第108話 ただの通商協定です。政治的な意図はございません
会談を前に私とレオフリックは互いの状況についての確認をした。
もっとも、協議の内容についてはあらかじめやり取りしていた書面の内容について、詳細を確認するだけなので時間はかからない。それよりも――ここ数ヶ月のブラックウォールの動向を確認しておきたかった。
良く言えば冷静に状況を静観している。
悪く言えばらしくない慎重さで動いている。
エルウィンにしては大胆さが足りない気がする。
私はそれとなくレオフリックに聞いてみた。
「リリアーネ様の仰る通り――ここ数ヶ月のブラックウォール領の動きは、私の意向によるものが多くを占めています」
「エルウィンさんはレオフリックに任せっきりなの?」
「そういうわけではないのですが……父は意思決定の多くを私に意見を求めることが増えまして……」
レオフリックは微妙に歯切れ悪く答えた。
そんな気は薄々と感じていた。最近のブラックウォール領の動きには、エルウィン色が薄い。
理由は――おそらく、あの一件だ。
「兄貴、親父はまだ――」
「……ああ。表面上は何事もなかったかのように振る舞っているようだが、心労は隠しきれない。姉上の件でずっと父上は苦しんでいる」
「姉上は修道院で元気にしている。親父も会いにいけばきっと――」
元気になる。と言おうとしたアルフレッドを遮ってレオフリックは静かに首を振った。
「父上の心労はそれだけじゃない。姉上をきっかけに、王家への忠義が揺らいでしまったことだ」
「確かにうちは王家への忠義を重んじてきた家けど……」
「父上が背負った家名の誇りは重い。その誇りの前では姉上のことは所詮は父上の私情にすぎないんだ。先祖代々背負ったものを自分の私情で傷つけてしまったこと。それを許せないでいる」
「そこまで思い詰めなくても……」
「ああ、私もそう思う。だが父上は若い私やアルフレッドでは計り知れないものを背負っているんだ」
レオフリックは憂いの色を浮かべ、深く息を吐いた。
その言葉は先日リュシアが話していたことと同じようなものだった。
極論すればエセルの婚約破棄に父として憤ることは、ブラックウォール家の忠義に反する。
しかし人間として父として、忠義のために娘を傷付けた王家に憤ることなんてあってはならないとは誰が言えようか。
エルウィンが悩みに悩んでいるのは想像に難くない。
だからこそ、今は実務をレオフリックに任せているのだろう。
※
会談の準備が整ったと告げられた私たちは、応接室に通された。
広さはアッシュフィールド邸とそう変わらない。いかにも中堅貴族の屋敷の応接間、といった風情の部屋だった。
部屋の中央に長机が置かれ、ヘルマンシュタイン伯爵と数名の家臣が席に着く。
その向かい合わせの位置に私とイリヤ、そしてレオフリックとアルフレッドが座る。
ステラは入口の扉付近に佇み、会談の様子を注視しながら警護に当たっていた。
ヘルマンシュタイン伯爵はその小太りの体を椅子に深く沈めながら、視線をいったり来たりさせている。
私たちを見ているかと思えば、扉のそばのステラをしきりに伺う。
あ、そうか。エルベ谷の戦いの時、彼はステラに簀巻きにされて私のところまで拉致されたという経験をしているのだ。その時の恐怖体験がトラウマになってるのかな。
それはそうとして以前は領地を巡って刃を交えた敵が、今は通商協定の交渉相手。不思議な気分ではある。
「アッシュフィールド伯爵閣下、ようこそお越しくださいました。遠路のお越し恐縮でございます」
ヘルマンシュタインは立ち上がって一礼した。
丁寧だが、目が泳いでいる。
ステラのことを気にしているのか。それともブラックウォール家の公子二人が揃っていることを意識しているのか。
着席し、紅茶が運ばれ、形式的な挨拶が交わされた。
そして――ヘルマンシュタインが口を開いた。
「わはははは、このような席にブラックウォール公爵家のお二方までお越しとは。心強い限り。アッシュフィールド伯爵にブラックウォールの御公子が二人。これほどの顔ぶれが揃えば――」
ヘルマンシュタインの目がぎらりと光る。
「――今こそ簒奪者ローゼンシルトを討つ大義が立つというもの。王家の仇を討ち、正道を取り戻す好機だと思わんかね?」
何いってんだこいつ。
部屋の空気が凍り付いてぶっ壊れた。
