第66話 意外な再会
ブラックウォール邸を出た私たちは、エセルの案内で王都の中心に向かっていた。
午後の陽光はまだ温かいが、さっきまでの茶会の冷えた空気を引きずっているせいか、馬車の中はどこかよそよそしい静けさに包まれていた。
エセルは窓の外をぼんやりと眺めている。
穏やかな横顔。穏やかであるが、それは穏やかであろうと己に強いているように見えた。
婚約者でありながらジークハイトからの塩対応と家への嫌味を浴びせられて平気なわけがない。
私もまた窓の外を見るふりをしながら頭の中を整理していた。
反芻しているのは、あの一瞬――ジークハイトが妙に怯えたような動揺の色を見せたことだ。
世継ぎの話をした直後の、ジークハイトの顔。
自分で口にした言葉に自分で怯えたような、あの不自然な強張り。
あの言葉は婚約者に向けたただの社交辞令にすぎないはずだ。
未来の王妃の身を案じる、ありふれた定型文。
王が婚約者にかける決まり文句。意味なんて深く考えずに口から出ただけ。
それなのに――言った瞬間、ああして怯えた顔を見せたのはなぜ?
なぜ、世継ぎの話であんな顔をする?
エセルとの間に子が生まれることを望んでいないのか。
まさか。王として世継ぎを望まないなんてありえない。王統の存続は王の最大の責務だ。
では何が彼を怯えさせた?
――ふと、一つの仮説が浮かんだ。
エセルフリーダ・ルナス・ブラックウォール。
四大公爵がひとつブラックウォール家に生まれ、魔導の才に秀で武門の矜持を備えた才女。
もしこの女性との間に子が生まれたら?
その子がエセルの聡明さと、ブラックウォールの血が持つ器量を受け継いだとしたら?
――さすがはブラックウォールの血筋だ、と。
(まさか……)
その称賛の対象にジークハイト本人が含まれないことを恐れている?
夭折した兄の代替品の男が、今度は自分の子にまでも王にふさわしい能力で抜きん出られてしまったら、という不安?
自分は生まれてくる子に王統のお墨付きを与えるためだけの種馬扱いへの恐怖?
(……いやいや。いくらなんでもそこまでしょーもない男じゃないでしょ。自分の子供が優秀であることを恐れるなんて、そんな王様がいてたまるもんですか)
さすがにそれは穿ちすぎだ。私の悪い癖だ。
世の中を斜めに見すぎだとエセルにも指摘されたばかりじゃないか。
きっと別の理由がある。もっと普通の。
――もっとまともな理由が。
雑念を振り払うように、私は前を向いた。
今考えるべきなのは、ジークハイトの内面の分析じゃない。
目の前で傷ついた友人のことだ。
「……ねえ、エセル」
「はい?」
「余計なお世話だと思うけど聞いてもいいかしら? 陛下との関係、大丈夫なの?」
直球で聞いた。
回りくどい言い方をしても白々しいだけ。
エセルは一瞬だけ目を伏せ、それからふっと微笑んだ。
「……疎まれている自覚はありますわ」
思いのほかあっさりと認めた。
「幼い頃に許嫁として決まった時は、ああではありませんでした。もの静かで絵を描くのが好きな少年だったように思います」
「あれが?」
とてもじゃないが信じられない。
「やはりきっかけは――兄君様が身罷られ、王太子の座を継がれたころでしょうか……王太子となればどうしても宮中の醜いものを見せつけられてしまいますから。それを呑み込むにはあまりに繊細なお方でした」
ふとステラのジークハイト評の“何かに怯えている”を思い出した。
王太子であった兄の死、それに起因しての地位と責任の転換。そして宮中の権力闘争。
それらを呑み込むには彼が持つ器では小さすぎて、その結果今の傲慢で威圧的な彼を作り上げた――
「時折、ああして急にお見えになることがあるんです。事前のご連絡もなくお越しになって、お父様に冷ややかな言葉を仰って、わたくしに義務的なお言葉をかけて、お帰りになる……」
「あー……」
うん……まあ、あるよね。器以上の役職に昇格して性格が歪んじゃうみたいな人。
最初は謙虚だったかもしれないけど、自分の権威が自分が思っていた以上に大きくて、それに溺れて傍若無人に振る舞いだす。
でも権力は大してないから宮中では自分の裁量だけで決められない――権威だけはあるから、宮中の外ではそのストレスを晴らすために尊大な態度で振舞い続ける――
定期的にアポなしで訪問しては嫌味を言って帰る。本社で相手にされないから支社の現場巡りする社長あるあるだ。
「それでも、支えたいと思う?」
「ええ。それがわたくしの務めですもの」
エセルはこちらを向いて、今度は少し強い目で言った。
「陛下のお傍にいて、お支えすることがわたくしにできる最善のことだと思っています。それがブラックウォールの娘としてわたくしに課された役目ですわ」
その言葉には揺るぎがなかった。
報われない献身であることは本人が一番わかっているのだろう。
それでもなお「支える」と言い切れるこの娘の芯の強さに、私は敬意を抱くしかなかった。
「……エセルは強いわね」
「強くなんてありませんわ。それしかできないのであれば、迷いません。迷っても仕方がないでしょう?」
(それを“強い”って言うんだけどね……)
馬車の窓から見える景色が、貴族街の邸宅から王都の中心部へと移り変わっていく。
通りの向こうに、白い尖塔が空に向かって伸びているのが見えた。
※
王都の大聖堂は、王宮と並んでエーデルシュタットの象徴と呼ばれる壮麗な建造物だった。
天を突くような尖塔。白亜の壁面に刻まれた聖人像。
その聖人たちの名前なんて私は誰も知らないけど、それでも荘厳な雰囲気に呑まれるだけの迫力はある。
足を踏み入れた瞬間、空気が変わった。
王国の象徴たる大聖堂だけに、その内観もまた壮麗の一語に尽きた。
高いドーム状の天井にステンドグラスの柔らかな光。
ただ静かで、冷たくて、でも不思議と落ち着ける空気。
確かに――気持ちを落ち着けて祈りを捧げるのには、うってつけの空間だと思った。
「大きいわね……うちの教区の教会とは比べ物にならないわ」
「王都の大聖堂ですもの。教皇庁のお膝元である聖教国の大聖堂には及びませんが、国内では最大の聖堂ですわ」
エセルが小声で教えてくれる。
礼拝の時間は過ぎているようで、参拝者の姿はまばらだった。
広大な空間に私たちの足音だけが反響する。
――と、その時。
主祭壇の横手、副祭壇の前で祈りを捧げている一人の女性の姿が目に入った。
純白の法衣。整えられた金色の髪。
その後ろ姿に――見覚えがあった。
「……え?」
「リリアーネ? どうしましたの?」
静かに祈りを捧げていれば聖人像の聖人たちと遜色ないような清らかな佇まい。
女性はこちらに気付くとゆっくりと顔を上げ、こちらを振り向く。
透き通るような翠の瞳が、私を捉える。
――リュシア・バルディーニ。
うちの教区担当の不良聖女がなぜか王都の大聖堂にいた。




