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第95話 開門

 オスカー・テュラムは兵士として優秀な男だった。

 バルモア公爵領軍の一部隊を預かる隊長として、十数年城門を守ってきた。

 幸いにも近隣の領主と小競り合いすることもなく、比較的平穏な日々だったと彼は思っていた。

 

 反面、実戦を知らない地味な勤務だったと言えよう。

 城門の警備。城内の巡回。訓練。そしてまた警備。

 平和なバルモア領で繰り返される日課だったが、それを十数年繰り返し、一部隊を与る指揮官にまで出世していた。


 退屈な日々であったが、不満はなかった。

 兵士が暇ということは、それだけ民が平穏に暮らしている証拠だ。

 それを喜ぶべきだと彼は考えていた。

 たとえ地味であっても、その地味な務めを果たすことで民の平和が保たれる。それが兵士の矜持なのだと。


 ――大火が起こる前までは。


 ※


 十の月に入った。

 大火から二週間以上が経ち、ゴルトフェルトの空にはもう煙は見えない。

 だが城門の外から漂ってくるのは、焦げた街の臭いではなく飢えの臭いだった。


 オスカーの部隊は城門の警備に就いていた。

 閉ざされた城門の内側で、彼らは剣を携えて城壁の上を巡回している。

 

「隊長、今日も城門前に人が集まってます。昨日より多い……日に日に増えてます」


 部下の報告にオスカーは銃眼の隙間から外を覗いた。

 城門前に数百人の人だかりが、城門前を守る第一部隊と押し問答を繰り広げている。


「お前ら! 早く解散だ! 解散! さもないと牢屋にぶち込むぞ!」


 第一部隊隊長のフーバーが叫んでいた。

 だが、城門前の群集は怯まずに抗議の声を上げている。


「何が牢屋だ! お前らが飯を寄越さないから、みんな飢えてんだよ!」


「公爵様お願いだ! あれから二週間経ったんだぞ! 物資の一つでも寄越してくれてもいいだろう!」


「司教様は良くしてくれるが、このままじゃ教会の食糧が尽きる! 俺たちの税で肥えてんだから、少しは民のために動いたらどうなんだ!」


 疲れ切った顔、煤だらけの服。満足に着替えもできていない住民たちが、口々に声を張り上げている。

 事実、バルモア公爵は未だ何の手を打ってもいない。声明のひとつすら出せていない。


「……配給の請願か」


「ええ……今は抗議の声で済んでますが、相手がフーバー隊長ですからね。あの人荒っぽいから、手荒なことして暴動にでもなったら……」


 フーバーは職務に忠実であるが、融通が利かず感情的になることもある。

 実際フーバーの声も怒気を強め、恫喝に近くなっている。

 今のところ大きな衝突は起きていないが、空気は日に日に険しくなっていた。


「上からの指示は」


「変わりません。『待機せよ』です」


 また待機か――オスカーは溜息を吐いた。

 大火から二週間、オスカーが受けた命令はそれだけだった。

 待機。待機。待機。

 何を待っているのかは伝えられない。


 上層部は大火の翌日から何度も対策会議を開いているらしい。

 少なくとも領民を見捨てるつもりはないはずだが、何から何まで後手後手に回っていた。


 下手に城の備蓄を放出してしまえば冬を越せなくなるという意見。

 まずは治安を回復させねば配給もままならないという意見。


 焼け残った物資の接収は商人ギルドが猛反発している。

 なぜなら残った物資はどこの商会のものかすらわからない、誰のものかわからないものを勝手に配給するわけにはいかないと。

 領地の各村の代表は領都だけ支援する気かと怒っている。