レオフリックの表情が瞬時に硬くなり、アルフレッドは目を丸くしている。
イリヤは片手で顔を覆い、家臣たちも固まっていた。
私は数秒、視線を逸らさずこの男の顔をじっと見つめた。
本気で言っているのか、それとも場の勢いで口が滑ったのか。
どうせ後者だろう。
忠義の家と名高いブラックウォール家の公子二人を前にしたことで、ワンチャンあるかもと軽い考えで思いついたことを口走ったんだろう。
「ヘルマンシュタイン伯爵」
私は努めて平坦な声で言った。
ええ、落ち着いてドスの効いた声で。
「挙兵なさるのでしたら、どうぞお一人で。私たちはその旗には加わりませんので。今日この場にいるのは通商協定の交渉のためであって、それ以外の目的は一切ございません」
淡々と、そして冷たく言い放った。
ヘルマンシュタインの顔から血の気が引いた。
「い、いや、これは冗談で……場を盛り上げるつもりで……本気で挙兵などと……」
「笑えない冗談よ伯爵。その発言はこの場にいる全員の命に関わるわ。ローゼンシルトの耳に入れば、私たちは反逆の共謀者と見做されかねない」
「す、すまぬ……」
ヘルマンシュタインは脂汗を浮かべて謝罪した。
その隣の家臣たちも気まずそうに視線を逸らしている。
一体当主がこれでどうやって内政回せているんだろうか。よほど家臣の実務能力が優秀なのだろうか。
「……では改めて、本題に入りましょう」
レオフリックが静かに場を引き戻した。いつも通り落ち着いた声音で。
彼に場の空気を救われたヘルマンシュタインは、慌てて頷き茶を飲んでいた。
※
実務的な交渉は、拍子抜けするほど順調に進んだ。
品目の選定はそれぞれの領が不足しているものから優先的に取り決める。
あとは物流のルートや通行料の設定。それらはイリヤとヘルマンシュタイン側の家臣が具体的な数字を詰めていく。
イリヤはさすが商人で、相手の事情を汲みつつもこちらの利益を守る線引きが巧みだった。
ヘルマンシュタイン側も物が動けば自分たちの収入になることを理解しているゆえに、無理な条件は出してこない。
これらの実務面については、ヘルマンシュタインが難色を示す場面はほとんどなかった。
条件も妥当。譲歩も合理的。
小心者で調子乗りではあるが馬鹿ではない。目の前に並べられた利益の計算はきちんとできる男だ。
だが――ひとつだけ、ヘルマンシュタインがやたらと執着する点があった。
「それで……この協定は、誰の主導ということになるのかね?」
「代表者は誰かと?」
レオフリックが問い返す。
ヘルマンシュタインはそうだ、と頷いた。
「つまり、この通商協定を対外的に声明する際、代表はどちらになるのかね? アッシュフィールドか、それともブラックウォールか?」
「伯爵が気にしているのは、この協定が外からどう見えるか――ということね?」
「アッシュフィールド伯爵もブラックウォール公爵家も、ローゼンシルトに対して旗色を明らかにしていない。双方が我が領を巻き込んで協定を結んだとなれば……」
「反ローゼンシルト同盟と見做される可能性がある、と」
「うむ。何分我が領は先の戦による痛手も癒えぬ身。これ以上の火種を抱える余裕はござらん。協定そのものには賛同するが、その責任の所在については明確にしていただきたいものですな」
要約すると、この件から利益を得たい。でもローゼンシルトから睨まれるリスクは負いたくない。
このおっさんらしい保身と言えばそれまでだが、彼の立場から見れば至極もっともな懸念だった。
ブラックウォールとアッシュフィールドの都合にヘルマンシュタインを巻き込んでいるのは事実で、ヘルマンシュタインが被るリスクに対して、責任を明確にしてほしいという要求は正当なものだ。
「この協定は私の発案です。であれば、責任は発案者たる私が――」
「――レオフリック」
私は彼の言葉を遮った。
レオフリックが言わんとしていることはわかる。
自分が言い出したことだから、自分が責任を取るべきだ。
生真面目な彼らしい筋の通し方。だが、ここは筋を通す場ではない。
「あなたの気持ちはわかる。でも、冷静に地政を見て」
「……それは――」
「ブラックウォール領は王都に近い。ローゼンシルトの勢力圏のすぐ隣よ。ここでブラックウォールの名前が協定の旗印として表に出たらどうなる? ローゼンシルトから見れば、態度を明らかにしていない公爵家が対抗勢力を組織していると映る。ゼーヴェルトの経済圧力だけでは済まなくなるかもしれない」
