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第106話 元公爵令嬢、修道院でアイドルになる

 三領通商協定についての打診の書状はヘルマンシュタイン伯から前向きな返事を得た。

 向こうとしても物流が停滞している今、交易路を確保し少しでも多くの利益を得たいという思惑があるのだろう。

 そうと決まれば話は早い。出来る限り年末までに話をまとめて、来年の早いうちに物資を動かしたい。


 私たちは直ちに準備を整え、交渉のためヘルマンシュタイン領に向かうことにした。

 レオフリックのほうもヘルマンシュタイン領で合流する予定だ。

 こうして領都グレイヴィルを発った私は道中四度目のエルベ谷の来訪、そしてエルベ修道院への訪問となるのだった。


 冬のエルベ谷は白銀に染まっていた。

 白銀の雪と、青空に映える白銀の稜線。

 白と青のコントラストに彩られた景色の雄大さは渓谷を吹き抜ける冷たい風も忘れるほどだった。


 早馬によって私たちの訪問は事前に伝えられていたため、修道院の門はすぐに開かれた。

 門をくぐった私たちを出迎えたのはふたつの人影。


「おひさしぶりです伯爵様。ようこそエルベ修道院へ」


 ここの責任者であるフランツ司祭。

 にこやかな笑顔を浮かべた彼は、かつての破産寸前の修道院を切り盛りしていたころの落ち着きのなさは見る影もない。

 あの時は死にそうな顔してたのに、今は血色よく元気だなー。

 ……福音劇で相当儲けてやがるなこいつ。


 そしてもう一人――


「アル……!」


 私たちの姿を認めると、小走りで駆け寄ってきたのはエセル。

 ――エセルフリーダ・ルナス・ブラックウォール。

 修道女のヴェールを被り、質素な修道服に身を包んだ彼女は、弟の姿を見た瞬間に足を速めそのまま彼女はアルフレッドに飛び込んだ。


「ちょ、ちょっと姉上……!」


 突然抱きつかれたアルフレッドは驚きの声を上げる。

 その様子を見てエセルはくすりと笑い、アルフレッドを離すと一歩下がって彼の姿を眺めた。


「元気そうで何よりよアル。そしてリリアーネも」


「ええ、エセルもここの生活は――その様子だと順調みたいね」


「はい。フランツ司祭にも、皆様にもよくしていただいているわ」


「それならよかったわ」


 私の言葉にエセルが微笑んだ。

 王都で初めて会った時と同じ、端正で穏やかな笑顔。

 ヴェールの隙間から覗く黒髪と瑠璃色の瞳は、王都と出会ったころの姿と同じ。


 だけどあの頃よりも、どこか肩の力が抜けている。

 公爵令嬢であったこと、王妃候補であったこと、そういう俗世間のしがらみから解放され、今は修道女として清く慎ましく生きている彼女の姿はそれだけでも美しく眩しく見えた。


「姉上、ここの暮らしはどう?」


「毎日のお祈りに、ビールやチーズの仕込み。あとは畑仕事かしら。忙しくて毎日が充実しているわ」


「姉上が畑仕事を……!?」


「あら、驚いた? 鍬を握って土を耕すのは楽しいわよ。剣を振るのと同じくらい精神の修練になるもの」


「そ、そうなのか……」


 鍬を振るって畑を耕す元公爵令嬢。

 なんだか想像してみると、ちょっと面白い。

 でもエセルのことだから何をやらせても様に見えるんだろうな。

 

「そういやあの元気なチビちゃん――アストリッドがいないようだが」


 私の後ろに控えていたイリヤが、辺りを見回しながら言った。

 そういえば元気に挨拶しながら走って来そうな小さな影が見えない。


「アストリッドなら今はビールの仕込み中よ。本当なら私の当番だったけど『弟さんと伯爵様がひさしぶりに訪ねてくるなら会いにいってあげましょうっ!』って、私の分まで引き受けてくれたの」


