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第62話 王の婚約者として。公爵令嬢の決意

 貴族同士のマウントバトル会場だったサロンから数日後。

 私はステラと共にブラックウォール公爵邸を訪れていた。

 今度はエセルから「今度はわたくしの家でゆっくりお茶でもいかがですか」と私的な招待を受けたのだ。

 サロンでの別れ際、「二人でゆっくりお茶でもしましょう」への返答というわけである。


 ブラックウォール邸は――ローゼンシルト公爵邸とは何もかもが対照的だった。

 優雅かつ優美。それでいて慎ましさがあったローゼンシルト邸に比べると、やはりブラックウォール邸は重厚で無骨な門構え、邸内にも華美な装飾はほとんどない。

 壁に飾られているのは絵画ではなく古い武具の類で、先祖代々の品々を敬愛の意も込めて並べているのだろう。

 まさに公家というより武家の家柄といった佇まいである。


 手入れは隅々まで行き届いていて、埃一つない清潔さが保たれていた。

 華やかさの代わりに実直さがある。

 どことなくうちの屋敷に通ずる空気感があった。

 家格は違えど似た出自の家ゆえなのだろう。


「リリアーネ、ようこそいらっしゃいました」


 客間に通されると、エセルが立ち上がって出迎えてくれた。

 今日は私的なお茶会のため「様」はいらない。肩肘張らない友人としての集い。

 今日は公式の場ではないからか、藤色の社交ドレスではなく、落ち着いた紺色の普段着用のドレス。

 髪も結い上げずに自然に下ろしていて、サロンで見た公爵令嬢というよりは年相応の少女だった。


「お招きいただいてありがとう、エセル」


「ステラさんもどうぞお席に」


 エセルがステラにも声をかけてくれる。

 社交の場ではなく私的な茶会だからこその気安さだ。

 ステラは小さく頷いて、私の後ろの椅子に腰を下ろす。


 客間は広すぎず狭すぎず、窓から差し込む午前の穏やかな陽気に包まれて温かく、居心地良い空間。

 テーブルには素朴だが美味しそうな焼き菓子が並んでいた。

 お菓子もティーセットもサロンの時よりも地味だが、私にとってはこのくらいの方が気兼ねしないでいい。


「こっちの方が落ち着くわ……正直に言うと、あのサロンは胃が痛かった」


 紅茶を一口すすりながら率直に漏らすと、エセルがくすっと笑った。


「皆様、お口が達者ですものね。わたくしも最初の頃は帰るたびにぐったりしていましたわ」


「最初の頃、ということは今は慣れたの?」


「慣れた……というよりは、聞き流す技術を身に付けましたでしょうか。どうしても腹に据えかねたら、帰ってから枕をぽふぽふ叩いて鬱憤を晴らしたり」


 上品な顔をしかめっ面にしてぽふぽふ枕を殴るエセルを想像する。

 ――めちゃくちゃかわいいかも。

 しかし、エセルですらそうやってストレス発散しているという事実に改めて社交界の陰口社会のえぐさを痛感する。

 寵愛が薄いだの、お堅いだけでは殿方は振り向かないだのという陰口は、聞けば聞くほど胸焼けしそうだ。


「すでにわたくしの婚約についてはサロンでも耳にしたと思いますが――」


 婚約者の話についてどう切り出そうかと考えていたら、エセルが向こうから話を振ってきた。


「あー……うん、まあ……ね」


「ふふっ、わたくしを気遣ってくださってありがとうございます。貴族の娘として生まれ、家同士の繋がりのために嫁ぐのは宿命のようなもの。それが王家となればなおさらに、ですわ。それ自体に思うところはありませんのよ」


