第105話 三領通商協定、始動
十二の月に入って十日近くが過ぎ、アッシュフィールド領は本格的に冬を迎えた。
窓の外には粉雪が舞い、領都グレイヴィルの屋根は薄く白化粧を始めている。
執務室の暖炉には薪がたっぷりとくべられ、部屋は快適な温もりに保たれていた。
ステラの淹れてくれた紅茶から立ちのぼる湯気を眺めながら、私は今朝届いたばかりのブラックウォール公爵家からの書状の封を切った。
差出人はレオフリック・マルス・ブラックウォール。
最近ブラックウォール公爵家からの書状はレオフリックからのものがほとんどだ。
なぜかというと、アルフレッド曰く「兄貴の字」だからだそうだ。
署名こそエルウィンのものだが、実際に文を書いているのはレオフリックのようである。
書状の内容は大きく二つ。
一つは、ブラックウォール領が直面している経済的な圧力についての報告。
複数の取引先でゼーヴェルト公爵の息がかかった商人からの納品遅延が相次ぎ、領内の物資調達に影響が出ているとのこと。
(間違いなく嫌がらせね……)
王権を簒奪したローゼンシルトに、真っ先に恭順の意を示したのはゼーヴェルト公爵だ。
まああの公爵はそうでしょうねという感じ。
以前王都で出会った時からその言葉の端々に王家に対する冷笑が滲んでいたように思う。
(なーんか気に入らないわ……)
自分で天下取らずに、成功した他者に取り入って利益と影響力を増そうとする人間は、私の苦手なタイプだ。
あの胡散臭い男だ。経営コンサル的な共同経営者面して近づき、諸侯に対して優位性をアピールするつもりなのだろう。
それはそうとして、この嫌がらせはローゼンシルトからの書状に返書を送ったあたりから始まったそうだ。
うん、圧力をかけて従わせようとしているとしか思えない。
それがローゼンシルトの意思なのか、ゼーヴェルトの独断なのかは不明だが、どちらにしてもブラックウォールは苦しい境遇にあるとのこと。
もう一つは、その対策として提案された構想。
ブラックウォール領とアッシュフィールド領の間で直接交易路を開き、ゼーヴェルト系の流通網への依存を減らすというものだった。
これまで各地の領を跨いだ取引は民間の商人の活動に委ねてきたが、この非常時には領主間で直接交易網を構築する必要がある。
ただし――ブラックウォール領とうちの間にはヘルマンシュタイン領が挟まっているため、ヘルマンシュタイン伯爵の協力を得て三領での通商協定を結びたいとのことだった。
そして――私は書状の最後に記されたレオフリックの私信めいたものに目を留めた。
『当家のこれまでの判断――王都への物資供出の抑制、および討伐軍への不参加は、当家の領地安定の責務に鑑みた私――レオフリックの進言によるものです。父エルウィンはこの進言を承認し、当家の方針としました』
(これは――)
なんとなく合点がいった。
ブラックウォール家のここ数ヶ月の動き――どこかのらりくらりとしたその背景には、レオフリックの判断があったというわけか。
こう……王都守護の名門であるブラックウォール公爵にしては、私のような『厄介事にわざわざ首を突っ込む必要はねーぜ、ぺっ』みたいな姿勢に見えていたから不思議だったのだが、まあそういうことらしい。
(エルウィンさん……やはりエセルのことで……)
目の前であのジークハイトに娘を婚約破棄された。
その屈辱はいくら忠義の名門としても耐え難いものだっただろう。
あの晩餐会の夜、慟哭するアルフレッドをエルウィンとレオフリックが二人がかり引きずって退場した光景が蘇る。
立場的に二人はああするしかなかったのだろうが、その内心の激情は私にも想像は難くない。
ブラックウォール家の葛藤は置いといて――私がどうこうすることのできることじゃない。
ゆえにこの三領通商協定(仮)についての作戦会議を開きましょうか。
そういうわけで私は執務室にいつメンを集めることにした。
※
「三領の通商協定か。面白い話を持ってきたな」
イリヤが書状に目を通しながら口元に笑みを浮かべた。
さすがはうちの御用商人兼財務大臣兼物流大臣、興味津々といった感じだ。
「ブラックウォール側の事情は理解できる。ゼーヴェルトに流通を握られてる以上、別の交易路を確保したいのは当然だ。で、地理的にヘルマンシュタインを通さなきゃ物は動かせない」
「ヘルマンシュタイン伯爵にとって、お嬢様はエルベ谷を巡る紛争で勝者の側。さらに賠償金の支払いを春まで猶予してくださっている恩もあります。我々から持ちかける形であれば、伯爵も無碍にはできないでしょう」