 アストリッドは相変わらずあの天真爛漫ぶりを発揮しているようだ。

 キラキラとした目で「代わってあげますっ!」と言われたら、エセルも断れなかったのだろう。


「ところで伯爵様、エセルフリーダ様に関して実は大変な朗報がございまして……」


 フランツ司祭が手揉みしながら言う。

 ニコニコと笑うその顔を見て、エセルが苦笑いした。

 彼がこういう笑顔を見せる時は何か金儲けの話が絡んでいる。


「あのですね、エセルフリーダ様には福音劇(ゴスペル・ライブ)にご参加いただいておりまして……アストリッドとの二人組で大変な好評を博しておられるのです。いやはや、お二人の声の相性が素晴らしくてですね――」


 あっ、こいつマジでやりやがった!

 公爵令嬢として音楽は教養として嗜んでいるから歌は上手なのだろうが、本当にエセルをアイドルデビューさせるとは。

 さすがフランツ司祭、商魂たくましい男だほんと。


「まさか……“エセルフリーダ”の名前で……?」


「いえいえ、それはさすがに通りが良すぎる名ですので。“シスター・エル”という芸名で歌っていただいております」


「その、フランツ司祭に声をかけていただいて……アストリッドと一緒に歌の練習を始めたら、思いのほか楽しくて……」


 エセルが珍しくもじもじしていた。なんだか可愛い。

 でも、元公爵令嬢のアイドルデビューっていうのもなかなかにギャップが凄いけど。


「えっと、リリアーネ。福音劇って何だっけ……」


「そういやアルフレッドはまだ知らなかったわね。フランツ司祭発案の、教会の教えを歌や踊りで表現する舞台のことよ」


「姉上が歌って踊る……?」


 うん、まだ理解が追い付いていないようだ。アルフレッドは混乱している。

 まあそりゃそうだよねー。


「ちょうど本日は公演日でございましてね。ぜひともお楽しみいただければ」


 フランツ司祭が嬉しそうに手揉みしている。

 ……この人、たぶん私たちの訪問に合わせて公演日を調整しただろ。


 ※


 ――夕刻。

 冬になりすっかり日が短くなったエルベ谷は既に日が落ちていた。

 篝火がいくつも焚かれた修道院の広場には冬とは思えない熱気に包まれていた。

 エルベ谷周辺の村々から集まった観客たちが、所狭しと客席を埋めている。


 以前訪れたと変わらない熱量だ。いや、むしろ増えているかもしれない。

 新たにエセルが加わった新ユニット効果というやつなのだろうか。


 ただ一つ――明らかに以前と違うことがあった。

 会場内に併設されている物販の規模が目に見えて縮小していた。


 以前はイリヤの商会による屋台がずらりと並んでいたのだが、今回は修道院の作った物産のみを販売する店に絞られていた。

 店舗が少ないだけでなく商品ひとつひとつの値段も微妙に上がっている。

 穀物高騰と流通の混乱はエルベ谷にも確実に影を落としていた。


「品揃えが寂しくなってるわね……」


「しょうがねえ。流通が細ったらこんなもんだ。まともに仕入れがきくのは地元の食い物と修道院の物産くらいだ」


 イリヤは渋い顔で屋台に視線を向ける。


「客単価は下がってるが、入場者数は増えてるから差し引きでまあなんとかって感じだな。フランツの坊さんがエセルフリーダ嬢を引っ張り込んだのも、新しい目玉が欲しかったんだろうよ」


「ほんとフランツ司祭ってなかなかの興行師よね」


「まったくだぜ。坊主にしておくのがもったいねえ。俺の商会で雇いたいぐらいだ」


「あら、イリヤがそこまで言うなんて……彼の商才は本物なのね」


 などとイリヤとエルベ谷の経済状況を話していると、舞台の照明が変わった。

 客席がざわめき、そして静まった。


 最初に舞台に出てきたのはアストリッドだった。

 猫耳の修道女が客席に向かって満面の笑みで手を振る。

 それだけで会場の空気が一変する。この子の天性の明るさは相変わらずだ。


 そして――少し遅れて、もう一人が舞台に立った。

 エセルだった。アストリッドと同じく修道服を改造した舞台衣装を身にまとっている。

 アストリッドとは対照的な気品のある優雅な佇まい。


 アストリッドが太陽なら、エセルは月だ。

 アストリッドの圧倒的な輝きとは対照的な、静かで透き通った存在感。

 二人が並ぶと、不思議なバランスが生まれる。


 歌が始まった。

 アストリッドの声は以前と変わらず、暴力的なまでの生命力の光に満ちている。

 そしてエセルの声。澄んだ、透明な声。凪いだ湖面のような静けさを感じさせる声。

 

