第7話 定休日の酒粕ブラウニー
本日は『お食事処ともしび』は定休日。私は朝からスーパーに出向き、お菓子作りの材料を買い揃えてから物置きの扉を開けた。
「おはよーヒスイさ…」
「アカリっ!!」
「グエッ」
開けた瞬間、ぐいっと引き寄せられたかと思ったらヒスイさんに抱き締められていた。何がどうなっているのか理解出来ずに硬直する私を、彼はギュウギュウと締め付ける。待って、普通に苦しい。
「良かった…いつもより来るのが遅いので心配したんですよ?!」
「え?」
「もしや…もしや、『ばれんたいん』に行ってしまったのではないかと…!!でも、ここにいらっしゃったという事は、『ばれんたいん』では無いんですね?!」
「えぇ??」
見上げたヒスイさんは、泣きそうな顔をしてこちらを見つめている。
さっきから『バレンタイン』を連呼しているけど、バレンタインがなんだって?今、夏ぞ?
「落ち着いて?私、昨日、今日は定休日だからゆっくりでいいって言ったよね?」
「定休日…」
そう言うと、ヒスイさんはスン…となる。
「ばれんた…」
「インじゃない」
「………」
スン…を越えてシュン…になってしまった。
「大丈夫?落ち着いた?」
「……はい」
まるで叱られた大型犬の様に、目の前で項垂れるヒスイさんがなんだか可愛く思えて、自然にその額をポンポンと撫でた。
「バレンタインは冬のイベントだから今はやらないよ。それよりも、今日はお店お休みだから、一緒にお菓子作ろ?」
すると、ヒスイさんの表情がとろける様に柔らかくなる。そうやって嬉しそうに笑うから、私の胸はまた、ドキドキと不意に苦しくなるのだ。それなのに、嫌じゃないから困る。
ヒスイさんにエプロンを着せ、私は厨房の作業台の上にドサリと材料を置いた。
「何を作るんですか?」
「フッフッフ…今日作るのは、ブラウニー!」
エコバッグから材料を取り出しながら答える。
「ブラウニー?妖精の名前でしょうか?」
(あ、それは共通にいるんだ…)
「…も、あるんだけど、お菓子の『ブラウニー』は、チョコを使った平べったいケーキみたいな焼き菓子だよ。濃厚でしっとりでギュッとしてて食感のアクセントに胡桃を入れるから、ちょっとカリッとするかもね」
「ちょこ…?濃厚でしっとりでギュッとしててカリッ…???」
「ま…まぁ、とりあえずはじめよっか!」
ハテナマークを飛び交わせているヒスイさんを流しの前に押しやり、手を洗って始めることにする。
やがて、お菓子作りの肝である計量と、下準備を終え、私はボウルを前にフンスと気合を入れる。ヒスイさんは興味深そうに作業台の横に立って、見守っている。
「ブラウニーは手順さえ守れば、あとは混ぜて焼くだけだから結構簡単よ」
「そうなんですか?」
「まぁ、見てて下さいな。先ずは、チョコとバターを湯煎で溶かして混ぜます。『湯煎』っていうのはお湯の温度で温めて溶かすやり方だよ」
「ふむふむ」
沸かしたお湯のボウルに一回り小さなボウルを重ね、その中にチョコとバターを入れて、ゴムベラで混ぜていると徐々に溶けて混ざっていく。その変化にヒスイさんは「おお…」と声を漏らした。
「次は、別のボウルで酒粕と砂糖を混ぜます。クリーム状になったら溶きほぐした卵を加えて更に混ぜる…」
溶けたチョコを一旦避けて、別のボウルにあらかじめ柔らかくしておいた酒粕と砂糖を入れてホイッパーでカシャカシャと混ぜる。しばらく混ぜ続け、クリーム状になってきたタイミングで、私はヒスイさんに卵の入った容器を渡した。
「じゃあ、これを少しずつ入れて下さい」
「は、はい!」
