第6話 特別純米原酒と夜の常連さん
異世界グリューフェル王国の王都グリュクスタット。黄昏に染まる路地裏の更に奥。薄暗い路地を照らす真鍮製のランタンの灯が揺れる夕暮れ時。最近ディナータイムの営業も始めた『お食事処ともしび』では、今夜もドアベルの音が響く。
「こんばんは、アカリちゃん」
ドアベルの音と共に現れたのは、不思議な紋様が刺繍されたローブを肩に引っ掛けた美しい人だった。切り揃えられたオカッパヘアーがサラリと揺れる。
「あ、クロエさん。いらっしゃいませ」
「んふふ、今日もカワイイね♪」
「ワァーありがとうございま〜す(棒)」
クロエさん。性別不詳の美人さん(恐らく男性…だと思う)のこの人は夜になると現れる常連さんだ。流れる様にカウンターのいつもの席に座り、その整った顔面で妖艶に微笑んでいる。
「………」
ヒスイさんが私達のいつものやり取りに、なんだかムッとした視線を送るのも、まぁ…いつもの事だった。
ヒスイさんは無言でクロエさんの前におしぼりを置く。が、クロエさんは余裕の笑みだ。
「やぁ、騎士くん、こんばんは」
「…ご注文は」
「いつもの『日本酒』を。それから…うーん、そうだね…」
クロエさんは日本酒がお好みらしく、いつも日本酒とそれの『アテ』を注文する事が多い。どうやら叔父さんが店をやっていた頃からの常連さんのようだ。
私は叔父さんが導入したらしき、お酒用の冷蔵庫から緑色の瓶を取り出すと、涼し気な深い青色の陶器のグラスに大きな氷を一つ入れ、そこに日本酒を注いだ。
これは香酒盃という酒器で、飲み口が少し窄まった形状をしていて、香りを楽しみながらお酒を飲める様になっている。ロック用の氷がすっぽり入るのでロックでお酒を飲むのに適しているんだって。
クロエさんは初めて見る酒器に興味津々で、カウンター越しに目を輝かせた。
「実は季節限定の特別なお酒が手に入ったんですよ、おすすめなんでちょっと試してみて下さい」
私はそう言って香酒盃を彼の前に差し出した。一緒にお通しの『焼きナスの冷製ポン酢かけ』も添える。
彼はグラスを少し揺らしながら顔に近づけた。カラカラと氷の涼し気な音がする。
「へぇ!氷を入れて飲むなんて不思議だなぁ…、おや、この香りは…!」
鼻先に近づけた途端、フワリと香るフルーティな香り。クロエさんはゆっくりとそれを吸い込み、瞼を閉じた。そして、静かに日本酒を口に含む。
「…うーん、アカリちゃんはまた危険なものを出してくれたねぇ〜、これは飲みやすくて危ないなぁ」
困ったなぁと笑うクロエさん。私はメインのおつまみの準備をしつつ、彼に見えるように緑色の瓶を差し出した。山の名前を冠した地元酒蔵の夏季限定のお酒だ。
「これは、『特別純米原酒』って言って、冷やして飲むように作られたお酒なんですよ。原酒なんで、氷を入れても薄まらないから夏にぴったりなんです」
「ウンウン、なんか分かんないけどわかるよ〜」
「どういう事だよ」という表情でヒスイさんがこちらを見ている。わかる、私も同じ気持ちだ。
彼はお通しの焼きナスを食べつつ目尻を下げ、しみじみと言う。
「んん…この料理も美味しい…、この店に通うまでは野菜なんて嫌いだったけど、今は考えが変わったなぁ。野菜美味しいもんなぁ、ここのお酒に合うし」
「えへへ、それは光栄です」
私はそう言いながらフライパンの蓋を取った。
(…よしよし、あとは中火でちょっと水分を飛ばして…)
魚焼き用ホイルを敷いたフライパンの中には、白身魚が美味しそうに焼き上がっている。
これは異世界で調達した『白雪鱈』という魚だ。魚は余り詳しくないが、向こうの鱈とほぼ同じ感じだ。(ちょっと大きいけど)それを粕漬けにしてある。もちろん、地元酒蔵の酒粕を使って(ドヤ顔)。
もともと水分が多い魚だと、粕漬けにする事で、余計な水分が抜けて代わりに味が染み込むから、漬け魚に向いてると思うんだよね。
立ち上がる芳醇な香りがフワリと漂い、クロエさんとヒスイさんは鼻をピクピクさせた。
やがて焼き上がった粕漬け焼きに、大根おろしを添えたものをクロエさんの目の前に出す。
「『白雪鱈』の粕漬け焼きです。お酒と一緒にどうぞ」
「わぁ!美味しそうだなぁ!」
クロエさんは器用に箸を使い、魚の身をほぐし口に運んだ。この世界で箸を使える人は少ない。
口に入れた魚の身は、歯で噛む前にホロリと崩れる。そして、焼けた酒粕の香ばしさとコクがじんわりと口いっぱいに広がった。それをキリッと冷えたお酒が洗い流す様に通り過ぎ、爽やかな後味と酒粕の余韻がほのかに残る。
「ん〜、美味しい!魚の臭みもないし、身も柔らかい…くぅーっ!このお酒で流し込むと堪んないなぁ!」
クロエさんはふにゃふにゃな笑顔で、魚と酒を往復している。無限ループに入ったらしい。私はその様子に、ホッと安堵の息をついた。今回もお口に合ったようで良かった。
…と、思ったのもつかの間。後ろから突き刺さる視線に振り向くと、ヒスイさんがムゥと唇を尖らせてジト目で訴えかけていた。
「……」
私はその視線を受け止め、静かに魚焼き用ホイルを新しく切った。
(そう言えばヒスイさん、これは浸け込みの関係で味見してないもんね…私はしたけど)
