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第63話 公爵家のお茶会でなぜか縁談の話になった件

「邪魔するぞ」


 現れたのは、ラフな部屋着のブラックウォール公爵だった。

 あの圧倒的な体躯を部屋着に包んでも、威圧感というよりは大型犬のような気安さがある。

 ただし、ここはブラッウォール邸。目の前にいるのは冒険者のウィンではなく、大貴族ブラックウォール公。

 最低限の礼儀は通しておかなければ。


「お父様、ノックの意味がありませんわ」


「返事を待ってたら菓子がなくなるだろ」


 そう言ってエセルの隣にどかりと腰を下ろすと、遠慮なく焼き菓子に手を伸ばした。

 ステラの方にも視線を向けて、「おう、メイドの嬢ちゃんも一緒か。遠慮なく食え」と促す。

 ステラは小さく頷くと菓子に手を伸ばした。


「リリアーネ殿、先日のサロンはどうだった? うちの娘がちゃんとエスコートできたか?」


「ええ、おかげさまで。エセルには本当に助けられましたわ」


「ふふっ、リリアーネはお一人でも十分にやっていけると思いますけれど」


「まさか。初手から耳を触らせろ攻撃に遭ってたのよ?」


 エルウィンが茶を噴きそうになり、エセルが「まあ」と目を丸くした。


「それは……災難でしたわね……」


「あいつら相変わらずか。王都の貴族令嬢ってのは暇を持て余すとろくなことをしない」


 エルウィンが呆れたように肩をすくめる。

 そんな他愛のない会話を重ねるうちに、空気は自然と和らいでいった。

 ここにあるのは家族の延長線上にある温かさ。

 武門の家だからこそ、中にいる人間はこういう穏やかさを大事にしているのかもしれない。


「そうだ、リリアーネ殿。うちの息子たちに挨拶させたかったんだが、今日は二人とも出払っていてな」


「兄弟がいらっしゃるの?」


 私がエセルに視線を向けると、エセルは少しだけ照れたように微笑んだ。


「ええ、歳の近い弟が二人おりますの。兄がレオフリック――私の一つ下で今年十七歳になりますわ」


「私と同い年――というかエセルって十八歳なんだ」


「あら、わたくしをいくつだとお思いでしたの」


「んー、その落ち着きようから私の上だとばかり……まさか私と一歳しか違わないなんて思わなかったわ」


「そうでしょうか? リリアーネも十七とは思えないほどの胆力の持ち主でわたくしとしても羨ましい限りですわ」


 褒められている……よね、これ。

 まさかエセルが遠回しに皮肉言ってるとは思えないし、純粋に褒めてくれているつもりでいてくれているのだろうけど。

 いかんいかん、ついさっき私は世の中を斜めに見すぎてると指摘を受けたばかりだったわね。


「こほん……話を元に戻しましょう。弟がアルフレッドで今年十五になりますの」


「レオフリックは公爵家の跡継ぎとして俺がみっちり仕込んでいるが、次男のアルフレッドはまだまだ手のかかる悪ガキだ。剣の鍛錬ばかりにかまけて勉学がおろそかになってな。どうしたもんかと頭を悩ませてるところだ。誰に似たことやら……」


 エルウィンが我が子の悪行を嬉しそうに語る。

 親バカだ。これが親バカってやつか。

 エセルが「お父様、お客様の前で」と窘めるが、その口元は緩んでいた。

 弟たちの話をしている時のエセルはサロンの公爵令嬢とも、森で共に戦った魔導士とも違った“お姉ちゃん”としての一面が見えて微笑ましかった。


「それでもなあ……アルフレッドの奴、かみさんに似て妙に人懐っこいところがあってな。怒ろうとしても、あの悪戯好きの笑い方をされると怒りがしぼんでしまうというか……」


 親バカがすぎるエルウィンの声が一段柔らかくなった。

 かみさん――妻のことだ。

 その呼び方の自然さに、今も大切にしている人なのだと伝わった。


「お母様に似ていらっしゃるの?」


「ええ。アルフレッドはお母様によく似ておりますわ。顔立ちも奔放なところも」


 エセルが微笑みながら答える。

 だがその笑みの端に、かすかな翳りがよぎった。


「かみさんは……あの流行り病で逝った」


 ああ、ここでもあの流行り病はこの家族にも影を落としていたのかと。

 あらゆるところでその爪痕を残している十年と少し前の流行り病を改めて恐ろしく思う。


 エルウィンの口調は落ち着いていた。

 声のトーンは変わらない。激しい感情を見せるわけでもなく、ただ事実として過ぎ去ってしまったことを語っている。


「エセルは物心ついたばかりで、下の二人はまだガキンチョだ。かみさんが倒れてからのしばらくは、エセルは泣きもせずに弟たちの面倒を見ていたよ。……俺は看病にかかりきりで、この子に何もしてやれなかった」


