第60話 噂! 噂! 噂! 井戸端会議レベル255の貴族令嬢サロン
サロン会場は一目で金がかかっていると分かる調度品で統一されていた。
壁面に掛けられた絵画の数々はどれも美術館に所蔵されていそうな一品だ。
床は磨き上げられた大理石で、煌びやかなシャンデリアの柔らかな光を受けて輝いているように見える。
どれも豪奢ではではあるが、それを過度にならないように抑えた品の良さ。まさに侘び寂びとはこういうことだと見事に体現している。
うちも貴族らしく客間の調度品はそれなりのものに揃えているつもりだったが、公爵家となるとやはり格が違った。公爵家すごい。
集まっている参加者は二十人ほど。
年齢は私と同年代か少し上ぐらいか。様々な家格の令嬢が顔を揃えていた。
皆が皆、顔見知りと談笑し合っており、その一挙手一投足に家格の上下関係が伺える。
一応私ってほら、伯爵だからここの多くの令嬢よりかは格上のつもりなんだけど、完全アウェーのこの場でそんな権威が通じるとも思えない。気分はまさに公園デビューをしようとする若い母親だ。
――そして、その場にたった一人で足を踏み入れた私に、四十以上の視線が集中した。
最初に視線が行くのは、やはり私の頭頂部だった。
銀灰色の狼耳。どれだけ端正に髪を結い上げても隠しようがない。
尻尾のほうは正装時はスカートの中に入れてしまうのだが、頭のこれは隠しようもない。
布で覆い隠すわけにもいかず、堂々と二本の狼耳が私の頭の上で微かに動いていた。
令嬢たちの視線には、あからさまな嫌悪はない。
しかし、好奇心と珍しいものを見る目が混じっていた。
王都の社交界に東方系の狼耳持ちが顔を出すことは多くないのだろう。
動物園の珍獣を眺めるような、悪意のない無遠慮。
私はその空気を感じながらも――気にしないふりだふり。
何人かの令嬢がさっそく近づいてきた。
「あら、お初にお目にかかりますわ。アッシュフィールド伯爵のリリアーネ様でいらっしゃいますか?」
「ええ、リリアーネ・アッシュフィールドです。本日はエセルフリーダ様のお招きに預かりまして」
「まあ! エセルフリーダ様からお誘いいただけたとは。辺境はさぞかしエセルフリーダ様のご興味を惹くのでしょうね」
舐められないために公爵令嬢から招待をされたぞ文句あっか?と暗に牽制のジャブを入れると、即座に煽りめいた切り返し。
……やるじゃねえか。おほほ、さすが公園のママさん会議レベル255みたいなたい貴族同士のマウント取り。
たぶん、私が公的に爵位を持っているからまだオブラートに包んでくれているのだ。
爵位を持たない田舎貴族の子女だったら、もっとボロクソにマウント取られていたかもしれない
「それ、本物の狼のお耳ですのね……触ってもよろしいかしら?」
と、一人の令嬢が遠慮のない声を上げた。
「こら! 失礼なことを言わないの」
「だって珍しいんですもの。王都ではなかなかお見かけしませんわ」
窘める令嬢と、好奇心が勝っている令嬢。
悪意はないのだ。本当に、ただ珍しいだけ。
だからこそ対応に困る。
「ふふっ、構いませんわよ。見ての通り本物でございます。――ただ、触られると耳がくすぐったくてぴくぴく動いてしまいますの。不格好な姿をお見せするのは恥ずかしいのでご勘弁を」
冗談めかして断ると、令嬢たちから小さな笑い声が起きた。
嘲笑ではない。少なくともこの瞬間は、ただの微笑ましい笑い。
第一関門は何とかクリアしたように思う。
※
数人と言葉を交わしているうちに、令嬢たちの輪が自然と形成されていた。
私もその中に溶け込む形になる。
紅茶とクッキーが振る舞われ、会話のトーンが社交辞令から噂話に移行していくのを肌で感じた。
「そういえば今日はエセルフリーダ様がお連れくださったのね」
金髪の令嬢がティーカップを傾けながら言った。
「さすが陛下の婚約者は顔が広いこと」
――え?
カップを口元に運びかけた手が止まる。
今、なんて言った?
「婚約者……ですか?」
さり気なく聞き返すと、金髪の令嬢は「あら」と小さく目を丸くした。
「――ご存じありませんでしたの? エセルフリーダ様はジークハイト陛下の婚約者でいらっしゃいますわ」
ええええぇぇぇぇぇ!!!!!???