味見係として先を越されたのが解せぬ…って所か。そんなに私の料理を気に入って貰えて、嬉しい様な擽ったい気持ちになる。私は魔導冷蔵庫から一切れずつ保存袋に入れられた切り身を取り出した。
やがて、2人とも粕漬け焼きを食べ終え、クロエさんは追加で『きゅうりとミョウガの塩麹和え』も食べ、日本酒のお代わりも3杯目に差し掛かった頃。
「…それでさぁ、アカリちゃん聞いてくれるぅ?」
クロエさんはフワフワな口調で、カウンターに両ひじをついて手の甲に顎を乗せて私に話しかけてきた。ヒスイさんがピクリと反応する。
「何ですか?」
私はシメのバター醤油焼きおにぎりをひっくり返しながら、彼の方に顔を向けた。香ばしい匂いが漂う。
「僕の友達がね、無茶振りをしてくるんだよぉ」
「無茶振り…一発芸をしろとかですか?」
「えぇ〜?んふふ、違うよぉ」
私の返答に彼はカラカラと笑う。酔ったクロエさんは、色気が通常の倍くらいに跳ね上がる。迂闊に目を合わせれば危険だ。
「そうじゃなくてさ、僕の友達って凄い甘党なんだけど、おまけに珍しいもの好きなんだよねぇ」
「ほぅ」
「それでさ、しょっちゅう僕に『珍しい甘味を探して来い』って言うんだよ〜?いくら王都でもそんな珍しい甘味なんてそうそうないじゃない?」
「まぁ…確かに」
私は苦笑いをした。脳裏に『こっちの世界のお菓子でも渡せば万事解決しそう』と浮かんだが、それはやめとくべきだよね。私が世界を渡れるのは秘匿したほうがいい。
「だからさぁ、アカリちゃん…」
不意にクロエさんの紫色の瞳が私を捕らえた。私はギクリとして思わず息を呑む。
「なんか珍しい甘味見つけたら、僕に教えてねぇ?」
「あ…ははは、心得ましたぁ」
私は焦りを気取られない様に、笑って誤魔化す事しか出来なかった。ヒスイさんはその様子を黙って見つめていた。
やがて、焼きおにぎりを食べたクロエさんがほろ酔い気分で退店し(もちろんヒスイさんも食べた)そろそろお店を閉めようかな、と思う頃。私はぼんやりと考え事をしていた。
「アカリ」
不意に呼ばれて顔を上げると、ヒスイさんが心配そうに傍に立っていた。
「ん、なに?」
「いつもと様子が違います。何か気にかかる事がありましたか?…もしや、あの方の事を…?」
深緑の瞳が無機質に私を見つめる。
「うっ…」
こうなると誤魔化せない所が厄介だ。ウソ発見器でも搭載してんのかというぐらいに見抜いてくる。
私は潔く抵抗するのを止め、力なくへらりと笑った。
「うん…、まぁ、そんなトコ。というか、『少し興味が湧いてきた』の方が近いかも」
「興味?」
「そう。お菓子作り、久しぶりにやってみようかなって」
その言葉を聞いた途端、ヒスイさんの瞳が煌めいた。さっきまでのシュン⤵️みたいな雰囲気から一転して、露骨に顔が明るくなる。背景に花なんかも飛んでそうだ。
「アカリが作るのですか!菓子を?!」
「あのね、作れますよ?学生時代のバレンタインは手作りお菓子を極めてたんだからね?!」
そのほとんどは『友チョコ』だったんだけどね。異性にあげたとすれば、怜史叔父さん位だ。あとは…察して欲しい。
一方のヒスイさんは聞き慣れない単語に小首を傾げている。
「ばれん…たいん?アカリ、『ばれんたいん』とは何ですか?」
「よ~し、なんかやる気出てきたかも!今日はもうお店閉めて、家でレシピ漁ろ〜♪」
ウキウキと外の看板を裏返そうとドアに向かう私を、ヒスイさんが少し大きな声で呼び止めた。
「アカリ!」
「うん?」
「『ばれんたいん』とは何ですか?」
「あー…、私の世界の季節行事で、『好きな人にお菓子を渡して愛の告白をする日』だよ」
「好きな人に…告白…、愛の…?」
「そうそう。まぁ〜私の場合は、毎年女友達に渡してただけなんだけど…」
そう言いながらドアを開けて外の看板を裏返す。
『営業中』から『準備中』に変わり、本日はこれで閉店ガラガラです。
「…って、聞いてないな?」
しかし、そんな風にしながら喋ったせいか、ヒスイさんには聞こえていない様だった。何かブツブツと独り言を言っている。私は流れる様に戸締まりを終え、身に付けていたエプロンを脱ぐ。
そう言えば、明日は『ともしび』は定休日にしたんだった。異世界の食材や市場調査、それから料理の研究等やりたい事はたくさんある。週に一日位休んだっていい!という事で、店主である私が決めました。なので、明日はお休み!
(お菓子の試作は明日やろう!)
私は未だドアの前で独り言を言っているヒスイさんに声をかける。
「じゃあ、ヒスイさん。明日はお店『定休日』だから朝はゆっくりしてていいからね」
「………(ブツブツ)」
(聞いてね〜)
私はまぁいいかと、火元を確認し帰り支度をする。結局、それが終わる頃になっても彼はそのままだった。
「ヒスイさ〜ん、私帰るけど!ちゃんと休んでね?お疲れ様〜」
なんだか様子がおかしい彼を放っておくのも気が引けたが、早く帰ってお菓子のレシピをみたかった私は、店に彼を残してアパートに繋がるドアをくぐり抜けた。
第7話は9月30日、8時20分に更新します




