第4話 迷い人は豚汁の匂いにつられて
グリューフェル王国、王都グリュクスタットの路地裏の更に奥。
人通りはほとんどなく、むしろ野良猫の方がよく通りかかる。どんよりとした灰色の空は今にも雨が降りそうだ。
そんな空模様よりも更にどんよりとした顔で、一人の青年がフラフラと路地裏を歩いて…いや、最早歩いてはいない。壁に寄りかかりながら、少しずつ横に移動している。
「はぁ…はぁ…ッうぅ」
肩で息をしながら腹を抱えるように蹲ると、彼の身に付けている薄汚れた軽装鎧が「カシャ」と音を立てた。
彼は朦朧とした頭でポケットを弄り、握りしめた掌をそっと開く。銅貨2枚、彼の全財産である。はぁ…と、ため息なのか自嘲なのか分からない変な笑いがこぼれた。
その時、雨を降らせる冷たい風に乗って、ふわりと彼の鼻先を、嗅いだことのないとてもいい香りが漂った。嗅いだことはないが、本能でわかる。絶対美味いやつの匂いだと。そして、それに反応して腹の虫が暴れ出した。
『ギュゥグルルルゥゥゥ…』
青年は掌の全財産を握り締めて、匂いのする方へ一歩、踏み出して…倒れた。
「腹…減ったァ……」
意識を手放す瞬間の呟きは、やがて降り出した雨に掻き消されていく。
豚汁と塩おにぎり(普通サイズ✕2)とついでに小鉢用に仕込んでおいた漬物までちゃっかり試食をしたヒスイさんは満足気に口元を拭いた。
「ご馳走様でした。大変美味しゅう御座いました」
「これはこれは、ご丁寧にどうも…じゃなくて!もー、試食って言ったのにめっちゃしっかり食べたー!」
私は米を研ぎながら、涼しい顔のイケメンをジト目で睨んでやった。
また米を炊かねば…くそぅ!どうせね、どうせお客さんなんか来ませんけどね!まだ正式にオープンしてないですし?でもさぁ…この量は『試食』とは言わんのよ!
「ん…でもまぁ、美味しいって言ってもらえるのは悪い気はしないけどさ…」
私が研ぎ終わった米を炊飯器にセットして、蓋を閉めながら小さい声でブツブツと言うと、ヒスイさんはウフフとたおやかに微笑む。
「ですが、アカリ。私に食べ物を与えておくと良いことがありますよ?」
「良いこと…」
「えぇ、この店舗…いえ、この建物の全ては私の魔法で管理しています。なので、私に動力を補う事でここで快適に過ごすことが出来ます。例えば…自動で冷暖房完備、セキュリティもバッチリ☆」
「ふむ…」
「いつでも清潔、お掃除要らず♪」
「むむっ!?」
「厨房設備も使い放題〜♪」
「ならば許そう」
私は秒で矛を収めた。ヒスイさんは、趣味と実益を兼ねた味見係ということにする。
「ありがとうございます♡」
ヒスイさんが嬉しそうに微笑んだ。
丁度その頃、換気のために開けていた窓から冷たい風と一緒に雨が吹き込んで来た。
最初こそポツポツと大人しかったが、あれ?と顔を上げる頃にはザァーと本降りになった。私は慌てて窓に向かった。
「雨降ってきたか…この後、市場に行ってみようと思ってたのになぁ〜」
等と言いながら、何気なく窓の外を覗き込んだ私は思わず悲鳴を上げた。
「って、ぎゃあああ?!」
悲鳴を聞いたヒスイさんが慌てて駆け寄って来る。
「アカリ?!」
「外に人が死んでるーー!?」
雨に打たれ店の前に行き倒れていた鎧の青年をとりあえず店の中に運び入れた。…は、いいものの、ここからどうするか。
私はしゃがみ込んで、床に大の字に転がっている鎧の青年に近付いた。
全身ずぶ濡れで顔色はあまり良くないが、ぐーぐーと寝息を立てて眠っている。このまま放置してたら風邪をひくかも。
「…ヒスイさんや、この人助けてあげたいんだけど、どうしたらいい?」
「アカリがそう仰るなら…ふむ、単独でここに辿り着いたと言うことは、まぁ悪いようにはならないでしょう」
そう呟いて彼は鎧の青年の傍に立ち、人差し指で彼をぐるりと囲う様に見えない円を描いた。丁度鎧の青年が収まる程度の大きさだ。
「…風よ、旅人の衣を乾かし浄化せよ」
そう唱えると、見えない円はスゥッと縦に伸び、ヒスイさんと同じ位の高さの円柱になった。
そしてその円柱の中だけ、ブワリと下から風が吹き上げた。まるで透明な乾燥器みたいだ。あまりにも風の勢いが強すぎて、彼の掌から銅貨が2枚こぼれて舞い上がった。
「うわぁ~!スゴイ!これ魔法?!」
私が初めて見る魔法に興奮して歓声を上げると、ヒスイさんは得意気に胸を張った。
「フフッ、どうです?私、すごいでしょう?」
「あ、そういうの自分で言うんだ…」
やがて風が止み、舞い上がった銅貨がコンコンと鎧の彼の顔面に落ちた。
「…んがっ?」
その衝撃で目が覚めたのか、青年はパチリと瞼を開けた。
私は彼に声をかけつつ、顔を覗き込む。鎧の青年は、赤茶っぽい色の短髪で、スポーツとか得意そうな雰囲気の見た目をしている。
「あの、大丈夫ですか?起きられますか?」
「んあ…?ここは…あれ?俺…」
ムクリと起き上がった彼は、まだぼんやりしているのか、しばらく呆然と辺りを眺めながら考えている様だった。
そして、数秒間の沈黙をぶち破る轟音が鳴り響く。
『ギュゥゥゥグルルルゥゥゥ…』
私とヒスイさんはその音に驚いて、顔を見合わせる。彼が力なくボソリとこぼす。
「あぁ…腹減った…」
(えぇ…異世界の人って空腹で行き倒れることが普通なの?)
