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第96話 バルモア救国軍

 十の月半ば。

 バルモア大火から一ヶ月が過ぎた。

 アッシュフィールド領は嵐の中に浮かぶ小舟のように揺れながらも、なんとか沈まずにいた。

 

 食糧統制令は引き続き発令されている。

 年明けからずっと溜め込んでいた備蓄を計画放出することで、領内の穀物価格は何とか高値止まりで抑え込めている。

 そして領内で収穫された新穀が、市場に流れ始めていることで心理的な不安は一息つき始めてはいた。


 うちのような備蓄もなく、自前の収穫だけでは需要を賄えない周辺領は穀物価格の高騰に直撃されている。

 幸い自領と接するヘルマンシュタイン領からの流民はまだ出ていないが、流民に備えて街道の警備を強化しなければならない。

 

 外国からの輸入――グランファーレンとノルドヘイムからの輸入はイリヤの手で細々と行われているが、やはりエーデルガルドからの輸入要請が跳ね上がったのだろう、二国とも輸出制限を発動するようになっていた。

 そして東の隣国――ヴァリャーグとも民間レベルでのみ穀物の輸入が行われているが、今のところヴァリャーグ政府が面倒な介入してくるような様子は見られない。商人を偽った工作員もいまのところは現れていない。


 毎日が慌ただしい中で、私はいつものように執務室で帳簿と睨めっこしていた。

 隣ではアルフレッドが輸入穀物の検品記録を整理し、ステラが私たちに紅茶を入れてくれている。

 穏やか――とは言えないが、不測の事態が起こっていないだけマシだと、そう思える朝だった。


 そんな朝にイリヤが不測の事態を運んできた。

 扉をノックもせずに開け放ち、煙草も咥えずに入って来た時点でヤバいことが起きたと悟った。


「お嬢、まずい知らせだ。バルモアの商人筋から入った情報だ。裏は取り切れていないが複数の筋から同じ話が来てる。精度は高いと見ていいだろう」


「何があったの」


「――バルモア公爵が殺された」


 執務室が凍りついた。

 ペンを走らせていたアルフレッドの手が止まる。

 ステラの金色の瞳が、僅かに見開かれ揺れた。


「殺されたって……どういうことなの!?」


「反乱だ。蜂起した民衆が城門から雪崩れ込んで公爵は家族もろとも――」


 なんてこと――と、思わず私は机を叩いた。

 じんじんする右手に痛みを覚えながら、ステラに視線を移す。

 視界の端でステラの肩が小さく強張るのが見えた。

 表情は変わらないけれど、尻尾の毛がわずかに逆立っている。


 民衆の蜂起。統治者の惨殺。

 かつてステラはヴァリャーグ帝国皇女として、その惨劇の当事者だった。

 今回の出来事は彼女にとっても他人事ではないのだろう。動揺の色を隠せないでいた。


「詳しい経緯は?」


「まだ断片的だ。暴動が起きて、城門が破られたってことしか分かっていない。ただ、かなり大規模な騒乱だったらしい」


「――リュシアにも共有すべきね。教会経由でもっと詳しい情報が入っているかもしれない」


「呼ぶか?」


「こちらから行くわ。みんなも準備を」


 私は立ち上がり、アルフレッドとステラを促した。


 ※


 馬車を走らせ私たちはリュシアが詰める教会へと急ぐ。

 私たちのただならぬ気配に取り次いだ教会のシスターは慌ててリュシアのもとへ通してくれた。


「リリアーネ! 今そちらへ行こうとしてたのよ」


「その様子だと教会のほうもバルモアの情報が入っているのね」


「ええ。教皇庁経由で最新の状況が伝わってきたわ」


 リュシアの表情は硬い。

 最近彼女の皮肉屋めいた余裕のある笑顔をあまり見かけていない。

 それほど国内情勢が逼迫しているのだ。


「概要を教えて」


「十の月七日、ゴルトフェルトの城門前で大規模な暴動が発生。数千の被災民が食糧の配給を求めて城門に押し寄せたわ。公爵軍が武力で鎮圧を試みて、民衆に死者が出た。それで事態が暴発した」


 リュシアは一呼吸置いて続けた。

 教会筋の情報はイリヤの商人筋のものよりも詳細なバルモアの姿を描いていた。


「どうも――公爵軍の一部隊の隊長が、城門を開いたみたい」


「――は?」


「その隊長が自分の判断で閂を外した。暴徒は城門から城内になだれ込んだ」


 領軍が裏切った。

 それは暴動が自然に城門を破ったのとは全く意味が違う。事態はもっと深刻だ。

 領内の治安を守る軍隊が、暴徒を手引きして統治者を殺したのだから。


「あとはあなたも聞いての通り、公爵は家族もろとも民衆に殺された。内応した部隊以外の領軍や城内の行政官は殺されたか逃亡した。バルモアは今や完全に無政府状態よ」


 淡々とリュシアは惨劇の内容を語る。

 