 エセルの口ぶりに暗さはない。ある種の決意の光が宿っていた

 そうだ。ここは前世の世界ではない。貴族に自由な恋愛は許されず、その結婚は家同士が行うものである。

 エセルの言っていることは事実で、私自身も今の人生でそう教育を受けた身の上でもある。

 いずれ私もアッシュフィールド家のための結婚をすることになる。


 だからこそ――愛し合ってから結婚できないのならば、結婚してから愛し合っていけるような相手でいて欲しい。


「陛下は――幼い頃は物静かで絵を描くのがお好きな穏やかな方でした。しかし……兄君様があの流行り病で身罷られ、陛下が王太子となったころから……」


 エセルの言葉は言外にジークハイトも昔はまともだったとの示唆だった。

 王となるべく帝王学は全て兄が習得したのに流行り病で夭折した。

 急遽代替品として王太子となった弟の重圧がいかなるものだったか、私には分からない。


 そして宮中の権力闘争という闇を見せつけられながら王才を発揮できるほど、ジークハイトは傑物ではなかったのだろう。

 徐々に自身のコンプレックスとプライドを拗らせていった――エセルの言に隠れた真実はそんなところだろうか。

 ……同情はできるけど、だからと言ってあのネチネチ現場のやる気を削いでくる言動の数々を帳消しにできるわけではないんだけど。


「だから、わたくしは王妃として陛下を支えることができたら、とそう思っているのですわ」


 エセルが言った。その目は強い覚悟が満ちているように見えた。

 望まぬ結婚をするわけではない、王の重圧に負けないよう支えるのが自分の役目だと。

 まさしく武門の家に生まれた者らしく、その姿は気高かった。


「リリアーネが叙爵式での一件で陛下のことを良くは思っていないことは、存じております。確かにあの場で側室にしようと言った陛下の仰り様は、王としても男性としても配慮を欠いた振る舞いだったでしょう」


「あっ、知っていたんだそれ……あはは……」


 まあサロンに参加していた令嬢たちが口々に言っている程度には広がっていてもおかしくはないけど。

 やはり貴族の情報網と伝播の速度を甘くみてはいけない。


「やっぱり……アレ有名だったりするのね」


「はい、リリアーネは王都の貴族の間では結構有名人ですのよ。あの一件でリリアーネは『陛下に物申す勇気ある女伯』になったわけでして」


「……どう有名になったかは聞かないでおくわ」


 どうせ豪胆な田舎娘だとか、女だてらに爵位を持ったからと勘違いしている痛い女だとか絶対ロクでもない噂になってること間違いなし。あのサロンでの揶揄を濃縮したような悪口三昧が待っていることだろう。


「ところでエセル。一つ聞いてもいいかしら」


「何でしょう?」


「セレスティーヌ様のこと。あの方、私のことをずいぶんと知っているようだったけど」


 ジークハイトの話題は気が重くなるからここで打ち止め。

 エセルはカップをソーサーに置いて、少し考えるような間を置いた。


「セレスティーヌ様は善きお方ですわ。それは間違いありません。サロンを開いて若い貴族の交流の場を作ってくださるのも、純粋に善意からだと思いますし――」


「ふふっ、でもと言いたげな顔ね」


「そういうこと言うものではありませんわ。リリアーネ、あなたは少し世の中を斜めに見るきらいがありましてよ」


「うぐ……」


 自覚はある。自覚はあったけど面と向かって指摘されると少しばかり胸に来るものがある。

 リュシアとかイリヤとかあの辺の連中よりは真っすぐであるつもりだけどさー。


「確かに――何をお知りになっていて、何を知らないふりをされているのか……底知れない部分があるのも事実でしょう」


 セレスティーヌに一定の信頼を置いているエセルもその得体の知らない部分を感じているのは事実。

 やはり彼女に全幅の信頼を置くのは警戒するべきだろう。


「ありがとう。参考になったわ」


「お礼には及びませんわ」


 微笑むエセル。

 焼き菓子の二つめに手を伸ばした頃、客間のドアがゴンゴンとノックされた。

 エセルの返事を待たずに豪快に開け放たれたドアの向こうから、大男がぬっと顔を出した。

 ウィンさん――もとい、ブラックウォール公爵だった。

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