第103話 新秩序の共同経営者
十一の月二十三日
王都エーデルシュタットの北門に、ゼーヴェルト公爵家の旗を掲げた輸送隊が到着した。
長い車列を作った荷駄は食糧の他、衣類や建材に鉱石と様々な品々が積まれている。
護衛の兵も多すぎず、少なすぎず。威圧ではなく、支援の形を取るにはちょうどよい数だった。
カスパー・エーレンブルグ・ゼーヴェルトは、列の先頭で馬上から王都の様子を観察していた。
街並み思っていたよりもずっと平穏な様相だった。
数日前に王が殺されるクーデターが起きたというのに戒厳令が敷かれている様子もなく、何事もなかったように市民生活が営まれている。
ところどころにローゼンシルト軍の兵士が巡回しているが、威圧的な態度は見られない。
市民はむしろ彼らに感謝の言葉をかけているのが見て取れた。
そして何より目についたのは、広場のあちこちで行われている炊き出しだった。
湯気の立つ大鍋の前に市民が列を作り、粥を受け取っている。
配給する兵士たちの胸には、ローゼンシルト家の薔薇の紋章。
(なるほど――まずは民の腹を満たすか。大した手際だ)
ゼーヴェルトの唇に、かすかな笑みが浮かんだ。
王を殺してまず初めにすることが民に飯を配る。
これだけで王都の民の大半は新しい主人を受け入れるだろう。
民が従うのは権威にあらず、腹を満たす者。この真理を、ローゼンシルトはよく理解している。
権威などというものに従うのは古臭い貴族だけ。
例えばカビの生えた王家に懸命に忠義を尽くし、その結果王家の滅亡を眺めるだけだったブラックウォールなぞその好例と言えよう。
ゼーヴェルトは王都の街並みを笑みを浮かべながら視線を方々に向ける。
その笑みは賞賛ではなく、品定めのそれ。
悪くはない。だが、自分ならもっと上手くやれる。
パンと粥を配るだけでは一時しのぎだ。物流を立て直し、市場を再開させ、商人たちに信用を示さなければ本当の安定は来ない。
その点ではまだ自分のほうが何歩も先を行っている。
ゼーヴェルト領は今回の穀物高騰を最小限の被害で乗り切っていた。
彼は商人でもあるが、あの投機市場を冷ややかに見ていた。
目先のことしか考えられない愚かな連中の行動を予測し、先回りして自領の流通網を整備することで投機に依らない物資の安定供給と利益を確保していたのだ。
自前の海運を駆使し外国との貿易を活発に行い、食糧輸入を早い段階で確保した。
エーデルガルドの市場不安に外国は輸出制限をかけてきたが、物を売り買いするのは官吏ではなく所詮は現場の人間。
現場に金を積めばいくらでも抜け道を作れるのだ。
他の領主が自領の備蓄を必死に守っている間に、ゼーヴェルトは輸入した穀物を王都に流し、ジークハイトに恩を売りつつ利益を上げていた。
危機は商機だ。それがゼーヴェルト家の家訓であった。
馬を降り、供回りを整え王宮への道を歩く。
護衛は最小限にした。大部隊を連れてくる必要はない。
今回の商談相手は仮にも王を弑逆した人物、まずは下手に出て相手の優位性を認める姿勢を見せるのが大切だ。
そのための手土産は十分に用意してある。ゼーヴェルト領から運ばせた物資。
ローゼンシルトの炊き出しに使われる食糧の一部が、明日からはゼーヴェルトの提供したものに替わるのだ。
王宮は思ったよりも損傷が少なかった。
ところどころ壁に剣傷や廊下の一部に血痕が残ってはいるが、修復作業はすでに始まっている。
戦闘は小競り合い程度の、ほぼ無血開城だったのだろう。
案内の兵士に導かれ、謁見の間ではなく、王宮の一室――かつて宮内府が使っていた会議室に通された。
さすがに王権を簒奪したばかりの女が、謁見の間を自らの座とはできないのだろう。
実にローゼンシルトは己の立場を弁えている。王を殺した場所で、新たな主人面はできない。
――その程度の配慮はできる女のようだ。自らの権力基盤がまだ安定していない自覚を持っている。
だからこそ――ゼーヴェルトは自分が新たな秩序への共同経営者として必要とされるのだ。
※
会議室の扉が開き、セレスティーヌ・ベネディクタ・ローゼンシルトが入ってきた。
紫紺のドレスに身を包んだ女は、穏やかな笑みを浮かべてゼーヴェルトを出迎える。
ゼーヴェルトは立ち上がり、一礼した。
