゃいますか?」


「ええ、先日無事に叙爵の儀を終えまして。今は宮廷晩餐会の日取りを待っているところ――もういいかしらリュシア? 私とあなたの仲じゃない、いつまで猫被っているつもりなの」


 あ、我慢できずにツっ込んでしまった。

 エセルがぎょっとした顔で私を見る。

 リュシアは一拍の間を置いて、ふう、と長い息を吐いた。


「……あー。バレてるのに続けるのも疲れるのよね」


 声のトーンが半音下がった。

 背筋は伸びたまま、でも纏う空気が別人のように変わる。

 聖女のヴェールの下から現れたのは、見慣れた皮肉屋の翠眼。

 そう、これが私の知っているリュシア・バルディーニだ。


「しばらくぶりねリリアーネ。相変わらず人の仮面を引っぺがすのが趣味なわけ?」


「趣味じゃないわよ。あの猫被り演技を見てると背中がむずむずするから仕方ないの」


「酷い言い草。私だって初対面の方の前ではそれなりに体裁を整えるのよ」


 軽口を叩き合う私とリュシア。

 彼女の声に鈴を転がすような色はなく、年相応の娘らしさが戻っている。

 エセルがぽかんとした様子で私たちを見比べている。

 

「……改めまして。リュシア・バルディーニです。見ての通りあまり敬虔とは言いがたい聖職者ですのでお見知り置きを」


 エセルは目を丸くしていた。

 数秒前まで目の前にいた慈愛に満ちた聖女と、今そこに立っている皮肉屋な若い娘が同一人物だという事実を処理しきれていない顔だった。


「あ……えっと……」


「驚かせてしまったわね……ごめんなさい。でもリリアーネの前で猫を被り続ける方が不自然だし、こっちが本当の私なの。気を悪くされたなら謝るわ」


「いえ、そうではなくて……」


 エセルは首を横に振った。

 それから、ほんの少しだけ考えるような間を置いて――くすりと笑った。


「……なんだかほっとしましたわ」


「ほっと?」


「完璧な方を前にすると息が詰まりますもの。こちらの方がずっとお話ししやすいですわ」


 リュシアが少し意外そうに瞬きをした。

 それからふっと口角を上げる。


「……ブラックウォールのお嬢様はなかなか面白いわね。普通は引くものよ」


「サロンで色々な方の裏表を見慣れておりますので。仮面を外してくださる方のほうが、わたくしは信用できます」


 エセルの返しにリュシアが目を見開き、それから小さく噴き出した。


「あははっ。リリアーネ、あなたいい友達持ったわね」


「でしょう?」


 大聖堂の重厚な空気の中で、三人の間に軽い笑いが起きた。

 ステラは私たちより一歩引いた後ろでいつも通り静かにこちらを見守っている。

 でもその尻尾はゆったりと揺れていて、こちらのやり取りを楽しんでいるように見えた。


 ※


 リュシアの案内で大聖堂の客間に通された。

 聖職者が来客を迎えるための小部屋は質素だが清潔で、でもどこか神聖な空気を纏っていた。

 椅子に腰を下ろし、リュシアが出してくれた茶を一口すする。

 決して高価ではないが丁寧に淹れられた茶は、さりげない温かさで不思議と落ち着く味だった。


「それで、リュシアはどうして王都に? アッシュフィールドの教会を空けてて大丈夫なの?」


「まあ日常業務は他のシスターたちに任せられるからね。今は王都に出張中よ」


「先のエルベ谷の件で事情聴取を受けてるの。修道院を護るためとはいえ、聖銃を抜いたことで教皇庁に報告を求められているのよ」


 ――聖銃を展開した。

 あの時、リュシアはヘルマンシュタインが差し向けた傭兵団「鉄の牙」を聖銃の威圧だけで投降させた。

 実際には一発も撃っていない。だが展開した事実だけでも報告と確認の対象になるということか。

 やはり聖銃騎士というものは、教会にとって単に暴力以上に政治的な意味合いが強いものなのだろう。


「それについての報告については書簡と聖声盤を使って済ませられるけど――ぶっちゃけ事情聴取は建前なのよ、私を呼ぶための」


 リュシアはカップを指先で弄びながら、少しだけ声のトーンを落とした。


「私を王都に呼んだのは、ロレンツォ・サルヴァトーリ枢機卿猊下。直属の上司にあたる方なの。以前、私を教皇庁から……まあ、アッシュフィールドにお送りくださった方。猊下は王都を含むこの地域の教区を統括する総責任者でもあるの。普段は教皇庁にいらっしゃるけれど、定期的に王都にもお見えになるわ」


「それで、事情聴取を名目にあなたをわざわざ王都に呼んだ、と」


「そう。聖銃の展開報告なんて書面で済む話よ。わざわざ本人を呼び出す必要はないわ。要は――あの方なりのやり方で、私がアッシュフィールドで元気にやっているか直接確かめたかったんでしょう」


 そういえばリュシアがアッシュフィールドにやってきた経緯を私は詳しくは知らない。

 女神の存在を疑い、色々と思想的にヤバイことを口走って左遷されたらしいことは聞いているが、今の口ぶりだとリュシアの左遷を命じた枢機卿は彼女のことを気にかけているようにも聞こえた。


「猊下には『あの地でよき友人と出会えました』とお伝えしたわ」


「あら、それは光栄ですこと」


「あなたのことだとは一言も言ってないんだけど」


「はいはい」


 軽口を交わしながらも、リュシアが王都にいる理由は理解できた。

 そして王都の教会事情に詳しい彼女がここにいるのは、私にとっても好都合だ。


「それで――リリアーネ、田舎貴族のあなたがどうしてブラックウォール家の令嬢と一緒に?」


「田舎貴族は余計よ。事実だけど」


 私はエセルと出会った経緯を簡単に説明した。

 王都近郊の村で瘴気が発生しているのに放置され続けていたこと。

 家中の者がその村の関係者だったことで、私が様子を探りに行ったこと。

 そしてブラックウォール家の当主と娘が冒険者に扮して村を訪れており、共に協力して瘴気を鎮めたこと。


「相変わらず面倒なことに首を突っ込むわね……しかし、瘴気がずっと放置されていたのは教会としても問題だわ。瘴気は教会としても対応するべき事案なんだけど、じゃあ行政とどのような連携を取るかとなると、はっきりとした指針がないの」


 リュシアが苦々しげに言う。

 やあねえどこも縦割り行政の弊害は根深い。

 教会も国も基本的には縦に連なる組織だから、横の連携って難しいんだよね。

 そういった縦割り行政の間に入る何でも屋みたいなのが冒険者ギルドだけど、それが常態化しているのは健全な姿とは言い難いと思う。


「そうだ。一つ聞きたいことがあるんだけど」


「何かしら?」


 縦割り行政の話は一介の地方領主と司教でどうにかなるような話題ではないのが実情。

 あーだこーだ言っても仕方ない。

 代わりにここで聞いておくべきことをリュシアに聞くことにした。

 私に関係して、なおかつ教会事情に詳しいリュシアだからこそ聞けること。


「ローゼンシルト公爵――セレスティーヌ・ベネディクタ・ローゼンシルトという人について、教会の内側から見た評価を知りたいの」

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