 話が一向にまとまっていないとオスカーは又聞きで聞いていた。

 真偽はわからない。ただの一部隊の隊長ごときに耳に入る情報など知れている。

 ただ一つはっきりしているのは、公爵が何も手を打てないまま二週間が経過したことだけ。


 一度も城門は開かず、民のための支援物資は送られず。

 民衆は飢え、怒り、そして城門の前に集まっている。

 その事実だけが、オスカーの目の前にあった。


 ※


 城壁の上で見張りに立ちながら、オスカーはふと焼け落ちた街の一角に目をやった。

 倉庫街の端に小さな酒場があった。いきつけの店だった。

 安い酒と気のいい常連客が売りのありふれた店だった。

 今はもう瓦礫の山になっているはずだが、城壁の上からでは確認できない。


 あそこに通うのが、オスカーの数少ない楽しみだった。

 休日前の勤務の終わりに一杯か二杯のビールと飯を食い、他の客と他愛ない会話を交わす。

 常連の顔ぶれは大体決まっていて、大半は倉庫街の労働者たちだった。

 兵士のオスカーは少数派だったが、面倒な絡み方をする客もおらず、居心地は悪くなかった。


 店の親父やよく顔を合わせる常連は無事だろうか。

 上手く逃げおおせたのだろうか。あるいは――


 常連の中に、荷運びの若い男がいた。

 ニコラス、と言ったか。

 よく喋る男だった。別に何かを熱心に語るわけではなく、ただ話が上手い。

 場の空気を読んで笑いを取り、落ち込んでいる奴がいれば自然と隣に座って声をかけ、酔っ払いが絡み始めれば冗談で丸く収める。

 酒場の潤滑油のような男だった。


 オスカーも常連ゆえにニコラスとは何度か言葉を交わした。

 兵士であるオスカーは自分から絡みに行くことはなかったが、ニコラスは何度も話しかけてきて、他愛のない話に笑わせられた。

 飲み友達というほど親しいわけではなかったが、見知らぬ他人というほど浅い仲でもなかった。


 そんな酒場も日常も、あの炎が燃やし尽くしてしまった。


 ※


 十の月七日。

 城門前の群衆が、過去最大に膨れ上がった。

 千人を超えていた。

 もはや“請願”ではなかった。みな殺気立っていた。

 手に手に農具や棒を持ち、怒号を上げて城門を取り巻いている。


 怒声が城壁を越えて聞こえてくる。

 石が投げ込まれ始めた。

 大半は城壁に当たって砕けるだけだったが、一つが城壁の上に立っていた兵士の肩に当たった。


「ヤバいですよこれ……!」


 部下が顔を強張らせている。

 城門の外では、フーバー率いる第一部隊が群衆と直接対峙していた。

 盾を構えた兵列が城門前を塞ぎ、押し寄せる民衆を押し返している。

 オスカーの第三部隊は城門の内側に待機していた。門の守備と、外の部隊が押し切られた場合の最終防衛線という位置づけだった。


 城壁の銃眼から外の様子を窺う。

 群衆の顔が見える。怒りに歪んだ顔。恐怖に引きつった顔。涙を流している顔。

 そしてその中に――見知った顔が、いくつかあった。

 酒場で常連だった男や、露天商の女。鍛冶屋の親方。

 ゴルトフェルトという街で、同じ空気を吸っていた人々だった。


「オスカー隊長、もうフーバー隊とは一触即発です。あのまま突入されたら……」


 階下から部下の一人が駆け上がって報告をする。その声には焦りが滲んでいた。

 オスカーは城壁の上から城門前を見下ろした。


 ――フーバー隊の兵列が群衆に押されている。

 本格的にもみ合いが始まっていた。

 盾と群衆が衝突し、叫び声と罵声が入り混じる。


 フーバーの怒号が聞こえた。


「抜剣! 暴徒を排除しろ!」


 ――馬鹿やめろ!