ガックリと肩を落として項垂れる青年。私はそんな彼に話しかけた。
「あの〜、よかったらなんか食べます?」
本日2回目の『豚汁定食』を彼の前に置く。ホカホカと湯気を立てる豚汁とおにぎり2つ。小鉢は『きゅうりの塩昆布あえ』だ。ちなみにご飯はまだ炊けてないので、さっきの残りをアパートでチンして来ました。
「どうぞ、召し上がれ」
鎧の青年は目を輝かせて、定食と私を何度も見た。さっきからお腹の音が凄い。
「えっ…い、いいのか?!でも、金が…」
「これは試食用なんでお気になさらず。あ、でも味の感想だけ下さい」
「!!スマン…ありがたく頂く!!」
私が笑うと、彼は勢いよくフォークを手に取り、豚汁の碗にがっついた。
「あぢッ…」
勢いが良すぎたのか、豚汁の熱さにビクリとした彼だったが、怯むことなくすぐにふーっふーっと息を吹いて冷ましつつ口に含んだ。横で見ていたヒスイさんが、冷たい水をそっと彼の前に置く。
「っん?!……」
私は若干緊張しながら彼の反応を見守った。ヒスイさんは美味しいと言ってくれたけど…
鎧の青年は、一口を飲み込むと目を見開いて何度か瞬きをした。それからおもむろに塩おにぎりを手に取り、がぶりと食べる。一口が大きい。
「……ッ??!」
これにも目を見開いて、食べかけのおにぎりと豚汁を不思議そうに何度も見た。やがておにぎりを咀嚼して飲み込み、ぐいっと水を煽る。
「っぶはぁ」
彼は口元の水を腕で豪快に拭うと、私の顔を正面から見た。目が輝いている。
「うっま?!なんだ、これ?!」
その言葉に私は内心ホッとした。小さく息を吐いて、へらりと笑う。
「なぁ、このスープはなんだ?どこかの国の料理か?今まで食べたことない位美味い!」
「あ…えっと…それは」
「当店の料理は、アカリの郷里の料理を独自にアレンジしたものです」
すかさずヒスイさんが落ち着いた笑顔で彼との間に入ってくれた。
「お口に合いましたか?」
「あぁ!具が沢山入ってるのが嬉しいな!香りもいいし、なんだか体が温まるしホッとする…それにこれも美味いな!この白い三角の…」
彼は半分、手元に残っていたおにぎりを口に放り込み、味を確認するかのようにじっくり噛み締める。ヒスイさんは彼の様子を見て、穏やかに微笑んだ。
「それは、コメという穀物を炊き上げた物です。独自の製法ですので、他にはないかと」
「あぁ!美味い!もちっとふわっとしてて、不思議な甘みと満足感があるな!いくらでも食える!ん?!この青い野菜の料理もうまい!なんだこれ、しょっぱくてパリパリしてて止まらなくなる!」
「フフッそうでしょう、そうでしょう」
ヒスイさんがウンウンと深く頷いた。その頃には彼は感想を言う事を忘れ、ものすごい勢いで食べ進めていた。
やがて、十分とかからず完食した彼は、豚汁とおにぎりをおかわりし、試作で作ったもの全てを平らげてしまった。…こんなにおかわりが来るなら早めにご飯茶碗を用意したほうがいいかもしれない。
「いやぁ~、美味かった!こんな美味い飯、久しぶりに食べた!」
「ありがとうございます」
鎧の青年ははぁ~と満足気に天を仰いだ。それから申し訳なさそうにテーブルに銅貨を2枚置いた。
「あの~…それで、代金なんだけど、これが俺の全財産で…」
(全財産…)
ヒスイさんを見ると、スッと私の傍に寄り小さな声で
「銅貨1枚で安いパンがひとつ買える位です」
と耳打ちした。なるほど、だいたい銅貨1枚100円位の感覚かな?え、じゃあ全財産200円ってこと?!やば…
「さすがにそれは貰えません!お代はいいので…取っといて下さい」
私は彼に銅貨を押し返すと、青年は感動して力強く私の両手を握った。ヒスイさんの眉がピクリと動く。
「わ?!」
「お嬢、あんたいい人だな!俺の名前はアルツ!剣士だ!今は…諸事情で貧乏だけど…その、依頼の報酬が入ったら必ず!払いに来るからな」
「諸事情?」
私が聞き返すと、青年アルツは困ったように笑いながら頬を掻いた。
「いやぁ~、実は俺、めっちゃツイてないらしくてさぁ…何やっても上手くいかなくて。三日前も声掛けられて組んだパーティに騙されて、アイテムも金も全部持ち逃げされちまってさぁ…」
「え?!」
「そのせいで依頼は失敗、一文無し…この銅貨はギルドから前借りした分の残りでさ…」
ハハハ…と急に力なく笑うアルツが不憫に思えてしまった。私は何か力になれないかと、努めて明るく言った。
「あの、この店実はもうすぐ正式にオープンするんです。なので、開店したらまた食べに来てください!美味しいご飯作りますから!」
すると、彼はふはっと私の倍位明るく笑った。
「あぁ!勿論だ!さっきの料理もすげー美味かったしな!って…この店、名前は何ていうんだ?」
アルツからの質問に、私は一呼吸置いてから笑顔で答える。見守るヒスイさんも穏やかに微笑んだ。
「『お食事処ともしび』です!」
第5話は9月28日、8時20分に更新します




