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第61話 女公爵は微笑みの下に何を隠すのか ~サロンの真打現る~

 サロンの空気が変わったのは、私がひとしきり令嬢たちの社交砲撃を受けた後のことだった。

 微かに、しかし確実に。

 令嬢たちの姿勢がさっと正され、会話のトーンが半音上がった。

 さっきまで私の狼耳をネタに好き放題を言い、セレスティーヌの未婚を遠回しに嗤い、エセルの寵愛の薄さを肴にして盛り上がっていた令嬢たちが――一瞬にして手のひらを返すように恭しい表情と佇まいに変わる。


 サロンの奥の扉が開き、二つの人影が並んで姿を現した。

 一人はエセルフリーダ。「ご挨拶して参ります」と別室に消えた公爵令嬢がサロンの主と並んで歩いている。

 そしてもう一人――


(あれが――ローゼンシルト公爵)


 セレスティーヌ・ベネディクタ・ローゼンシルト。

 最初に思ったのは――ああ、なるほど、と。

 『聖女のような』とエセルが形容した理由が、一目で理解できた。


 年齢の頃は三十代前半。女性として最も成熟した年頃の、隙のない美貌。

 薄い茶髪を上品にまとめ結い上げたその佇まいには、まるで非の打ちどころがない。

 纏うドレスも、身に着けているアクセサリーの品も、嫌味さを全く感じさせないラインで完璧に調和されたセンスの良さ。

 その微笑みは薄く口紅が乗った唇に自然に浮かぶ、美しき微笑。聖女を思わせる優しい色。


 柔らかく、温かく、慈愛に満ちた微笑み。目元に宿る光は穏やかで、口角の上げ方に一片の不純もない。

 完璧な女性のイデアを体現したような、まるでそういう生き物のような美しさ。


 さっきまで陰口を叩いていた令嬢たちが手のひらを返して恭しく挨拶する。

 「セレスティーヌ様、本日もお美しいですわ」「素敵なお茶会をありがとうございます」

 その変わり身の早さに内心で呆れるが、まあ人間社会はどこも似たようなものだ。

 セレスティーヌは令嬢たちに一人一人丁寧に言葉をかけながら、ゆっくりと会場を巡る。

 そしてその軌道は自然と私のほうへ向かっていた。


「――まあ。あなたがアッシュフィールド伯爵のリリアーネ様?」


 鈴を転がすような声。

 至近距離で向けられた微笑みの精度は、遠目で見た時以上だった。

 同じ女の私でもその微笑みに見惚れてしまいそうになる。


「お噂はかねがね伺っておりますわ。エセルフリーダからも『素敵な方ですのよ』と聞いておりましたの」


 エセルが紹介してくれたんだ。

 背後に控えるエセルが小さく微笑んでいるのが見えた。


「お目にかかれて光栄ですローゼンシルト公爵閣下。本日はこのような素晴らしいサロンにお招きいただきまして」


「堅苦しいことは抜きにしましょう? セレスティーヌと呼んでくださいな。私もリリアーネ様とお呼びしますわ」


 いきなりファーストネーム呼びを持ってくる。

 親しみの表現か、格下に対する余裕の表れか。

 おそらく両方だろう。

 彼女は相手との距離を詰める所作を自然とこなせる人なのだ。そういう育ち方をしてきた人間なんだと。


「では、お言葉に甘えて。セレスティーヌ()

「……ふふ、まあよろしいですわ。おいおい慣れていきましょうね」


 笑顔には親愛の情。だがその目の奥で一体どんな色が瞬いているのかは読ませない。


「聞くところによると――お若いのに()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 柔らかな声だった。心からの賞賛にも聞こえる。

 だけどこいつ――ヘルマンシュタインとの一件を知っているのか。

 それだけではない、「お一人で」という言い回し。

 王家を通さず独断で動いたこと。教会の仲介で勝手に和睦したこと。

 それら全てを「お収めになった」という上品な言葉で包みつつ、内に込めた棘を忍ばせる。


 知っている。この人は全部知っている。

 そしてそれを分かっていて、褒め言葉の形で私に突きつけている。


「お褒めに預かり恐縮ですわ。領民を守るためにできることをしたまでです」


 無難に返す。これ以上踏み込ませるものか。


「素晴らしいお心がけ。そのご姿勢が領民の方々にも伝わっているのでしょうね。実はわたくし、東の教区から少し面白いお噂を聞いておりますの」


「……お噂、ですか?」


「ええ。アッシュフィールド教区で()()()()()()()()()が大変な活躍をされている。または()()()()()()()()()がいらっしゃる修道院のお噂も。遠いアッシュフィールドの地で信仰の灯火がそのように広がっているのは、信仰の守護者として嬉しい限りですわ」


