第8話 特別な1ピースと芽生えた独占欲
食材の在庫を見つつ昼食に何を食べるか、という他愛のない話をしていると、オーブンが焼き上がりを教える音を立てた。思いがけず話し込んでいたみたい。
ヒスイさんはサッと席を立つと、素早くオーブンの元へ駆けつけた。辺りにはチョコレートの甘い匂いが漂っている。
「どうかな〜?」
蓋を開けると、温かい熱気と一緒にフワリと濃厚なチョコレートの香りが広がる。天板を慎重に取り出し、鍋敷きの上に置く。
「うん、焦げもなく綺麗に出来たね!あとは…っと」
ブラウニーの中心にプスリと竹串を突き刺した。引き抜き見ると、竹串の先がチョコレートと生地の水分で微かに色が変わっている。ここでドロドロした生地がついてこなければ、中までしっかり焼けている証拠。
私はブラウニーの入った紙型をそっと動かし、冷やす用の網の上に置いた。
「アカリ、食べられますか?ちゃんと出来てますか?」
「うん、ちゃんと出来てるよ!」
「…では!」
ぱあっと表情を明るくしたヒスイさんは、次に私が放った一言に打ちのめされる。
「まだ食べないけどね!」
「えっ…?食べ…え??」
「食べるのは明日ね」
「明日?!で、ですが…、こんなに美味しそうに焼けて…」
「よく冷やして、生地がしっとり落ち着いた頃のが一番美味しいもん」
「……………はい…」
みるみる内にシュン状態に戻っていくヒスイさん。何度もチラチラとブラウニーを見ている。
なんだか少し意地悪し過ぎた様な罪悪感が私を襲う。私は少し考えてから、苦笑いしてわざと大袈裟に言った。
「…しょうがないなぁー!じゃあ、ちょっとだけね!」
「アカリ!」
「でも、もう少し冷ましてからね!先にお昼ご飯食べて、それから!」
「っ、はい!!」
たぶん今、ヒスイさんに犬の尻尾が生えていたら、きっとプロペラみたいに回ってるんだろうなぁとしょうもない妄想が頭を過った。
簡単にお昼ご飯を作り、食べ終えて少しした頃。そろそろいいかな…と動き出した私にまとわりつく様にヒスイさんがソワソワしだした。
(めっちゃ食べたいんだなぁ…)
でも、初めて作ったお菓子だもんね。確かに気になるか、と幼い頃の自分と重ね勝手に納得する。
(なんか、かわいいかも)
外見だけ見れば、芸能人もビックリな抜群な容姿だけど、中身はこんなにかわいい人なんだよなぁとしみじみ思った。
件のブラウニーは、粗熱がとれたせいか少し表面がしっとりと落ち着いてきている。もうこのくらいになれば冷蔵庫に入れても良さそうだ。
紙型とブラウニーの間に包丁を入れ、側面を剥がすように切っていく。使い捨ての紙型だから裂いちゃってもいいのが楽だ。
「…うん、いい感じだね」
横からヒスイさんの視線を感じつつ、ブラウニーの真ん中に包丁を入れ二分割する。更に、二分の一を四等分に切り分けた。断面も綺麗に出来ている。胡桃とチョコレート生地のコントラストが綺麗だ。
四等分に切り分けた内の3つを、これまた100均で調達してきたワックスペーパーに一つ一つ丁寧に包む。…が、その作業に取り掛かり始めると、ヒスイさんが作業台に顎を乗せションボリしながら声をかけてきた。
「あの…アカリ?丁寧に包んでいますが…それはいったいどうするのですか?」
「これ?クロエさんにあげる用だよ。お友達さんの分と…」
言い終わるか否かのタイミングで、ガタン!と音を立ててヒスイさんが立ち上がった。
「それを、クロエにあげてしまうのですか?!」
「う…うん、そうだけど」
「何故です?!それは、先程私とアカリで作った物ですよね?」
ヒスイさんが珍しく声を荒げて訴えかける。彼の表情は困惑と動揺で歪んでいた。丁寧に包まれた小さなブラウニーをキッと睨んで呟く。
「私は…一欠片だって…!」
「ヒスイさん」
私は彼の目の前に、二等分にした残り半分の方を皿に盛り付け差し出した。ヒスイさんは目の前に出てきた大きなブラウニーに、目を丸くする。
「これは、ぜ~んぶヒスイさんの分!」
はい!と皿を手渡すと、ヒスイさんは条件反射的にそれを受け取り、呆然と手元を見つめた。
「…私の…?」
「私とヒスイさんと二人で作ったから、半分ずつね、このブラウニーはヒスイさんのだよ。特別に一番大きいサイズ!」
「特別に一番大きい…」
ほぉ…と感嘆のため息をこぼし、ヒスイさんは皿を両手で持ちブラウニーを慈しむ様に見つめた。私は更に畳み掛ける。
「それにホラ見て、クロエさんのはこんなに小さいよ?ね?このくらいならいいでしょ?」
横にクロエさん用の包を置く。こうやって並べると、余計に小さく見える不思議。
ヒスイさんは何度か2つを見比べ、ムムム…と眉間にしわを寄せながら頷いた。