「お忙しい中、お時間をいただき感謝いたします、ローゼンシルト公爵」
「こちらこそ、ゼーヴェルト公爵。遠路はるばるお越しくださり、しかもこれほどの物資までご提供くださって。心から感謝いたしますわ」
ローゼンシルトは微笑んで向かいの椅子に座った。
侍女がコーヒーを運んできた。グランファーレンの豆の良い香りがする。
ゼーヴェルトも嫌いではない香りだった。
「単刀直入に申し上げます」
ゼーヴェルトはカップに口をつけてから、切り出した。
回りくどい外交辞令は性に合わない。
「王家はその役目を終えました。ジークハイト陛下は――王の器を持つ者ではなく、あなたがそれを終わらせた。方法の是非はさておき、結果として王都は安定に向かっている。私はその結果を評価します」
「ありがとうございます。率直なお言葉は嬉しいですわ」
「そして私は、次の秩序を共に作りたいと考えています。ローゼンシルト公爵が中心となる新政権において、私は経済と海運の分野で全面的に協力する用意があります」
臣従ではなく共同経営者。
あくまで対等な立場での提携。
ローゼンシルトには軍事力と王都の統治機構がある。ゼーヴェルトには海運と経済力がある。
互いに持たないものを補い合う関係。それがゼーヴェルトの描く絵図。
一方でゼーヴェルトが自分が王冠の器でないことは自覚している。
ゆえに王冠に値札を付ける立場でありたいのが本音だ。
必要であれば、その王冠を他者に売り渡すことも厭わない者として。
「ゼーヴェルト公爵のお力添えは、何よりも心強いですわ。正直に申し上げて、王都の経済再建には私一人の手では限界がございます。特に物資の流通網は公爵のお力なくしては成り立ちません」
ローゼンシルトの言葉に、嘘は感じられなかった。
この女は裏表がないのだとゼーヴェルトは感じた。
表の慈愛も、裏の冷酷も、どちらも本心で。
民のためにと口走りながら邪魔な王を斬り捨てることを何も厭わない。
善も悪も同じ顔の中に同居する。
普通ならそれは危険な人間だ。
だがゼーヴェルトにとっては、むしろ付き合いやすい相手だった。
建前だけの善人より、己の欲望を自覚した人間のほうが行動を読みやすい。
この女が何を欲しているかは明白だ。王冠だ。そしてそのために必要なのは統治能力と経済能力。
ゼーヴェルトは経済能力を提供する代わりに新政権内での経済的支配権を手に入れる。
明快な取引だと言えよう。
「ところで――ひとつお尋ねしたいことがございます」
ゼーヴェルトはそう言ってカップを受け皿に置いた。
「なんなりと」
「救国軍と名乗る賊徒ですが――あの烏合の衆を取り込んだ判断は理解できます。戦わずして数千の兵を手に入れたのは見事な手腕です。しかし――救国軍。美しい名ですな。その名でいくつの蔵を破り、信用状を焼いてきたのやら」
商人公爵として明確な嫌悪の色を言葉にのせる。
ゼーヴェルトは王都西門郊外で野営地を張る救国軍が気に入らなかった。
彼らはどこまで行っても食い詰めた民衆の集まりにすぎない。
そして彼らは王都にたどり着くまでにいくつの商人を踏みにじってきたことか。
「その懸念は理解いたします。ただ、彼らが飢えたゆえに立ち上がるしかなかったことは事実。その感情を否定するわけにはいかないのです」
「ええ、それはわかっています。しかし、飢えは彼らの行動を正当化する理由にはなりません。特に――指導者の一人であるニコラスとかいう男。聞いた話によるとこの男は荷運び人夫あがりだそうで。学もなければ金もない。統治の何たるかも知らず責任を取る能力も覚悟もない。なのに人を煽り立てる才だけは一級品だ」
ゼーヴェルトの声に侮蔑が滲んだ。
侮蔑を隠すつもりもなかった。
「ローゼンシルト公爵、ああいう人間は厄介だ。自分が何を壊しているのか自覚がないまま、善意と正義感で周囲を燃やす。バルモアで起きたことがその証左です。公爵を殺し、周辺を略奪し、挙げ句に王都へ行進してきた。あの男が結果的にプレストン司教の命を奪った自覚があるのかすら疑わしい」
「プレストン司教のことは存じておりますわ。お気の毒なことでした」
「あの男、今は腹を満たしてもらった恩で大人しくしているでしょうが、ああいう手合いは餌がなくなれば次の相手を探す。公爵が彼にとっての恩人であり続けられる保証はない。いずれ制御不能になるでしょう」