レオフリックの表情が硬くなった。
言われていることの意味は理解している。だが、感情が受け入れられないようだ。
「アッシュフィールドは王都から遠い辺境よ。多少目立ったところで、ローゼンシルトが即座に軍事的な報復を仕掛けてくる距離じゃないわ。それに――うちはそもそもたかがいち伯爵領よ。四大公爵家であるブラックウォールが旗を掲げるのとは、まるで影響力が違うもの」
たかが辺境の一伯爵が冬の物資不足を凌ぐために近隣と手を組んだ。
それだけの話であれば、ローゼンシルトにとっても目くじらを立てるほどの案件ではない。
「しかし――この協定は私の発案です。その責任を伯爵に負わせるわけには」
「負わせるんじゃなくて、私が引き受けるのよ」
私はレオフリックの目を真っ直ぐに見た。
「レオフリック、あなたが守らなきゃいけないのはブラックウォール領とそこに暮らす人たちでしょう。筋を通すことと領民を守ることが両立しない時、あなたはどちらを選ぶの?」
レオフリックは黙った。
数秒の沈黙が流れた。
やがて彼は目を伏せ、小さく息を吐いた。
「……伯爵の仰る通りです。ブラックウォールの名を前面に出すことの弊害は私も理解しております。何卒、ブラックウォールの不甲斐なさをお許しください」
「謝罪はいらないわ。レオフリックはブラックウォール領のために正しい判断をしただけよ」
私はレオフリックに笑いかけ、彼もまた困ったように微笑んだ。
その横でヘルマンシュタインが、ほっと息をついたのが聞こえた。
責任の所在が決まったことで、ようやく肩の荷が下りたのだろう。
「では――この協定はアッシュフィールド伯爵の主導という形で」
「ええ。対外的にはアッシュフィールド伯爵領が主導する冬季の近隣救荒協定という形よ。政治的な色は一切つけない。穀物高騰による物資不足への対応措置として近隣領同士が助け合う、それ以上の意味は持たせないわ」
「うむ、承知した」
こうして三領通商協定は三者の合意を経て正式なものとなった。
後は具体的な条項を詰めて、署名すれば全て完了だ。
これでひとまず一段落かな。
※
会談が終わり、私たちは控えの客間に戻って来た。
「……ふう」
私は椅子の背にもたれて、大きく息を吐いた。
テーブルの上にステラが差し出した紅茶のカップが置かれた。
会談で喉がカラカラになったと見越した紅茶はぬるめで淹れられ、私はぐいっと飲み干した。
「疲れた? 飲みやすいようぬるめに淹れた」
「ありがとステラ。それにしても挙兵発言には肝が冷えたわ……」
「あの手の人間は大きな話に乗っかりたがるが、自分が矢面に立つのは嫌がるものだ。まあ実務はそれなりにやれるようだから管理してやりゃちゃんと動く駒にはなるだろうよ」
「だったら挙兵とか冗談でも言わないでほしいけど……」
イリヤは笑って肩をすくめた。
「レオフリック、悪かったわね。あなたの面子を潰すような形になってしまって」
「いえ。伯爵の判断は正しいと思います。私は……筋を通すことに拘りすぎていました」
「筋を通したい気持ちはわかるわよ。それがあなたの良いところでもあるし」
「兄貴は真面目すぎるんだって。前から言ってるだろ」
アルフレッドが気安い声で兄の肩を叩いた。
レオフリックは弟を一瞥し、「お前はもう少し真面目になれ」と返す。
この兄弟のやり取りを見ていると、ほっこりする。
状況は厳しいけれど、まだこうやって軽口を叩き合える余裕がある。
それがあるうちはまだ大丈夫だ。
「さて、協定の大枠は決まったわ。あとは細かい部分を詰めるだけね」
「ああ。それも明日にはまとめられるな。大枠は今日の話で十分だ」
「レオフリック、ブラックウォール側の準備はどのくらいで整う?」
「十日もあれば整います。年明けには輸送が始められるかと」
レオフリックの声にわずかに安堵の色が混じっていた。
この協定が動き出せば、ブラックウォール領の物資不足は多少なりとも緩和される。
もっとも、それで一気に事態が好転するわけではない。
だが、少なくとも最悪を防ぐ一助にはなる。
それがレオフリックにとっては大きな意味を持っているだろう。
次話の投稿は8/6を予定しています。
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