「…確かに、このくらいならば…」
「ありがとう!ヒスイさん!」
「…あの、私のも包んで下さい…」
「任せて!かわいくしてあげるね!」
ヨッシャ!と内心ガッツポーズする。そう言うと思って、ケーキを入れる紙箱も用意してあります(ナイス自分)
「…はい!じゃあ、これはこのまま明日まで冷やして、明日食べよ?」
「はい」
綺麗にラッピングしたブラウニーを手に、ヒスイさんは嬉しそうに頷いた。そして、私は残った四等分の最後の一つを更に半分にする。落とさない様にスプーンに乗せて、ヒスイさんの目の前に差し出した。
「…これは、特別に今食べる用ね?」
この時、私は完全に油断していた。この食いしん坊イケメンを上手く操縦出来た気持ちになっていたというか…
「…食べて、いいんですか?」
「うん、もちろ…」
深緑の瞳がギラリと光った気がした。私が言い終わる前に、突然差し出した手をガっと掴まれる。
「えっ」
大きな手が私の手を掴んで引き寄せる。バクッと一口で小さなブラウニーは彼の口の中に消えた。掴まれ、重なった手が熱い。
「…柔らかく、まったりと甘くて、芳醇な香りがします。とても美味しいですね」
ペロリと唇を舐め、彼は微笑んだ。
「ヒェ…」
美形の暴力に腰を抜かしそうになる私を抱きとめ、ヒスイさんは深緑の瞳を妖艶に細める。
「おっと…、フフッ明日が楽しみですね、アカリ」
(この…っ、コイツぅぅ!!)
…翌日の夜。例のごとくやってきたクロエさんは『酒粕ブラウニー』に大感動した。
「えぇ~、アカリちゃんわざわざ作ってくれたの?なんか催促したみたいで申し訳ないねぇ〜」
「いいえぇ、私も久しぶりにお菓子作りして楽しかったですし。お友達さんのお口に合えばいいんですけど」
「アカリちゃんの作るのが合わない口の奴は此処いらにはいないよ♪(ウインク)」
その言葉に、いつもの場所から見張っていたヒスイさんがウンウンと頷いた。
昨日クロエさん用に確保したブラウニー(小)の内の一つを開け、皿に盛り付けた。ブラウニーの上に粒の大きい『ちょっといい塩』を少し乗せる。
これに合わせるお酒は、ちょっとオシャレに地元のワイナリーの『白ワイン(シャルドネ)』をご用意しました。100%地元産のシャルドネ種の葡萄を使った白ワイン。胡桃やブラウニーに使ったチョコレートと相性がいい。
…んだけど、ウチは定食屋だから滅多にやらないんだよ、こんな事!
「はい、クロエさん。酒粕ブラウニーとシャルドネのスペシャルペアリングセットです」
「えっ…く、黒いね…」
クロエさんはブラウニーの色に少し驚いて苦笑いをした。こちらにはチョコレートが無いからね…それはそうか。
警戒心からか、しばらくブラウニーを見つめているクロエさんに、既に味を知っているヒスイさんはフッと勝ち誇った笑みを浮かべる。
「アカリ、彼にはブラウニーは少し早かったのでは?」
「おっと…言うね、騎士くん…」
煽られたと感じたクロエさんは少し口元を引きつらせた。意を決してフォークでブラウニーを少し切って口に運ぶ。
「ッッッ?!」
口に入れた瞬間広がる、蕩けるような未体験のどこかビターな甘みと胡桃の香ばしさ。酒粕が入った事により、まるで洋酒の様な高級感のある香りが鼻に抜ける。
更に上に乗せた塩の結晶がより甘みを引き立て、そして甘さでまったりした口に流し込む白ワインが香り高く、ブラウニーの余韻と完全に調和していく。飲み込んだ後、奇跡のような一口に思わず「ほぅ…」と呆けたため息を付いてしまう程だ。
「こ、れは…」
クロエさんはじっとブラウニーとグラスの白ワインを見つめた。私は思ってた反応と違った事に、少し緊張して彼の挙動を見守る。
「アカリちゃん…!」
突然バチッと視線が合い、ハッとした瞬間、私はクロエさんに手を握られていた。カウンターの端っこで見ていたヒスイさんも、思わず椅子から立ち上がる。クロエさんの手は思っていたより大きくて筋張っていた。
「君は、天才か?!」
「ハハハ、違いますが?」
「いや、こんな美味いものアイツに教えるのは勿体ない!僕とアカリちゃんだけの秘密にする!!」
「あえぇ??」
(せっかくお友達さんの分も作ったのに〜)
私はなんか複雑な心境になり、とりあえず笑ってみた。クロエさんは私の手を握って放さない。
「クロエ…!今すぐアカリの手を放しなさい!さもなくば強制退店ですよ…!!」
奥からはヒスイさんがものすごい形相で、今まさに魔法を放たんとにじり寄ってくる。
(なるほど…これが混沌かぁ…)
ワイワイと(?)騒がしく過ぎていく異世界での一夜に、私はそんな事を思いながら現実逃避した。
第9話は10月2日、8時20分に更新します