 ぞくりと、悪寒が走る。

 麦の穂のことも、アストリッドの福音劇のことも知っている。

 辺境の伯爵領の、修道院レベルの情報まで把握しているということだ。

 しかも「信仰の守護者として」とわざわざ称号を自ら口にした。

 彼女には教会が絡んだ独自の情報ルートが確実に存在することを暗に伝えたかったのだろう。ローゼンシルト家が持つ力、その一端を私に見せつけているのだ。


「それと――アッシュフィールド教区にはバルディーニ司教がいらっしゃるのでしたわね」


 この女――リュシアのことも。


「聖銃騎士様が教区司教をお務めとは、さぞ心強いこと。あのような方が信徒をお導きくださっていると思うと嬉しい限りですわ」


 リュシアがうちの教区にやってきた経緯もこの女は把握してるのだろう。

 揺さぶり――いや、彼女にとっては軽いジャブ。これにいちいち動揺してはいけない。

 セレスティーヌ・ベネディクタ・ローゼンシルト――今のところ敵か味方か判断付かないが、少なくとも警戒に値する女であるのは確実だった。


「バルディーニ司教には大変お世話になっておりますわ。片田舎の我が教区に優秀な方をお遣わしくださった教皇庁には感謝の念が絶えません」


 踏み込まれたら踏み込み返す。

 リュシアの左遷をあえて「教皇庁の配慮」と言い換えることで、私がリュシアの経緯を把握していることを暗に示す。

 セレスティーヌの目がほんの一瞬だけ細められた。それは「ほう」と言わんばかりの、値踏みの確認の色。


「……ふふっ、リリアーネ様はとても聡い方。またゆっくりお話しましょうね」


 それだけ言って、セレスティーヌは柔らかく引いた。

 深追いせずに踏み込みすぎないように。鍔迫り合いはここまでのようだ。


(……厄介な相手だわ)


 率直にそう思った。

 ヘルマンシュタインのような分かりやすい敵ではない。

 笑顔の下に何枚の仮面を重ねているのか見当もつかない。

 だが敵意があるのか、ただの情報収集なのかは――まだ判断がつかない。

 今日のところはここまでだ。


 セレスティーヌが他の令嬢たちの方へ歩いていく。

 彼女の背中を見送りながら、ふと視界の端に違和感を覚えた。


 セレスティーヌ越しに見える窓の外に――人影が見えた。

 ここは二階だ。二階の窓の外に人影があるはずがない。


(――は?)


 見間違いか? 見間違いであってほしい。

 そう願いながらも、もう一度視線を向けてしまった。

 いた。

 まるで忍者か蜘蛛のヒーローみたいに窓の外壁に張り付いて、室内を窺っている人影。

 白い狼耳。黒い外套。窓枠に指先だけで器用に体を支え、蜘蛛のように窓面に貼り付くメイド服の小柄な影。

 しかもその琥珀色の瞳が、窓越しに私と目が合った。

 あっ、手を振った。手を振りやがったなこいつ。


(ステラァァァァ!!???)


 屋敷で留守番のはずの我が忠実なるメイドがローゼンシルト公爵邸の二階の窓枠にへばりついているんですけど!?

 何してんのあんたぁぁぁ!!