緊張した面持ちで卵液を少しずつ流し入れるヒスイさんは、緊張の余り手が震えている。それを見て私は思わず笑ってしまった。
「あはは、大丈夫だよヒスイさん、上手上手!」
「こ…こういう事は初めてなんです…!」
そう言えば、誰かとお菓子作りするなんて、小さい頃に怜史叔父さんとやったっきりだ。あの時もこんな風に楽しかったっけ…
「…?アカリ?卵、全部入れましたよ」
…なんて、ぼんやりしていたら、ヒスイさんが心配そうに覗き込んでいた。私は慌ててホイッパーを動かす。
「おっと…よし、じゃあ、よ~くかき混ぜて…」
そして、最初の任務を終え、安心しきったヒスイさんの手に再びチョコのボウルを手渡す。手渡されたそれを見て、思わず彼は私の顔を見た。油断してたっぽい。こっち見んなw
「次はそれをここに入れて下さい!」
「は、はいっ」
2回目ともなれば、少し慣れてきたのか卵の時ほど震えてはいない。ゴムベラを使って慎重にチョコを落としていくヒスイさんは、チョコの甘い匂いをうっとりと吸い込んだ。
「甘い匂いですね…」
「フフッ、楽しみだね?」
そう聞くと、ヒスイさんは柔らかく微笑んで頷いた。
溶かしたチョコと酒粕を混ぜ終わり、次は粉のボウルをヒスイさんに手渡す。もはや投入係として地位を確立したヒスイさんは、「次はこれですね!」と粉のボウルを傾けた。
「ヒスイさん、一度にドバっと入れると粉が舞うからゆっくりね!全部入れちゃって!」
「心得ました」
指示した通り、慎重にボウルを揺すりながら粉を投入してくれる。
「粉を混ぜる時は、ゴムベラで『切るように、さっくり』と混ぜる!」
私はゴムベラをボウルの中で縦に動かし、切る様に混ぜた。この『切る様にさっくり』って最初の頃は意味わかんなかったよなぁ…とふと思い出し、知らずに口角が上がる。
そうしているとボウルの中の生地がしっとりとして一体感が出てきた。そろそろいいだろう。私は粗めに刻んだ胡桃を半分、生地に入れさっくり混ぜた。残りの半分はトッピング用に取っておく。
「あとは、型に流し込んで表面をならして…」
100均で調達してきた四角い紙型に生地を流し込む。トントンと軽く数回型を落として空気を抜き、ゴムベラで表面を整える。
「…よし、あとはホイ!ヒスイさん、この胡桃を適当に飾って下さいな」
「えっ…て、適当に、ですか?」
残り半分の胡桃を渡され、ヒスイさんはオロオロと私とブラウニー生地を交互に見た。最後の仕上げはヒスイさんが担当だ。
「うん、全体的に満遍なく『適当に』散らしちゃって下さい」
「む…難しいですね…」
私はあははと笑ってヒスイさんを見守りながら、洗い物を片付ける事にする。
彼は真剣な表情で胡桃を一つ一つ丁寧に置き始めた。この『適当に』は結構難しいんだ、許せヒスイさん。
ややあって、胡桃を配置し終えたヒスイさんは達成感に溢れた顔でふぅと息をついた。
「お疲れさま〜、じゃあ焼いていくよ!」
私は天板に乗せたブラウニー生地を予熱してある魔導式オーブンに入れ、タイマーを調整する。
「えっと…、170℃で20分〜25分っと」
『魔導式オーブン』と聞いて最初は困惑したけど、ほとんどこちらのオーブンと同じだったから有難い。きっと叔父さんが選んだのが良かったんだね。
「…さて、じゃあ焼けるまで休憩しますか〜」
私はう~ん!と背中を伸ばした。
時計は丁度、昼の時間を指している。魔導式オーブンの前に張り付いて、興味深そうに中を観察しているヒスイさんの姿が何だか可愛らしくて、笑みが溢れた。
第8話は10月1日、8時20分に更新します