 オスカーが叫ぶ間もなく、剣が振り下ろされた。

 最前列の男が胸を裂かれて倒れた。


 悲鳴が上がった。

 群衆がどよめき、後退しようとする者と前に押し出される者がぶつかり、将棋倒しが起きた。

 倒れた人間の上を別の人間が踏み越え、踏まれた者の悲鳴が重なる。


 フーバー隊の兵士たちは剣を抜いたまま群衆に切りかかっている。

 血飛沫が上がる。女の悲鳴。子供の泣き声。

 群衆の中から石だけでなく棒切れや瓦礫の破片が飛んでくる。

 フーバー隊の一人が頭に瓦礫を受けて崩れ落ちた。


 オスカーは城壁の上からその光景を見ていた。

 門の内側にいる自分の部隊は、まだ無傷だ。

 だが目の前では、つい数週間前まで同じ街に暮らしていた人間たちが、血を流し、倒れ、踏みにじられている。

 そしてそれを行っているのは、自分と同じ公爵軍の兵士だ。


 もみ合いの中で、さらに民衆が倒れた。

 二人。三人。

 もう意図的に切りかかっているのか、混乱の中で巻き込まれているのかも区別がつかない。

 城門前の石畳が赤く濡れ始めている。

 その時、群衆の中から声が上がった。


「公爵が、公爵が! 奴らは俺たちを見捨てた! こっちは飢えてるってのに、俺たちを殺す気だ!」 


 聞き覚えのある声だった。

 オスカーの耳が、混乱の中からその声だけを拾い上げた。


「城から飯を奪え! 公爵を城から引きずり出せ!」


 ニコラスが怒声を張り上げていた。

 酒場の常連の、気さくな青年が、血走った目で叫んでいる。

 あの酒場で見せていた朗らかな笑顔とは別人のような形相だった。


「殺された者の血を償わせろ!」


「償わせろ!!!」「償わせろ!!!」「償わせろ!!!」


 声が群衆に伝播していく。

 千人の声が一つの言葉に収束していく。まるで生き物のように。


「公爵を殺せ!!!」


「殺せ!!!」「殺せ!!!」「殺せ!!!」「殺せ!!!」「殺せ!!!」


 城壁が震えるほどの怒声が、空気を叩いた。

 オスカーは城壁から階段を駆け下り、城門の前に立った。

 鉄の閂で閉ざされた門。その向こうから、怒号と悲鳴が轟いている。

 背後には自分の部下たちが、武器を手に待機している。


 このまま門を閉ざし続ければ、フーバー隊が群衆と殺し合う。

 いずれフーバー隊は押し切られるか、群衆を全て薙ぎ倒すか、どちらかになる。

 どちらにしても死者の山が残る。

 そして群衆を押し返せなければ、次は自分の部隊が矢面に立つ。



 ――だが、城門を開ければ?



 その考えが、頭をよぎった。

 一度よぎると、もう消えなかった。

 城門を開ければ、群衆は真っすぐ城の中に流れ込む。

 怒りの矛先は兵士ではなく、城の主に向かう。

 自分の部隊は門の脇に退けばいい。


 フーバー隊も、群衆がなだれ込めば戦う理由を失う。

 殺し合いが終わる。

 ――これは民を守るための判断か?


 自分に問いかけた。

 答えは返ってこなかった。

 代わりに別の声が聞こえた。

 自分の中の、もっと冷たい深淵から。


 ――お前の部下は助かる。お前も助かる。


 民のためだ。民のためだ。民のためだ。

 民を守るためにこれ以上の犠牲を出させないだけだ。


 嘘だ。

 嘘だ。

 嘘だ。


 公爵を生贄に差し出して、自分の命を繋ぐためだ。

 誰が怒り狂う民を止められる? 誰が群衆の暴動を抑えられる?


「――全員、門から離れろ!」


「隊長何を――!?」


「門を、開ける」


「は――!?」


 部下が真っ青な顔で何かを言おうとしてきたが、オスカーの手はもう閂に伸びていた。

 城壁の上から怒声が降ってきた。

 門を挟んで反対側の城壁の上で待機していた第二部隊の声だ。


「おい、何をやっている! オスカー! バカやめろ! やめろーーーー!!!」


 聞こえない。聞こえない。

 オスカーは錆びた閂に手をかけた。

 群衆の声が近づいてくる。


「開けろ!」「開けろ!」「開けろ!!!」


「死ね!」「死ね!」「死ね!!!」


「殺せ!」「殺せ!」「殺せ!!!」


「公爵を殺せーーーー!!!」


 閂が軋みを上げて動いた。

 重い鉄の棒が受け金から外れ、がちゃんと落ちた。

 城門が、開いた。


 一瞬の静寂。

 群衆が息を呑み、兵士が凍りついた。

 城門の隙間から焦げた臭いと血の臭いがする風がごうっと吹き込んだ。


 そして、堰が切れた。

 人の波が城門に殺到した。

 怒号と足音と叫びが渦となり、開いた門から城内に雪崩れ込んでいく。

 オスカーは部下たちともに壁際に退避する。


 濁流だった。

 人の形をした濁流が城門を飲み込んでいく。

 外で盾を構えていたフーバー隊の兵士たちは群衆の勢いに飲まれて押し流されていた。

 もう誰も戦っていなかった。


 濁流の中にニコラスの姿があった。

 群衆の先頭近くを駆け抜けていくニコラスが、門の脇に立つオスカーに気づいた。

 一瞬、二人の目が合った。


 ニコラスの顔に、あの酒場で見せていたのと同じ朗らかな笑みが浮かんだ。

 場違いなほどの笑顔だった。


「オスカー隊長は俺たちの英雄だ! また一杯やろうぜ!」


 その言葉を残して、ニコラスは群衆と共に城の奥へ消えていった。

 ――英雄。

 オスカーは壁に背をつけたまま動けなかった。

 英雄という言葉が、耳に、頭に、心に突き刺さる。

 

 城から悲鳴が聞こえていた。

 何が起きているかは、見なくてもわかった。

 聞こえるのは群衆の怒声と歓声と、その裏に混じる悲鳴だけだった。


 オスカーが城の兵士としてずっと守ってきた城門は二度と閉じられることはなかった。

書き溜め分が少なくなってきたので次話の投稿は7/1を予定しています。

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