あのエセルが?
あの才色兼備で穏やかで優しくも芯の強いエセルが!!??
あのアホの婚約者ああぁぁぁぁ!!???
……危うく声に出してツッコミを入れてしまうところだった。
「まあ、そうでしたの。存じ上げなくてお恥ずかしいですわ。田舎者ですもので宮廷のことには疎くて」
平静を装ってなんとか会話を繋げた。
でも頭の中はぐるぐると回って、まだ情報がまとまらない。
いや、王様の婚約者となれば家格を考えると確かに公爵家しか釣り合いが取れないだろう。
でも、でもさぁ。あのエセルが……
てかあのアホ、エセルという出来た娘が婚約者にいながら私を側室だなんて抜かしやがったのか。
「でも……エセルフリーダ様は婚約者でいらっしゃるのに、陛下のご寵愛がいまひとつと聞きますわよねえ」
赤毛の令嬢がわずかに声のトーンを落として言った。
落としてはいるが聞こえるように。そういう声の落とし方だった。
「ブラックウォール家のお堅い教育では、陛下のお心を掴めないのかしら」
「まあ、そんなことを。エセルフリーダ様は素晴らしい方ですわ」
「素晴らしいことと寵愛を得ることは別物ですもの。お堅いだけでは殿方は振り向きませんわ」
くすくすと笑い声が重なった。
エセルがこの場にいないからこそ出てくる本音。
いや、本音というよりは「いない人間をネタにする」といったほうがいいか。
森で共に戦った友人が嘲笑の対象にされるのはムカつくが、ここは貴族の集まり。下手を口を挟んではいけない。
私は口元に柔和な笑みを湛えて静観するしかない。私は紅茶を一口啜る。紅茶は苦い味だった。
「――でも、考えてみれば色々なことが重なりましたわよね」
ふと、一人の令嬢が感傷的な声を出した。
「あの流行り病がなければ、と思ってしまいますわ」
その一言で、さっきまでの浮ついた空気が翳りを帯びた。
「……本当にね。陛下にもお兄様方がいらっしゃったのに」
「セレスティーヌ様だってお兄様を二人ともあの病で亡くされて……あのお若さで公爵位をお継ぎになったのですもの」
「うちも叔父を亡くしましたわ。父は流行り病には罹らずに済みましたが……」
十数年前の大流行病。高熱と咳を主な症状とする病。
幼い私は運よく感染せずに済んだそれは、今思うとインフルエンザに似た病だったかもしれない。
前世と違ってワクチンも抗ウイルス薬もない。罹ってしまえば安静にして体力と免疫で治すしかない。
だからこそこの世界では猛威を振るったのだ。
私は黙って耳を傾けていた。
この流行病は原作には描かれなかった事件だ。
ジークハイトに夭折した兄がいたことも初耳だった。
「……もしあの時、陛下までお隠れになっていたら、王家はどうなっていたのかしら」
ぽつりと令嬢の一人が漏らした。
隣にいた令嬢が慌てて袖を引く。
「滅多なことを言うものではありませんわ」
「でも……思いませんこと? 実際、あの時は本当に危うかったと聞きましたし……」
「序列でいうなら公爵家の中から後継を出すのが通例でしょう?」
「それすらもないのだったら? あの流行り病はそう思わせるぐらい王侯貴族までも蝕みましたもの……」
王家はおろか公爵家までも全滅――そんなこと万に一つもあり得ない可能性だろう。
窘められた令嬢はしゅんとしつつも、どこか言い足りない顔をしている。
そこへ別の令嬢が声をひそめて口を挟んだ。
「……私、聞いたことがありますの」
周囲の耳がぴくりと動く。令嬢たちも、私も。
噂話に反応する本能は、貴族だろうと庶民だろうと変わらないらしい。
「大昔、我が国がヴァリャーグ帝国より独立した折に、王国と帝国と教会の三者で、王家の血筋が途絶えた時のための取り決めを交わしたのだとか」
「まさか。そんな古い話が今さら……」
「噂よ、噂。教皇庁の地下書庫に当時の文書がまだ残っているらしい、というだけの話ですわ」
「でも、帝国との取り決めと言われましても――もうヴァリャーグ帝国はありませんのに」
「そうですわ。あの流行り病のしばらく後に平民たちの反乱で滅びましたのよ」
「今やあちらは下賤な平民が国を牛耳っているそうで。皇帝一家は全員処刑されたのですって」
「まあ恐ろしい……それにしても平民風情の反乱を許してしまっただなんて、かつての大国もたかが知れていますわね」