ゼーヴェルトははっきりと示唆した。
救国軍を――ニコラス・ドレフュスを処理しろと。
下手をすればローゼンシルト自身が、自分が手なずけた虎に食い殺されると。
ローゼンシルトはコーヒーを一口含み、静かにカップを置いた。
「ゼーヴェルト公爵。あなたの懸念はごもっともですわ。ニコラスという人物が持つ危険性は私も認識しております。あの手合いは金にも権威にも従わない。善意と正義感のみで、その場その場で民が欲しい言葉を口にするだけ。ですから――」
ローゼンシルトは含みを持った笑みを浮かべた。
まるで彼の処遇は決まっているとでも言いたげに。
「……いいでしょう。貴女がそれを認識しているのであれば私が口出しすることはありません。ただ――処理はお早めに。民衆の目を集める悪辣な扇動家が好きに動けるほど、この国は安定していません」
「ええ、もちろん。ご心配なく」
この件に関しては双方ともに理解が一致した。
やはりこの女は飢えた民を救う聖女の顔で、統治に必要のない者を平然と切り捨てる冷酷な判断ができる。
それはゼーヴェルトの好む相手だった。
「もう一つ、伺いたいことがあります」
ゼーヴェルトは話題を変えた。
「ブラックウォール公爵家の処遇です。あの家は王都への物資供出も、救国軍討伐の派兵も拒否し、そして彼らから見れば――申し訳ないが貴女は簒奪者だ。しかし、そんな貴女に対しても何ら態度を明らかにしていない。忠義の家とは聞いて呆れるが――彼らの動向をどう捉えているのか、伺ってもよろしいでしょうか」
「ふふっ、簒奪者とは耳が痛いですね」
「これは失礼」
「いえ、事実ですので。確かにブラックウォール公爵はこの件に関しては一切動いていません。ただ――そうせざるを得なかった理由も承知しております」
「例の婚約破棄ですな。さすがに忠義の家もあれには堪えたようで」
忠義と嘯いても、身内が辱められた程度でその忠義心は揺らぐ。
代々の名誉でしか己の価値を示せない古い家系がゼーヴェルトは嫌いだった。
「しかし――彼らも私の統治には大切な協力者となりうるのです。旧い権威の守護者が私に膝を折ってこそ、民は新たな秩序を正統と受け入れるでしょう。ですからブラックウォール公爵には穏便に事を進めたいと考えています」
ローゼンシルトはブラックウォールにゼーヴェルトと同等以上の値札を付けている。
腐った忠義とカビの生えた名誉しかない家が、ゼーヴェルトと同じ重みを持つと?
――面白くはなかった。
だが、この件でローゼンシルトと対立しても何も利益はないことはゼーヴェルトは理解していた。
「承知しました。ブラックウォールの件は公爵にお任せします。ただし、もし彼らが膝を屈さないようであれば、その時は私にもお声がけを」
「ありがとうございます。頼もしい限りですわ」
※
会談を終え、ゼーヴェルトは王宮を辞した。
王都の大通りを馬で進みながら、彼は会談の内容を反芻する。
概ね満足のいく結果だった。
新政権における経済面での主導権は確保できた。海運と物流を握る自分の立場は、ローゼンシルトにとっても代えがたいものであるはずだ。
救国軍の処遇についても立場の一致を確認できた。
邪魔な扇動家は排除する必要がある。
ゼーヴェルトは自分の知性に絶対的な自信を持っている。
だが――ブラックウォールの件は引っかかった。
明らかにローゼンシルトはブラックウォールを高く評価し過ぎている。
古い権威の象徴だとしても、あの家の価値は過大評価に過ぎない。
だがゼーヴェルトは商人だ。感情で取引を壊すことはしない。
今はまだ提携の初期段階だ。信頼を積み重ね、実績を示し、やがてあの女にとって自分がなくてはならない存在になる。
その時に初めて、対等な共同経営者としての発言権を手に入れればいい。
(――所詮は山暮らしの世間知らずの女だ。海を知らぬ者に、大海の価値はわからんよ)
ゼーヴェルトは鼻を鳴らし、馬の手綱を握り締めた。
ブラックウォールの件はローゼンシルトに任せておけばいい。
だが、膝が折るのが遅すぎるのではあれば――その時は自分が代わりに切り捨てよう。
海の支配者にとって、古い権威に胡坐をかく者など波間に沈めてやればいいのだから――