「それで、暴動はその後どうなったの?」


「ここからが本題。あなたのような貴族にとっては悪夢の状況になりつつあるわ」


 リュシアの翠色の瞳が鋭くなる。

 ごくりと私は唾を飲んだ。


「暴徒たちは城を制圧した後、武装集団化しているわ。公爵家の武器庫から武具を持ち出し、内応した部隊を取り込んで一つの軍として組織され始めている」


「軍?」


「彼らは自らを『()()()()()()()』と名乗っているそうよ。主張は――よくある()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()――下手をするとここエーデルガルドがヴァリャーグのような革命に発展するかもしれない」


 ついに始まってしまった――

 原作世界における飢饉からの反乱軍の発足。

 それを機とした諸侯たちによる内乱。


 私はこれを回避するために、全ての準備を進めてきたはずだった。

 なのに……なのに……その遠因を私が作ったのかもしれない。

 大火そのものは原因不明だ。でも、大火に至る前の穀物投機の動きは、私から始まっていると言われたら否定できない。


 私は顔を両手で覆う。震える手が頬に触れた。

 ――いや、後悔なんてする暇はない。

 自分の行動が最悪の未来に繋がったとしても、私は今できることをやるだけだ。


「指導者と見られる人間は?」


「城門を開いた元領軍隊長と、暴動時に民衆を煽動した元市民の二名が中心と見られている。そして――バルモア教区のマティアス・プレストン司教が精神的な支柱として祭り上げられているとのこと」


「その司教はなぜ――?」


「プレストン司教は被災民たちのために食糧支援を行っていたのよ。純粋に善意として司教としての義務を果たしていた。その間彼は何度も公爵に支援を要請していたが、公爵からの反応はなかった。そうなれば民衆は誰を支持するでしょうね」


 ああ、そうか。

 このプレストン司教という人は原作における『麦の穂』の役割を担うことになってしまったのだろう。

 純粋に、飢えに苦しむ人々のために活動した者。

 そういう人間が、飢えた人々の心の拠り所とされるのは自然なことだった。


 となると――この反乱に空気を送り込んだ者がいるのかも――?


「……ヴァリャーグ」


 考えるより先に言葉が出ていた。

 その単語に周りの全員の目が向く。

 私の次の言葉を待つ瞳。


「あのさ……この一連の反乱、ヴァリャーグの工作が絡んでると思う? 飢えた民を煽って統治者を吊るす。以前うちがやられたのと似た手口に思えるわ」


 以前、ノースウッド商会というヴァリャーグの出先機関がカルロスを慕う者を丸め込み、反乱の火種を撒いていた。

 幸いにも不審な金の流れを掴み、彼らの動きを封じ込めることができた。

 今回バルモアでの反乱も同じ手口が行われたのでは――と、私は疑ってみる。


「……全くないとは言えないけど、多分違う」


 はっきりと、ステラが言った。

 全員の視線が小柄なメイドに集まる。


「……理由を聞かせて」


「まず場所。バルモアは王都を挟んで西の端。ヴァリャーグから見ればエーデルガルドを丸ごと横断した先。ここならともかく、わざわざあんな場所まで手を伸ばすとなると相応の費用と危険が伴う。それに大火に乗じて反乱を煽ったなら期間が短すぎる。大火の後に工作員を潜入させて、民衆を煽り、領軍の一部を寝返らせ、城門を開けさせる。それができるならそもそも王都で革命が起きている」

 

 うーん、この本職工作員の『素人質問で恐縮ですが』パンチ。

 ステラの言い分は筋が通っている。


「大火そのものが連中の仕込みで、そこから始まっていたら?」


「その場合はもっと無理がある。収穫までに人員を送り込んで、大火を起こした後は民衆の扇動を行い、領軍を寝返らせる工作を行うとなると大規模な拠点がバルモアに必要になる。そこまで準備を整えていたならどこから情報が漏れるか分からない。国境を接するグランファーレンもそれだけの規模があれば察知されてもおかしくない」


 元本職工作員の『素人質問で恐縮ですが』パンチその2。

 ヴァリャーグ工作説はかけるコストに対してリスクが高すぎるということか。


「――つまり、バルモアでの反乱は、領内の自生的なものだった?」


「多分――そうだと思う。これはただ飢えた民衆が限界を超えて爆発しただけ」


「それについてだがな、お嬢。商人筋からの情報に妙なものが混ざっててな」


「どうしたのイリヤ」


「大火の直後、ローゼンシルト公爵がバルモアに救援物資を送っていたそうだ。直接領境を接してもいないのに、わざわざ山を越えてはるばるバルモアに教会経由で物資を送った、ということだが……司教さん側の情報はどうだ?」


「ええ、それは確かな情報だわ。セレスティーヌ・ベネディクタ・ローゼンシルトは一週間だけ、バルモアに物資を送っていたわ。ご丁寧に紋章付きの外套を着た使者まで立ててね」