(思っていた以上に、二人の声の相性がいいわね……)


 これはフランツの慧眼かもしれない。

 アストリッドの圧倒的な個性にエセルの安定感が加わることで、福音劇の音楽に奥行きが生まれている。

 一人では届かない場所に二人なら届く。


 観客もそれを感じ取っているのだろう。誰もが二人の歌に釘付けだった。

 冬の寒さも、物資不足の不安も、この空間の中では溶けて消えてしまったかのようだ。


 曲が終わり、割れんばかりの拍手の中で、舞台の上のエセルが小さく微笑んでいるのが見えた。

 どこか照れたような、慣れていないような、でも嫌じゃない。という顔。

 私が知る完璧な公爵令嬢の微笑みではない、ただの一人の女の子の表情。


 ――よかった。


 心の底からそう思った。

 エセルがここで歌っていること、アストリッドと一緒に笑っていること。

 それだけで、この修道院に彼女が身を寄せたことは間違いではなかったのだと実感できる。


 隣を見ると、ステラが澄ました顔のまま拍手代わりに尻尾を振っていた。

 さらに隣の席ではアルフレッドが目を真っ赤にして拍手していた。

 ――泣いてるっ!?


「アルフレッド……どうしたの?」


「姉上が……嬉しそうに歌ってる。それだけで……俺、すごく嬉しくて……」


 これまでエセルに降りかかった仕打ちと、何もできなかったアルフレッドの無力感。

 全ての立場を手放したことで手に入れた今の自由なエセルの姿。

 それに感極まっての涙なのだろう。

 やだなあ……私までもらい泣きしそう。


 ※


 福音劇の余韻が残る夕食の席で、フランツ司祭がもう一つの話題を持ち出した。


「伯爵様、実は修道院のチーズ生産についてもご報告がございまして」


「チーズ?」


「はい。昨今の穀物不足を受けまして、保存食としてのチーズの需要が各地から急増しているのです。エルベ修道院のチーズは以前から評判がよろしかったのですが、ここに来て注文が以前の三倍近くに……」