 いや、落ち着け私。ここで取り乱したら全てが台無しだ。

 サロンの参加者は誰もステラの存在に気づいていない。

 当たり前だ。二階の窓の外に人間が張り付いているなど、ここにいる誰にとっても想像の埒外なのだから。


 私は必死に表情を取り繕った。

 だが視線だけはどうしてもセレスティーヌの背後の窓に引き寄せられてしまう。

 すると――セレスティーヌがわずかに振り返りかけた。

 私の視線が自分を通り越して背後に向いていることに、何かを感じ取ったのだろう。


 怪訝な表情で肩越しに窓の方を見ようとする。

 だがその瞬間、窓の外の人影がすっと身体を引っ込めて姿を消した。

 一切の気配も残さず、まるで最初からそこに誰もいなかったかのように。


「……何かございまして?」


 セレスティーヌが首を傾げて私を見る。


「いいえ。窓の外の花壇がとても綺麗でしたので、つい見惚れてしまいましたわ」

「まあ、ありがとうございます。庭師が丹精込めて手入れしておりますの」


 セレスティーヌはにっこりと微笑んでくれたが、その奥の瞳に「本当に?」という一粒の疑念が浮かんでいた気がしなくもなかった。


 サロンが閉会に向かう頃、セレスティーヌが令嬢たちに優雅な別れの挨拶を述べて先に退席した。

 彼女がいなくなると空気が緩む。ぴんと張られていた糸が切れたように、令嬢たちがふうっと息を吐いた。

 その空気の変化が何よりも雄弁にセレスティーヌという人物の存在感を物語っていた。

 私が帰り支度をしていると、エセルが近づいてきた。


「今日は楽しんでいただけましたか?」


 にこりと微笑むエセル。藤色のドレスに包まれた公爵令嬢。

 サロンの中で知った彼女の事実――あのジークハイトの婚約者であること。

 こんなに出来た娘が、よりにもよってあの男のもとに嫁ぐのか。

 もったいないとかそういう次元じゃない。

 超高級ワインをカップ焼きそばの湯代わりにするレベルの冒涜だ。


 でも――今ここは公の場。

 そのことについて触れるべきではないし、触れたところでエセルを困らせるだけだ。

 婚約のことを私に言わなかった理由だって察しはつく。

 森で出会ったばかりの相手に「実は国王の婚約者なんです」なんて言えるわけがない。


 ただ――彼女の本心はいつか知りたい。

 あのバカ殿との婚約をエセル自身がどう思っているのか。

 それは今日ではなく、二人きりの場で。


「ええ、とても。色々と勉強になったわ。またお誘いいただけたら嬉しい」


「もちろんですわ。次はもう少しリリアーネ様のそばにいられるよう努めますわね。今日はセレスティーヌ様へのご挨拶に時間をいただいてしまって」


「気にしないで。エセルのおかげで私は今日この場に立てたんだから」


 エセルがふわりと微笑む。

 その笑顔は、サロンで見せていた公爵令嬢の澄ました笑みではなく、森で瘴柱を浄化した後に見せてくれた年相応の柔らかな笑み。


「リリアーネ様……」


「うん?」


「……いえ、何でもありませんわ。お帰りの馬車をお呼びしますね」


 何か言いかけて、飲み込んだ。

 その表情に微かな翳りの色が差していた。

 彼女は――サロンで好き勝手に陰口を叩かれていることを知っているのだろうか。

 知っていて、それでも笑っているのだとしたら――私が思っているよりもずっとタフな娘なんだろう。


「……エセル」


「はい?」


「今度、二人でゆっくりお茶でもしましょう。サロンじゃなくて、もっと気楽な場所で」


「……ぜひ」


 エセルの目が一瞬だけ潤んだように見えたのは、気のせいだっただろうか。


 ※


 馬車に揺られて別邸に戻ったのは日が完全に沈んだ後だった。

 玄関のドアを開けると、当然のような顔でステラが出迎えた。


「おかえり」


「ただいま」


 私は外套を脱ぎながら、ゆっくりと振り返った。

 ステラは何食わぬ顔で外套を受け取ろうとしている。


「ステラ」


「何?」


「今日、ローゼンシルト邸の二階の窓の外にさ」


 ステラの動きがぴたりと止まった。白い尻尾が一瞬だけ強張る。


「蜘蛛みたいに張り付いてる白い狼耳の人影が見えた気がするんだけど」


「……気のせいだと思う」


「ステラ」


「……」


「留守番しててって、言ったよね?」


「ん、言った。聞いた。でも従うとは言ってない」


 悪びれる様子はゼロ。

 いや、悪びれる様子がゼロどころか、彼女はすでに報告モードに入っていた。


「せっかくだから偵察してきた。いくつか報告がある」


 ステラは外套を丁寧にハンガーにかけてから、淡々と語り始めた。


「ローゼンシルト邸の警備は王都の公爵邸としては標準的。外から見える部屋は大体見た」


「それで、執務室なんかも覗き見したの?」


「窓越しにだけ。机の上に封蝋つきの書簡が複数あった。封蝋の紋章は教皇庁のもの」


 教皇庁との書簡が複数。

 サロンの中でセレスティーヌが見せた情報の精度――あれは単に「教会と繋がりがある」というレベルではなく、教皇庁とかなり密な情報のやり取りをしている証拠だ。


「ローゼンシルト公爵にとって、教皇庁は単なる後ろ盾ではなく情報源そのものね。信仰の守護者という称号は伊達じゃない」

「それと」


 ステラは指を一本立てた。


「あの女……セレスティーヌの印象だけど、聞きたい?」


「聞きたいわ」


「窓越しに見ただけだけど。サロンでの振る舞い、表情の作り方、相手との距離の取り方。全部が完璧すぎる。隙がなさすぎて逆に不気味。ただ一つ気になったのは――」


「一つ?」


「あなたと話している時だけ、ほんの少しだけ楽しそうだった」


「楽しそう?」


「ん。令嬢たちに挨拶してる時は完璧な作り笑い。でもリリアーネと話している時だけ、目が笑ってた」


 楽しそう――か。

 それが“面白いおもちゃを見つけた”なのか“対等に話せる相手が嬉しい”なのかは、まだ分からない。


「……ステラ、ありがとう。助かったわ。でもね」


「何?」


「次からは私に一言断ってからにしなさい。もし警備に見つかってたら大問題よ」


「見つからなかったから大丈夫」


「そういう問題じゃないのよ……」


 はあ、と溜息をつく。

 溜息をつきながらも、ステラが持ち帰ってくれた情報のおかげでセレスティーヌの輪郭がだいぶ見えてきたのは事実だった。


 セレスティーヌ・ベネディクタ・ローゼンシルト。

 四大公爵の一角。信仰の守護者。教皇庁との深いパイプ。

 敵なのか味方なのか、今はまだ判断がつかない。

 だがこの女が王都の社交界において、看過できない存在であることだけは確定した。


「……はあ、王都って本当に面倒くさいところ」


 私は冷めた紅茶を一口すすって愚痴を一つ漏らすと、今日一日の出来事をヴェルナーへの手紙に書き起こすべく、ペンを手に取るのだった。

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