「お父様、それは――」


「事実だろう」


 エルウィンがエセルの頭にぽんと手を置いた。


「こいつが同じ歳の娘たちよりずっとしっかりしているのは、褒めるべきことじゃない。そうならざるを得なかっただけだ。親として、それは申し訳なく思っている」


「……もう。お客様の前でそのような話を」


 幼くして母を亡くし、泣く暇もなくさらに幼い弟たちの面倒を見た少女。

 公爵令嬢としての完璧な所作も、森で見せた冷静な判断力も、全部その時に否応なく身についたもの。

 エセルの強さの根っこには、子供時代を奪われた喪失があったのだ。


「……お母様の話をしてくださって、ありがとうございます。閣下、エセル」


「礼を言われるようなことじゃない。……ただまあ、かみさんが生きていたらお前さんを見て喜んだだろうな。『あら素敵な方ね、うちの息子のお嫁さんにどうかしら』なんて言い出しかねん女だった」


 エルウィンの苦笑には、亡き妻への想いが込められていた。

 そして、その言葉が冗談から自然と真面目な空気へと繋がっていく。


「リリアーネ殿」


「はい」


「少し――真面目な話をしてもいいか」


 空気が変わった。

 エルウィンの目から気さくなウィンさんの色が消え、公爵としての眼差しが現れる。

 エセルもカップを置き、姿勢を正した。

 ステラの白い耳がぴくりと立ったのが視界の端に映る。


「実はな――お前の父ベルンハルトとは、互いの子を結ばせる話も出ていたんだ」


 どくん、心臓が鳴った。


「……お父様と、閣下が?」


「ああ。あいつが王都に来るたび、うちにも顔を出してくれた。堅物で不器用な男だったが、信義に篤い。東方を共に守る家として、血を繋ぐ話は自然に出たよ。まだあの時は互いに子供たちも小さくて、具体的なものじゃなかったが……子供たちも成長して、具体的な話がこれからというときにあいつは逝っちまった」


 お父様が水面下で進めていたという縁談。

 あの別邸の執務室でステラと話した時、「話が固まる前にお父様が亡くなったせいで立ち消えになった」と言った。

 その相手がブラックウォール家だったのだ。

 お爺様の交友録にブラックウォールの名が何度も出ていた理由。

 お父様が王都の社交を避けながらも、この家にだけは足を運んでいた理由。

 全てが一本の線で繋がった。


「あいつが死んじまって話は流れた。それに正直、お前さんが当主になったばかりの頃は判断がつかなかった」


 エルウィンは紅茶を一口すすり、それから真っ直ぐ私を見た。


「だが――ホルン村で共に瘴柱を祓って俺は確信した。ベルンハルトの娘は想像以上の器だ、とな」


「閣下……」


「俺は今でもアッシュフィールドとの縁は大事にしたいと思っている」


 そして、冗談のような口調で――だが、その目だけは笑っていない声音で言った。


「次男のアルフレッドを、お前さんの婿にやるのもやぶさかではないぞ?」


 客間の空気が静かに張り詰めた。

 冗談に見せかけた、しかし本気の重さを持った提案。

 四大公爵の一角から辺境の伯爵家に婿を出す。


 普通なら私が同格以上の貴族に嫁ぎ、アッシュフィールドの領地や財産は嫁ぎ先の家が相続するというのが通例だ。

 しかしブラックウォール公爵は――私に次男を婿入りさせて、アッシュフィールドの家名を残させるという提案だ。

 それがどれほど破格のことか、貴族社会に身を置く者ならすぐにわかるだろう。


「身に余るお話です、閣下」


 声が少し上ずった。

 平静を装うのが精一杯だった。


「ですが今は――まだ答えを出せる状況にはありません。領地の運営もまだまだ手探りの段階ですし、王都での立場も定まっておりませんので」


「構わん、急かすつもりはない。頭の片隅に置いておいてくれればいい。アルフレッドもまだ十五で尻の青い餓鬼だ。数年は猶予がある。その間にお前さんが別の縁を見つけるなら、俺は何も言わんよ」


「お父様、あまりリリアーネを困らせないでくださいませ」


 エセルが父親を窘める声を出したが、その口元が明らかにほころんでいるのを私は見逃さなかった。


「あ、あのね、エセル。そんな嬉しそうな顔しないでくれる……?」


「あら、わたくし何も申し上げておりませんわ?」


「顔に全部書いてあるのよ……」


 エセルがふふっと声を漏らし、つられてエルウィンも笑った。

 緊張していた肩の力がようやく抜ける。

 お父様が繋ごうとした縁。それを今、この人たちが繋ぎ直そうとしてくれている。

 答えはまだ出せない。出す段階にもない。

 でも――この温かさだけは、ちゃんと胸に留めておこう。


 縁談という爆弾投下の余韻がまだ残る中、私たちは再び穏やかな茶会に戻っていた。

 エセルが淹れ直してくれた二杯目の紅茶は最初の一杯よりも少しだけ甘く感じた。

 エルウィンがアルフレッドの武勇伝――というにはいささか幼い失敗談を披露し、皆で笑い合ったりと和やかな空気のまま時が過ぎていく。


 このまま日が暮れるまでこうしていられたらいいのに。

 ――そんな温かなお茶会に緊張が走ったのは、コンコンと控えめだがどこか切迫した響きのあるノックの音がした時だった。

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