ヴェルナーが静かに頷く。
正直領地を巡る紛争で関係は良くはないが、賠償金支払い猶予という恩を売っておいたのはここに来て役に立ちそうだ。
「ヘルマンシュタインは乗って来るだろうな。あちらさんも物資不足でずっと苦しんでいる状況だ。交易路の中継地になれば通行料や手数料の収入が得られるのは向こうにとっても悪い話じゃない」
うん、イリヤの分析は妥当だと思う。
ヘルマンシュタインは小心者の保身家ではあるが馬鹿ではない。
むしろ、ああいった手合いは損得勘定だけは素早い。
利益の出る提案であれば乗ってくるし、こちらに借りがある以上、法外な条件をふっかけてくるようなことはないだろう。
「むしろ問題はヘルマンシュタインが首を縦に振るかどうかよりも――」
「ゼーヴェルトやローゼンシルトを刺激する可能性よね」
私とイリヤは顔を見合わせて頷いた。
ゼーヴェルトとローゼンシルトは新体制の権力者だ。
これに逆らう形になる通商協定を結べば、当然反応があるだろう。
「睨まれるぐらいだといいけど、明確に反ローゼンシルト同盟と見做される危険性は否めないでしょうね」
腕を組み壁に背を預けたリュシアが言った。
聖女の仮面は外れて、私が見知ったの皮肉屋の素顔がひさしぶりに見えている。
「ブラックウォールもアッシュフィールドも今の時点ではローゼンシルトに対して明確に態度を明らかにしていない。向こうから見れば臣従するかしないかまだわからない相手。その二領がヘルマンシュタインを抱え込んで経済的な結びつきを強化すれば、新体制への対抗勢力と見做される可能性は高い」
「それが一番の懸念だな。即座に軍事行動に出るとは考えにくいが、ゼーヴェルトの経済圧力がうちにも向く可能性もある。今のところアッシュフィールドはゼーヴェルトへの依存度が低いから直接的な影響は限定的だが、完全にないわけじゃない」
だよねー。そう考えるとめんどくさい。
そういうリスクを考えると、この通商協定は必要ないと言い切ることもできる。
ブラックウォールのためにもアッシュフィールドのためにも。
「逆に聞くけど、この提案を断った場合はどうなる?」
私は議論の方向を変えた。
「そうだな……ブラックウォールは干上がり、ローゼンシルトに膝を屈するしかなくなる。それまでに領民がどれだけ飢えるかだな。もしそれを乗り切ったとしても、ブラックウォールの誇りは吹っ飛ぶ。王家への忠義を謳う名門が簒奪者に降る。次の世では『ブラックウォールは節操なしの家だ』と後ろ指を刺されるだろうな」
「実利も名誉も失うというわけね……」
「正直言うとな。ブラックウォールは厳しい立場だ。王都守護の任を預かってきた分、王家への忠義こそが家の価値だった。でもよ、例の婚約破棄は確実にブラックウォールの忠義を裏切った。だから現実問題として王家への忠義を貫く理由がなくなってる」
イリヤは淡々と事実の言葉を述べる。
それに続いてリュシアが言葉を続ける。皮肉屋と冷笑屋の顔で。
「でも世間は『忠義を失っても仕方ない』とはなかなか見てくれないものよ。『たかが娘を捨てられたという私情で、王家の危機に手を貸さなかった不義の臣』と、彼らを非難する声も多いでしょうね」
「ちょっとリュシア……アルフレッドの前でそんなこと……」
リュシアの火の球ストレートな発言に、この会議を静かに見守っていたアルフレッドの顔が歪む。
だが、リュシアの言うことは間違っていない。
王家への忠義がこれまでブラックウォール家のアイデンティティであった以上、その忠義を失えばブラックウォールはその価値を見失う。エルウィンもレオフリックもその板挟みなのだ。
「まあなんだ。正直言うと、アッシュフィールドだけに関するとこの協定を蹴ったところで、実害はほとんどない。しかし――我らが義侠心溢れる伯爵様は、ブラックウォールの苦境を黙って見過ごせるほど薄情じゃないだろう?」
「よくわかってるじゃない、イリヤ」
「この一年お嬢のやりかたは見てきたもんな。つまり、やるかやらないかじゃなく、やるならどういう形でやるか、だろ?」
「お嬢様得意の、表向きの建て付けが重要ということですな」
ヴェルナーが口を開いた。
ふふっ、ヴェルナーも私が大切にしていること、よく知ってくれているじゃない。
「そうね。この協定を反ローゼンシルト同盟だと見做されないよう体裁を整える必要があるわ。あくまで冬季限定の救荒措置として相互に物資を融通し合う。現に穀物高騰と流通の混乱は事実として存在している以上、その対策として近隣領同士が協力することは不自然ではないわ。あとリュシア」