 確かに穀物の流通が滞っている中で、保存が効いてそのまま食べられる食品への需要が増すのは当然の流れだ。

 チーズは保存性に優れ、栄養価も高い。冬場の食糧としては理想的だ。


「増産の体制はどうなってるの?」


「修道女たちの努力でなんとか生産量を増やしておりますが、物資不足による一過性のものゆえに設備投資は難しく、増やせる生産量にも限界がございます」


 人気がバズっての注文殺到ならともかく、物資不足の煽りを受けての需要急増ではどこまでそれが持続するかわからない。

 そうなると、生産設備への投資は躊躇われるというのは至極真っ当な判断だ。

 でもフランツ司祭は福音劇の利益を設備投資に使おうとはしないのは、意外と堅実だなと思う。


「あとは乳牛の飼料と、チーズに使う岩塩の値上がりですね。どうしてもチーズの価格に転嫁せざるを得ないのが現状で……」


 飼料についてはエルベ谷周辺の牧草地でまかなえる部分もあるだろうが、冬場は当然限界がある。

 岩塩はうちの領での採掘量は乏しいため、基本的に他領からの輸入に頼っている。


「イリヤ、岩塩の調達ルートって確保できる?」


「ブラックウォール領は岩塩が豊富だからな。協定がまとまればヘルマンシュタイン経由のルートを確保できるだろう」


「それならいいわ。チーズの増産体制の支援もヘルマンシュタインとの交渉のテーブルに載せましょう。飼料もある程度は融通できるように調整するわ」


 私の言葉に、フランツ司祭が顔を輝かせる。


「おお、さすがは伯爵様。実は密かにそのようなご提案をいただけないかと――」


「フランツ司祭、あなたこの話するために今日の公演を設定したでしょ」


「め、滅相もございません。しかし結果的にエセルフリーダ様の素晴らしい歌声をお聞きいただけた上に、チーズのお話もできたのは女神のお導きではないかと――」


 私は苦笑した。

 フランツ司祭は小心者のくせに守銭奴なところはあるが、悪い人間ではない。

 修道院の経営と地域の福祉を本気で考えているからこそ、金勘定が大事だと考えるのだろう。


 夕食の席は和やかなまま進んだ。

 アルフレッドとエセルは隣り合って座り、ぽつぽつと近況を語り合っている。

 声は聞こえないが、時折アルフレッドが何か言ってエセルが小さく笑う。

 その光景を邪魔しないように、私は紅茶のカップに口をつけた。


 ※


 翌朝。

 私は修道院の裏手にある墓地にステラと二人きりで訪れていた。

 雪が積もった墓石の列が、朝日を浴びて白く光っていた。


 この墓地の一角に、新しい墓石が立っている。

 エルベ谷紛争の戦死者の墓。

 アッシュフィールド側の兵もヘルマンシュタイン側の兵も、分け隔てなくここに眠っている。


 以前ここを訪れたのは紛争が終わって間もない頃。

 叙爵のために王都を訪れるその道中にエルベ修道院へ寄ったのだ。

 

 雪をかき分けて墓碑の前に立つ。

 名前が刻まれた石の上に積もった雪を、手袋の手で丁寧に払う。

 一つ、また一つ。

 知っている名前はほとんどない。

 だけど、この一つ一つが誰かの息子で、誰かの父で、誰かの友だった。

 私の命令が彼らを死地に送ったのだ。

 

「……リリアーネ」


 ステラが隣に立ち、同じように墓碑の雪を払っていた。

 小さな手が几帳面に石の表面を拭う。


 私は墓碑の前に立ち、静かに手を合わせた。

 前にここに来た時、私は何を思っていただろう。

 あの頃の私は、まだ自分の領地を守ることだけに精一杯だった。

 ヘルマンシュタインとの紛争が終わって、初めて「自分の決断で人が死んだ」という現実に向き合った。


 あれから何ヶ月か。

 今の私の頭にあるのは物価の高騰への対策、三領通商協定、そしてローゼンシルトの簒奪による王国の今後のことばかりだ。

 考えることがずいぶん大きくなった。


 大きくなった分、忘れていないだろうか。

 ここに眠っている一人ひとりに名前があったこと。

 家族がいたこと。

 朝起きて、仕事をして、飯を食って、眠りについて翌日も同じ日が続くと思っていた日常があったこと。

 それが私の――もしくは敵方の領主の決断一つで断ち切られたこと。


 政治の話をしている時、私は人を数字で見てしまうことがある。

 兵力がいくら、物資がいくら。

 そうしなければ判断が鈍る。合理的に考えなければもっと多くの人が死ぬ。

 それはわかっている。

 でも、こうやって墓前に立てば否が応でも思い出す。

 数字のひとつひとつが、生きていた人間だったということを。


 大切なものを忘れないための、私の決め事。

 決断の先にあった犠牲を決して忘れないために、私はこの祈りは欠かせない。


「――死者に引っ張られてはいけない、でも死者を忘れてはいけない」


「リリアーネ?」


「今私が祈る理由かな」


「あなたらしい。でも、それでいいと思う」


 ステラはそれ以上何も言わなかった。

 私の隣に立って、同じ方を向いて、同じ沈黙を共有してくれた。

 冬の風が谷を吹き抜ける。私はもう少しだけそこに立っていた。

 やがて小さく息を吐いて、踵を返す。


「さて……朝食を食べたら出発しましょう」


「うん」


「行きましょうか」


 ステラが小さく頷いて、半歩後ろについてきた。

次話の投稿は7/31を予定しています。

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