 イリヤ側の情報とリュシア側の情報が一致した。

 これは極めて信憑性が高い事実だろう。

 しかし――話を聞くだけなら非常に慈愛に満ちた人道的行為だ。


「良いじゃない。ローゼンシルト公爵が救援に動いてくれたのなら、それは純粋に素敵な話だわ」


「ああ、そうだ。素敵な話……素敵な話なんだがよ、商人の目で見ると薄気味悪いほど機を狙った動きに見えてな。一週間分の物資だけで『バルモアの危機に手を差し伸べてくれた聖女様』の評判を買った――元手に対して利回りが良すぎる」


 イリヤは帳面を睨んだまま、低く唸った。

 リュシアも彼の意見に同意を示しているようだった。


「打ち切りの理屈も完璧だ。『自領の民を飢えさせてまでは助けられない』――誰も責められねえ。責められねえんだが、結果だけ見れば、バルモアの民心はその一週間で公爵家から完全に離れた。よその公爵の施しにバルモア公爵は刺された形になる――」


「……それ、狙ってやったと思う?」


「わからねえ……そこが気味悪いんだよ。善意でも全く同じ形になる。悪意でも全く同じ形になる。外から見分ける方法がねえ」


「イリヤさんに同意よ。彼女はあの程度の食糧支援で、バルモアの民の心を買い取ったわ」

 

 セレスティーヌ・ベネディクタ・ローゼンシルト。

 王都のサロンで言葉を交わした、慈愛と気品を形にしたような女公爵。

 彼女が大火に乗じて、バルモア領を混乱に陥れたとでも言うのだろうか――?


「保留にするわ」


 私は言った。


「疑うには証拠がない。信じるにも理由がない。とりあえずこのローゼンシルト公爵の動きは保留にしましょう」


「了解だ」


 善意なら、それでいい。

 でももし悪意なら――あの人は、大火から一日かそこらでその手を打ったことになる。

 その機敏の速さは、ヴァリャーグの影よりもずっと恐ろしいものだった。


「……あの」


 それまで黙っていたアルフレッドが、口を開いた。

 顔から血の気が引いていた。


「公爵家が民に殺されたんだよな。バルモア公爵家って、四大公爵の、筆頭の……その一家が、丸ごと」


「アルフレッド……」


「子供の頃に聞いたヴァリャーグの革命の話。貴族が叩き殺され、皇帝一家が子供まで絞首台に吊るされた。……怖い話だなって思った。でも、遠い外国の話だと思ってた。それが国の西の端で起きた」


 アルフレッドの拳が、ぎゅっと握りしめられていた。


「下手をするとそれが王国全体に広がる可能性があるってことなんだよな……」


 誰も、すぐには答えなかった。

 ステラが目を伏せているのが見えた。

 彼が遠い外国の話だと思っていた『絞首台に吊るされた皇帝一家とその子供』は今この部屋で、メイド服を着て私の隣に立っている。


「……アルフレッド。怖がるのは正しいわ。恐ろしいことを、恐ろしいと感じることは大事よ。でも――だからこそ、私たちはやるべきことをやらなきゃならないの」


「ああ……わかってる」


「ブラックウォールは絶対大丈夫だとは言わない。でもあなたのお父様は、城門を閉ざして黙り込むような統治者じゃない。それはあなたが一番知ってるでしょう?」


「……ああ。親父は動ける人だ。決して民を蔑ろにはしない」


 怯えの色を見せていたアルフレッドの瞳に、強い光が戻った。

 怯えたままでいるより、頭と体を動かすほうがずっといい。

 それは私自身が一番よく知っている、不安への処方箋だ。


 ※


 リュシアの教会から執務室に戻った私たち。

 それぞれ自分のやるべきことを成すために動いている。

 執務室には私とステラだけが残されていた。


「ステラ、嫌なことを思い出させてしまってごめん」


「別に……革命はそういうものだから」


 ステラは遠い目をして小さく呟いた。

 ヴァリャーグで革命が起きてから、十年以上が経っている。

 彼女の人生を一変させた出来事は、時が経ったからとそう割り切れるものではないのだ。


「……飢えた民衆は、止まらない。一度、領主を殺せると知った民衆は止まれない。あれは次の餌場を必ず探す。パンがある場所か――パンを寄越さなかったやつの場所」


 パンのない都市。

 パンを寄越さなかった王。

 脳裏に浮かんだのは、城壁に囲まれた王都エーデルシュタットだった。

 自給力を持たない、王国で一番大きな胃袋。


「……王都ね」


「ん」


 短い肯定が、宣告のように響いた。

 飢えた濁流が次にどこへ流れ込むのか。

 考えるまでもなかった。誰の目にも、もう見えている。

 見えていても誰にも止められない。


 私は窓辺に立ち、西の空を見た。

 ここからは見えない遥か彼方で、顔のない怒りが王都への道を歩き始めている――

 私はどうすることもできなくて、拳を握り締めるだけだった。

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