「何かしら?」
「教会の伝手でこの協定の正統性を担保してもらうことってできる?」
リュシアがここに一枚噛んでくれると助かるのだが――
しかし彼女は申し訳なさそうに首を横に振った。
「ごめんなさい……アッシュフィールド領内であなたが出す布告については私の権限でなんとでも後押しできるけれど、複数の領を跨いだ協定を教会が公認するには私だけの権限では無理よ。それにエーデルガルドは揺れている最中、事なかれ主義の教皇庁が新体制に対する火種と見做されかねない動きを支持することは考えにくいわ」
「かーっ、ほんと教会って頭でっかちな連中ばかりだよな……」
「仕方ないわ。教会はとにかく秩序を重んじるもの。王を弑したからといって、教会が即座に敵対できるわけではないわ。王都と行政機構を押さえ教会の活動も保障している以上、教皇庁は彼女を少なくとも交渉相手として扱わざるを得ない。そんな状況でこちらの協定だけに教会のお墨付きを与えれば、事実上の反ローゼンシルト宣言と見做されかねない」
前々から思っていたけど、この世界の教会って宗教組織以上に国家間を跨いだ巨大官僚組織めいたところがあるのよね。
災害・戦争で困窮した民衆の支援はフットワーク軽いけど、政治的な思惑が絡んだ事柄については完全に慎重一辺倒。
クーデターを起こした簒奪者にも交渉窓口が存在するのであれば、新たな秩序の担い手として見做す、
――まるで前世における国際機関みたいだ。
「色々と話を詰めることはあるけど、アッシュフィールドの意思としてはこの協定に乗るわ」
「お嬢様、よろしいでしょうか?」
「どうしたのヴェルナー」
「この協定、ヘルマンシュタイン伯爵との交渉は書状のやり取りで済ませることも可能です。しかし――」
「わかってる。これは書面だけで詰められる話じゃない」
私は椅子の背にもたれて一息吐く。
ヘルマンシュタイン伯爵との関係は微妙だ。
戦争で負かし、賠償金を免除し、借りを作っている。
だからこそ、書状一枚で「協力してくれ」と送りつけるのは相手の自尊心を軽んじることになる。
こちらから足を運び、対等な交渉相手として扱う姿勢を見せなければならない。
それに――ヘルマンシュタインの領内事情を自分の目で確認しておきたいという気持ちもあった。
「ヘルマンシュタイン領に行くわ。直接伯爵と交渉する。交易路の実現可能性を確認して、条件を詰めるには現地を見るのが一番早い」
「お嬢が直接行くのか?」
「戦争で勝った側の当主が、わざわざ負けた側の領地に出向く。それ自体が相手への声明になるでしょ。『対等に話をしに来ました』ってね。書面で上から要請するよりずっと効くわ」
イリヤは少し考えてから、にやりと笑った。
「そりゃ違いねえ」
「じゃあ決まりね。イリヤは交易品目と物流ルートの素案をまとめて。ヴェルナーは出発の手配。同行する面子は……」
「当然まず私。私以上にリリアーネの護衛に適任な人間はいないから」
ずっと影のように私の傍らで佇んでいたステラがキラキラとした目と尻尾をパタパタと振って言った。
もちろん問題なし。
「私は留守番しておくわ。教会の要職者が同行なんてローゼンシルトに対して誤った声明を伝えかねないし」
こればかりはしょうがない。
リュシアは残念だけど留守番。
「アッシュフィールドの物流を仕切っているのは俺だからな。同行させてもらうぜ」
「うん、頼りにしてるわよイリヤ」
そして――
「アルフレッド、もちろんあなたも同行してもらうわ」
「えっ……俺もいいのか?」
「これ、ブラックウォールからの提案だもの。私が交渉に赴くとなったら、きっとあなたのお兄さんもヘルマンシュタイン領に赴くでしょうね。ブラックウォールの公子が二人も同席するとなったら、ヘルマンシュタインもさすがにこちらの本気度を感じると思うわ」
「わかった。俺も一緒に行く」
「あと、道中エルベ修道院でエセルに会いたいでしょう? こんな時にでもなければ中々会いに行く機会がないもの」
「……ありがとう。リリアーネ」
私の言葉にアルフレッドは目を見開いき、静かに頷いた。
私もしばらくぶりにエセルに会えるのが楽しみだもの。
――これで同行者は決まった。あとはヘルマンシュタイン伯宛ての書状とレオフリック宛てへの書状を用意しないとね。
私は羽ペンを手に取り、書状の草案を書き始めるのだった。
次話の投稿は7/29を予定しています。
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