「おほほ、まったくですわ」
令嬢たちは笑った。心底他人事だという笑い方で。
東の帝国で皇帝一家が惨殺されたことも、革命で多くの人間が反革命分子として処刑台の露になったのも、彼女たちにとっては遠い異国の怖い昔話にすぎない。
自分たちの足元が揺らぐなど、夢にも思っていない笑顔だった。
私は紅茶のカップを口元に運びながら、何も言わなかった。
――何も言えなかった。
ステラが今日ここにいなくてよかった、と心の底から思った。
彼女の故国の滅亡が貴族の茶飲み話の肴として消費されている。
「下賤な平民」と嘲られた革命の中を名前も誇りも捨てて生き延びた女性のことを、この場の誰一人として知らない。
知っているのは、私だけだ。
話題はそれ以上深掘りされることなく、誰かの「まあ、縁起でもない」という一言で打ち切られた。
「それにしても――セレスティーヌ様はいまだご未婚でいらっしゃるのよね」
流行り病の重い話題を振り払うように、令嬢たちは手近な話題で盛り上がり直す。
話題はセレスティーヌについて、しかしそのトーンは先ほどの疫病の話題とは打って変わって、ひそひそ声の陰口モードに戻っていた。
「お兄様方を亡くされて公爵位をお継ぎになったのは立派ですけれど、お婿を迎えるにもお相手の家格が難しいですものね」
「公爵位を持つ女性に婿入りできるのは最低でも同格の公爵家か王族くらいでしょう? そんなお相手がそうそういらっしゃるはずもなく」
「公爵家の娘に生まれてどこにも嫁ぎ先がないというのはお可哀そうですわねえ」
「信仰の守護者の称号があっても、ままならぬことがございますのね」
「私のお父様が仰っていましたわ。『信仰の守護者だなんて称号、金で買ったにすぎん』と」
「しっ、そんなこと言ったら罰が当たりますわよ」
エセルから聞いた「敬虔で慈悲深い方」。
そして今、令嬢たちの口から漏れる「行き遅れ」「金で買った称号」の含み。
表と裏。善意のフィルターを通した人物像と、悪意のフィルターを通した人物像。
――そこから先、矛先は私に向いた。
「そういえばアッシュフィールド伯も女性でお一人で伯爵位をお継ぎになったのでしたわね」
ローゼンシルト公爵の未婚話から、実に自然な接続で。
「セレスティーヌ様と同じご苦労がおありでしょう。女が爵位を継ぐと大変ですわよねえ」
にっこりと笑いながら言われた。
善意とも悪意とも取れる絶妙な角度。
セレスティーヌと私を同じカテゴリに入れて、まとめて哀れんでいるように見せたマウンティング。
「まあ、私などローゼンシルト公爵と比べるのも恐れ多い身ですから」
「ご謙遜を。――そうそう、陛下から側室にとお誘いがあったのにお断りになったんですって?」
うげっ、そこで側室ネタを引っぱりだしてくるのか。
覚悟はしていた。叙爵式でのジークハイトの側室発言。
貴族の間ではすっかり有名な話となっているのだろう。
「恐れ多いお話でしたので、分不相応と辞退させていただいたまでですわ」
「まあ、もったいない。陛下の御寵愛を辞退なさるなんて」
「本当ですわ。ただでさえ婚約者のエセルフリーダ様がいらっしゃるのに、そこにさらにとは……陛下もお盛んなこと」
「でもねえ。陛下もお趣味が変わっていらっしゃるのね。その……耳付きの方を側室になんて」
言いかけた令嬢の視線が、私の頭の上にちらりと向けられた。
狼耳を見ていた。
笑い声が重なった。
褒めているのか貶しているのか分からないような声色。
ここで私が何か言ったところで「まあ、冗談ですのに」で流されてしまうことだろう。
「おほほ、皆様お優しいこと」
私は笑った。令嬢らしく上品に、内心のうんざりを一滴も漏らさずに。
だがこの笑みの裏でヴェルナーが出立前に言っていたことの意味をようやく理解した。
『――どうか、王都ではくれぐれもお気をつけて。あの場所は戦場とは違う種類の危険がございます。剣では防げぬ刃が飛び交う場所です』
これが貴族の社交。笑顔の下で飛び交う言葉の弾丸。
はあ――やってらんないわ、ほんと。
次話の投稿は4/4を予定しています。
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